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放蕩息子達の故郷2

 先ほど昼食の準備をして、そのままになっていた一室。

 大きなテーブルに私とティルナノグ、そして主賓であるオーギュストが並ぶ。

 オーギュストは、隅に押しのけた椅子に積んであるギルベルトの持ち物を興味深そうに眺めていた。


「魔法の巻物(スクロール)魔法植物(フローラ・マギカ)図鑑か。するとここは魔法使いの工房っぽいな」

「ええ、おおよそ正解ですよ」


 ギルベルトは魔法も履修した錬金術師なので、当たらずとも遠からずである。

 巻物や図鑑は魔法使いだったギルベルトの相棒の荷物だろう。


「お待たせいたしました」


 オーギュストとそんな話をしていると、部屋にエプロンをしたハロルドが入って来た。

 手した銀製トレイにはギルベルトが試作として作成したばかりの青花磁器のティーカップが乗せられている。

 急いで作成したせいで絵付けは簡素だが、繊細な筆致は流石の出来だ。


 ティーポットの方はごく普通に出回っている白釉薬の陶器製だった。

 おそらく試作品を短時間で成型したかったので、複雑な形のティーポットは製作を避けたのだろう。

 そのお陰でカップに使われた素材の特殊さが際立っていた。


 ハロルドはカップを各人の前に並べ、紅茶を注いでいく。

 彼が選んだ紅茶の描く暗いオレンジ色は、磁器の白さを更に引き立てていた。


「どうぞ、オーギュスト殿下」

「へえ、遠目に羊脂玉から削り出した玉器かと思ったが、違うな。これは人工物だ。

 もちろん陶器でもない。薄すぎるし、色合いを見比べれば一目瞭然だ。

 思い出した。これと似たものを宝物庫で見たことがあるぞ」


 オーギュストは唇の端を少しだけ吊り上げ、愉快そうに笑った。


「エーリカ、噂に聞いた白磁の錬金術師を匿っていたのは、お前だったのか?」

「まさか。偶然会ったので協力して頂いているだけですよ」

「それはまた……不思議な偶然もあったものだな」


 さすがに自分の死亡フラグを潰して回っているうちに偶々縁が出来ましたとは言えない。

 私は曖昧に笑って誤魔化しておく。


 オーギュストはカップを持ち上げ、優美な仕草で静かに口に運ぶ。

 この王子は相変わらずの美少女ぶりで、紅茶を飲んでるだけで絵になっていた。

 どこかの猫とかが、こういう場面のスチルを欲しがりそうだ。


 彼は掌中でカップを転がしながら、しみじみと呟く。


「磁器と言えば、宝物庫に大事に仕舞われているような仰々しい品々ばかりだと思っていた。

 例えば人の背ぐらいの大壷だとか、うずくまった子供がすっぽり身を隠せるような大皿だとか。

 しかし、これはまるで手の中に収まる宝石のようだな」

「気に入っていただけたようで幸いです」

「ああ、お茶も素晴らしいしな」


 冷めてしまっては勿体ないので、私も紅茶に口をつけた。

 紅茶は、夏摘みのダージリンのような麝香葡萄(マスカット)の香りがした。

 爽やかな渋みと深い味わい。

 イグニシアの王侯貴族が好みそうな香りと味だ。


「それにこの絵もとても美しいな。柘榴文様の青花(セイカ)だ」

「お目が高い。これは大昔、東の大陸(ジュゴス)で大流行した古典的文様なんですよ、殿下」


 オーギュストの発言にさりげなく食いついてハロルドが補足的知識を付け足す。

 ギルベルトと一緒に絵付けしたおかげでハロルドも東方文化の蘊蓄が深くなっているのだろう。


「それで? 私はこれをいくらで買えばいいんだ?」


 オーギュストは単刀直入に言うと、どこか挑発するような視線を送って来る。

 審美眼のある王侯貴族なら食いついてくるだろうと思っていたけれど、ここまでズバッと切り出されるとは。

 思わずたじろぎそうになったが、私は気を取り直して答える。


「これはまだ試行錯誤中の試作品ですのでお売りできません。

 いずれニーベルハイム領の主産業として確立したあかつきには、さまざまな用途に合わせた器をお買い求め頂けるようになるはずです」

「そうか、残念だ。商品化が待ち遠しいな」

「それにオーギュスト様にはこれよりもっと良い器を献上する予定ですので」


 そう言って薄く微笑む私の瞳を、オーギュストは少し意外そうな顔をして凝視した。


「献上か。何だか含みを感じるが、いったい何を企んでいるんだ?」

「いえいえ、本当に大壷や飾り皿や食器(・・)を献上させて頂くだけですよ。ごく普通に使って(・・・)頂ければ、それだけで充分です」

「ふむ、折角の稀少な美しい器だ。王家だけで密かに楽しむのは勿体ないな。

 どうせ食器に使うなら、特別な場で使いたい。なるほど……そう思わせること自体が、お前の目的か」


 オーギュストは目を細め、自信ありげに私を見つめた。

 やっぱり察しの良い人だ。


「エーリカ、お前は王家を通して大陸中に磁器の存在を知らしめるつもりだな」

「ええ。話が早いので助かります」


 オーギュストは密かな企みを楽しんでいるようだ。

 好奇心を煽って食いつかせる作戦が功を奏したらしい。


「私は磁器を王侯貴族だけの蒐集品ではなく、あらゆる階層が使う品として広めたいのです」

「あらゆる階層と来たか……具体的にはどこまでだ?」

「貧富や貴賤の区別なく、文字通り全ての人が使えるように」

「そこまで来ると、文化そのものが塗り変わりかねないな。

 それはそれで面白いが、どうやって民衆にまで浸透させる?」

「流行は上から下に降りるもの。王族の方々が磁器製の食器を使えば、それを見た貴族が欲しがります。

 すると、貴族の家に出入りする、それぞれの分野の名家も欲しがるでしょう」

「ふむ、各々の名家が使っていれば、おのずと民衆にも広まっていくわけか」


 ギルベルトが脳裏に描いていたであろう、あらゆる人々が磁器を使う未来。

 私がやろうとしているのは、そのための僅かな後押しというわけだ。


「いいだろう。お前の企みに乗ってやっても良いぜ」

「感謝いたします、オーギュスト様」

「しかし、式典や晩餐会で使うなら、父上を説得できるような材料が欲しいな」

「利点や由来を説明すればよろしいのでしょうか? それとも建前的なものですか?」

「どちらかと言えば、建前に属するかな。

 おそらく実物を見せれば、父上個人の興味を惹くのは容易いだろう。

 しかし、国王陛下を動かすには、もう一押しが必要だ。

 より的確に言うなら、父上が臣下を納得させるための材料が欲しいわけだ」


 なるほど、その要求には一理ある。

 現在の晩餐会などに使われている食器は、銀器がメインだ。

 魔法などの進歩によって既に形骸化してはいるものの、銀器には毒殺を防ぐなどの意味合いもある。

 それをいきなり磁器製の食器に変えるのならば、それなりの理由が欲しい。


 本来の狙いを伏せ、より聞こえがよく理解しやすい話題に人の意識を誘導する。

 そんな茶番劇の筋書きが必要ならば、題材はアレしかないだろう。


「オーギュスト様がいなければ、磁器が再び作られることはなかった……というのはどうでしょう」

「おー、面白いけど嘘はいけないぜ、嘘は」

「いえいえ、とんでもない。れっきとした事実なんですよ?」


 私はギルベルトの逃亡の顛末を簡潔にオーギュストに伝えてみる。

 オーギュストはなんとも言えないような神妙な顔をして聞いていた。


「ふむ、そのトゥルム家のギルベルトという男があの時〈伝令の島〉にいたわけか。

 奇妙な偶然もあったものだな」


 オーギュストは薄い磁器のカップから一口紅茶を口に含んで目を閉じた。

 長い睫毛が白い頬に影を落とす。


「トゥルム家といえば魔法使いの名門の流れをくむノットリードの豪商で造船と海運の家だったかな?」

「あとは海上保険と武器製造もですね」

「〈水の宮殿〉を所有し、各方面に有力者を輩出している、西北部有数の名家。

 トゥルム家は末息子が受けた恩に対し、磁器を献上する形で報いる事で親イグニシアの立場を表明する形になる。

 なるほど、いいカードだ。納得する諸侯も多いだろう」


 にやり、とオーギュストは悪そうな微笑を浮かべた。

 私はゆっくりと首を横に振った。


「裏側から見るとそうですね」

「ほう、それでは表から見るとどうなるんだ?」

「大事な息子が、人知れず誰かの命を救っていた。

 この話を聞けば、王様も王妃様もお喜びになることでしょう」


 私はパリューグの喜びっぷりを思い出して、そう答えた。

 オーギュストは私から視線をそらし、誤魔化すように紅茶に口をつけた。

 それは何となく気恥ずかしそうな雰囲気で、うっすらと頬が赤くなっている気がする。


「まさか、そういう切り口で来るとは……」

「素直にこの話を聞けば、こういう解釈になるはずでしょう?」

「それはそうだが、私は政治的影響力の話を……ああ、もう、お前には負けるよ」


 オーギュストは人懐っこい笑顔に切り替わる。

 どことなく本心から嬉しそうな気がする。

 自分の招いた混乱が思わぬ人助けになっていたことは、彼自身としても嬉しいことだろう。


「それでは勝利のついでに、もう少し図々しいお願いもしてよろしいですか?」

「おっと、油断も隙もないな。まあ、私に出来る範囲で頼むぜ」

「イグニシア王家への恭順と忠誠を示す証として、トゥルム及びニーベルハイムの窯で作られた全ての作品にイグニシア王家の紋章を記すことを許して頂けないでしょうか?」


 前世の世界でよく見たアレである。

 これで、工房に王家のお墨付きという破格の名誉を受けることができる。

 いわゆる王室御用達(ロイヤルワレント)だ。


「なるほど、お前達は磁器に特別な価値を付け加えることができる。

 王家としては、技術の粋を集めて作られた磁器への関与をほのめかすことで、その威光を示す事が出来る。

 それに、どうせ献上された磁器を使うのだから、格の高いものの方が良い」

「話が早くて、とても助かります」

「いいだろう。父上には話を通しておこう。

 まあ、父上が拒む理由もないから、話を通しさえすれば、すんなりと了承を頂けるだろうけどな」

「重ねて感謝いたします、オーギュスト様」


 私はオーギュストに一礼する。

 それを切っ掛けに、今まで会話を静かに聞いていたハロルドが安堵のため息をついた。


「うはあ……何かすごい事になっちゃってびっくりしたよ。

 売り込むだけかと思えば、王家への献上品なんて栄誉がいきなり降ってくるしさ。

 文化を塗り替えるとか、磁器に畏れ多くも王家の紋章を入れるとか」

「良かったわね、ハロルド。これならニーベルハイムも安泰でしょう?」

「嘘みたいだ……こんなトントン拍子だと拍子抜けする……」


 ハロルドはもう一度深くため息をつきながら、袖で額を拭う。

 よほど緊張したのか、悪い汗をかいてしまったようだった。

 でもまあ、商売するには圧倒的好条件を引っ張り出すことができたので、良しとしてもらいたい。


 一方、オーギュストはのんびりとした様子で紅茶を楽しんでいた。


「いやー、どんな悪巧みに巻き込まれるかと思ったら、なんだか普通にいい話だった」

「オーギュスト様には、他にも良い話がありますよ。この磁器の絵付けに使われている青ですが、実は──」


 そうして、私達は教会のステンドグラス修復のために酸化コバルトを横流しする話をしたり、食べ忘れていたタルトに舌鼓を打ったり、調子を取り戻したハロルドがイグニシアの人向け〈百貨の街〉おすすめ観光ガイドを始めたり、オーギュストが工房のゴーレムを見物したり、私達は楽しくおしゃべりをしたのだった。


 私はみんなの顔を眺めながら、このまま行けば順等にニーベルハイム家の没落は回避できるだろうな、と安心していた。


      ☆


 時刻は夕刻となり、窓から差し込む光はオレンジ色を帯びていた。

 長く楽しいお茶会もそろそろお開きが近づいている。

 私はオーギュストに問いかけた。


「そろそろ私は〈水の宮殿〉に帰ろうと思いますが、オーギュスト様はいかがなさいます?」

「んー、そうだな。竜は一旦返してしまったし、船での川下りを楽しもうかな」

「では、ご一緒に──」


 私が返事をしようとした、その時だった。

 ぐらりと大きく屋敷が揺れる。


 地震?


 物心ついて以来、イクテュエス大陸では地震なんてほぼ発生しなかった。

 前世で暮らしていた火山列島と違い、活火山も断層も少ないのだ。

 いや、そもそもこの揺れ方は地震とは違う気がする。では一体なんだ?


「地面が揺れた……?」

「おっと、こういう場合は、慌てない方がいいぜ。

 揺れは一回だけとは限らない。今のうちに出入り口を開けておこう。

 ハロルド、お前は火の元の確認だ」


 激しく動揺するハロルドとは対照的に、オーギュストは冷静だった。

 彼の指示に従ってそれぞれが動き出そうとした瞬間、落雷のような轟音が鳴り響いた。

 工房の外で吹き荒れる風によって、鎧戸がカタカタと揺れる。


 ティルナノグは轟音にも怯む事なく、すぐさま走り出して扉を開け放った。

 出入り口の隙間から、熱された空気が流れ込んでくる。


「っ!? 何が起こったっていうんだ!!」

『あれを見ろ! 対岸だ!』


 ティルナノグが建物の外を指す。

 私達は彼に駆け寄り、その異常な光景を目にした。


 対岸では巨大な炎の柱が立ち上っていた。

 天に吹き上げる、炎の奔流だ。

 炎の柱の周囲には、消えかけた魔法陣の残滓が煌めいているのが見えた。

 どこかの工房での魔法事故か、あるいは炎の魔法の暴発といったところだろうか。


『山火事という雰囲気ではないな』

「どうして……対岸には大昔の遺跡くらいしか無いのにさ……」


 ハロルドの口から出て来た言葉に、背筋をぞくりとした悪寒が走るのを感じた。

 同じく気がついたらしいティルナノグと顔を合わせる。

 炎の魔法に、遺跡。

 不吉なキーワードが揃ってしまった。

 もしかして、対処が一手遅かったのではないだろうか。


 事故が起きたのが例の軍事兵器の遺跡だとすると、アクトリアス先生は大丈夫だろうか?

 実はとても危険な状況にあるのでは?


「オーギュスト殿下、エーリカ、念のためうちの城へ退避を。

 二人とも、万が一でも怪我なんてさせられませんからね!

 馬を用意してきます!」


 ハロルドはそう言いおいて、厩舎へと駆けていく。

 オーギュストは自分の鞄を肩にかけ、ティルナノグも重い鞄を幾つも持ち上げてすぐに動けるように準備した。

 私はその場に置かれたままの磁器を見て逡巡するが、すぐに馬の足音が聞こえてきたので二人と一緒に部屋を出る。

 ギルベルトの技術とニーベルハイム領の素材があれば、何度でも作り直せるはずだ。


 ギルベルトの屋敷にいた馬は、芦毛(あしげ)と青毛だった。

 ハロルドは芦毛に、オーギュストと一緒に騎乗する。

 私はティルナノグと一緒に青毛に乗った。


『エーリカ、今は悩むのはやめておけ。お前の安全確保が先だ。

 灰色の魔法使いを信じろ。あいつは見かけによらず優秀なのだろう?』

「そうね、ありがとう」


 私はティルナノグの言葉に小さく頷く。

 胸の内に不安を押し隠しながら、私達は〈光の城〉へと馬を走らせるのだった。

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