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秘密の工房4

 昨晩は平底船で遡ったルートを、今度は馬車で移動する。

 ギルベルトの工房に辿り着いた頃には、だいぶ日が高くなっていた。


 扉を開け工房に入ると、まだゴーレム達は昨晩と同じ作業を続けているようだった。

 一方、工房の主であるギルベルトは作業机に突っ伏して寝息を立てている。


 どうしようかと思っていると、タイミング良くハロルドが裏手の扉から顔を出した。

 いつもは綺麗に整えられている赤毛もボサついていて、少々お疲れのご様子だ。


「よう、エーリカに旦那。兄貴は起こさないでおいてあげてよ。

 徹夜明けで、まだ一時間前に寝付いたばっかだからさ」

『うむ、そうだな』


 ティルナノグはギルベルトの足元に落ちていた毛布をそっとかけ直す。


「焼き上がりにはまだ早すぎたかしら?」

「いいや、いいタイミングだよ。

 もう二度目の焼成が終わって、そろそろ冷却も済んだ頃合いさ。

 試作品が二枚、先に仕上げまでできてるから……見るかい?」

「すごい……本当?」

「へへ、びっくりしただろ?

 兄貴のやつ、早く完成品が見たかったみたいで張り切っちゃってさ。

 たまたま俺が魔力回復薬を持ってたから、魔法もガンガン使って……まあ、結果があれなんだけど」


 ハロルドは死闘の末に燃え尽きたボクサーのような表情で眠るギルベルトを指す。

 単なる睡眠不足や疲労だけでなく、魔力枯渇も併発しているのならば無理もないだろう。


 ハロルドは机の上に二つの平たい白木の箱を並べると、片方の蓋を開けた。

 現れたのは、まるで青と白の絹糸で作られたレースのような繊細さをもった皿だった。

 うっすらと青みを帯びた白の上に、艶やかな藍青で描かれた柘榴の模様が浮かぶ。


「まずは青のみで絵をつけた皿だよ」

「深い青のせいで白がずっと鮮やかに見える……とても綺麗ね」

『ほお、美しいな』

「だろ? 自信作なんだ。兄貴はこいつを東の大陸の言葉で染付(ソメツケ)とか青花(セイカ)とか呼んでた」


 ハロルドはもう一つも開ける。

 まず目に飛び込んで来たのは鮮やかな色の絵の数々だった。

 その皿の中心には赤と金で描かれた獅子と花々が踊っていた。

 また、円周の部分が六分割されてそれぞれに瑞獣らしき動物たちが描かれている。

 藍青の影が幻想的に獣達を浮き立たせているのである。


 それは一度見たことのある物に似ていた。

 トゥルム短杖店の壁に飾られていた、一度割れて金で繋ぎ合わされていたあの皿の図案。


「もう一つは染錦金襴手(ソメニシキキンランデ)って種類だったかな。

 青で絵を入れた上から釉薬をかけて焼いて、それからまた青以外の色や金を乗せたり色々して完成。

 見て分かるとおり、すっごく手間がかかってるんだ」

「これってあのお店の裏に飾ってあった継ぎ跡だらけのと同じ柄みたいね」

「ああ、そうさ。兄貴が子供の頃に割っちゃった奴だって。

 ノットリードの言い伝えのひとつ、七種の怪物に出会った航海士の伝説が元になってるらしいよ」


 七つの獣が描かれた大皿は、異形にして美麗な芸術品だった。

 そう言えば、例の読みかけの説話集にも、その話が収録されていたはずだ。


「もう食器じゃなくて芸術品みたい。

 割れてしまったお皿に描かれていた獣の姿は、こんなに綺麗なものだったのね」

「んん? 食器だって? 何だかとんでもないことを言ってないか」


 言葉とともに毛布がもぞもぞと動き、ギルベルトが顔をあげる。

 おっと、いけない、お疲れのギルベルトを起こしてしまった。

 ん? でも、私そんなに変なことを言ったかな。


「とんでもないこと、ですか……?」

「お嬢さん、芸術品みたいも何もこいつはれっきとした芸術品だぜ……ふわぁ〜〜あ」

「っていうかさ、兄貴、もう起きて大丈夫なの?」

「ああ、もう充分に寝たよ。これ以上変なところで寝ると腰に悪そうだ。

 それにしても、お嬢さんは考え方が大胆だなあ……流石アウレリア公爵家と言うべきか」


 うっかり磁器に対して前世の感覚で話してしまった。

 この大陸において、磁器は希少な存在だ。

 当然、裕福なアウレリア公爵家でも食器扱いなんてするはずがない。

 しかし、ギルベルトは私の不用意な発言を面白がっているようだった。


「知ってるかい?

 磁器ってのは、元は遥か東の大陸の王が作らせた人工の宝石だったそうだぜ」


 にんまりと笑いながら、ギルベルトは自慢の作品の表面をそっと撫でる。

 確かに、その美しさは宝石に喩えられてもおかしくない。


「その地では(ギョク)っていう宝石が不老不死に至るための鍵だと考えられていたそうだ。

 歴代の王が何から何まで玉を使ってたもんだから、そのうち天然に産出する玉だけでは足りなくなって来た。

 王に命じられた者達は、人工的に玉を作るべく試行錯誤を繰り返した。

 その果てに生み出されたのが、この磁器ってわけだ」


 ギルベルトはそう誇らしげに語った。

 彼自身がその試行錯誤した人々に連なっているのだから当然だろうか。


「始めは王の祭器として生み出され、貴族の蒐集する芸術品になり、最後には庶民の食器となり果てる。

 ……いいじゃないか。面白い。こいつは悪くないぞ」


 ギルベルトの言葉を聞いて、私は悟った。

 私の他愛ない一言で、この大陸の磁器文化が大きな転換点を迎えてしまったのかもしれない。

 ギルベルトは何かを捧げ持つように空中に手を差し出す。

 私はその手の中に彼の見据える未来の磁器を幻視したような気がした。


「はあ!? いきなりよくわかんない言ってるのさ、兄貴。

 寝ぼけてるの? 疲れてんの?

 ほらほら〜、眠気と疲労がぽ〜んっと取れる水薬(ポーション)がまだ残ってるよ」


 話に飽きたらしいハロルドはガラス壜をギルベルトの顔にグイグイ押し当てる。

 壜の中身はなかなかグロテスクな色合いの紫色だった。

 ギルベルトは顔を引き攣らせて壜から逃げるように後ずさった。


「も、もうイヤだっ! そんなクソマズい水薬(ポーション)なんかもう飲みたくないっ」

「セルゲイのおっさんにタダで沢山もらったから、遠慮しないでガンガン飲んでくれよ、兄貴ぃ」

「遠慮じゃ無いからな!!」


 ハロルドがとてもイキイキとした表情でギルベルトを追いつめて行く。

 机の上を見ると、ちょうど水薬の説明書きが置いてあるようだ。

 何を混ぜたらあんな色になるのか気になったので私はそれを読み上げてみた。


「主成分は、馬の心臓、鹿の袋角、干し蠍、干し海蛇、廃蜜糖(モラセス)、あとは大蛸(クラーケン)の髄液。

 魔力補給成分は大蛸(クラーケン)の髄液くらいだけど、疲労回復には効果的な成分だと思いますよ」


 そこそこ魔力が回復出来て、ついでに滋養強壮になりそうな水薬である。

 ギルベルトは材料の内訳を聞いて顔が真っ青になった。


「げえええ、そんなゲテモノ水薬を俺は昨晩から何本もガブガブ飲んでた訳!?」

『そうか? 旨そうだがな』

「えー、いーじゃん、兄貴。これでも原価だけで銀貨三枚の高級品だよ〜!」


 ハロルドが詰め寄ると、ギルベルトは椅子から立ち上がってジリジリと逃げる。

 一口たりとも飲まないという鉄の意志を感じた。


「おいおいおい、哀れな俺をそんな風に苛めないでくれよ、坊ちゃん」

「無理強いはダメよ、ハロルド」

「苛めてないさ、労ってるだけだってば!」

「あ〜、俺を苛めている暇があったら、坊ちゃんは坊ちゃんの最後の仕事してくれよ!」

「うっ」


 今度はハロルドが苦しげな表情を浮かべる番だった。

 紫色の水薬の入ったガラス壜を持ったまま、動きが固まる。


「ほら、ニーベルハイム伯と交渉だろ?

 肝心の伯爵を説得しなきゃ、結局モノもヒトもカネも大きく動かせないだろう?」

「ううっ」


 そういえば一番大事な相手に、事の顛末と対策の話をしていなかった。

 でもハロルドは父親であるニーベルハイム伯爵と直接話すのがイヤなんだろうか。


「そうだけどさ、俺が行ったって話を聞いてくれるとは思えやしないよ。

 兄貴が話を持ちかけた方がずっといいって」

「俺はとっとと試作を焼いちまいたいんだよ。

 蒐集家向けの大皿や大壷じゃなくて……そうだな、まずは小さめの皿や茶器みたいなありふれた食器をな。

 それに、俺の見た目と性格じゃあ、胡散臭いだろ?

 わだかまりがあると言ってもニーベルハイム伯にとってはやっぱり信頼する息子だ。

 坊ちゃんが説得すれば、一度騙されて慎重になっているニーベルハイム伯も動くに違いないぜ?」


 ギルベルトが「信頼する息子」と言った時にハロルドはわずかに唇を噛んだ。

 私はニーベルハイム親子の間のギクシャクとした気まずい空気を思い出す。


「あの、私もまたハロルドについて行ってもいいかしら? どうなるか気になるもの」

「エーリカ、本当にいいの?」

「私がいても、別に何かできるわけじゃないけどね」

「いいや、一人で行くよりも、あんたがいてくれた方が何十倍も気が楽だよ」


 ハロルドが藁にでもすがるような表情で私を見たので、にっこり微笑み返す。


『では俺も着いて行くとするか』

「いや、旦那はちょっと見た目が厳つすぎて不審かもしれんぜ」


 立ち上がりかけたティルナノグが、ギルベルトからダメ出しで再び腰を下ろす。

 確かにちょっと怪しいのは否定出来ない。


『ふむ……では、着いていけない代わりに、お前達(・・・)に忠告しておこう。

 一度気持ちのすれ違った家族と、自分から歩み寄って折り合いをつけるのは気が進まないことだろう。

 しかし、どんなに嫌でも、相手の本心くらいは確かめておけ。

 それが出来るうちは幸運なのだ。

 もう二度と会えなくなってからでは、そいつが本当は何を考えていたのか、永遠に分からぬ。

 分からぬが故に、二度と応えぬが故に、勝手にそいつが本当は良い奴だったと思い込むことも容易いが……それは少し寂しいものだ』


 ティルナノグの言葉に、ハロルドだけでなくギルベルトまで息を呑んで押し黙る。

 もしかして、彼がこの二人を放っておけなかったのは、どこか自分に重ねていたところがあるからなのだろうか。

 彼は数百年もの間、家族同然に育った人の本心を知らずに苦しんでいたのだから。


「旦那……」

『俺からは以上だ。後はお前の父親にでも聞け』


 言いかけたハロルドの言葉を遮り、ティルナノグは口を閉ざした。

 ハロルドは逡巡するギルベルトに視線を向けた後、まだ迷っている様子ながらもしっかりと頷く。


「じゃ、ちょっと待ってて。着替えてくるからさ」


 ハロルドそう言って、エプロンの紐を解きながら奥に引っ込んだ。

 ギルベルトは何事か考えていたが、ため息を一つついた後、観念したように立ち上がる。

 彼は丁重に柘榴模様の皿を白木の箱に入れ直し、用心深く鞄に詰め込んでいく。

 皿以外にも鉱石の標本のような物を二つほど入れていた。


「皿と酸化コバルトに砥石のサンプルだ。坊ちゃんに渡してくれ」

「ギルベルトさんは?」

「俺は……俺はなあ……結局、頭で考えても分からないタイプなんだ。

 一人で作業場にでも籠って、指を動かしながら窯や土にでも相談してみるよ」


 ギルベルトは頭を掻き、ちらりとティルナノグを見た。

 さっきのティルナノグの言葉に、少しは思うところがあったのだろう。

 私は鞄を受け取って、深く頷いた。


「坊ちゃんのこと、頼んだよ。俺は俺のことでしばらく精一杯だからさ」

「大丈夫ですよ。あれでも私の選んだ相棒ですから」

「そうか、そうだな」


 ギルベルトは複雑な表情で微笑み、小さく頷いた。

 彼は二、三の材料を抱えて奥の作業場へと引っ込んでいく。

 入れ替わりに、貴族らしい格好に着替えたハロルドが入ってくる。


「よし、行くぜ。エーリカ。父さんのところへ。

 大丈夫さ。別に磁器の話をするだけだから、何も心配いらないさ」


 ハロルドは一見してカラ元気と分かる様子で早口に言って私を促す。

 まだ少し不安だけど、全く元気がないよりはいいだろう。


 磁器産業にとってもハロルド自身にとっても分水嶺となる交渉のために、私達はニーベルハイムの〈光の城〉へと向かうのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字報告です。 「ほら、ニーベルハイム伯と交渉だろ?  肝腎の伯爵を説得しなきゃ、結局モノもヒトもカネも大きく動かせないだろう?」 「ううっ」 の、肝腎な、が、多分、肝心かなと思い…
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