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秘密の工房2

 私達はギルベルトに連れられて、夜のヴァルナリス河を遡っていた。

 途中までは馬車や小舟を乗り継ぎ、街外れの船着き場で上流へ向かう平底船に乗せてもらったのだ。

 この平底船に載っているのは、上流の村に届けるためのさまざまな生活物資である。

 岸辺に作られた曳舟道(トウパス)を歩く馬に牽引させながら、緩やかな流れを一晩かけて遡るのだ。


 ギルベルトは船員に分けてもらった香辛料入り葡萄酒(モルドワイン)を一口啜り、ほうっと白い息を吐いた。

 私とハロルドのお子様組は、温めた香辛料入り林檎果汁だった。

 シナモンとジンジャーが体を芯から暖めてくれる。


「ノットリードに着いた日の夜も、こうやって河を上ったもんだよ。

 あれからまだ七日か……坊ちゃん達のお陰で濃厚な経験をさせてもらってるなあ」

「でも兄貴、一人で河を上るんだったら陸路の方がよかったんじゃないの?」


 川辺を眺めて感傷に浸っているギルベルトに、ハロルドが水を差す。


「運び入れたい荷物があったから、船じゃなきゃダメだったんだ。

 長年の研究の成果で、とある地方の砥石が磁器の材料に最適だと分かってな。

 ほんの二束三文で買えるから、市場に出回ってる分を買えるだけ買い占めちまった」

「へえ、砥石なんかが……ん、あれ? 買い占め?」

『そう言えば、砥石が値上がりしていると言っていたな』

「兄貴、あんたの仕業か……」


 ハロルドは上目遣いでじっとりとギルベルトを睨め付ける。

 菓子屋の回転砥石を修理してたとか言っていたよね。

 もしかすると、他にも砥石不足の弊害が出ていたのかもしれない。


「え、なに? 何で怒ってんの?」

「別にー。兄貴のせいでちょっと今週は面倒が多かっただけさー」

「まあまあ、何があったか知らないけど、いいじゃないか。

 俺の先見の明のお陰で、酸化コバルトを使った絵付きの磁器生産に入れるんだからな」


 ギルベルトの言葉にハロルドは恨みがましい目を向けながらも沈黙する。

 確かに助かったことは間違いないのだからとやかく言うのは無粋かもしれないね。


「まあ、先見の明っていうか、余計な拘りだけどな。

 東相手の商売なら、いっそ白磁のままの方が売れる。

 頭ではそれが分かってても、心が乗らなきゃ存外作る気にならねえもんだ」

『お前の余計な拘りのお陰で材料が浪費されず、却って物事が上手く運んだと言う訳か』

「そうそう、旦那。良いこと言うねえ」


 ティルナノグの言葉にギルベルトの機嫌がぐぐっと良くなる。

 ハロルドはまだジトっとした目付きで不満そうだ。


「ちっ、兄貴は調子がいいよなあ……でも、そんなに都合良く東で売れるモンなの?」

「南にいた頃の俺の相棒の見立てなんだけどな。

 あいつは俺とは趣味こそ合わなかったが、審美眼は相当なものだった。

 相棒としての贔屓目はあるが、まあ、信じていいと思うぜ」


 東の文化では上品で洗練された、それでいてシンプルなものが好まれる。

 確かに絢爛豪華な絵付きの磁器より、清楚な白磁の方が東の人々の趣味に合うのかもしれない。


「その相棒の方ってもしかしてハーファン出身の魔法使いの人だったんです?」

「ああ、俺が錬金術担当、そいつが魔法担当で東西の技術を組み合わせて研究してたのさ。

 そいつとは例のドタバタで生き別れになっちまったが、そいつに託された巻物(スクロール)は今でも俺の相棒だ」


 ギルベルトはそう言いながら寒さか感傷かで鼻をすすったあとに、夕闇の空を仰ぎ見た。

 私は彼の視線を追うように顔を上げる。

 月の無い暗い空には星が煌煌と輝いていた。


 この時間のあちらの方角に見えるのは狼座の一等星と犬座の一等星だろうか。

 ならばその下側にあるのは泥魚(ザリガニ)座を構成する赤い星々だろう。

 三つの星座から視線を徐々に下ろすと、巨大な影がそびえていることに気がつく。


 それは、天を衝くような高い塔だった。

 塔のあちこちに窓があるらしく、オレンジ色の小さな光がいくつも灯っている。


「やっと塔が見えてきた。船頭さんよぉ、この辺りで岸につけてくれ」

「おうよ」


 船を岸に止めてもらい、私達は川辺に降り立った。

 まだ夜の八時くらいだが、月が無いせいか、だいぶ視界が暗い。

 私達は各々、ランプや角灯(ランタン)を灯す。


 別の角度から見上げると、先程の塔は大きなお城の一部になっているようだった。

 お城の照明によって、それらの建造物が白い石で出来ているのが分かった。


「立派なお城ですね。この辺りの貴族の居城でしょうか」

「んー、まあ、そんなとこだが……坊ちゃんの方が詳しいんじゃないか?」

「あら、ハロルドが?」

「いや、詳しいっていうかさ……あー、あれは俺んち」


 ハロルドが頬をポリポリと掻きつつ視線を逸らす。

 いや、俺んちってレベルじゃないでしょう?


「俺んちの城は〈光の城〉って呼ばれてる。

 ヴァルナリス河の岸辺の岩盤を土台に建てられた古い城で、やたらと高いあの塔が特徴さ」

「あの塔を作ったのは、こっちに移住したばかりのトゥルムだそうだぜ。

 考えてみれば、よくよくトゥルムとニーベルハイムは縁があるなあ」

「兄貴、それを言うならノットリードのほとんどの名家や商会には縁があるだろ」

「ははは、そりゃあ言えてる」


 ハロルドとギルベルトの地元組二人はそう言って笑い合う。

 確かに、ノットリード全体が一種の家族や親戚みたいな雰囲気があるような気がする。


「特に何かあるわけでもない、普通の田舎の城だけどさ。

 晴れてればノットリードの街が一望できるってところは悪くないよ」

「それは素敵ね」

「ああ、そうだ。この件が一段落したらさ、みんなで俺んちに集まって祝宴でも開かない?

 予算もないから、ちょっと飯食って騒ぐだけのささやかなものだけどさ」


 ノットリードの夜景を眺めながらの打ち上げとは、良い提案かも知れない。

 捕らぬ狸の皮算用と言うけれど、これまで神経を張りつめっぱなしだったのだから、少しくらいは気を緩めてもバチは当たらないだろう。


「なかなか洒落た計画だと思うわ」

「いいねえ。酒が出るならどこへだって行くぜ」

『うむ、悪くはないな』

「よし、それじゃあ決まりだな」


 全員が賛成の意を示すと、ハロルドはにっと歯を見せて笑った。


「まあ、あれだ。〈光の城〉の件は楽しみにしておくとして、まずは俺の秘密基地だな。

 もう少しだから、我慢して着いてきてくれよ」


 もう少しという言葉に違わず、上陸からほんの五分程度でギルベルトの隠れ家に到着した。

 いくつかの建物の土台だけが残る開けた場所に、古びた小屋がぽつんと一軒建っている。

 ギルベルトによると、かつては石切り用の作業小屋だったらしい。

 使われなくなって久しい作業小屋を、彼の二番目の兄から借りて磁器製作のために改装してあるのだという。


 小屋の窓は鎧戸が閉められ、ドアは真新しく重々しいものに交換されていた。

 近づくと、中からゴトゴトと重々しい足音が聞こえてくる。

 誰か、と言うよりも何か(・・)がいるという感じだ。


(これは人間の足音じゃない。ということは……)


 磁器を作っているのに、ギルベルトが工房を離れているのは不自然だと思ってはいた。

 最初は協力者がいるのかとも思ったけれど、ここに私達を連れて来るまでの間に誰かに連絡した様子もない。

 でも、手伝っているのが人間ではなく、例えばゴーレムだとすると筋が通るだろう。


「さあ、紳士淑女の皆さん、ギルベルト・トゥルムの秘密の工房へようこそ」


 ギルベルトが芝居がかった仕草で工房の扉を開く。

 室内からは秋の夜の外気よりも更に冷たい空気が流れ出て来た。

 ゴーレムが活動用に周囲の熱を吸っているとしても、少々寒すぎる。


 ギルベルトの工房の中には予想通り、子供ほどの大きさの土塊のゴーレムが何体も起動していた。

 ちょうど彼が講義の際に落書きしたような、頭部のないずんぐりとしたデザインのゴーレム達だ。

 見える範囲だけでも、十体以上いるように見える。

 個人の工房でありながら、これだけの数のゴーレムを稼働させているのは珍しい。


 それぞれのゴーレムは、よく見ると外見も動きも微妙に異なっていた。

 いずれも専門の作業工程を担当するための特殊な構文が組み込まれているのだろう。

 あるゴーレムは薄い褐色の縞が入った白い鉱石を粉砕し、粉状にしている。

 他にも白い粉に水を加えて練り上げる個体や、ロクロを回して成型を行う個体など。

 様々な工程に彼らが働いている。


 だが、この工房の特徴は分業化したゴーレムだけではない。

 部屋の中のあちこちで、複雑な構成の魔法陣がいくつも展開されていた。

 錬金術だけではなく、魔法も併用して作業が行われているのだ。


「この辺に設置してある魔法陣は、乾燥や冷却のためのものだ。

 急ぎ仕事でも磁器が割れないように特別な調整が施されている。

 奥の部屋にある窯も、もちろん魔法を組み込んだ特別製さ」

「すごいよ、兄貴! 一人でこんな工房を作っちゃったわけ!?」

「ギルベルトさんはハーファンの魔法も使えたんですね」

「やれやれ、ようやく驚いてもらえて嬉しいよ。

 ほんのちょっと魔法を齧ってた甲斐があったってもんだ。

 まあ、実際に魔法を構築したのは、俺じゃなくて俺の相棒なんだけどな」


 ギルベルトは先頭に立ち、動き回るゴーレムの間をすいすいと抜けていく。

 私達もゴーレムの作業を邪魔しないように気をつけながら、ギルベルトの後を追った。


 工房の奥には簡素な木製のテーブルが四つほど並べられている。

 それらのテーブルの上には白い素焼きの大皿が二十枚ほど載せられ、次の工程を待っていた。

 テーブルと乾燥用の魔法陣の間を、一体のゴーレムがゆっくりと往復している。

 ギルベルトはゴーレムが置いたばかりの皿を手に取り、慎重に品定めするように見つめた。


「昼過ぎにも一度こっちに来ていたんだ。

 相棒の構築した巻物(スクロール)から魔法を起動させて、急ピッチで製作させてたわけ。

 ふむ……これなら問題なく絵付けに進めそうだ」


 ギルベルトがそう言って私達に見せたのは、おおよそ五十センチほどの直径の大皿だ。

 これに酸化コバルトで絵付けをすれば、さぞかし映えることだろう。


「え、ええっ!? もう試作品が作れるってことなの、兄貴!?」

「ああ、窯の魔法を張り直す必要があるから俺の魔力回復待ちになるが、あと二回焼成すれば完成だ。

 おそらく明後日くらいにはお披露目可能なんじゃないかな。

 とりあえず、最初の数枚にはこの辺りの図案を試そうと思ってる」


 ギルベルトは未完成の皿をハロルドに手渡すと、棚から分厚い封筒を取り出した。

 その中から数枚の紙が選び出され、テーブルに拡げられる。

 繊細な描線で、トゥルム短杖店に飾られていたものに似た雰囲気の図案が描かれている。

 おそらく古代の磁器の柄を模写したものだろう。

 ハロルドは皿と図案を交互に見つめ、ごくりと生唾を呑んだ。


「なあ、兄貴、俺も手伝えないかな?」

「おう。当然坊ちゃんの手伝いも計算に入っている。

 言ってくれなきゃ、俺の方からお願いするつもりだったよ。

 坊ちゃんも絵はそこそこ描けるだろ?」

「ああ、ちゃんと仕込まれてるよ。そういうのが必要な杖の工程もあるからさ」

「よしよし、それなら問題ない。大助かりだ。

 絵付けみたいな繊細な作業は俺のゴーレムじゃ無理だからな。

 この枚数を俺一人で全部描くのは、さすがに骨が折れるし」


 ギルベルトはにんまりと笑い、図案の中から数点をハロルドの前に置いた。

 青だけでなく何色もの色で彩色された、豪華な絵柄のようだ。

 あまり絵心のない私には、ちょっとお手伝い出来なさそうなレベルの図案だ。

 ハロルドはじっと図案を見つめた後、自信たっぷりに頷いた。


「やれる……俺、やるよ。この皿、俺が最高の出来にしてみせる」

「よーし、その意気だ」


 景気をつけるように、ギルベルトはハロルドの背中を叩く。

 二人の様子を見ながら、ティルナノグは面甲の奥で小さく笑う。


『どうやら、俺達の手伝えることはなさそうだな』

「そうね」

「おっと、悪いな、二人とも。こんなところまで遥々足を運んでもらったのに」

「いえ、貴重なものが見れたことだし、いい勉強になったわ」

『完成品を見て驚く役も、お前達には重要だろうしな』

「ははは、そんなに期待されてたら、試作品とは言え下手なもんは作れないなあ。

 まあいいや。楽しみにしてなよ。

 坊ちゃん、俺は近場の村に馬車を手配しに行くから、先に始めててくれ」


 ギルベルトはそう言い残して工房から出て行った。

 ハロルドはエプロンをつけ、作業が出来る服装に着替える。

 やるべき事が決まってからのハロルドは、かなり吹っ切った様子だった。


「ハロルド、今日は色々あったけど、好転しそうで良かったわね」

「ああ、散々付き合ってくれて、本当にありがとうな」

「気にしないで。だって私達、相棒でしょ?」


 私の言葉に、ハロルドはくしゃりと泣きそうな顔で笑った。

 泣きそうに見えるけど、今までよりずっとしっかりした表情だ。

 この様子なら、もう彼は安心だろう。


 ハロルドが作業の準備を終えた頃合いでギルベルトの呼んだ馬車が到着した。

 そうして私とティルナノグは馬車に乗り込み、工房を後にしたのだった。

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