秘密の工房1
夕暮れの〈坩堝通り〉を駆け抜ける。
本日最後の教会の鐘の音が鳴りはじめる頃、私とティルナノグはトゥルム短杖店に到着した。
ハロルドではなく、ギルベルトに会うためだ。
酸化コバルトに気づいたもう一人の人物とは、ギルベルトなのだそうだ。
彼が短杖店にいるかどうかは難しいところだが、闇雲に探すよりはマシなはずである。
『相変わらず客の気配のない店だな。
店主は店にいないようだが、赤毛の小倅の気配はあるぞ』
「却って好都合ね」
店内に入っても、出迎えの声がしない。
中を見回すと、ハロルドが今にも死にそうな表情で黙々と棚を磨いていた。
何もこんな時に掃除なんてしなくても。
いや、むしろ何かして気を紛らわせていないと辛いってこともあるのか。
「ハロルド、大丈夫?」
「あ……? ああ、エーリカか、いらっしゃい。
何にする? いい杖が揃ってるよ?」
「大丈夫ではなさそうね。生憎、お客として来た訳ではないのよ」
『ギルベルトは奥にいるのか?』
「兄貴? ああ、兄貴は少し前に帰ってきたよ。
何か失敗できない難しい調合をやるとかで、貯蔵庫に籠ってるけど……」
やはり、予想通りか。
ティルナノグと目を合わせると、彼は頷いた。
「ハロルド、あなたも聞いておくべき話よ。一緒に行きましょう?」
『お前がイヤでも無理矢理つれていくがな』
「えっ、あ、ちょ……っ、店番! 俺しかいないのにっ!」
「お客様は二日に一人でしょ?」
「そ、そーだけどさあ! ああもう、せめて戸締まりさせろっ!」
ティルナノグに抱え上げられて、じたばたとハロルドが暴れた。
手分けして店の施錠を行い、私達は店の奥にある貯蔵庫へと向かう。
☆
「よお、皆さんお揃いでどうしたんだい?」
ギルベルトはちょうど調合を終えたところらしく、机の上に広げた錬金術道具を片付けているところだった。
私は机の上に置かれた容器に視線を走らせる。
ギルベルトはその容器をさっと自分の鞄の中に隠した。
やはり、ギルベルトは自分の見つけた青色の顔料について秘密にしているようだ。
ハロルドが何も知らなかったから、何となくそんな感じはしていたんだよね。
ある意味、間に合ったとも言えるだろうか。
彼が何かの製作のためにどこかに籠ってしまった後では、発見が難しくなるからだ。
ティルナノグはテーブルの上に藍青色のガラス玉を転がした。
ギルベルトはハッとした顔でそれに手を伸ばす。
伸ばされたその腕を、電光石火の早業でティルナノグの手が捉えた。
『やはり、お前なら一目で分かると思ったぞ』
「私達はそれに関する話をしに来ました」
私とティルナノグが詰め寄ると、ギルベルトは目を伏せて笑った。
「ははは、参ったなあ。試作品が出来上がるまではのらりくらりと言い逃れようと思ってたのに。
まさか精錬物の正体に気づくどころか、たった数時間で現物を作ってくるとはな。
流石、錬金術師の頭領の娘だ。一筋縄では行かない」
ギルベルトは観念したかのように呟いた。
いやいや、友人の幻獣にチートしてもらったので、私自身は普通で平凡ですよ。
なんて口に出しては言えない。
「ちょ、ちょっと、何の話だよみんな! 俺だけ置いてけぼりっぽくない?」
『待て待て、ハロルドよ。順を追って説明しよう。このギルベルトがな』
「旦那ぁ、そこで俺に丸投げかよ」
ギルベルトは苦笑し、浮かしかけていた腰を再び椅子に下ろす。
彼が鞄に仕舞った容器をテーブルに戻すと、ティルナノグも腕を解放した。
ギルベルトはガラス玉をランプの明かりに透かして見つめながら、ほうっとため息をつく。
「ああ、やっぱり良い発色しやがるなあ……」
「それって青ガラス? 確かに、こんなの滅多に見ないけど。
このガラスがいったいどうしたのさ?」
「これは坊ちゃんが蹴っ飛ばした樽に入ってたゴミで作ったものさ」
『正確には、ガラスそのものではなく、青色を作ったのだがな』
「へ……?」
「酸化コバルトという、この大陸ではかなり希少な金属よ。
ゴミどころか、同じ重さの銀の二十倍の価値があるそうだわ」
「え、ええええええええーー!?」
ハロルドは目を見開いて叫んだ。
ゴミ同然だと思ってたものがお宝に化けたのだから、驚くよね。
「それ……なんて偶然だよ」
「全く、恐ろしい偶然だよな。
きっと鉱床に含まれる金属の比率と、ニーベルハイム伯の精霊による精錬法が上手く噛み合っちまったんだろうなあ」
「ってことは、その酸化コバルトとかいう希少金属を売れば、詐欺の損失だって取り戻せちゃう!?」
「それはどうかしら」
「まあ、そう考えるよなあ。だから言い出せなかったんだよ」
ショックから回復したハロルドが、快哉の声をあげる。
私とギルベルトは肩をすくめ、顔を見合わせた。
「いくらで売れるかじゃなくて、どう売るかが問題なのよ。
たとえば青ガラスの材料として売るなら、需要は限られてくる。
神殿や教会、それと一部の貴族や豪商に行き渡ったら、消費は頭打ちよ」
「西北部の銀鉱脈が枯れない限り酸化コバルトが作れると分かれば、今よりも価値が下がるだろうなあ」
「そんなあ……」
「酸化コバルトそのものではなく、それによって生まれる付加価値を売らなきゃいけないの。
今のニーベルハイム領が純度の高いただの銀の塊ではなくて、高品質の銀器を売っているのと同じように」
「ははは、子供なのにちゃんとしてるねえ、お嬢さん。
そんな訳で、俺も大事な弟分のために一肌脱ごうって思ったわけさ」
『結局お前は何者なのだ、ギルベルトよ。
ただの豪商の末息子ではないだろう』
「その言葉、そっくりそのまま旦那にお返ししたいところだぜ」
ティルナノグの指摘に、ギルベルトは苦笑した。
「俺は元々アテがあって精錬物を回収したわけじゃない。
有害なものが混じってないか不安で解析魔法使ったときに、偶然判っただけだ。
でも旦那、あんたは魔法も何も使いやしなかった。
あんたもただの公爵令嬢の護衛じゃないだろう」
『俺はごく普通の守護者だ。俺の古い友は高名な錬金術師だったがな』
ティルナノグは相変わらず嘘をつかずに上手くはぐらかす。
ギルベルトはその返答に肩をすくめた。
『帰郷する前は何をしていた?』
「夢を追いかけてたよ。その夢が半分叶うまでに、十年もかかっちまった」
「具体的に、その夢って何なんですか?」
「それは……まあ、あんた達にならいいか。内緒にしてくれよ?」
ギルベルトは鞄から白い絹の包みを取り出す。
その平たい何かをそっとテーブルに置き、彼は慎重に包みを解いた。
白い絹織物の中から現れたのは、白い無地の皿だった。
純白ではなく、うっすらと清廉で玲瓏な青みを帯びている。
それは黄色い色味の強い照明の下で見ると、より際立った白さを感じさせた。
「これ、磁器ですか?」
「ご名答。さすが、公爵令嬢ともなれば一目で分かるか」
いや、本当は前世いた世界が磁器が珍しくないところだったので。
なんて言えないけれど。
「おー、確かに、師匠が集めてる皿に似てる!」
「そうそう、その皿なんだよな。
あのコレクションの中に、一枚、割れちまっているヤツがあるだろ?」
「獣の絵の皿ですね」
「実は、あれを割ったのはさ、俺なんだ」
ハロルドが一瞬身を竦ませて、椅子ごと数センチ後ずさる。
彼の驚きは私もよく分かる。
美品なら最低でもお城が買えそうな価値があるんだもの。
ギルベルトは私達の反応を見ると、悪戯小僧めいた子供っぽい表情で笑った。
「うわあ……そりゃあ……兄貴、すごく怒られたんじゃないか?」
「そう思うよなあ。でも、実際は少し違ったんだよ。
親父が歳を取ってから生まれた子だからなのか、それはもう甘やかされてな」
あの頃の自分は悪ガキだったと、ギルベルトは懐かしそうに呟いた。
父親の気を惹くために色々な悪戯をし、その反応で大事にされていることを感じて満足感を覚えていたのだそうだ。
ある時、彼自身も忘れるくらいささやかな理由で、トゥルム老が大事にしている皿を一枚割ってしまった。
彼が長じてから知ることになるが、それは一枚あれば小さな南の島が買えるくらい高価な皿だった。
それなのに、トゥルム老の眉間には皺一つ入らなかったという。
「むしろ俺が怪我しなかったかって、心配してくれてさ」
子供だったギルベルトの目から見ても、レンズの向こうの目が悲しんでいるのがわかった。
努めて子供のことを気にかけているけれど、どこかトゥルム老の心にぽっかり穴を空けてしまったような印象を受けたのだそうだ。
もしかすると、十三人の息子達の次くらいには大事にしてる皿だったのかも知れない。
そう考えて、ギルベルトは怖くなり、また申し訳なくも思った。
「だから、俺、言っちまったんだ。
大人になったら、俺が同じ皿を作ってやるよ、って」
その言葉を聞いて、トゥルム老は激昂した。
お前はそんな出来もしないことに人生を賭けなくて良い。
お前の時間や才能は、もっと有意義なことに使うんだ。
声を荒げて言い聞かせながら、トゥルム老は皿が割れたときより更に深い苦悩を宿した目でギルベルトを見つめた。
「親父に怒鳴られたのは、後にも先にも、あの一回だけだったな」
きっとギルベルトの将来を心配しての言葉だったのだろう。
しかし、そのせいで逆にギルベルトは磁器という存在に心を囚われてしまった。
何が何でも父親を見返したかった。そして、自分の作った皿を見て笑って欲しかった。
「だから、敢えて磁器の蒐集家でも特に親父と仲が悪いやつを選んで、後援者になってもらったのさ」
その貴族は、イグニシアのとある有力貴族だったのだという。
ギルベルトは誰にも言わずに南方行きの船に乗り、ノットリードを去った。
「俺はその貴族のコネを使い、偽名でリーンデースに潜り込んだ。
最低限必要な知識と技術を学ぶための、短くも刺激的な自由時間だったよ。
イグニシアに専用の研究室をもらってからは、むしろこれ監禁だろって言いたくなるような生活だったからな。
まあ、その貴重な青春を代償にこれに辿り着いたんだから、悪くはなかったと俺は思っているが」
「待てよ、兄貴……もしかして、巷で噂のイグニシア貴族から逃亡中の白磁の錬金術師って……?」
「危うく殺されるところだったからなあ。いわゆる、研究方針の不一致ってやつ?」
ギルベルトは馬の尻革の靴を履いていた。
ハロルドによれば、これはイグニシア貴族の靴だ。
言われるまで気づかなかったけれど、ヒントはずっとそこにあったのだ。
「俺は記憶の中の青を再現したかったけれど、許してもらえなかったよ。
あの人は自分が納得できるレベルのコレクションが手に入れば良かったからな。
でも、俺は技術そのものを完全な形で再現したかった。
こいつの上に古代の色彩を蘇らせたかった。贋物じゃなくて、本物が作りたかった」
ギルベルトは懐かしそうに一瞬だけ南に視線を向けた。
彼は後援者のイグニシア貴族に、いくらかの尊敬や恩義を感じているように見える。
それは一度殺されかけても消えない程度には、強い思いだったのかもしれない。
「もう少しで首と胴体がサヨウナラしそうだったが、俺の悪運はまだ尽きていなかったらしい。
例の王子様が起こした大混乱に乗じて、俺は逃げ出した。
行く宛もなく必死で逃げ込んだ先が、我らが故郷ノットリードだったってわけ」
白磁の錬金術師についての噂話は真実だったようだ。
東の魔法使いの血統と〈来航者の一族〉の血統が混じり合ったギルベルトだからこそ、あの大規模精神干渉を利用して逃げ出すことができたのかもしれない。
何が物事を好転させるか分からないね。
ギルベルトは机の隅に転がっていた青ガラスを取り上げて灯に透かす。
『その青が、お前の記憶の中にある青なのだな』
「ああ、そうさね、旦那……これなら、きっと再現できる」
『お前が探し求めていた青は、お前の故郷にあったわけだな』
「皮肉なもんだよなあ……」
ギルベルトは目を閉じ、青ガラスをテーブルの上に置いた。
一呼吸置いて、彼は真剣な表情で目を開けた。
「なあ兄貴、それをうちの領地で生産できるの?」
「ああ、できる。窯を捌くくらいならな。俺はそのために人生を費やしてきた」
「じゃあ、この話が広まれば、ニーベルハイム家から金を引き上げる貸し手なんかいなくなるよな!?」
「いいや、口先だけじゃなく現物が必要だ。
ちょうど俺がお嬢さんの青ガラスを前に観念しちまったように」
ようやく明るい声と表情が戻ってきたハロルドに、ギルベルトは待ったをかける。
「何とか窯や顔料のための資金を作りたくて、持ってた白磁を質入れしようとしたことがある。
でも、一枚も買い取ってもらえなかった。
どうも俺が転がり込んでくる少し前に、古美術商狙いの詐欺が横行してたんだそうだ。
西北部一帯の美術品に対する目が、かなりシビアになっちまってるわけさ」
「そんなあ……」
「おいおい、坊ちゃん。そんな顔するなよ。出来ないとは言ってないだろ」
「でもさ、兄貴。今から磁器なんて作り始めたんじゃ、結局間に合わないじゃないか……」
「いいや。そうでもない。
おっと……そろそろ焼き上がってる頃合いかな」
ギルベルトはそう呟いて立ち上がる。
あれ? 磁器ってもっと何週間もかかるんじゃなかったっけ?
ハロルドはぽかんと気の抜けた表情でギルベルトを見上げていた。
私もきっと、負けず劣らずの呆気にとられた顔をしているに違いない。
「ちょうどいい。みんな、俺について来な。
俺の……いや、俺達が十年かけて組み上げた魔法を見せてやるぜ」
そう言って、ギルベルトは自信たっぷりに笑った。