来航者の遺跡1
「クラウス! 無事? 無事なのね!?」
私は思わずクラウスに駆け寄る。
ずっと背中しか見えなかったクラウスの顔をようやく見る事が出来て、私は心から安堵する。
彼もまた見知った顔に会ったことで安心したのだろう。
次第にクラウスの表情から険が取れていく。
「ああ、俺の方は問題ない。お前こそ、一人でこんなところまで……お前、何だ、その格好は?」
う、そこを突っ込むかな。
まずは実用重視って思ってたし、それ以上に焦ってたからなあ。
コーディネートについては結構適当である。
「あなた達が遺跡にいるのではないかと思って、エドアルトお兄様の服を借りたの。ドレス姿でこんな場所に来るわけにはいきませんでしたから」
「ああ、そういうことか……お前、こっちの方が似合っているな」
「あら、お褒めにあずかり光栄ですわね」
ちっ、豪奢なドレスはやはり無理筋か!
エーリカの顔立ちなら十分に似合ってると思ってたんだけどなあ。
やはり魂の女子力が足りないのか。
いや、機能的な衣類が似合うのは十分に良いことである。
いい気分になっておこう。
「すぐに見つかって安心しましたわ。ここはアウレリア領で最も危険な場所なのですよ?」
「ちょうどそれを痛感していたところだ。まさか、こんな短時間の探索で、これほどまでに魔力を浪費するとは思わなかったぞ」
クラウスは憔悴しきった顔をしていた。
暗くて怖い場所だから、確かに私も気持ちが挫けそうになったけれど──
そこまで魔法をたくさん使うような難所なんてあったかな?
「クラウス様、それは、どういうことです?」
「エーリカ、お前、こんな所まで来たのに気がつかなかったのか?」
「ぜんぜん」
「……鈍いな」
「西の人間は東の方々とは違いますから仕方ありません」
良い意味で鈍いところが、アウレリア領の人間の美徳である。
私の努力と才能が足りなくて気づかなかっただけかも知れないけどね。
「この遺跡には魔力吸収の魔法効果が働いている。さっきから下級魔法の発動にすら酷い負荷がかかっているんだ」
「どこかにそういう罠が仕掛けられているのでしょうか。霊視の魔眼を使えば何か見付かるのでは?」
「既に術の起点らしきものは特定している。だが解呪魔法が効かなかったぞ。どういう仕掛けだ」
「きっと、魔法を阻害する金属や宝石が物理的に埋め込まれているのですわ」
北にまさにそんな効果を持つ金属があると聞いた事がある。
北の金属に限らず、私の知らない鉱物の組み合わせによっては、同じ効果が発動するかもしれない。
「おまけに広域魔法が遮断されているらしい。半径五メートル以上の効果範囲を持つ魔法が不発してしまっている」
「そう言えば、起動済だけど効果が分からない罠があるって、お兄様から聞いたことがありましたわね」
「なるほどな」
私たちにとっては気にならないけれど、彼らとはかなり相性が悪そうだ。
〈来航者の遺跡〉は西のアウレリアの失われた技術の集大成のようなものだ。
案外、それらの失われた技術は「失われた」というよりも、問題があって選択肢から外されて「捨てられた」というのが真実なのかも知れない。
例えばこの先住者たちに優しくない魔力阻害の罠のように。
「そのせいでだな……ちょっとこれを見てくれ」
クラウスは一枚の羊皮紙を広げた。
大きな四角い枠組みと、それを取り巻くように十二方位の風の神の名が記されている。
この世界の地図の、最も良く使われるテンプレートだ。
でも、枠以外と数行の東の魔法言語以外はほぼ白紙で、地図らしきものは描かれていない。
「自動地図作成しようと思って移動経路に呪符を仕込んでおいたんだ。しかし、厄介な罠のお陰で、呪文を詠唱しても全然反応しない」
「ああ、あれはそのための呪符だったのね」
「もう少し早く自動地図作成が無効化されていると知っていたら、こんなに深く潜りはしなかったんだがな」
クラウスは肩をすくめた。
話が一段落したところで、私はどうしても気になっていたことについて切り出す。
「あの、クラウス様。アン様はどちらにいらっしゃるんです?」
「なっ──! どうして今アンの話が出てくるんだ?」
びくんとクラウスの体が反応した。
あれ、この人、ちょっと小動物っぽい?
「クラウス様を追いかけるために過去視を使っていたんです。そしたら、クラウス様だけじゃなくアン様の姿も見えて……」
「俺は妹をここへは連れて来ていないぞ」
「クラウス様を追跡していたようでした」
「だが、俺は確かに妹にも睡眠の魔法をかけたハズ……、まさか、あいつ、俺が抜け出すことを予想して魔法抵抗の強化を使っていたのか」
妹が危険な場所について来ないよう、彼なりに工夫していたのだ。
アンに冷たいのかと思ったけど、いいお兄さんじゃないか。
けれど、今回は妹の方が一枚上手だったようだ。
クラウス同様アンもまた若くして優秀な魔法使いだ。
だから彼女なりの洞察と努力の結果、兄の魔法に対抗できてしまった。
これって、クラウスの隠し事がアダになってるよね。
ダメと言われれば言われるほど、隠し事をされればされるほど、気になってしまうのだろう。
好奇心旺盛な似たもの兄妹である。
「ここまでの道中、妹君は見かけませんでした。途中で別の道を辿ったようですね」
途中からクラウスを追う事に専念してしまい、アンの確認を怠ってしまった。
高価な過去視の杖を惜しんでしまったのも失敗の原因だ。
もっと細かく使うべきだったのかも。
「もうお戻りになりませんか、クラウス様。帰りの道すがら妹君を探しましょう」
「……そうだな。どうやら俺は、この遺跡に潜るには準備不足だったらしい」
クラウスは私の格好をちらりと見て言った。
彼の視線が錬金術師の革手袋、杖の溢れ出ている革鞄に、やたらと底の丈夫そうな長靴と移っていく。
「お前くらい用心深くないと、遺跡で迷ったまま戻れなくなりそうだ」
素直に聞き入れてもらって少し安心した。
これで、「俺は絶対引き返さないからな!」なんて言われたら打つ手無いものね。
「そうと決まれば、すぐにアン様の探索を」
「ああ」
「少し探索してアン様と合流できなかったら、一旦〈春の宮殿〉に戻りましょう」
「ああ、この迷宮は子供だけでは手に余る」
「迷宮と言えば〈春の宮殿〉の幻影迷宮化、解呪してくださいね」
忘れないようにお願いしておかないとね。
今頃、何人もの侍女たちが遭難していてもおかしくない。
「む、気づいていたのか、お前」
「気づいてなければ、わざわざこんな格好までして迎えに来ません」
「お前もずいぶん乗り気だなと思ったが、実はそうでもないのか」
「ちがいます!」
誤解されては困る。
私はクラウスの探検について来たわけじゃない。クラウスの探検をやめさせに来たんだ。
もう、お父様やハーファン公爵から怒られても知りませんからね?
「通路を引き返しながら、枝道ごとに過去視を使いましょう。アン様がどこで逸れたのかかが分かるはずです」
「過去視の杖か。俺にも使わせてくれないか? お前と合流するまでずっと霊視の魔眼を使っていたせいで、魔力の回復に時間がかかりそうだ」
「そうですね。私だけで過去視を使っているより、二人で使った方が効率的かも知れません」
東の魔法は精神力のみならず体力も削る。
少年のクラウスがいかに天才だと言っても、まだ十歳の少年だ。
魔力消費の激しい〈来航者の遺跡〉で、ずっと霊視の魔眼を使っていたなんて。
むしろ今までよく魔力が保ったものだと感心する。
となると、過去視の杖に充填されている魔法の残量が気になる。
クラウスを探し出すまでに、既に六十回ほど消費している。
残りは四十回程度だ。
過去視の杖は、トネリコを軸にして作成された杖だ。
杖頭に黄色電気石、取手には黄金で機織りの模様が施してある。
特徴的なのは芯材だ。
金糸銀糸を縫い込んだ、長さ十メートルの絹の織物。
それを空間魔法による加工で数ミリまで圧縮し、軽量化して芯として使っている。
そして、短杖は魔法を再充塡するときに芯材を取り替える必要がある。
何が言いたいか。
つまり、この魔法はとんでもなく高価だということだ。
(エドアルトお兄様、ごめんなさい……っ!!)
心の中で謝りながら、二本目の過去視の杖の箱を開けた。
一晩で私は何本の杖を消費するハメになるんだろう。
ちょっと考えるのが怖くなってしまった。