進水式3
新型空母のとある船室で、私は少し休憩を取る。
人のいない船室に潜り込んで、ふかふかで豪奢な長椅子の上で一休みだ。
パリューグはするりと椅子の上に背もたれの上に登る。
「はあ……オーギュスト、立派になって……」
「そうね、なんだか憑き物が落ちたような感じよね」
「そうね……あれ? その言い方だと、妾が憑き物っぽいじゃない!?
あああ……あんまり間違ってないのが悔しいいいい!!」
「まあまあ、憑いてたのはパリューグだけじゃないし、落ち着いて」
うっかりパリューグをディスりそうになってしまった。
オーギュストに憑いて苦しめていたのは、いわゆる世の中の醜聞とか悪評の類だった。
パリューグは同じ憑き物でも守護天使なんだから、気にしなくていいのに。
「それにしても、オーギュストったら少し見ない間にすごく良い男になったわー。
我が王ギヨームにそっくりに育ちそうだわー。
きっと、大人になったら絶世の美青年になるから、予約するなら今のうちだわー……チラッチラッ」
「なんで擬音を自分で喋ってるの?
と言うか、オーギュストってそんなに顔変わってたかしら」
六年後にはギャル男風というか、ホスト風というか、そのくらい変化してしまっているはずだった。
そのイメージがあるので、私は数ヶ月分の微々たる変化に気づくことができなかったようだ。
パリューグの変装が正確なら、今の姿の方がギヨームに瓜二つのような気がする。
「違うわー。きっと心の成長が表情とか色んなところに滲み出ているのよ〜〜。
あの子の成長を間近で見られなかったのが、残念でならないわー」
「そうなの?」
「そうなのよー。
ああ、これからオーギュストがたくさんの功績を立てるといいわよね。
そして、芸術家達が競い合うように美しい王子様を題材にした絵画や彫刻を作って、妾の目を楽しませるといいわ」
「パリューグ……」
暴走する元天使を見ながら、私は肩をすくめた。
まあ、最近鬱屈としていたし、楽しそうなのは何よりである。
それにしても、いつもならティルナノグがつっこむところなのに、彼は静かだ。
調子でも悪いのかと、ちらりと横目で観察する。
ティルナノグは腕を組んで、何かを考えているようだった。
彼はパリューグをしばらく見つめた後、ぽんと手を打つ。
『む! あれか! あれを作ればいけるやも知れぬ。エーリカよ。少し猫を借りるぞ』
「えー? なになに? 妾の手を借りたいなんて、蛇にしては珍しすぎない?」
「どうしたの、ティル? 何か思いついた?」
『ふふふ。いや、なに、俺もたまには錬金術師の真似事でもしてみようかと思ってな』
ティルナノグはパリューグを手招くと、ひそひそと相談を始めた。
パリューグと温厚な態度で交渉するなんて、ティルナノグにしては珍しい。
『……で、俺がこうしたら、お前はこういう感じで』
「んん〜〜? 大丈夫? 無理したら蜥蜴の黒焼きになるわよ。元々黒いけど」
『遠慮せずにドンと来い。手加減しては却って失敗しかねない』
「ふむふむ……何が何だか分からないけど、分かったわ」
どうやら話がまとまったらしい。
ティルナノグは部屋に置いてあったグラスを手に取り、その中に何か黒い粉末のようなものを入れた。
そして甲冑に魔力を通して変形させる。
指を伸ばし、その間を水かきで塞いだような形だ。
彼は変形させた両手でグラスを包み込むように持ち、左右の手をしっかりと噛み合わせて密閉した。
『さあ来い』
「どうなっても知らないわよー?」
ティルナノグの両手の上に、パリューグはちょんと肉球を乗せた。
熱した鉄板の上に水を垂らしたときのような、ジュッという大きな音。
パリューグが触れた部分の甲冑が、熱されて赤くなっている。
ちょっと、これ、大丈夫なの?
『ふむ、もう少しだけ加熱するのだ』
「案外平気そうね。それじゃあこんな感じ?」
ティルナノグの手甲全体が赤く輝く。
とんでもない高温が発生しているようだ。
『よし、そろそろいいだろう。ご苦労だったな、猫』
「まったくよ。病み上がりに何をさせるんだか。つまらないものだったら承知しないわよ」
『ククク、それは見てのお楽しみだ』
パリューグが手を離すと同時に、ティルナノグの中から高速で液体が動くような音が聞こえ始めた。
赤熱していた甲冑が元の黒色に戻っていく。
ティルナノグが面甲の口を開くと、そこから勢い良く蒸気が噴き出した。
どうやら、ティルナノグの液状の体そのものを冷却液がわりに循環させて、内部を冷ましているらしい。
『さあ、完成だ。見るがいい』
ティルナノグが掌を解く。
私達は彼の手の中を覗き込んだ。
「あら、これは懐かしい色合いだこと」
そこには一個のガラス玉があった。
素材に使った透明なガラスではなく、藍青色のガラスだ。
何だかビー玉に似ていて、私から見てもちょっと懐かしい。
あれ? でも、この世界の青ガラスって──
(ああ、上等な青ガラスを作る顔料がギガンティア特産らしくてな。古い青ガラスならあるんだが、それだけじゃ徐々に修復できなくなってきているんだ)
そうそう、確か、オーギュストが〈伝令の島〉の大聖堂で言っていた。
敵国で産出する稀少鉱物を材料にしているせいで、滅多に作れないんだよね。
そのせいで、ステンドグラスが修復できないのだとか。
「ティル、顔料をどこで手に入れたの? いえ、むしろ、いつ? ずっと私と一緒にいたのに」
『エーリカよ。お前も見たはずだ……これと同じものを』
ティルナノグは布に包まれた黒い粉末を差し出す。
布は変装に使ってた包帯の切れ端のようだけど、この黒い粉は何だろう?
金属を含んだ化合物のように見える。
私達が最近見つけた金属と言えば、あれだろうか。
「ニーベルハイムの廃鉱で樽詰めされてた精錬物?」
『そうだ。あの赤毛の小倅が蹴り倒した樽を片付ける時に、何かに使えないかと思って少し拝借して来た。
この酸化したコバルトを、かつての〈来航者の一族〉も様々な用途に使っていたのでな』
「高価な顔料の正体って、酸化コバルトだったのね」
鉱山にいたときは思いつきもしなかった。
ティルナノグはよくあの暗がりで精錬物に気づくことができたものだ。
「へえ。これがあれば、教会のステンドグラスが修復できるんじゃない?
イグニシアのために働いてくれるなんて、蛇にしてはお手柄ね」
『いいや、これで助かるのは南の王家だけではないぞ。
エーリカよ、俺の記憶が確かならば、青いガラスの材料は高値で取引されているのであろう?』
「あ! そっか! 同じ重さの銀の二十倍!」
相場ではそのくらいになると、オーギュストが言っていた気がする。
すると、あの廃鉱はもしかして、廃棄物の山どころか宝の山ってことになるんじゃない?
でも、そんなに上手く行くのだろうか。
『あの樽の中身を全て売れば、ニーベルハイムの損失は帳消しになるかもしれぬ』
「待って、あの量だとすぐには買い手がつかないかもしれない。
ステンドグラスの修復という需要があるから、イグニシアはすぐに食いつくと思うけど、修復に必要なだけのコバルトが売れたら、あとは供給過多でだんだん値下がりしていくんじゃないかしら」
『む? そうか。なかなか難しいものだな』
甘めに見積もって、全部売りさばけば銀鉱脈分の補填になると仮定しても、それだけの需要がないのだ。
まずはステンドグラス以外のどこかに酸化コバルトの需要を見出す必要がある。
『絵の具などはどうなのだ?』
「青色は瑠璃があるから……後援者がいる絵描きならともかく、普通の絵描きに銀の二十倍の絵の具は辛いんじゃないかな」
『済まぬな、エーリカ。少しは役に立つと思ったんだが』
「ううん、廃棄物の山だと思い込んで希少金属を死蔵しているより、ずっといいと思う。
当面の資金繰りの足しにはなると思うし、無駄ではないはずよ。お手柄だわ」
とは言え、有効活用の方法を私達だけでは思いつきそうにない。
ハロルドやギルベルトの知恵を借りた方がいいだろう。
早くハロルドに知らせて、少しでも希望があることを教えてあげたいというのもあるけれど。
「またパリューグと入れ替わって、ハロルド達に合流しましょう。他の人の意見も聞きたいわ」
「了解よ。とは言え、パーティーに居座り続けるのはボロが出そうね。
エルンストに言って、早めに〈水の宮殿〉に帰ることにするわ」
パリューグはくるりとターンし、私と同じドレス姿になった。
ティルナノグも鞄を開け、お忍び用の衣装を取り出す。
念のため持って来ておいて正解だった。
『そうだな。それがいいだろう。俺もあいつに何に使うつもりなのか聞かなければなるまい』
「あいつ?」
『この精錬物の価値に、俺より先に気づいたものがいるのだ。
そいつも俺と同じように、一握りの精錬物を持ち帰っている。
そいつは酸化コバルトを見て、ずっと探し続けていた生き別れの兄弟にでも出会ったような顔をしていた』
私ははっとして、ティルナノグの方を振り返る。
それが本当ならば、その人物は私達の知らない酸化コバルトの扱い方を知っている可能性が高い。
ニーベルハイム領を救う、切り札になるかも知れない。
『ククククク、急ぐぞ、エーリカ。あの男が何を作るつもりなのか、俺も興味が出て来た』
ティルナノグは目をぎらりと怪しく輝かせ、鋭い歯を見せつけるように笑ったのだった。




