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進水式2

 気がつけば、私は竜になっていた。

 ……と思うしかないような光景が目の前に広がっている。


 どこまでも続く大空の下を、翼に風を受けながら悠々と旋回する。

 視覚だけでなく、肌や翼に受ける風圧、渦巻く風の音なども感じていた。

 しかも、依然として空母の甲板上でオーギュストと手を繋いでいる私も存在しているのだ。


 きっと、オーギュストの使った瞑想者(シーアージ)の異能なんだろうけど──

 どうしよう、何だか脳に流れ込んでくる情報が多すぎてクラクラする。


「おっと、ごめんな。ついつい全部繋げてしまった。

 少し私の方で減らしておくよ」


 オーギュストの言葉とともに、急に負担が軽くなった。

 それと同時に、竜の皮膚感覚や聴覚は消え、視覚情報だけになる。

 竜に取り付けたカメラから、空の上を見渡しているような感じだろうか。

 そうしているうちに、カメラの位置はだんだん後方に下がり、竜の首の後ろにまたがっている視点になる。


「こんな感じでどうかな?」

「わっ……オーギュスト様!?」


 私を背中から抱き込むような位置で、オーギュストも騎乗していた。

 馬に二人乗りするような感じの姿勢だ。

 いつの間にか私の姿も竜の上に乗っていたけど、感触はないし、髪やドレスもはためかない。

 きっとこの「私」も「オーギュスト」も感覚を攫みやすくするための実体のないイメージなのだろう。


「この街の上空にいる古竜の目を貸してもらっているんだ。

 かなり昔の王、つまり私の祖先の乗っていた王竜(スローン)らしくて、懐かしがって構ってくれるんだ。

 本物の体の方では竜に乗せてあげられないけど、こういう方法もあるんだよ」

「とても素敵だと思います」

「高度を下げてみようか。空から見るノットリードも綺麗なんだぜ」


 数秒の間を置いて、私達のイメージを乗せた竜は体を回転させ、背面飛行に移る。

 竜は背中から雲海にダイブするような動きで急降下を始めた。


 分厚い雲の層を突き抜けると、ぱっと視界が開ける。

 眼下には美しい翡翠色の環状運河が幾何学的図形を描いて広がっていた。

 不規則に並んだオレンジ色の屋根は、上空から見ると水鉛鉛鉱(ウルフェナイト)の結晶のようだ。

 運河や湾の中を、大小さまざまな船が行き交う姿は、精緻な機械の中を覗き込んでいるような気分にさせた。

 海上にたなびく霧の合間から見える光は、灯台の灯だろうか。

 〈百貨の街〉にはたくさんの荷馬車や人々がひしめき、今日も大賑わいのようだ。


「せっかくだから、好きなところを見てごらん。私がピントを合わせてあげる」

「はい」


 オーギュストに促されて、私は視覚情報に集中してみた。

 まずはやっぱりこれかな。

 湾内に浮かぶ数多の船舶の中から、一際目立つ船を見つける。

 私達の乗っている新型空母だ。


 新型空母に寄り添うように、やや小さめの空母がもう一隻並んでいた。

 旧型に比べると、新型の方が一・三倍ほど大きいようだ。


 その舳先には、私とオーギュストが見える。

 自分で自分を上空から見るとは、不思議な感覚だ。

 私達の足元にはティルナノグとパリューグの姿もあった。

 思わず手を振ってしまったけど、よく考えたら向こうからは竜しか見えないんだっけ。


「コツはわかった?」

「はい。何となく」

「それは筋がいいな。どんどん試していこう」 


 私は言われるままに、ノットリードの街を注視してみた。

 見つめた数秒後にはぐぐっと人々の頭上にいるかのような距離までズームインする。

 オーギュストの感応によるタイムラグを差し引いても、竜の眼は恐ろしく高機能である。


 ぱっと見つけやすかった〈水の宮殿〉を眺める。

 空から見ても美しい建物だ。

 きっとハロルドの父、ニーベルハイム伯爵が走り回っているのだろうけど、中までは流石に見通せない。

 宮殿前の広場では近くの教会に住んでいるらしい修道士たちが、近所の子供と遊んでいた。


 次に目立っていたギルドホールに視点を移す。

 公証人ベルンハルトがギルドホール前の広場で、辻馬車を呼び止めているところだった。

 馬車を操っているのは、例のトゥルムが贔屓にしている初老の御者らしい。

 ベルンハルトは馬車に乗り込むと、鼻眼鏡を外して布で磨く。

 膝の上の書類までは読めないが、やはりニーベルハイム関連だろうか?


 運河を辿っていくと、〈皮剝人通り〉に出る。

 崩してしまったらしい樽を、赤毛で三つ編みの女性が追いかけていくのが見えた。

 この前ベルガモットをばらまいてしまった調香師のベルだ。

 樽を止めたのは、片手にサンドウィッチのようなものを持ったギルベルトだった。

 二人はしばらく見つめ合った後、ギルベルトが気まずそうに目を逸らす。

 何だか音声が気になるけれど、流石に竜の耳でも拾えないかな。


 〈坩堝通り〉では、しょんぼりした様子のハロルドが、短杖店の前に佇んでいるのが見えた。

 欠伸をしながら準備中の札をかけに出て来た店主が彼を見つける。

 店主はハロルドの背中を押し、しかめっ面なのにどこか優しい仕草で店の中に招く。


 〈坩堝通り〉と〈小鬼通り〉の間にある橋では、子供達が待ち合わせをしていた。

 みんな手に釣り竿を持っている。

 のっぽの少年が手を振ってやってきて、彼らは笑いながらかけていく。


 〈小鬼通り〉から橋二つ分離れた〈三日月通り〉。

 ハロルドの知り合いの太ったセルゲイは、壜入り水薬(ポーション)がぎっしり詰まった箱を薬局らしい店に運び込んでいる。

 そう言えば、彼は水薬(ポーション)の調合師だったっけ。

 薬屋の店主のジョッキを呷るようなジェスチャーに、セルゲイは肩をすくめて苦笑いしていた。


 どこかの商会の店員らしい、揃いの制服を着た三人の少女達が、お金を出し合って菓子を買っている。

 焼菓子売りの人の良さそうなおかみさんは、サービスに一個ずつ増やしてあげたようだった。

 少女達はおかみさんにお礼を言ってお喋りしながら歩いていく。

 手にしたクッキーは魔法講座のときに食べた人型のものによく似ている。

 あのおかみさんがギーゼラおばさんなのかな。

 ギーゼラの店は人気らしく、大人から子供まで、ひっきりなしに客が訪れていた。


 ミニチュアのような街に、人々の生活が息づいていた。

 竜の視点から見ているせいか、誰も彼も可愛らしく感じられる。

 そんな事を考えていると、再びずっしりと頭に重みを覚えた。


「……そろそろ限界みたいだな。深呼吸して」


 オーギュストの手のひらが、イメージ上の私の目を覆った。

 暗い視界の中で、私はゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 いつの間にか遠くに感じていた自分の体に、次第に自分が帰っていく感覚がした。

 ようやく地に足が着いたような気がする。


 目を開くと、オーギュストがほっとした様子で手を離した。

 解放された瞬間、疲労がどっと押し寄せてきた。

 夢中になってて気づかなかったけれど、視覚だけでもかなり負担になっていたらしい。


「大丈夫? 気づかなくてごめんな。まだ加減が難しくて」

「いえ、滅多に無いものを見せて頂けて幸せですよ。

 オーギュスト様は、いつもこんなに美しい世界を見ているんですね」


 私の言葉を聞いて、オーギュストは誇らしげな笑みを浮かべた。


「こういう瞑想者(シーアージ)の技って、一人でやるときはもう自由自在なんですか?」

「うーん、竜とは相性がいいらしくて、何時間でも感覚共有していられるよ。

 そのうち教授みたいなことが出来るようになるらしいけど、まだそこまでは実感が湧かないな」

「そうなんですか」

「でも、人間相手だと、結構難しいね。

 私のことを意識してなくて、無防備で、相性のいい相手なら──」


 オーギュストは右手をまっすぐに上げる。

 すると、甲板上で歓談しているうちの十数人が、まったく同じタイミングで右手を上げた。


「こんな風に、無害なレベルでほんのちょっとだけ行動に干渉できる。

 私を意識している相手や、魔法的に防御を行っている相手には難しい。

 〈来航者の一族〉にはだいたい相性が悪いから、接触して全力で力を使わないとダメみたいだ。

 それも、影響を与えるんじゃなくて、私の側に招くのが限界かな」

「なるほど……」

「大丈夫。心配しなくても、悪事には使えないぜ。多分な」

「悪いことなんてしない癖に」

「エーリカは優しいなあ、私のことなんか信じてくれるなんて。

 こう見えて私は、悪魔かもしれないぜ?」

「いえいえ、自称天使なんですよね?」


 私の返事に、オーギュストはこらえ切れずに声を上げて笑う。

 明るくなった王子様を見上げながら、足元のパリューグは嬉しそうだ。


「おっと、疲れてるのに長々と悪かったな。

 エルンスト卿には私の方から言っておくから、少し船室で休んでくるといいぜ」

「お心遣い感謝します」

「お前もまたなー。今度はいっぱい撫でてやるから覚悟するんだぞー?」


 オーギュストはパリューグを抱き上げ、顎の下をくすぐる。

 パリューグはオーギュストの腕の中で嬉しそうに目を細めた。


 オーギュストは給仕を呼び、案内を申し付ける。

 私はティルナノグとパリューグを連れ、甲板を後にした。

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