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進水式1

 私はハロルド達と別れ、〈水の宮殿〉に戻ってきた。

 進水式が始まるまで、あと一時間ぐらいしか猶予がない。


 塞ぎ込んでしまったハロルドの側にいられないことに罪悪感を覚える。

 しかし、ギルベルトを信じて、後ろ髪を引かれそうな思いを何とかこらえた。


 いつものように窓から自室に進入すると、パリューグが既に着替えを終えて待っていた。

 一瞬ほっとした表情になった彼女は、すぐに猫の姿になってするりとドレスの中から這い出てくる。

 変身能力者ならではの早着替えである。


「もう、間に合わないかと思ったのよー!」

「ごめんなさい。詐欺がどんどん深刻で複雑になってるものだから。

 転移魔法が偽装されてたり、北の貴族への対応が難しかったり」

「偽装ですって? それは詳しく聞きたいわね。

 難航してる祭壇の偽装手段特定のヒントになるかも知れないわ。

 ……でも、その前に」


 パリューグは人の姿に戻ると、目にも止まらぬ早業で私を着替えさせていく。

 普段使用人に着付けしてもらっているときの倍くらいの速度だ。

 あっという間に、私は進水式用のドレス姿に変わっていた。

 明るめの青い生地をベースに、波をイメージしたフリルと細やかな金糸の刺繍で装飾がなされている。


「進水式に出席できる格好になるのが先よ。あとは髪を結って、アクセサリーを選んで……」

「パリューグは何でもできるのね」

「女の子のお世話をするのは初めてじゃないもの」


 髪を高い位置で結い上げ、白と青のリボンでまとめる。

 すっきりした首回りには細い金鎖に小さな青玉(サファイア)のヘッドがついたネックレス。

 仕上げに寝不足を隠し、血色がよく見える程度の薄化粧。

 全体的に明るい爽やかなイメージに仕上がっている。

 あとはこれに合わせる明るい表情だろうか。難しい注文だ。


「ありがとう。パリューグ」

「さあ、エルンストが不審に思わないうちに行くわよ。お話はまた後でね?」


 支度が終わると、パリューグは再び仔猫の姿になって私の足元に侍る。

 ティルナノグもいつの間にかぬいぐるみサイズのゴーレムに偽装を終えていた。

 わずかな時間で入れ替わった私は、ドアの向こうで待っていた父にエスコートされながら会場へと向かう。



       ☆



 ノットリードの波止場は多くの人でごった返していた。

 見物客の職業はさまざまで、進水式をより良い場所から見るために押し合いをしている。

 会場の周囲に張られたロープや式典用の鎧を着た衛兵(シティガード)を押しのけんばかりだ。


 私達参加者は見物客達の対岸、造船所に続く真紅の絨毯に沿って並んでいた。

 こちら側に整列しているのは、イグニシアや近隣の貴族、市長を始めとした街の有力者、そして最大の功労者である船大工たちである。

 船大工達は一番下っ端の徒弟に至るまで上等の服を着て、みんな誇らしげに胸を張っている。


 養生幕が取り去られ、開放された造船所の中には、進水式を待つ空母の姿があった。

 新型空母は前世にあったような鋼鉄製の船ではなく、広い甲板と五本のマストを持つ巨大な木造帆船のようだった。

 もっとも、内部にはゴーレムによる動力が組み込まれているらしく、純粋な帆船というわけでもないのだそうだ。


 空母は海まで引かれた鉄製のレールを滑り下りるための土台に乗せられている。

 船体が滑るのを防いでいた盤木は既に外され、あとは船を繋ぎ止めている支綱の切断を待つばかりだ。


 角笛が荘厳に鳴り響く。

 整列していた貴族達は口を引き結び、背筋を伸ばす。

 数秒遅れて船大工達も直立不動の姿勢をとった。


 イグニシアの騎士達が絨毯の上を行進してくる。

 オーギュストを先頭に、儀礼用の幅広の宝剣を携えた騎士、軍旗を掲げた旗手、騎士と軍楽隊が続く。


 オーギュストは臙脂色の正装の上から、式典用の衣装を身に着けていた。

 竜騎士団の紋章が刺繍された、黒に近い濃紺の天鵞絨(ビロード)のローブ。

 肩から斜めがけした、赤地に金糸の刺繍の施された飾り帯(サッシュ)

 腰には儀礼用らしい細身の剣。

 華美で重厚な衣装を、オーギュストは違和感無く着こなしている。


 オーギュストの登場により、対岸から見物客たちの喜びの声が響いた。

 とりわけ女性の歓声が大きく聞こえる気がする。

 どうやらオーギュストは不名誉な評判を払拭し、民衆の人気を得られているようだ。


 オーギュストは真剣な表情で歩を進めていたが、私の前を通過するときにほんの僅かに唇を緩めた。

 私も彼の視線を受け止め、微笑で返す。


 オーギュストは空母の前に設置された演説台に上り、振り返った。

 彼はまず見物客たちに、そして整列した参加者達にお辞儀する。

 見物客が静まるのを待ち、オーギュストは口を開いた。


「今日の良き日に、新型空母の船出に立ち会えることを、私は心から嬉しく思う。

 我が父、イグニシア王アンリに代わって、空母メタトロニオスの航路に神の祝福があらんことを祈る」


 オーギュストは朗々とした声で宣言する。

 演説台を下りる彼に、一人の騎士が宝剣を手渡す。

 それはまだ十歳のオーギュストには大きすぎるようにも見える剣だったが、彼は軽々と引き抜いた。 

 掲げられた刃が、陽光に煌めく。

 オーギュストが宝剣を振り下ろすと、支綱は一刀の元に切断された。


 地鳴りのような重々しい音が響いた。

 巨大な船体がゆっくりと斜面を滑り下りる。

 一際大きな歓声が響き、軍楽隊が勇壮な楽曲を奏でた。

 大勢の観衆が見守る中で、空母は次第に加速しながら海に向かって送り出されていく。


 ついに船が着水し、大きな水しぶきが跳ね上がった。

 港にいた海鳥の大群は驚いて一斉に飛び立つ。


 湾内に停泊していた旧型の空母から、十頭の竜とそれを駆る騎士達が離陸した。

 竜騎士達は新型空母の上空を旋回しながら、色とりどりの花を撒いていく。

 ばらまかれた花びらを攫もうと、子供達が手を空に向けて飛び跳ねる。

 そんな可愛らしい光景が見られたのは、貴族側も見物客側も同じのようだ。


 竜達は一頭、また一頭と優雅に新型の空母に着艦する。

 事故もなく無事に進水と竜騎士隊の転属が終わると、式典は終了だ。


 見物客たちは解散していき、その多くはこれから新型空母を肴に祝杯を傾けることだろう。

 この辺りの事情は参加者側も似たようなものだったりする。

 造船所側の岸辺に、何艘もの小舟がやってきた。

 これから新型空母の艦上に場所を移し、関連貴族だけでなくノットリードの豪商達を集めてのパーティが始まるのである。



       ☆



 新型空母の甲板上にはたくさんのテーブルが運び込まれ、たくさんの着飾った人々が歓談していた。

 最初にオーギュストに挨拶をと思ったけれど、姿が見当たらなかった。

 何か用事でもあったのだろうか。


 私は父と一緒にイグニシアや西北部の諸侯への挨拶に回る。

 私は笑顔の裏で、銀器産業や詐欺に関する話が出ないかと耳をそばだてていた。

 しかし、ニーベルハイム関連の話題は一言も発されることはなかった。

 まだ広まっていないのか、それともみんなお父様の出方を窺っているのか。


 そういえば、ニーベルハイム伯の姿も見当たらない。

 式典の最中にはちらりと見かけたので、進水式の後すぐに忙しく走り回っているのだろう。


 トゥルム副伯をはじめとする諸侯と歓談している最中に、ノットリードの有力商人たちもやってくる。

 彼らからは私や父の表情を窺うような視線を感じた。

 やはり、鉱山の詐欺の話はすでに広まっていて、その対応を観察されているのかも知れない。


 父がすぐにアージェン伯領の話を私にしないのは、私を通して余計な情報が漏れないようにという配慮なのかも知れない。

 確かに、普通の八歳児ならもう少し口が軽いからね。

 私は父に倣ってポーカーフェイスを装う。


 話題は空母の艤装や備品の入札に関するものに移った。

 表向き入札形式とは言え、こういったものは入札が始まる前にはほぼ何処が委託を受けるのか決まっているものらしい。

 なので、豪商達の自商会の技術や商品の売り込みにも熱が入る。


 不意に船首付近でどよめきが上がる。

 諸侯や商人たちも白熱していた商談を一時中断し、そちらを見上げた。


「オーギュスト様!」


 数十メートル上空で大型の竜に乗ったオーギュストが手を振っていた。

 彼は式典での正装ではなく、乗馬服のような動きやすい服に着替えている。

 小型竜のゴールドベリは連れていないようだ。


 彼は竜の背に立ち上がり、ひらりと身を投げた。

 観衆から悲鳴に近い声があがる。


 落下コースに合わせて、数頭の竜が交差するように飛来した。

 彼女達は翼でオーギュストを受け止める。

 ちょうどトランポリンで弾むような動きだ。

 オーギュストは数回同じようにして衝撃を殺すと、体操選手のように身を捻り、華麗に着地した。

 観衆達は思わず拍手し、歓声をあげる。


 びっくりした。

 相変わらず、心臓に悪い王子様だ。

 しかし、さすが王族と言うべきか、注目を集める術を心得ている。


 さぞや心配しただろうと思って足元の猫を見ると、彼女は余裕の表情だった。

 パリューグには予想がついていたらしい。

 長い付き合いだけはある。


 お父様は多くの人に囲まれているオーギュストの様子を見て、小さく抑え気味に笑った。


「やれやれ、ああいうところもアンリ陛下にそっくりだ」

「良かったですよね、お父様」

「ああ、この様子ならアンリ陛下もご安心だろう。本当に良かった。

 エーリカも気になるだろう。遠慮しないで行ってきなさい」


 お父様は私の頭を軽く撫でてそう言った。

 私はお父様や他の人々に一礼し、オーギュストのところに向かう。


「オーギュスト様、ご機嫌麗しうございます」

「やあ、エーリカ。会いたかったよ。

 皆さん、着いて早々ですが、少し失礼しますよ。

 私の特別な友人を待たせていますので」


 オーギュストは芝居がかった仕草でお辞儀をし、私の手を引いて人の輪の中から離れる。

 大人気の王子様を奪ってしまって申し訳なかったけれど、何故かみんなニコニコと温かい笑顔で見送っていた。


 私とオーギュストはお供の幻獣二人を連れて、船の舳先の辺りまで移動する。

 船首像(フィギュアヘッド)は天使を模したものらしく、舳先から覗き込むと精緻に彫刻された翼の一部が見えた。

 周囲に人がいなくなると、オーギュストは十歳の子供らしい無邪気な笑顔を見せた。


「助かったよ、エーリカ。まさかあんなに注目を集めちゃうとは思わなくってなー」

「まあ、オーギュスト様ったら。みんなに見て欲しくて派手な登場をしたのかと思いましたよ」

「いやいや、今はむしろ気心知れた相手との時間が大事だよ。

 実を言うと、この王子の仮面、空気穴が空いてないんだ」


 オーギュストは見えない仮面を被るような手つきをして、真面目な表情を作った。

 おどけた仕草に、私は思わず笑ってしまう。


「ちょっとゴールドベリを部屋まで送って来ただけだったんだけどな」

「あらあら、それじゃあ、街の方も竜騎士王子の噂で大変ですね。

 ゴールドベリはどこか具合でも?」

「ああ、いや、ブライアとブランベルが寝付いちゃったから、その子守りでね。

 二人とも、まだ生まれたばっかりだから」

「そうだったんですか」


 小さな竜のお世話をする小さなゴールドベリの姿を思い浮かべる。

 何だか可愛い。

 オーギュストを見上げるパリューグの様子も、どこか嬉しそうだった。

 

「そういえば、先ほどの進水式もご立派でしたよ、殿下」

「だろ〜? 私は猫を被るのは得意だからな。もっと褒めてくれて良いんだぜ?」 

「あら、もう猫から正体がはみ出ていますわ、オーギュスト様」

「ははっ、それはマズいな」


 オーギュストは相変わらずの人懐っこい笑顔で微笑む。


 パリューグは、いつの間にか彼の足元へ移動していた。

 楽しげに色んな角度から元ご主人様を眺めて楽しんでるようだ。

 金色の猫のしっぽが垂直にピンと立って、幸せそうにゆらゆら動いている。

 うんうん、久しぶりだろうし存分に堪能しておくといいよ。


「本当はこういうの初めてですっごくドキドキしてたんだけどな。上手く騙せたみたいだ」

「ええ、私もすっかり騙されました。オーギュスト殿下はとても素敵でしたもの」


 微笑み返すと、オーギュストはまるで恥ずかしがってるような顔になった。

 彼には珍しく照れているみたい。

 オーギュストは世慣れた雰囲気があるので、こういう年相応な反応はとても楽しい。


「そうだ! この前言ってた修行の成果、見てくれないかな?」


 オーギュストは思いついたように手を叩くと、突然話題を変えた。

 何だか、慌てているような感じだ。

 そういえば、例の教授から瞑想者(シーアージ)の修行をつけてもらっているんだっけ。


「教授との修行の成果ですね?」

「ああ、せっかくだし試してみたくてな。ここなら色々と都合がいいし」


 オーギュストはそう言って、私の手を取った。

 彼はそのまま眼を閉じて念じたり、手を繋ぎ直したりしている。

 何だか戸惑っている。


「アウレリアの人が相手だと難しいな……何か心に触れた感じとかはない?」

「うーん……いえ、特に何も」

「あれー、ダメか。中に入れないどころか、触れられないとなると……そうだ、逆にしてみよう」


 どうやらオーギュストが試行錯誤をしているみたい。

 私はと言うと、彼が何をやっているのか全然分からない状態である。

 首を捻っていると、不意に軽く触れていただけの手のひらが吸い付くような感覚があった。


「これならいけそうかな。目を閉じてごらん、エーリカ」


 オーギュストの言葉に従って目を閉じた。

 あれ? 何だろう、浮いてる? でも、足はちゃんと甲板についている。

 皮膚に感じるはずの無い、強い風圧。

 まるで体を大空に放り投げられたような、そんな感じ。


「えっ……!?」


 ありえない感覚に一瞬パニックを起こしそうになった。

 オーギュストに手を強く握られて、正気に返る。


「落ち着いて、一度深呼吸してみて」


 言われた通りに深く呼吸すると、緩やかに上昇していく感覚が流れ込んできた。

 麻酔が切れた箇所の感覚がゆっくりと戻るように、自分の体の外側にある何かと繋がっていく。


 不意に、眼を閉じていたはずの視界が開けた。

 背中と()に太陽の熱を感じる。

 私の頭上には蒼空が、そして眼前には雪景色のような真っ白な雲海が広がっていた。

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