偽りの銀鉱脈4
私達が街に到着する頃には、午前十時を告げる教会の鐘の音が響き渡っていた。
準備のことを考えると、私はあと一時間くらいで〈水の宮殿〉に戻らなければならない。
進水式を前にして〈百貨の街〉は賑わい、活気づいていた。
高い建物などでは立ち見席を貸していたり、見物客用に通りの至る所で持ち運びやすい軽食や飲み物を売っていたりしている。
イグニシアとはまた違った、商都ならではのお祭りムードである。
私はハロルドの様子を横目で窺った。
彼の表情は、暗く、硬い。
何事もなければ、あの輪の中で一緒に楽しんでいただろうに。
「親方ぁ、このままギルドホールに頼むよ」
ギルベルトが御者に指示を出す。
熟練の御者は裏道や回り道などを駆使しながら、人ごみを避けてギルドホールへと辿り着いた。
ギルドホールは前世の世界で言うところの合同庁舎のイメージに近い。
中に入っているのが民間のギルドなのが大きな違いだろうか。
ギルドホールの内装は白と金をベースにした精緻なもので、〈水の宮殿〉の内装に似ていた。
こちらにもトゥルム家が絡んでいるのだろうか。
中央階段の壁には、ノットリードの名士達の肖像画が並ぶ。
その中には、ギルベルトや杖屋の主人によく似た顔立ちの肖像がちらほら混じっていた。
ギルベルトが私達を案内したのは、広い会議室のような部屋だった。
会議室と言っても無味乾燥なものではなく、それなりの格式と威厳を感じさせる装飾が施されている。
部屋の中央には、大きくて重厚な樫材のテーブルがあった。
テーブルの向こう側には、禿頭の公証人が積み上げた書類とともに待ち構えていた。
「ベルンハルト兄さん、よろしく頼むよ」
「ギルベルト、お前な……程々にしてくれよ。今回の件は例外だからな」
ギルベルトの七番目のお兄さんらしい。
トゥルム老と同じ鼻眼鏡で、残っている髪の毛はやっぱり赤毛だ。
公証人ベルンハルトが催促するように手を差し出す。
ギルベルトは慌てて書類の束を鞄から取り出し、手渡した。
ベルンハルトは書類が揃っていることを慎重に確認し、安堵のため息をついた。
ベルンハルトの前にギルベルトが座り、その左右に私とハロルドが着席する。
ティルナノグは立ったまま、私の後ろに控えていた。
「皆さんにはうちの末っ子がご迷惑をおかけしております。
それで? ギルベルト、ここまでやったんだから、当然収穫はあったんだろうな?」
ギルベルトが今回の調査の詳細についてベルンハルトに伝える。
転移先がニーベルハイム伯爵領の廃鉱であったこと。
転移魔法陣に密かに組み込まれた悪質な条件分岐について。
一通り伝え終わると、手元の蝋板に何か書き付けながら、ベルンハルトが口を開いた。
「実を言うとな、転移先が廃鉱になっている件は、既に聞いている。
今朝のうちに、ニーベルハイム伯の財産管理人からの連絡が来ているんだ」
ベルンハルトによると、ニーベルハイム伯は財産管理人によって昨晩のうちに現地の確認を行わせていたらしい。
伯爵は息子を問題ごとに関わらせたくなかっただけで、裏では着実に手を打ってるみたいである。
「ってことは、俺達は無駄足だったってことかい、兄さん?」
「いいや、その分岐する転移については未確認情報だった。
財産管理人による調査の際には、そこまで詳しい観測を行わなかったようだな。
それが本当なら、トゥルム保険商会側の対応も大きく変わるだろう。
伯の不注意による過失は問われず、商人グスタフの不履行による過失十割となる公算が高い」
「本当に!? じゃあ、父さんはどうにか切り抜けられそうってこと?」
ハロルドの声が明るく響く。
しかしベルンハルトは難しい顔で首を横にふった。
「そう上手くは行きそうにないんですよ。問題は二つありますね。
まず、グスタフが子飼いの魔法使いにやらせた転移魔法陣の偽装。これが非常に不都合なんですよ」
「どうしてさ?」
「国内法の問題で、転移魔法陣に関する裁定を民間の判断だけで行うことはできません。
リーンデースとハーファンによる監査が必要になりますね。
そこで得られた情報を加味してから、やっとトゥルムが保険金の額を決定することが出来るんです」
「そ、そんな……」
ハロルドの声から一気に生気が抜ける。
ニーベルハイム伯に過失が無いことを証明したら、今度は別の問題が立ちはだかるなんて。
この詐欺事件、足掻けば足掻くほどアリ地獄にハマるような感じがする。
「おいおい、兄さん。そんなんじゃ、トゥルムの方だって信用なくすぞ」
「ギルベルト、それは俺じゃなくてエーベルハルト兄さんに言っておくれ。
まあ、うちの保険商会だって、蠍人虎よりは悪辣じゃない。
全額ってわけには行かないが、監査が終わるまでの一時的な保険金の立て替えくらいはやってくれるだろうよ」
「じゃあ伯爵は事業の縮小も視野に入れておかないといかないのか……そいつは厳しいな、兄さん」
無難な解決策だが、苦しい事態だ。
ギルベルトの眉間にも皺が寄っていく。
ベルンハルトは淡々と説明を続けた。
「他にも問題がある。アージェン伯領継承者に対しての迷惑料だ。
迷惑料の額次第では、保険の立て替え分や事業縮小を考慮しても資金繰りが危うくなる。
ニーベルハイム伯の事業は、破綻に向かって緩やかに坂を転がり落ちていくことになるだろう」
ここで私まで関係してくるのか。
これ以上ニーベルハイム伯を苦境に立たせたくないのに。
「うーん……しかし、兄さん。時間を稼げるなら、まだ逆転の目があるんじゃないか?」
「今回の件で、伯は多方面からの融資を受けている。
資金回収が見込めないことを出資者達が知れば、契約を破棄して返却を望む者も多いだろうね」
ベルンハルトは言葉を切り、私達を見回した。
沈黙してしまったハロルドやギルベルトと視線が交差する。
私は頷き、口を開いた。
「迷惑料の件に関しては、ご安心ください。
おそらく、アージェンの継承者は受け取りを拒否するはずですから」
「はい……?」
ベルンハルトはぽかんと口を半開きにして、私を見つめた。
背後に控えたティルナノグに視線を向け、眉根を寄せる。
ベルンハルトは身を乗り出してギルベルトを手招きし、ひそひそと小声で言葉を交わす。
「おい、ギルベルト。そう言えば、このお嬢さんはどちら様かね?
ニーベルハイム伯の関係者かと思ってたが、考えてみれば護衛が物々しすぎるし。
実はアージェン伯の……つまりアウレリア公の関係者とか?」
「ベルンハルト兄さん、口止めされてるんで、そこは勘弁してくれよ」
内緒話の体をとっているけど、思いっきり聞こえている。
と言うか、このギルベルトの返答では、ほとんど答えを言ったのも同じような気がする。
ベルンハルトは元の姿勢に戻ると、咳払いを一つした。
「こほん……では、公証人ギルドからも、その旨をエルンスト閣下に確認しておきます。
あとはご息女様の判断次第という形になるでしょう」
ハロルドは泣きそうな顔で私を見つめていた。
私はにっこりと頷きを返す。
「よし、そういうことなら、すぐには出資者からの貸し剥がしは発生しないよな、兄さん」
「出資者の大半は西側を拠点とする商人だ。アウレリア公爵家への体面もあるからね。
彼らは閣下がニーベルハイム伯に恩情をかけたと考えるだろうから」
なんとか生命線が繋がった。
しばらくは苦しい経営状況となるだろうけれど、致命的な破滅は阻止できそうだ。
私達の間に、ほっとしたような空気が流れる。
しかし、それも次のベルンハルトの一言で凍り付いた。
「ただし、これは一人を除いての話だ。
アウレリア公への体面も、他の出資者の動向も考慮しない人物がたった一人いる」
「そ、それって……?」
「ウルス辺境伯ハーラン・ルーカンラント。
彼は誰の思惑にも囚われず、ただニーベルハイム伯へ契約の履行を迫るだろう。
それは崖っぷちギリギリで踏み止まっている伯に対してのトドメになりかねない。
しかも、困ったことに、彼こそが伯にとっての最大の出資者なのだよ」
ベルンハルトは沈痛な面持ちで首を振った。
わずかな希望を叩きおられたハロルドは、打ち拉がれた様子で項垂れる。
「ああー……、そこでハーランかよー……」
ギルベルトが天井を仰いでため息混じりに呟く。
どちらにしても、資金繰りや領地の産業の立て直しを行わなければ、破滅は免れないのだ。
ハーランがそこを突いてきたら、他の出資者もどう動くかは分からなくなる。
「……力になれなくてすまないな、ギルベルト、ハロルド坊ちゃん」
「いいや、充分だよ、ベルンハルト兄さん。ありがとう」
ベルンハルトは書類をまとめ、立ち上がる。
ギルベルトの兄として動ける時間は終わり、彼は公証人に戻らなければならない。
そろそろ私も進水式の準備のために、パリューグと合流しなければ。
私達が会議室を出ると、ハロルドは膝から崩れ落ちるようによろめいた。
咄嗟にティルナノグは彼の体を支える。
「なんで、こんな……」
そう呟いたハロルドの声は、掠れて今にも掻き消えてしまいそうだった。