偽りの銀鉱脈3
針葉樹の森を横断する形で、一本の道が切り拓かれていた。
突き当たりにある山の斜面の一部が垂直に削られており、魔法装置が設置されているようだった。
足元に敷かれた石の表面には、魔法文字や紋様が物理的に刻まれた転移魔法陣になっている。
壁面にはドアくらいのサイズの真鍮板が、ネジや釘を使わずに直接魔力で貼り付けられていた。
真鍮板の表面にはギルベルトが拝借してきた契約書類と同じ文面が刻まれている。
これが呪術銘板の印のようだ。
「うん。ここで間違いないみたい」
真鍮板の内容を確認していたハロルドが頷いた。
私達が転移魔法陣の上に乗ると、生体が発する微弱な魔力によって魔法陣が起動する。
真鍮板の文字が青白く輝きはじめ、ちょうど私達の目の高さに小さな魔法陣を形成した。
ハロルドは一本の魔法鍵を取り出し、小さな魔法陣の前にかざした。
書類によると、この転移魔法陣はニーベルハイム家の共有万能鍵で起動するはずだ。
「じゃ、みんな、いくよ?」
私達は無言で頷く。
ハロルドが鍵を回すと、それに合わせるように視界がぐにゃりと歪んだように見えた。
しかし、そう見えたのも一瞬で、強烈な足元からの光で全てが白く塗り潰される。
フリーフォール系絶叫マシンとコーヒーカップを足したような、脳と胃をシャッフルされる感覚。
不意に不快感が消失し、私はよろめきそうになる。
周囲は真っ暗だ。
転移は成功したのだろうか。
「うへえ……これだから急造の転移魔法陣は嫌なんだ……。
みんな、いるかい? まさか、俺一人じゃないよな?」
ギルベルトの声だ。
方向と距離から考えて、立ち位置は転移前と一致しているらしい。
「待って、兄貴。明かりをつけるよ!」
ハロルドの声がして、すぐにオレンジ色の光が灯された。
彼の手にした角灯の灯りで、みんなの姿が闇の中に浮かび上がる。
どうやら、ここは鉱山内の坑道のようだ。
足元には鉱山の入り口と同じ、転移魔法陣の刻まれた石が敷いてある。
ということは、呪術銘板の真鍮板もどこかにあるのだろうか?
少なくとも、目の届く範囲にはそれらしいものは見当たらない。
『むう? これはいったい……。
おっと、光が足りないな。
エーリカ、これを使え。ギルベルト、お前にもだ』
ティルナノグは闇の向こうを見通し、何かに気づいたようだった。
彼は我に返ると、星水晶のランプを取り出して私とギルベルトに手渡す。
「ありがとう、ティル」
「すまねえ、旦那。へえ、さすが公爵家、上等な石を使ってるなあ」
明かりが三つに増えたお陰で、ようやく今いる場所について確認できた。
照らし出されたのは、坑道を埋め尽くすように積み上げられた、無数の樽だった。
「はあ、なんだこりゃ……」
「なんでこんなに樽があるのかしら、ハロルド……?」
「精錬物じゃないかな? 鉱石から金属を分離する時に出るカスだよ」
首を傾げる私とギルベルトに、ハロルドは打てば響くように答えを返した。
しかし、答えた後で、ハロルドも表情を曇らせて首をひねる。
「ここって……新しい鉱山のはずよね?」
「いや……そのはずなんだけどさ。
これ、どう見ても廃鉱だよ。
おそらくニーベルハイム領内にある、どこかの廃鉱山だと思う」
ハロルドはそう言いながら樽に近づき、角灯を翳す。
樽の表面に捺された焼き印を何度も何度も確認し、彼は深いため息をついた。
「やっぱりそうだ。これ、父さんと取引してる業者の印だよ。
少し前から資金繰りのために、幾つかの業者の出してる産廃を廃鉱使って引き受けてるんだ。
それが……ああ、もう、なんであの人、自分とこの廃鉱買わされてるんだよ!」
ハロルドは喋っているうちに怒りを抑え切れなくなった様子で、声を荒げる。
彼が目の前の樽を蹴りつけると、樽は緩やかに傾斜した坑道を転がっていき、壁にぶつかって壊れた。
衝動的な怒りで樽を壊してしまったのを見て、ハロルドは少し冷静になったらしい。
振り上げかけた拳をゆっくりと下ろし、力なくその場にうずくまってしまった。
『……ギルベルト』
「お、おう、旦那」
ティルナノグはギルベルトを促し、壊れた樽のところへ歩いていく。
坑道に散らばった樽や、その中身を片付けるようだ。
あるいは、ハロルドをそっとしておこうという意図があるのかも知れない。
私は顔を覆ってうずくまっているハロルドの背中を撫でた。
歯を食いしばって、泣くことだけは我慢しているらしい。
まだ、意地を張る元気くらいはあるんだな。少し安心した。
それにしても、ニーベルハイム伯爵はどうして騙されてしまったのだろう。
ここが新規の鉱山でないことは、素人目に見てもわかる。
むしろ、あの研究者肌の伯爵のことだ、事前に綿密な調査を行わないなんてありえるのだろうか。
やはり何かトリックがあるのか?
「待てよ、坊ちゃん。ここには呪術銘板がないぞ?」
樽を片付け終え、周囲を見回していたギルベルトから声が上がる。
私もはっとしてランプを坑道の壁に翳す。
「まだ契約は成立してないってことじゃないのかね?」
「いや、兄貴、それも変な話だよ。
鉱山の外には書類どおりに呪術銘板があったのに」
いつの間にか立ち直っていたハロルドも、辺りを調べて回っている。
結局、その周辺で呪術銘板が設置された痕跡は見付からなかった。
それ以上離れてはぐれると危険なので、一旦私達は魔法陣のある場所に集合する。
「ねえ、一度、入り口の魔法陣を調べてみないかしら?」
『そうだな。これ以上ここにいても、埒が明かない』
「いいや、待ってくれ。それならこっち側の魔法陣も調べさせてくれ。
こんな乗り心地の悪い転移魔法陣で何往復もするのは勘弁だ」
ギルベルトさんは膝をつき、足元の魔法陣にランプの光を翳す。
手帳片手に呪文を辿り、内容を読み解いていくが、視界が悪くてなかなか捗らないようだ。
「霊視の魔眼を使ってみては?」
「あー、俺は魔眼系とは相性が良くないもんでな。その、詠唱もちょっとばかり長いし……」
「では杖を出しましょう」
「お、助かるよ、お嬢さん。でも、魔眼系は高いんでしょ?」
「一度くらいならいいわよ」
ギルベルトはほっとした声を上げる。
呪文の読み取りなんて、大変だものね。
ティルナノグが鞄から霊視の魔眼の杖を取り出し、私に手渡す。
さて、どうしよう。これも軽く拡張してみようか。
私は杖に込められた呪文の糸をわずかに組み替え、一度だけ振った。
通常の霊視の魔眼の小さな魔法陣ではなく、私達四人全員を覆う魔法陣が展開した。
淡緑色に輝く魔法陣は砕けて粉雪のように降ってくる。
呪文は砕けた魔法陣の光を通して浸透し、霊視の魔眼を正常に起動させたようだ。
「成功ね」
「おっ! これ、霊視の魔眼!?」
「範囲拡張か。流石お嬢さんだ」
私達は転移魔法陣を覗き込む。
霊視の魔眼のお陰で、ハーファンの魔法を学んでいない私やハロルドにも何とか読めるようになっていた。
「へえ……こんな風に見えるんだ! 魔眼系も面白いなあ!」
「魔法の実行者はヘオロット、権利保有者はハロルド・ニーベルハイム二世ね」
「転移先として設定されているのは……この座標なら、アージェン伯爵領内の入り口の場所と一致するはずだぜ」
『とすると、やはり外の魔法陣が問題か』
ティルナノグの言葉に、一同は頷く。
ハロルドは再び共有鍵を取り出し、転移魔法陣を起動させた。
すぐさま私達は鉱山の外へと出現する。
ギルベルトはうずくまり、青い顔で深呼吸していた。
どうも転移酔いに弱いらしい。
「こっちも実行者はヘオロット、権利保有者は父さんか……」
「転移先の座標は……あれ? ギルベルトさん、これを見て下さい」
「ん、ああ、どうした?」
私は転移魔法陣の一点を指差す。
転移先座標が組み込まれているはずの一部が、奇妙な形式の呪文に置き換わっていた。
「えーと……これはこの線形を辿って……あれ?」
『どうしたのだ、ギルベルトよ』
「みんな、この部分と同じ紋様を探してくれ。魔法陣のどっかに記述されてるはずなんだが」
私達はギルベルトの指した印と同じ魔術図形を手分けして探す。
その後も、何度も別の位置を参照したり、分散したりして読み解くのに苦労させられた。
まるで、わざわざ読み難くしているかのようだ。
「これは、おかしいわね。向こうの魔法陣を作った魔法使いなら、同じ形式で魔法陣を組めばいいのに」
『故意に難読化しているというのか』
「それだけじゃないみたいだぜ。肝心の転移先座標は、こっちから見るとアージェン伯爵領内になってる」
「そんなバカな! 俺達は現にニーベルハイム領に飛んだじゃないか!」
ニーベルハイム領の坑道へ転移する魔法陣でありながら、アージェン領の座標が記されている。
こんなでたらめな転移魔法なんて、聞いた事が無い。
──いや、これは。
(正規の手順を踏まなければ、別の安全な場所に転移してしまう仕組みになっているんです)
そうだ。アクトリアス先生が言っていたあれだ。
私は切れかけていた霊視の魔眼を上書きし、魔法陣を見つめる。
「どうしたんだ、エーリカ! 何か分かったのか!?」
「条件分岐が仕込まれているかも知れない!」
『おお、あの灰色の魔法使いが言っていたあれか』
「条件分岐! 忘れてたぜ! よくそんな難しい技術知ってたな、お嬢さん」
ギルベルトは手帳を繰り、空きページに条件分岐に組み込まれることが多い紋様を走り書きする。
全員で目を皿のようにして、魔法陣を虱潰しに調べていく。
そして、魔眼の効力が消える直前、とうとう難読化された魔法陣の中から条件分岐の内容を拾い出した。
「分岐条件は共有鍵に加えて認証鍵の使用、使用しない場合の座標は……」
「当たりだぜ、坊ちゃん、お嬢さん! この座標ならニーベルハイム伯爵領だ!」
ギルベルトが快哉の声を上げる。
反面、ハロルドの表情は暗かった。
「転移魔法を設置したヘオロットっていう魔法使いも、グルだったってことだよな?」
「こんなこと魔法学園都市も魔法使いの国も許しちゃいない。
指名手配して地の果てまで追跡されて、捕まれば即実刑ものだぜ。
刑期が終わっても、この大陸のどこでだって魔法を使った仕事はできなくなる」
『しかし、グスタフとかいう商人は、もう捕まらないのだろう?
魔法使いだって逃げていないはずがない』
つまり、認証鍵はもう手に入らない。
この転移魔法陣にはあの廃鉱への転移機能しか残されていないということだ。
「畜生……」
ハロルドが絞り出すように言った。
いたたまれない顔のギルベルトが、俯く。
「まずはこの結果を持って公証人ギルドへ行くしかない。
これだけの証拠が揃えば、ギルドだけじゃなく国だって動いてくれるはずさ」
ギルベルトは新しい犢皮紙に転移魔法陣の要点を書き写す。
ティルナノグは犢皮紙を受け取ると、大事に鞄の中に仕舞った。
調査を終えた私達は、再び馬車に揺られてノットリードへと向かう。
帰り道の車内の空気は重々しく、誰も口を開こうとはしなかった。




