坩堝通り8
私の部屋の窓まで着いた時には、既に私に化けたパリューグが帰宅していた。
ちょうど、使用人に夕食を運び込ませていたところだったので、鉢合わせを避けてしばらく待機する。
「二人ともお待たせ。もう大丈夫よ」
パリューグが開けた窓から部屋に入り、街娘風の変装を解く。
そろそろお腹がぺこぺこだ。
食事をとりながら、今日の出来事と明日の予定を二人と共有することにしよう。
テーブルの上に夕食のための皿が並ぶ。
パリューグは猫の姿に戻り、ティルナノグも甲冑を脱いで寛いだ姿になっていた。
私も椅子に着席する。
冷製肉とチーズを薄切りのライ麦パンに挟み込んで即席サンドイッチにする。
ナイフで半分にして、片方をティルナノグに渡す。
「色々あって、明日の予定を変更する事になりそうだわ」
「あーら、なにか問題でも起きたのかしら?」
「ハロルドの件で、ちょっと問題が発生したのよ。
詐欺は既に犯行済みだったわ。ニーベルハイム伯は全然大丈夫な状態じゃなかったの」
『うむ、事態はかなり悪いな。どいつもこいつも、何者かに操られているかのようだ』
私は先にサンドイッチにかじり付いているティルナノグにお茶を渡す。
パリューグは肉の切れ端をつつきながら、今日の出来事を思い返しているようだった。
「そう言えば、エルンストとニーベルハイム伯が話していた時、二人とも突然顔色が変わったことがあったわ。
妾はその時、少し離れた場所にいたから、具体的に何の話をしてたのかまでは分からないけど」
「お父様はそれから?」
「エルンストはニーベルハイム伯と小声で二三やりとりして、すぐに会合を中断したわ。
私にも部屋に戻るように言って、財産管理をしている家令を呼び出していたわね」
「それからは?」
「部屋がもぬけの殻じゃ困るから、ベッドに詰め物をして、変装して様子をうかがってみたわ。
家令たちに密かに何か命じて探らせているみたい。
その後は、いつもと同じ服装で、広間で寛いでる振りをしてた」
「寛いでる振り?」
「表情は普段通りなんだけど、すごく緊張してて、他の人々の会話に聞き耳を立ててるように見えたわ。
何人かに話しかけられていたけど、当たり障りのないことだけ話して、何かをやり過ごしてるような感じだったわね」
やはり、お父様はニーベルハイム伯を慮って詐欺の件について黙秘しているようだった。
家令達を使って、現在のアージェン領がどのように管理されているかの確認を行ってるのだろう。
そして訝しまれないように普段通りの行動をとりながらも、自ら情報収集を図っている。
私はパリューグに、今日判明した詐欺の詳細情報を伝えた。
「あらやだ、思ってたよりずっと大規模な詐欺じゃない!
一貴族の没落じゃなくて、この都市に根を張る商人達にも影響が大きそうね?」
「影響と言えば、既に数日前、採掘権を売った側の商人が家族や使用人ごと忽然と消えているみたい」
『その一家、もう生きてはいなのではないか?』
ティルナノグが私が言いたくても言えなかった推測をさらりと付け足した。
パリューグも目を細めて頷く。
「妾も蛇に同意するわ。
わざわざ見付かるリスクを増やして、使用人を連れて逃げる理由がないもの」
『詐欺を仕掛けていた真犯人が、その商家一家を消したのだろうな。
まるで蜥蜴の尻尾を切るように』
「……うん」
最初に話を聞いた時に、私も薄々感じていた。
彼らは逃亡したのではなく、殺害された可能性が高いのでは、と。
この事件は、ただの詐欺よりもずっと危険な匂いがする。
『エーリカよ、破滅の神託と比較すると、今の状態はどうなのだ?』
「恐らくなんだけど、私はこの詐欺の件をきっかけにハロルドに怨まれる事になったんでしょうね」
原作ゲームサードシナリオのネタバレを知らない私には、今まで推測するしか無かった。
しかし、これだけ状況がそろえば、原因はほぼ確定だろう。
ハロルドが自分の家を没落させる引き金を引いた人間を私だと思い込んでいたら。
死ねばいいのにと怨むかもしれない。
「今の流れだと、問題のハロルドはエーリカの仲間になっているわけよね。
神託の運命は回避できたって考えていいのかしら?」
『ならば、エーリカよ。ここらが引き際ではないのか?
これ以上関わっていると、余計な危険に巻き込まれかねないぞ』
「ええ、そうだけど、そうなんだけどね……」
二人の指摘は正しい。
引き際を誤りかけている自覚はある。
でも、私は可能ならばハロルドを助けたいと思っていた。
何度振り払っても、私の脳裏にはハロルドの泣き顔が蘇ってくる。
私はティルナノグとパリューグを交互に見つめた。
「お願い。やっぱり気になるのよ」
幻獣達が、互いにちらりと視線を交わした。
二人の真剣そうな顔が一瞬にして破顔する。
『クククク、お前がそこまで言うなら仕方あるまい。
俺はエーリカが何を選択しようと、守護者の役目を全うするだけだ』
「ふふふっ、揶揄っただけよ。
お人よしのお嬢様のことだから、どーせそう考えると思ってたもの」
二人ともニヤニヤと笑ってこちらを見る。
「なんなの、二人とも人が悪いわ!」
『ハハハハ、何を言うのだ、友よ。我らはヒトでないぞ? なあ、猫よ』
「うふふふ、こんな時だけお前と気があうなんてね!」
なんだか意地の悪い対応をされて散々である。
私は今まで喋り通しでなかなか食べられなかったサンドイッチをほおばる。
美味しい。
そう言えば、詐欺のことで頭が一杯で、お昼も抜いてしまっていた。
空腹は最大の調味料って本当だなあ。
もぐもぐと咀嚼していると、怪物二匹が話を進める。
『そういう事情だから、明日は強行軍になるぞ。
早朝から件の鉱山に向かい、調査して、昼までにはこちらに戻る予定だ。
それからエーリカがお前と交代して、進水式に参加……という按配だな』
「あらあら……それはキツいわねえ」
進水式に間に合わないケースも考えておいた方がいいかもしれない。
ティルナノグがいるのだから、パリューグと同等クラスの幻獣でも出て来ない限り大丈夫だとは思うけれど。
他にも、どんなトラブルが起こるか分からないのだし。
「帰りが遅くなりそうだったら、パリューグが進水式に出ておいてね。
良い席からオーギュストが見られるわよ」
『会いたがっていた相手に会えて嬉しかろうが、ハメを外しすぎるなよ。
ただでさえ、あのカンが良さそうな金竜が付いているのだからな』
「はいはい、完璧にこなしておくわよ。昨日や今日だって、完璧だったのよ?」
実際にパリューグの擬態はハイレベルらしく、お父様にも気がつかれていない。
ありがたい事だが、なんとなくお父様に悪い事しているなあという後悔も感じてしまう。
「ああ、そうそう、オーギュストの話で思い出した。
パリューグにはいいニュースもあったのよ」
街中でオーギュストや教授に会ったことを伝える。
ブライアとブランベル、二頭の竜が卵から孵化したことを聞いて、パリューグは涙ぐんだ。
「そう……そうなのね。良かった、オーギュスト……」
彼女は自分のためにはろくに涙も流さないくせに、オーギュストのこととなると涙もろい。
話が杯にかけられた怪しい魔法の話に移ると、彼女の表情は一変し、怒りを露にした。
「まさか……よりによって杯に魔法ですって……?」
「精神感応の遮断を促すような、夢幻の魔法がかかっていたらしいわ」
「妾が侵入できる場所にありさえすれば、そんな汚らわしい魔法など引き剥がしてやったのに」
『まるでお前の守りが薄い場所を狙ったかのようだな』
ティルナノグの指摘に、パリューグは悔しそうに唇を噛んだ。
杯の置かれていた部屋は、王家の人間以外には絶対開かない扉の向こうにあったという。
天使であった彼女は、その人間との約束事を律儀に守っていたそうだ。
つまり〈伝令の島〉の中で唯一その部屋こそがパリューグの目の届かない場所だったのである。
「いったい、誰がやったというの。妾の目から隠れるようにコソコソと」
「リーンデースの関係者の可能性もあるらしいわよ。
この場合、杯が運び込まれる前から細工されていたことになるけど」
「リーンデース……あの古い学舎、だったかしら。
気になるけど、今はまだ踏み込むわけにはいかないわよね」
「申し訳ないわね」
「いいのよ、生き死にがかかった難局が差し迫っているんだもの。
でも、いずれ……必ず、犯人の尻尾を攫んでやるわ!」
パリューグは毛を逆立てて、キッと窓から彼方を睨む。
でも、そっちは南だよ。
リーンデースはここからだと東南東くらいの角度だと思うな。
食べ終わると、程よく眠気が押し寄せて来た。
二人は私の様子を見て、今日はもう休むように促した。
歯磨きや肌の手入れ等を終えて戻ると、パリューグがまた苛烈王ジャンの姿に擬態していた。
「今夜の分のお仕事をしてくるわねー」
「パリューグもあまり無理はしないでね?」
「分かっているわよ。明日のこともあるし、ほどほどの所で引き上げるわ」
『間違っても、エーリカの姿で居眠りなどするなよ』
「そこの蛇、永遠に眠らせるわよ?」
軽くじゃれ合う程度にティルナノグと喧嘩した後、パリューグは窓の向こうへと身を翻す。
外套をはためかせた影が夜の街に消えるのを見送って、私は眠りについたのだった。