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坩堝通り7

 スレイの息子ハーラン(ハーラン・スレイソン)

 ルーカンラント地方の西側の境界に置かれたウルス辺境伯領の領主。

 狼のような面構えの偉丈夫。

 その容貌に違わぬ、残忍で凶暴な男だと言われている。


 曰く、老若男女の区別なく領民を(かどわ)かしては、彼らを無惨に殺す。

 曰く、領民に行った悪魔狩りのために親を失った幼い子供を何人も囲い込んで、殺しの技を教えている。

 曰く、ウルス辺境伯の部下の屋敷に奉公に出た女中が、悪魔憑きの疑いをかけられて長く拷問を受け、その死骸は海に投げ捨てられた。


 そんな血腥い噂の絶えない男、それがハーランだった。


「ニーベルハイム伯爵が払った前金は全部持ち逃げされているんだよな。

 銀器産業で稼いで返す予定だったのに、採掘権がないとなれば、それすら怪しい。

 ハーランが現状を知れば、何をするか分からんよ」

「そ、そんな……」


 ギルベルトの伝えた情報に、ハロルドが言葉を詰まらせていた。

 無理も無いだろう。

 ハーランという人物の危険さは、私よりもハロルドの方が分かっているだろうし。


「ニーベルハイム伯がお金を借りた先は、ハーランだけなんですか?」

「いいや、何人かのノットリードの商人にも借りてる。

 ハーランに借りた額ほどでは無いが、こちらもそれなりの金額だ。

 彼らの方は多少の猶予は認めてくれるだろうけど、それもハーランが動くとなればどうなるか」


 すると、先ほどニーベルハイム伯が会うと言っていた相手は近隣の商人なのだろう。

 ギルベルトは私達を見回しながら、最後に明るい情報を伝えた。


「一つだけいいニュースがある。

 ニーベルハイム伯が銀鉱脈にトゥルムの保険をかけていたことだ。

 今回の詐欺犯罪について証明できれば保険が下りる。

 あそこの上役の中に俺の兄がいるから、上手く行けばいくつか手続きをすっ飛ばせるかも知れない。

 新しい鉱脈の採掘を契約する程度の金は都合がつくかもしれんよ、坊ちゃん」

「保険か!」


 やっとハロルドの頬に赤みが差した。

 そういえば、ノットリードは海上保険をはじめ、商人や貴族のための保険が充実している街だった。

 さすが交易都市ノットリードである。


「よし、そうと決まれば、現地に行こうよ。

 これだけ大きな契約となれば、鉱山には呪術銘板(ソーサリータグ)が残ってるはずさ。

 それを見れば、何かの手がかりになるんじゃないか?」


 呪術銘板とは商取引などの契約の際に使われる魔法の一種である。

 名前から想像できるような、契約者に呪術的な強制力を与えるようなものではなく、契約情報を物品や場所に記録するのが目的だ。

 基本的に呪術銘板単体ではなく、対応する書類と組み合わせて使われる。

 鉱山の採掘権のような大きな契約であれば、確かに呪術銘板を使っていてもおかしくない。


『鉱山の場所は分かるのか?』

「う……それは、まず父さんを捕まえて……、しまった、さっき気づいてれば……」

「待て待て、こんなこともあろうかと」


 ギルベルトは鞄から幾つかの書類を取り出す。

 机の上に広げられたその書類は、ニーベルハイム伯が今回の契約に使った書類そのもののように見える。

 あれ? これって、情報漏洩(ろうえい)では?


「ギルベルトさん、どうしてこんな重要書類がここにあるんですか?」

「公証人ギルドには七番目の兄貴がいて……まあその、アレだ。ご内密にね?」


 親族だからって、ほいほい漏らすのはどうなの、と突っ込みかけて言葉を飲んだ。

 今は緊急時なんだから、そんな事も言っていられない。


「位置情報はここだな。アージェン領の……かなり離れてるよ、兄貴」

「いや、こっちの資料によると、アージェン領から銀鉱山への直通ルートの転移魔法陣が作られている。

 転移魔法陣と銀鉱山内部の二ヶ所に呪術銘板が設置されてるみたいだぜ」

「じゃあ、目的地はその二つだね」

「ああ、でも銀山内部に部外者が入るのはちょっとなあ……あ、いや、お嬢さんがいるな」


 私は頷いた。

 遺産相続人の私がいれば、不法侵入にはならないはずだ。

 ここまで来て、協力を惜しむつもりはない。


「転移魔法陣までは遠いの?」

「いや、アージェン領の外れだから……舟や馬車を乗り継いで、片道一、二時間ぐらいだな」

「よおし! すぐ行って確かめてみよう!」


 ハロルドが勢いよく椅子から立ち上がる。

 ギルベルトは静かに首を振った。


「待て、今から行っても夕刻だ。確認作業やってるうちに日が暮れるぞ。

 場所が場所だし、今から向かうのは危険だ」

「じゃあ、明日?」

「明日は進水式があるだろ。坊ちゃんはともかく、お嬢ちゃんはそのためにノットリードに来たんだろうし」


 とすると、明後日か。

 一刻を争う時に、こんなところで足を引っ張ってしまうのは申し訳ない気がする。

 そう思っていたら、ティルナノグが話に割って入ってきた。


『いや、明日の早朝ならば可能だ』

「え、大丈夫なの?」

『先程、店主との話の中で、進水式は昼になるという話が出ていた。

 イグニシアの一行は到着したが、式典の前に竜を休ませたいのだそうだ。

 日の出の時間に出れば、調査に時間がかかっても昼には戻って来れるのではないか?』

「ええ、そうね。それなら私もみんなについて行けそうだわ」

「よし、決まりだな。昼までに戻れるなら公証人ギルドも即日動いてくれる。

 お嬢ちゃんを送り届けたら、集めた証拠をとっとと提示しちまおう」


 ギルベルトは鞄に書類をしまい込んで立ち上がった。

 明日の早朝出発で、戻りは昼。

 ギリギリ進水式には間に合うだろう。

 最悪、少々遅刻しても、パリューグの代理という手段がある。


「じゃあ、俺は兄貴のツテで移動手段の手配もやってくるよ」

「私からもアージェン領の件について、さりげなく父に聞いてみるわ、ハロルド」

「アウレリア公爵かあ……詐欺の件がまだ広まってないのは、エーリカの父さんの恩情のお陰だよなあ。

 うちの父さんとの話で、何が起こってるかは気づいてるんだろう?」

「事情がはっきりするまでは、お父様も軽々には動けないのだと思うわ」

「ああ、しかし、お陰でまだハーランが乗り込んで来ていない。

 それだけでニーベルハイム伯は大幅な猶予を貰ってるようなもんだぜ」


 この詐欺が深刻なのは、ハーランが絡んでいるせいだ。

 彼の名が出るたびに、みんなが得体の知れない恐怖を感じている。


「では、明日の早朝、〈小鬼通り〉の鶴嘴(ツルハシ)と小鬼の橋の前に集合しようか」

「ありがとう、兄貴……!」

「ほらほら、しゃんとしな、坊ちゃん。打つ手があるうちは頑張ろうな」


 ギルベルトはハロルドの背中を叩き、貯蔵庫から出て行った。

 フットワークの軽い、頼りがいのある人だ。


「ふう……」


 青い顔をしたハロルドと一緒に、ため息をついてしまった。

 私もあんまり顔色良くないんだろうな。

 私の顔を横目で覗き込み、ハロルドが乾いた唇を開く。


「迷惑かけてごめんな。うちの父さんのせいで……いや、父さんだけじゃないな、うちの家のせいで……」

「落ち度が無くても酷い目に合うことはあるものよ。今回の契約の相手が悪質なだけだわ」


 詐欺にあった人は自分を責めるという。

 でも悪いのは詐欺という犯罪行為であり、被害者じゃない。

 そう言うと、ハロルドはなんだか泣きそうな顔になった。


「あ、ありがとうな」

「いいのよ、気にしないで。私に出来る事があったら、なるべく協力するから何でも言ってね」

「うん……でもさ、なんでこんなに親身になってくれるの?」

「それは……」


 適当な嘘をつくことはいくらでも出来たのだけど、今はそうしたくなかった。

 こんな状態のハロルドに嘘をつくのは、なんだか気がひけたからだ。

 私は彼から信用されたかった。


「それは正直に話すと、とても長い話になるの。だから、この事件が落ち着いた後に話すわ」


 さすがに、前世や乙女ゲー云々は言えないだろう。

 だけど、起こる可能性のある未来を知っていることくらいは言っておこう。

 それで頭がおかしい人間扱いされて、愛想をつかされたら、その時はその時だ。


「なにそれ……あんたさあ、けっこう変なヒトだよね。まあ、いいけどさ」

「それにほら、私達って相棒なのでしょう? なら困ったときは助けなきゃ」

「ははは、そりゃそうだな……はは……」


 私がそう言うと、ハロルドは笑顔になった。

 その目から一筋涙が落ちる。

 ハロルドはそれを軽く袖口で拭った。


 しかし、涙は止まらず、ぽろり、ぽろりと落ちてくる。

 もう一度、拭う。また拭う。

 いつの間にか、ハロルドは顔をぐしゃりと歪め、声を我慢しながら泣き始めた。

 ずっと辛くて怖いと思いながら頑張っていたんだろう。

 今、緊張の糸が切れたのだ。


 私はハロルドの背をぽんぽんと叩く。

 すすり泣きから、大声での泣き声に変わる。

 私とティルナノグは、しばらく彼の泣き声を静かに聞いていた。


 ひとしきり泣いて、ハロルドは落ち着いたようだった。


「俺さあ、辛い事があると、涙が止まんなくなっちゃうんだよね。

 情けないよな。俺、男なのにさ。

 でも、泣くのは一回だけって決めてるんだ。

 一回で覚悟を決めるんだ。受け入れがたい運命だって耐えられるように」


 ごしごしと顔を腕で拭い、ハロルドは私にまっすぐ向かい合う。

 彼の表情からは、もう弱気さは見えなかった。


「俺も……俺の出来ることをやるよ。だから、エーリカ、また明日な」

「ええ、ハロルド。また明日。明日こそ、決着をつけましょう」


 短く激励を交わし、私達は短杖店を出た。


 運河の街を、斜陽がオレンジ色に塗り替えていく。

 金色に輝く水面の上を、小舟は滑るように進んで行く。

 もうじき夕闇に包まれる街を後に、私とティルナノグは水の宮殿へと戻った。

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