春の宮殿6
夜の宮殿の階段を、私は大急ぎで駆け下りていく。
(ああ、着替えておいて大正解だ──)
ドレスで走ったときと比べて、なんて軽快なんだろう。
ていうか、現代人的感性からすると、ドレス苦しいんだよね。
単に私の女子力が低いだけかも知れないけどね。
しばらくして、地下にある転送門に到着した。
そこは夜も星水晶のランプによる暖かい光で所々が照らされていた。
「ふうん、ここにはもういないみたいね」
転送門の前で立ち往生しててくれたらなあ、と思ったけど、そんな楽勝ではなかった。
辺りにはアーチ状の石の転送門が沢山並んでいる。
これらは国中の重要拠点への転送門だ。
転送門にはそれぞれ移動先の土地を表す意匠が施されている。
すべての転送門には淡く光りながら回転する魔法陣が浮かんでいた。
一度きりの鍵がなければ開けないよう、魔法で厳重な封印が施されているのだ。
私は迷わず最も奥深くにある転送門へと向かう。
そこにあるのが、もっとも古い〈来航者の遺跡〉への転送門である。
目的の転送門の前に来て、私は肩すかしをくらった感じになった。
「鍵、かかったままだわ……」
一度きりの鍵の魔法陣に加えて、物理的な錠前までしかけてある。
これなら仮に何らかの方法で一度きりの鍵を欺けたとしても、転送門を使うことはできない。
なんて、あっけない結末。
兄の貯蔵庫から物資を拝借してまで、万全の臨戦態勢を整えてきたのに。
でも、何か起こるより、何もないほうがずっとずっと良いよね。
一安心……していいのかな。
だとすると、クラウスはどこ行ったんだって話になるけど。
私は念のため霊視の魔眼の杖を使った。
あれ? これ──この錠前、幻影だ!
本物の錠前は何者かによって破壊されている。
しかも、何故か一度きりの鍵の封印魔法陣の方も幻影だ。
壊れた錠前を破壊前の姿に見せている幻影の作成実行者はクラウス・ハーファン。
作成したのは三十分ほど前である。
一度きりの鍵の幻影は、私の父であるアウレリア公爵が十年前にかけたものだった。
〈来航者の遺跡〉の転送門は群を抜いて古い。
だから、一度きりの鍵が設置できなかったのかも知れない。
代わりに物理的な錠前で施錠しておいて、幻影によってまるで一度きりの鍵の封印があるかのように偽装していたのか。
霊視の魔眼一つ使うのにも莫大なお金がかかる西のアウレリアの人間には有効な偽装だ。
けれど、東の魔法使い、それも優秀な魔法使いであるクラウスが相手ならば、全く意味のないものになる。
クラウスはこの偽装を見て、封印が偽物だと即座に気づいたはずだ。
彼は物理的な錠前を破壊した後、それを誤摩化すために父と同様に錠前の幻影で偽装した。
結果、魔法的にも物理的にも見かけ倒しの鍵の出来上がりというわけだ。
「やっぱり、遺跡に行って連れ戻さなきゃ」
正直、怖い。
前世でも悪霊とか怪談が苦手だった。
そんなものが本当にいる〈来航者の遺跡〉へ行く事はとても怖い。
でも──
「待ってなさいよ、クラウス、アン」
そんな所にハーファンの兄妹がいるのだとしたら──
遺跡に何があるのか、何がいるのかも知らずに迷い込んでしまっているのならば、彼らを助け出さなきゃ。
私は一歩進み出て〈来航者の遺跡〉への転送門の中に入る。
確か、移転先の土地を誉め称える言葉が魔法を起動させるコマンドワードになっているはずだ。
転送門に刻み込まれたコマンドワードを私は読み上げる。
「来れ、我が友、この海を越えて、我らが約束の土地に、新しい名を授けよう」
☆
──軽い目眩を感じた。
目を開くとそこは〈来航者の遺跡〉の最も浅い階層だった。
転送門はむき出しの状態で床に呪文が刻み込んである古代の形式。
白い堅牢な石で作られている〈春の宮殿〉と対照的に、遺跡は普通の石を切り出し積み重ねて作成されていた。
遺跡のある場所はアウレリア領の西の海岸近くである。
そう考えてみると、微かに潮の香りを感じるような気がする。
すっかり夜も更けてきたけれど、全くの暗闇というわけではない。
星水晶を加工したランプが壁に埋め込んであり、ほのかに黄色みを帯びた弱く優しい光が部屋を照らしていた。
遥か昔、西のアウレリアを建国した一族は、この大陸に最後に訪れた民だった。
先にこの地に住んでいた民族は、彼らを〈来航者の一族〉と呼んだ。
彼らは優れた航海者であり、錬金術師であり、故郷を失った亡国の民である。
あるいは行き過ぎた錬金術によって祖国を滅ぼしたのかも知れない……という言い伝えが残っているが、詳細は定かではない。
どこから来たのか、どのような過去を持っていたのか、それらは全て歴史の闇に飲まれて消えているのだ。
それらの言い伝えに一片の真実が含まれているが故か、アウレリアの民はいくつかの技術を禁術として抹消していた。
伝説にのみ伝えられている人造人間の作成技術などがそれにあたる。
この〈来航者の遺跡〉には、そう言う未だ解明されていない古代の錬金術の秘儀が残されているのではないかと言われているのだ。
私は用心のために霊視の魔眼の杖を使って辺りを見回す。
現時点では魔法の痕跡は、転送門の他には存在しない。
まずは一安心だ。
(さすがに遺跡にまで幻影の魔法を仕掛けられていたらお手上げだものね)
追加で過去視の杖を五回ふるう。
杖から発生した五個の白い光で構成された魔法陣は部屋全体に広がり、波紋が反射して返ってくるように私の目に収束した。
時間を遡って出来事を読み解く過去視を通して、クラウスの後ろ姿が左手の出口から出て行くのが見えた。
「クラウス……、一人だけで来たのね」
部屋を眺め続けていると、今度はアンが転送門を使ってこの部屋に辿り着いた。
彼女は何かに気がついたようで、部屋の一点を捜索していたらしい。
その後は、やはり彼女も左手の出口に向かって──
そこで過去視は終了した。
どうやらクラウスが一人でこの遺跡に向かった後、それに気づいたアンが彼を追いかけたようだ。
遺跡に入ったのが、ある程度腕に覚えのあるクラウスだけならば、まだマシだったのだけど。
アンが何かを見つけたらしい場所を、私も探してみる。
呪符があった。
まだ魔法は実行されていないようだ。
魔力を保持していない状態だから霊視の魔眼では認識できなかったんだ……!
羊皮紙で作成された呪符には、東のハーファンの古代の文字で呪文が記述されていた。
特に語学に堪能なわけでもない私ではちょっと、ね。
文字が読めたらもっとたくさんのヒントが得られたかも知れないけど、これだけでも充分に追跡のためのメドは立った。
ヘンゼルとグレーテルのパン屑がわりの未使用呪符を追いかけよう。
部屋の左手の出口を抜けると、同じような構成の部屋がいくつも続いているようだった。
あ、遠くに細い通路も見える。
一応通路にもランプついてる。完全な暗闇ではない。
けど、むっちゃ怖いよ?
古い建物だし、〈来航者の遺跡〉は地下の部分のほうが多くて、雰囲気は地下ダンジョンです。
「お化けなんて怖くないって思えば、怖くない、怖くない……!」
気合いを入れるために我ながら謎の声を上げる私。
なけなしの勇気を振り絞って、霊視の魔眼の杖と過去視の杖を交互に使いつつ、過去のクラウスとアンの背中を追いかけていく。
入り口から二百メートルは移動しているだろうか。四回ほど階段を降りたので方向感覚が曖昧になってきた。
お化けや幽霊が怖いなって思ってたけど、不意に暗い道を走っていてふと前世のことを思い出した。
高校時代、夜道で後ろから殴られたときの記憶だ。
それは、背筋が凍るような恐怖ではなくて、ただひたすら暗いねっとりとした感情だった。
(いや、よっぽど人間の方が怖いよ。……あ、お化けとか楽勝な気がしてきた)
そうだ、人間だってとっても怖い。
生きたニンゲンの恨みや、妬み、憎しみ。
そう言うものこそ、本当に恐ろしいモノのはずだ。
そんな記憶を思い出していた矢先に、ニンゲンに出会った。
「お前、エーリカなのか……!?」
そこには憔悴しきった東の魔法使いが、いた。