坩堝通り5
「なんでそんなこと知ってるんだよ、エーリカ……!?」
ハロルドがやっとのことで声を絞り出す。
表情にも声にも、わずかに怒気が含まれていた。
部外者である私から「あなたの親が詐欺にあってます」なんて聞かされたら当然の反応だろう。
さて、どうしよう。
ここまで来て、自分がアウレリア公爵の娘であることを隠すつもりはない。
下手な嘘をついて誤摩化してしまうと、私のことを信じてもらうのが難しくなるからだ。
問題は、どう説明すれば信じてもらえるかだ。
「私がアウレリア公の長女エーリカで、亡き母がアージェン女伯だって言ったら、信じてもらえる?」
「は、はああ!? いや、確かにアウレリア公爵の娘は八歳かそこらだった気もするけど……」
「待った、坊ちゃん。落ち着きな。
お嬢ちゃん、いきなりそんなこと言われても、本当に信じていいものか俺達には判断できないぞ。
どうにかして、それを証明出来る?」
混乱の極地にあるハロルドを、部外者で多少余裕のあるギルベルトがカバーする。
まあ、当然そう来るよね。
私は襟元からペンダントを引っ張り出し、その先端に彫られた印章を見せた。
「これでいいかしら?」
黄金製のペンダントヘッドには沈み彫りが施されている。
封蝋を閉じる時に使う、印章代わりのものだ。
アウレリア公爵家の紋章に似た海原と星の意匠。
ただし、星が流星になっており、母方の紋章を取り入れていることを示している。
私個人を証明するための紋章だ。
「海と星の意匠か」
「確かに、これはアウレリア公爵家にだけ許される紋章だよ、兄貴」
この手の物は戯れで身につけられる物ではない。
罰則が明文化されているわけではないが、権威を持つ相手に「喧嘩を売る」意志があると思われて得することはほとんどないからだ。
どうにか信じてもらえたらしい。
これで信じてもらえない相手には、他にも手段はあるけれど。
「高貴な家の娘さんだとは分かってたけど、こりゃ、またすごいのが出てきたな……」
「まあ、うちの店に来るような人だからね。
どっかの貴族か名家のお嬢さんのお忍びかと思ってたけど、公爵令嬢〜〜!?」
「それもアウレリアだ。世が世なら俺達にとっては王女様なわけだぜ、坊ちゃん」
「お、王女……お姫様!?」
「そう、お姫様!」
あれ、どうしたんだろう?
なんだか変な方向で盛り上がり始めたぞ。
アウレリア王がイグニシア王の臣下になって数百年も経っているし、そんな反応しなくても良いんじゃないかな。
今はもっとシリアスに頑張らないといけないところでは?
詐欺ですよ、詐欺!
「今はその採掘権が本物かどうかとか、ニーベルハイム伯がお金をかりた相手とかが重要でしょう!?」
そう言うと二人はハッとして、正気に戻ったようだった。
ハロルドが言いにくそうに答える。
「借金したのは、とある北方の貴族だよ」
「そいつはマズい筋だな。ルーカンラントの奴らに容赦はないぜ」
「返却は二年後から十年かけてのはずだけどね」
「詐欺にあったタイミングがまずいな。
今、採掘権が手に入らなければ、銀器産業が立ち行かなくなるんだろう?
貸した金の引きはがしを明日からにでもやりそうな連中だからなあ」
ギルベルトは苦々しい表情になった。
ルーカンラントはかつての蛮風の残る荒々しい気性の貴族が多い。
相手によっては、詐欺にひっかかりましたから猶予を下さいなんて言っても、許してくれないこともあるだろう。
これは厳しい事態だ。
「あの、もし私の言葉を信じてくれるのなら、ハロルドにはお父様に伝えて欲しいの」
ハロルドは思い詰めた顔をして私の言葉に頷いた。
「俺はあんたを信じてみる。本当に詐欺なら、俺の家が滅茶苦茶になる前にどうにかしないといけないからな!」
「ありがとう、ハロルド」
「俺の方が感謝する方だってば」
これで私とハロルドの線が繋がった。
原作ゲームで私が死ぬことになる遠因は、ハロルドの家が「私の領地がらみの詐欺」で没落することなんだ。
私が直接騙した訳では無いが、誤解されて怨まれても仕方ないだろう。
だってどんな理屈だろうと、この詐欺で追いつめられた彼の父は死んでしまうのだから。
「じゃ、この格好のままだとマズいから、着替えてくるよっ」
ハロルドが駆け足で店舗裏へと向って行った。
「じゃあ、その間に俺が公証人ギルドへ確かめに行こう」
残されたギルベルトは辺りから外套を手に取りながらそう申し出る。
彼もハロルドのために動いてくれるらしい。
「助かります、ギルベルトさん」
公証人は大金の動く契約には必須の職業だ。
彼らは「どのような人間が誰と、どういう条件で商取引を行ったか」を書き記し、管理し、証明する人たちである。
大規模交易都市ではイグニシア王から認可を受けた公証人がギルドを作っていると言う。
行使出来る権力も大きく、契約不履行時には彼らの権限のもと罰則が与えられるのだ。
公証人ギルドは、ギルドホールにあったはずだ。
さすがにギルドでの確認は子供には難しいだろう。
ギルベルトがこの場に居てくれたのは、不幸中の幸いだった。
「あそこなら、今回の商取引についての書類もあるはずだ。
まず採掘権売買の詳細な内容を抑えないと話にならないだろ。
特に、誰がニーベルハイム伯と契約したのか、ってところがな」
そのような詳細を詰めていたら、ハロルドが戻って来た。
彼は濃緑の上質な外套を着込んでいて小さな貴公子然としていた。
私達はハロルドにギルベルトが公証人ギルドへ向ってくれることを伝える。
「兄貴ぃ……!」
「こういう時は俺も頼ってくれよ、坊ちゃん。
俺は末っ子だからさ、たまには兄貴ぶったり、誰かに頼られたりしたいんだよ」
ギルベルトは親指を立ててウインクを決めた。
「じゃあ公証人ギルドは兄貴に任せて、俺は父さんのところへ!」
「ニーベルハイム伯の今日の居場所、ハロルドは分かるのかしら?」
「多分、〈水の宮殿〉だ。商売の取り引きがあったはずだから」
ハロルドは深いため息を吐いた。
眉間の皺も深い。
「問題はあの人が俺の話をちゃんと聞いてくれるかってことだけど」
「私がついていけば、流石に大丈夫じゃないかしら。
継承者が売ってないって言えばさすがに信じると思うわ」
「いいの? あんたに迷惑かけることになるし……」
「まったく無関係なわけじゃないでしょ?
私の所有物の名を使われて詐欺が行われたのだから」
「そうだよなあ、正統な持ち主が売ってない権利を、買ってもどうしようもないからな」
ギルベルトが腕組みしてうんうんと頷く。
「う、そういや……このまますると俺ん家には借金だけが残るってわけ?」
「詐欺師を捕まえることが出来れば、どうにかなるんじゃないかしら?」
「いや、捕まえたとしても金がなかったら、おしまいだ。
新たに別の鉱山と契約したくても、その元手を借りることも出来ないだろう。
ニーベルハイム伯が奪われるのは金だけじゃなくて、信用っていう商売に一番大事なもんだからな」
ギルベルトの指摘に、ハロルドの顔色はどんどん青くなる。
見ていて気の毒になるくらいだ。
「じゃあ、俺は昼メシ時になる前に公証人ギルドへ行って、契約について聞いてくる。
俺の七番目の兄貴がそこにいるから、話は速いはずだ」
ギルベルトは手早く外套まで着込んで、鞄を引っ張り出した。
私たちが使っているのとは別のドアを開き、貯蔵庫から出て行く。
「さあて、俺たちも……あっ、このまま出て行くとあんたのお連れの人と入れ違いになっちゃうよ?」
「ここの黒板に書き置きをしておくわ。彼ならきっと気がついてくれるはずだから」
私は昨日講義に使った黒板にティルナノグへのメッセージを残す。
詐欺の件とどこへ向うか程度の情報だ。
遅くなりそうだったら〈水の宮殿〉の自室で落ちあうことを指示しておく。
「今日はたしか父さんは〈水の宮殿〉にいるはずだから」
「では舟を使ってすぐね」
そうして私とハロルドは店の裏戸から街へ出て、渡しの舟を使って暗い色の運河を進む。
「でも、あの巨大な宮殿でニーベルハイム伯爵のいる場所がすぐに分かるのかしら」
たしか、〈水の宮殿〉は部屋総数がとんでもなく沢山あったはずだ。
「大丈夫。あの宮殿も含めてノットリードは俺の庭だからさ」
ハロルドはそう言って運河の向こうの白い宮殿を睨んでいた。