坩堝通り3
私とティルナノグは、三日月と塔の看板の下をくぐってトゥルム短杖店の中へ入る。
この店は相変わらずお客さんが少ないみたいだった。
お客さんどころか店員も見当たらない。
『杖を受け取りにきたぞ』
ティルナノグが呼びかけると、ハロルドが奥からひょっこりと現れる。
どうやら店番はハロルド一人だったらしい。
「いらっしゃい! 待ってね、師匠も呼んでくるよ!」
「ありがとう、ハロルド」
ハロルドは少し顔を出しただけで、あっという間に奥に下がってしまった。
私達は二人を待って長椅子に座る。
しばらくすると、店主がハロルドに連れられて店先に現れた。
「いや、申し訳ないんですが、あと一時間ほどお時間をいただけますかね?」
店主が申し訳なさそうに弁明する。
詳しい説明を聞くと、なにやら短杖の充填に時間がかかっているとのことだった。
お兄様の作成した短杖は難読化されていて解析しにくいらしい。
何でも、見積もりの段階では発見できなかった予想外の機構が含まれていたのだとか。
『ああ、問題ない。俺はお前の腕を信じている』
「感謝しますよ」
ティルナノグは鷹揚に頷き、ソファに腰かける。
店主はハロルドに昨日と同じように茶器を準備するように命じ、店頭に準備中の札を下げに行った。
テーブルに茶器を置きに戻ってきたハロルドが、店主が離れたつかの間の隙に私に耳打ちする。
「今日も兄貴のとこに行かない? 講義受けたり、試し撃ちしたり」
「実を言うと、そのつもりで来たわ」
「はは、話がはやーい! やったね!」
私達が店の奥に入ろうとしたところで、店主が戻ってきた。
彼はティルナノグが一人でお茶を飲んでいるのを見て、驚いた様子で周囲を見回す。
「これ、ハルや!」
「師匠〜! お嬢さんとゴーレム作成の話をしてくるから、奥に引っ込んでるよ!」
「ちょっと待ちなさい。何だってまたいきなりゴーレムなんだ」
「いやあ、このお嬢さんがゴーレムに詳しくてさ」
結局、ハロルドは追ってきた店主に捕まってしまった。
ハロルドはそれらしい嘘をつくと、私にアイコンタクトする。
私は慌てて首を縦に振る。
店主は何かを思い出した様子で、私とティルナノグを交互に見つめる。
「ははあ、確かに……でも、迷惑じゃありませんかね、お嬢さん」
「いえ、とても楽しいですよ」
渋々といった様子で、店主はハロルドから手を離す。
あまり迷惑をかけないように、と言い含めて、店主は自分の作業場の方に戻って行った。
「じゃあ、ティル。杖の受け取りが終わったら貯蔵庫のほうへ迎えに来てね」
『うむ、承知したぞ』
私が手を振ると、ティルナノグはカップを掲げて答えた。
ハロルドに手を引かれながら、私は貯蔵庫へと続く扉へと向かう。
☆
「おや、今日も遊びにきたのかい、お嬢さん」
貯蔵庫の扉を開けると、ギルベルトが何かの調合を行っていた。
やりかけていた調合を中止し、彼はそそくさと道具をしまい込んでいく。
お仕事中だったのかな?
「お邪魔でしたか?」
「いやいや、単なる暇つぶしだから気にしないでいいよ」
ギルベルトが片付けた机の上に、今度はハロルドが円形の包みを置く。
先程、ハロルドとバックヤードを通過するときに回収してきたものだ。
包みからは、香ばしい美味しそうな匂いが漂っている。
「お? 何だ? いい匂いじゃないか」
「へっへっへ、兄貴、食事まだでしょ?
じゃーん! ギーゼラおばさんとこの飴色玉葱タルト!
遠慮せずに食べてよ食べてよ」
包みを開くと、大きな茶色いタルトが現れる。
おやつ系ではなく、ガッツリおかず系のタルトのようだ。
それを見て、ギルベルトは大袈裟に天を仰ぐ。
「くう〜っ! マジかよ、朝のうちに言ってくれよ!
さっき兄貴の店で適当に済ませちまったよ!」
「え〜、そうなの? いらない?」
「いる! 小腹が減ったら、温めなおして頂くよ。
今は適当に仕舞っといてくれよ、坊ちゃん」
「はいよ」
私は空いた椅子に座って、そのやりとりを見守っていた。
部屋の中は相変わらず雑然としていたので、下手に動き回ると何か壊しそうだからである。
「で、二人とも何しにきたの? そんなに俺のかっこいい顔が見たかった?」
「あーにーきー?」
「へいへい、冗談だよ。杖の話の続きだろ? さっそく準備しておいたぜ」
「やったあ!」
「よろしくお願いします」
ギルベルトはタルトの包みが除かれた机の上に、部屋の隅に置いてあった鞄を乗せる。
何だかんだ言う割に楽しそうな様子で、彼は鞄の中身を拡げていく。
ギルベルトの杖講座、その二の開始だ。
「まずは昨日あいまいにしちまっていた部分から。
短杖に込められた呪文の拡張について、もう少し詳しくいくか」
今日の講義には黒板を使わないみたいだ。
ギルベルトは机の上に並べた短杖を指す。
「短杖に込められる呪文には、ある種の定型がある。
通常の呪文構築の際、最も負担が少なく、かつ便利に使える粒度で組むってのが定石だ。
粒度ってのはまあ、規模や威力って考えてくれればいい。
これによって、作成時間と呪文構築の複雑さも決まる」
机の上に並べられたのは、魔弾の杖が三本。
同じ種類の杖なのに、それぞれの杖は違う意匠をしていた。
「最も基本的な作りの杖は、これね」
その三本のうちで一番見慣れた仕様の杖を指差す。
ごく一般的な材料で、ごく一般的に流布しているレシピ通りに作ったものに見える。
「さて、短杖の魔法を拡張する場合には二通りの方法がある」
ギルベルトは私とハロルドを交互に見つめながら話を進める。
こうしているとギルベルトは誠実そうに見えるのに。
親しくない相手には不遜な態度を取ってしまう辺り、損している人だなと思う。
「その一。作成時に拡張した状態で構築し充塡する。これは分かりやすいな。
むちゃくちゃ作成時の負担が高いが、使用時には楽が出来る方法だ。
高位の魔法を構成する呪文ほど、組み上がった定石を崩すのは難しくなる。
その分だけ、時間も材料のコストもかかるってわけさ。
この手の技術は〈来航者の一族〉の長たるアウレリア公爵家がもっとも得意だ」
ギルベルトは凝った意匠の杖の方を指差す。
最初の杖よりずっと高価そうな素材で構成されている、特別製の杖だった。
言われてみれば、お父様の短杖には特別製が多かった。
ハロルドは豪華な杖を目を輝かせて見つめている。
「こういうの作るの、楽しそうだな〜〜!」
「ははあ、拡張した杖の作成なんて苦行を楽しめるのは、坊ちゃんが特別だからだよ。
魔法構造の改造は一般的には難解で苦痛なんだ」
「へええ、そうなのか〜!」
特別だからと言われて、ハロルドは更にそちらの杖に食いついたようだった。
好きな事に向いているって言われるのはたしかに嬉しいだろうね。
「ではその二。こっちは実行者の性質を選ぶことになるが、作成者が楽を出来る方法だ。
一つの杖の中に、とにかく大量に標準的な粒度で詰め込むだけ。
これは昨日使ったような形式の使い方だな。
杖の実行命令とともに実行者が魔法構造に負荷をかけ、呪文を壊して捩じ曲げ、再構築して望んだ結果を発動させる。
実行者には魔法構造に負荷をかけても耐えられるくらいの阻害の力と、思い通りに再構築するだけの知識が必要になる」
「……私向きってわけですね?」
「その通りさ、お嬢さん。ちなみに、杖のサンプルはこれだ」
ギルベルトは三本目の杖を私に手渡す。
あ、あれ? 重い?
大きさや素材は基本の杖と同じように見えるのに、なんだか不思議とずっしりと重い。
そして、かなり造りが丁寧だ。
よく見ないと分からないような細かい意匠が、杖全体に凝らされているようだ。
「この使い方だと、通常の何倍もの充填量が必要になるんだよな。
壊したり歪めたりした分と、最適な粒度からズレた分で、効率がかなり悪くなる。
呪文を二百も三百も込めても、打てる魔法はたったの二三回なんてことになっちまうのさ。
だから、そのための専用の杖を準備するのが望ましい」
手の中の杖をじっと見る。
つまり、通常の短杖の何倍も充塡されている杖なんだ。
「借り物なんで、そいつは使ってもらうわけにはいかないけど……。
ほら、こっちは昨日使った杖だ。
百は詰め込まれていたはずなのに、もう充填がゼロだ」
「ええっ……」
そんな事になるとはびっくりだ。
三十発の一斉射撃の結果なら七十は残っていると思ったのに。
「どちらの方法も反動、つまり実行時に使用者に逆流する魔力が莫大だ。
ただ、重い杖の方が行使時にやる事が多いから、使い手には更に別の負荷がかかる」
「は〜……俺みたいな体質だと、絶対使っちゃダメな訳か……」
ハロルドが右腕をさすりながら言った。
幼いころに杖の反動で傷受けた部分だったよね。
「その代わり、こと作成に限って言うなら、阻害ゼロの坊ちゃんならどっちも楽々だろうね。
面倒な呪文構築を詰め込むガラス細工みたいな杖でも、大量充填に耐える強くて重い杖でも」
「どっちも楽しそうだけど、俺はやっぱり作る時点で弄れる方がいいなあ」
私はギルベルトが少しだけ意外そうな顔をしたのに気づいた。
彼は一度咳払いをして、話を続ける。
「ちなみに、大量に呪文を込めた重い杖を開発したのは、西北部有数の錬金術の、ニーベルハイム家。
量産に手を貸したのは我らがトゥルム家。
比較的廉価なこの杖の主な使用者は、高価な杖を揃えることができない、比較的下級の兵士達だ」
「へ、へええ、ニーベルハイム家が……初耳だよ、それ」
「兵士達はその杖を使って、自らの腕を灼き潰しながらも敵をやっつけたんだ」
実家の不穏な情報のせいか、ハロルドはなんだかヒヤヒヤしていた。
ニーベルハイムの産業は銀器だけではなく、戦時中には兵器としての短杖も作っていたのか。
「で、坊ちゃんのご先祖さんは、それを千も万も作って戦争で儲けたわけ」
ハロルドがギクっとした表情を浮かべる。
ギルベルトは意地悪くにやりと笑った。
「な、なんで俺がニーベルハイム家の人間って知ってるんだよ、兄貴。
しかも、まるでうちの家が悪者みたいな言い草だし」
「いいじゃないか。俺もトゥルム家だから悪者仲間だぜ?
坊ちゃんの実家に関しては、まあ、こんなのが置いてあればな」
ギルベルトは鞄の中から一冊の手帳を出した。
ハロルド・ニーベルハイムの名が書き込まれた、あの手帳だ。
「兄貴、これ、俺の……?」
「ええっ!? ニーベルハイム伯爵様のご令息だったのですか?」
私は大袈裟に驚いておく事にした。
ハロルドの苗字には私も気づいていたけれど、敢えてのことである。
私も今は公爵家の娘であることを隠しているし、この方が自然な反応なはずだ。
「ちょっ! エーリカ! き、き、き、気にしないでいいからっ」
「そんな……貴族の爵位を持っている家のご令息が、こんなところにいらっしゃるなんて。
私ったら、なんてご無礼な事を……」
「いやいやいや、気にしないでってば。敬語やめて、お願いだからっ」
あたふたと慌てるハロルド。
ギルベルトはそんな彼をみてニヤニヤと人が悪い笑みを浮かべている。
私も笑いそうになったけど耐えた。
「まあ、俺の父さんも爵位持ってたけどね。
今は一番上の兄貴に譲ってるし、伯爵より一個下の副伯だけど」
「あああ〜〜、そっちまでバラすか〜〜〜」
「えっ……それって、トゥルムの本家筋の方ということですか!?」
「まあね。でも俺は十三男だし、家督や利権になーんにも関わってないから普通の人だよ?」
こっちは想定外だ。
まさか、あの店主が爵位まで手に入れた噂の豪商、トゥルム老だったの!?
ただ者ではないと思っていたけれど、まさか元当主だなんて。
「まったく、滅多に客が来ないのも無理ないぜ。
トゥルム一族の長が店主で、ニーベルハイム伯爵の嫡男が店員やってる店なんだもん。
怖いもの知らずか、よっぽど杖にこだわる好事家でもなけりゃ、なあ?」
「だからこんなにお客がいないんですね」
そういえばトゥルム短杖店を勧めてくれたのは、短杖に一家言あるレイルズ家のご令嬢だった。
これは一種のサプライズだったんだろうか。
出来れば心構えのための詳細情報が欲しかったですよ、トリシアさん。
「いや、これでも近隣の貴族にはすっげえ人気なんだよ……二日に一人くらいしか来ないけどさ」
それは人気とは言わないんじゃないかな?
そう思ったけど、今は黙っておくことにした。
「お嬢さんが気にするなんて意外なんだけどなあ。
おっと、脱線しちまったな。
せっかく杖について理解が深まったし、改めて試し撃ちでもやっちまおうか?」
ギルベルトは人の悪そうな顔で親切そうな笑顔を浮かべ、私達を試射場へと促したのだった。