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坩堝通り2

 私とティルナノグはオーギュストに招かれ、王室御用達の豪華な箱馬車に乗り込む。

 中にはオーギュストの他に、一人の先客がいた。

 いや、一人って言っていいのかな、一頭?


 それは、概ね人間と同じくらいの大きさの黒い竜だった。

 オーギュストの新しい身辺警護用の竜なのか、それとも誰か他の貴人の竜なのか。

 最初はそう思っていたけれど、黒竜が分厚い本を器用にめくりながら読みふけっているのに気づいて、私は困惑した。


 黒竜は本から目を上げると、煩わしそうな様子で私達とオーギュストを順々に見やった。

 猫の目を思わせる縦長の虹彩を持つ金緑石(クリソベリル)色の瞳。

 その竜は物憂げにため息をついた後、どこか人間臭い仕草で本を閉じた。


「オーギュスト。君の素行を監督することまでは、今回の私の仕事には含まれていないはずだがね」


 あ、あれ? 今の声、どこから?

 目の前の黒竜から聞こえたような気がする。

 この世界の竜って、人語を理解できるけど喋れないハズではなかっただろうか。


「いやいや、誤解しないで欲しいな、教授(・・)

 彼女は身許のしっかりしたお嬢さんだよ」

「未婚の王族が未婚の異性を、軽々に密室に誘うべきではないと言っているのだよ。

 まだ(やま)しい関係を疑われるような年齢ではないから今回は不問としておくが、以降は気をつけなさい。

 身許がしっかりしているかどうかは、この際問題ではないのだからね。

 それとも、その娘の正体を私が分からなかったとでも思ったのかね?」

「はいはい、降参だよ、教授」

「考えなしの行動でご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 私が謝罪すると、人語を喋る黒竜はちろりと私を見る。

 何だか鋭い視線だ。

 微妙に嫌悪されてるような、そんな感じがする。


「教授、彼女は……」

「アウレリア公爵エルンストの娘か。知っている。

 どうせこの娘もお忍びの外出なのだろう。

 お互いに此処にはいない身ならば、紹介も挨拶も不要だと思うがね」


 一発で身元がバレている。

 今日の服装にも持ち物にも、特徴的なところなんて何も無いはずなのに。

 それともまた私の気がつかない何かがあったの?


「お初にお目にかかります、エーリカ・アウレリアと申します」


 お辞儀をして、柔らかな笑顔で微笑む。

 向こうからは挨拶を拒否されたけれど、私からするのは問題ないはずだ。

 相手が好意的でないなら尚更、丁寧に対応しておくのが無難だろう。


 しかし、教授と呼ばれた竜は聞こえていないとでも言いたげに、私達から顔を背ける。

 教授は読みかけていた本を開くと、再びその内容に没頭し始めたようだ。

 表紙を見た感じ、魔法辞典か何かのように見えるけれど、なぜ竜がそんなものを読んでいるのだろう?


「あー……悪いな、エーリカ。こういう人なんだ」

「いえ、お気になさらないで下さい」

「それでな、エーリカ。こちらはちょっと複雑な身の上の人で」

「わかります。竜の身の上で人語を喋る、なにかの実験体か突然変異体なのですね?」


 先ほどオーギュストは魔法学園都市で調べ物が、と言ってたがコレのことだったのだろうか。

 なるほど、確かに興味深い。


「ずいぶん妄想力豊かで発想が飛躍しがちな娘だな。エドアルトによく似ている」

「お兄様のお知り合いで?」

「いや、何でも無い。オーギュスト続けてくれたまえ」


 この黒竜は兄エドアルトを見知っているらしい。

 魔法学園都市リーンデースの関係者ならば知っているだろうなあ。

 お兄様は良い意味でも悪い意味でも目立ちそうだもの。


「私のもう一人の従兄弟になる。リーンデースで教授をしているんだ」

「王族の方が竜と婚姻なされたのですか──」


 人と竜とが交われることに驚く。

 交配可能だったとは衝撃的だ。

 いずれ連合王国は竜の姿の王が統治する国になるんだろうか。


「いやいや、イグニシアには、竜の意識に融和しきることができる才能が稀に現れるんだ。

 教授はそういう人で、まあその、特殊な竜使いってことさ」

「融和とは一体……?」

「完全に意識を融和させているから、見てのとおり自らの体のごとく動かせる。

 この意識の本体は、遥か遠くリーンデースにいるんだぜ?

 ちょっと普通じゃないだろ?」


 オーギュストの超広範囲での竜制御もなかなか出来ることじゃないけど、この人も特殊なのか。

 オーギュストが広く浅くの制御ならば、黒竜は狭く深くの制御みたいな感じかな。


「なるほど。この黒竜の中身はちゃんとした人間でリーンデースの方なんですね?」

「今は名を明かせないので仮に教授とよんで欲しい。

 いずれリーンデースで会う時にでも正式に名乗らせてもらう事にするよ、アウレリア」


 教授と呼ばれた竜は、確かに竜よりずっと人間っぽい表情をしている。

 憂いと厭世観のただよう人間臭さだ。


「そんなわけで、教授といると目立っちゃうから馬車で移動してるんだ」

「なるほど……」


 あれ、すると何でオーギュストはリーンデースに寄って来たんだろう。


「ではオーギュスト様は何故リーンデースに用があったのですか?」

「卵が孵化した件でちょっとな……あんまりこれは口外しないで欲しいんだけどいいか?」

「はい、私がオーギュスト様を裏切ったら、同じくらい酷いことしていいですよ」

「私はそんなことしないぜ? ええっとな、卵を孵化するための孵卵器についてのことなんだ」


 オーギュストはこう続けた。

 イグニシア王家が管理する竜の卵は、(チャリス)と呼ばれる孵卵器の上で保存され孵化することになっている。

 厳重に管理されており(チャリス)のある部屋に入る事の出来る人間は王族のみ。

 それなのに、予想外のことが起こっていたのだと言う。


「単刀直入にいうとだな、(チャリス)に細工がされていたってことなんだ」

「それは……」

「古い時代の魔法によって感応遮断の魔法が施術されていた。ずっと夢幻をみる魔法だそうだ」

「だから孵化しなかったんですか……!」


 これは確かに滅多な事では口に出すことが出来ない情報だ。

 イグニシア家の王権に関わる竜に対する、冒涜行為、ひいては反逆罪?

 謀反人が、王家の深部にいるってことになってしまう。


「あの、それもあのルイが仕組んだことなのですか?」


 ルイ・オドイグニシア。

 先代王の第二王子の息子であり、王太子オーギュストを憎み簒奪を企てていた竜騎士だ。


「高位の魔法使いに表層から深層までルイの思考をあさって貰ったけど、見当たらないらしい」

「気味が悪いですね。そのような魔法に晒されていたブライアとブランベルは大丈夫なのですか?」

「竜はその程度の魔法によって変質するような存在じゃないから大丈夫だよ」

「それは良かったですね……本当に」


 私はティルナノグの膝の上で折り重なってうとうとし始めた二匹の仔竜に手を伸ばして撫でる。

 柔らかくて暖かい。

 この子達がこの世界に生まれ出ることを誰かの悪意が阻んでいたのか。

 私は、そんな異常な悪意を心から嫌悪してしまう。


「表向きは私の問題で孵化が遅れたでいいんだけど、裏で厳密に調査することになったんだ」

「オーギュスト様の問題って……それで良いのですか?」

「それくらい全然平気だよ、私は」


 オーギュストは相変わらず涼しげに笑ったが、どこかしら感情が読めない。

 彼が幼いころから複数の人物の悪意と敵意に晒されて生きて来たゆえのポーカーフェイスだ。


「まず王家、王族周辺の貴族が怪しい。

 次いで、(チャリス)はリーンデースで作成されたものなので魔法学園都市関連の人間も怪しい。

 でも、調査で大騒ぎしたら、トカゲのシッポを切るみたいに人死にが出るかもしれない」


 怖い話だ。

 薮をつついて死体がごろごろ転がってくるのは避けたいだろう。


「それでエーリカの兄上が調査したみたいに、今度は教授が調査する予定なんだ」

「教授の能力は身分を隠しての調査にぴったりですね」

「リーンデースの面々からも隠さないといけないしな〜」

「もしかしてエドアルトお兄様にも秘密でしょうか?」

「ああ、そうなるかな」


 用心のためには仕方ないのかな。

 王族かつリーンデース関係者である教授に調べてもらえば安心だろう。


「あとは教授に会ってくるなら、瞑想者(シーアージ)としての修行もしてみろって言われてね」

瞑想者(シーアージ)、ですか?」

「さっき行った通り精神融和の秘術を使う人のことだな」

「オーギュスト様もゴールドベリに意識を移したりしてみているんです?」

「試してみたけどダメだった。どうやら私はそういう憑依の術には適性がないらしいな」

「いいや、オーギュスト。それは早合点というものだ」


 先ほどまで私達の会話には興味なさそうに窓の外を見ていた教授が、ゆっくりと振り返って言った。


「完全なる憑依の術が使えないのは、君の精神的な問題によるものだ。

 そんなに恐れなくとも、竜の魂は人の魂に握り潰されるほど脆弱ではないよ。

 君の素質や修練は充分なのだがね……嘆かわしいことだ」

「褒め言葉として受け取っておくよ、教授」

「ふん……オーギュスト、楽観的なのも善し悪しだと心得ておきなさい」


 黒竜は人間くさい仕草で首を振ると、再び元の姿勢に戻った。

 オーギュストはそんな教授の様子を見て肩を竦める。


「まあ、瞑想者(シーアージ)の技術は憑依だけじゃないからな。

 私にも出来そうなことから習得しているところだ。

 もし機会があったら、今度会ったときにでも実演してみるよ」


 オーギュストがそう言ってウィンクしたタイミングで、馬車が止まった。

 いつの間にか錬金術関連の店が立ち並ぶ〈坩堝(るつぼ)通り〉に到着していたようだ。


「おっと、着いたようだな」


 ゴールドベリが名残惜しそうにティルナノグから離れる。

 ティルナノグは見たところ疲労困憊している。

 一方、教授は我関せずといった風情で書物をめくっていた。


「それでは、またお会いしましょうね、オーギュスト様」

「進水式が終わったら今度は一緒に街を歩こうな!」

「はい、よろしくお願いしますね」


 そして私はイグニシアの一行と別れて、トゥルム短杖店へと向ったのだった。

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