運河の都10
ティルナノグに抱えられながら、〈水の宮殿〉裏手の壁面を登っていく。
人目がないのをいいことに、ティルナノグは遠慮なく四足歩行の姿勢になっていた。
完全な竜型ではないので少しぎこちない動きだが、直立歩行のときとは比べ物にならない機動性だ。
(やっぱり、少し無理させてたんだなあ……)
平気そうにしているから忘れがちだが、ティルナノグも復活したての病み上がりである。
この件が終わったら、またのんびりと休養を取ってもらうのがいいだろう。
そんなことを考えている間に、割り当てられた部屋のベランダに到着した。
まだパリューグ達は帰ってきていないようなので、先に部屋に入って待つことにする。
部屋に入ると、ティルナノグはコートを脱いでうずくまった。
甲冑の背中が蝉の抜け殻のようにパキっと割れ、中からぬいぐるみサイズのティルナノグが飛び出てくる。
彼はくるりと空中で一回転すると、絨毯の上に華麗に着地した。
『やれやれ、ようやく固体に戻れたな』
「今日は大変な目に遭わせてしまったわね」
『気にするな。なかなか新鮮で楽しかったぞ。
ああ、甲冑はそのままにしておいてくれ。明日着る時に伸ばさなくて済むから楽だ』
そう言って、ティルナノグは運び込まれていた荷物の中から大きめの盥を引きずり出し、水を張っていく。
このまま水浴びでリラックスするつもりのようだ。
私は誰かに部屋を見られた時のために、脱ぎ捨てられた甲冑にシーツをかけた。
さて、パリューグが帰ってくる前に、資料を検討するとしよう。
長椅子に腰掛け、テーブルに購入した本と手帳を広げた。
まずは購入した本を流し読みする。
巡礼物語は周辺地域の逸話を修道士がまとめた本だという。
七人の巡礼者が馬上の暇つぶしに色々な伝説を持ち寄るようなタイプの説話集だ。
魔獣や幻獣にまつわる話が多くて私の目的にぴったりな本だった。
最初の堰と大蛸の話。
北の姫君を娶った白銀の錬金術師の悲恋の話。
禁書に毒を塗って連続殺人を行った老修道士の話。
七回の航海の度に難破して七種の怪物に出会った航海士の話。
剣の王子と争って炎の魔剣を造った錬金術師の話。
東の姫君を愛した金毛の人狼王子の悲恋の話。
呪いの銀と小鬼の話。
なんとなくこの地方は魔獣大蛸がらみのネタが多いのかな。
うーん、六年後の死亡フラグってこれなのだろうか?
七種類の怪物や魔剣、小鬼に人狼も気になるといえば気になる。
簡単なイラスト込みでまとめを手帳に書き込んでいると、ティルナノグが覗き込んできた。
『タコごときなら問題あるまい。そやつらは俺が喰らい尽くしてやろう』
「うん、その時はよろしくね」
次に数百年前にとある商人が記述した日記の写本をめくる。
小麦や卵などの値段の上下に加えて気になる記述が混じる。
例えば、当時からさらに二百年前の修道院で起こった毒殺事件が強欲の戒めとして記述されているのだ。
これは先ほどの巡礼物語の「禁書に毒を塗って連続殺人を行った老修道士の話」のことだろう。
なるほど、この二冊を比べると伝説がどの年代の事件を元にしているか分かるのか。
しばらく本をよみつつメモをしてると、ドアが開く音が聞こえた。
そこから現れたもう一人の私がにっこりと微笑む。
夕食を終えてやってきたパリューグだ。
振り返ると、ティルナノグは盥の中で入浴したまま眠っているようだった。
「おつかれさま、パリューグ」
「ただいま。あら、こいつったら、もう寝ているの?」
「今日は頑張ってくれたから」
「ふうん。それなら仕方ないわねえ」
パリューグは元の姿に戻ってティルナノグに忍び寄ると、爪の先で盥の水に触れた。
しばらくすると、水がボコボコと泡立ち始め、湯気が立ってくる。
『むっ!? ああ、なんだ、猫か。
俺としたことが、いつの間にか寝ていたようだな』
「おはよう、いい湯加減でしょう?」
『うむ。お前にしては気が利くではないか』
「起きなければ、そのまま釜茹でにしてたところよー?」
ティルナノグはお湯の中で気持ち良さそうに伸びをした。
パリューグはくすくすと笑って私の横に腰掛けると、広げられた資料を覗き込む。
「あらあら、ご主人様の方がずっと勤勉ねえ」
「滞在中で間に合う事があるなら、やりたいしね」
「これは妾にも役立ちそうね。今夜はこの本に出てくる巡礼先に行ってみるわ」
パリューグが銀食器の並んでいるワゴンを運んできた。
「二人とも食べてないでしょ? これをちゃんと食べるのよ?」
そう言ってパリューグは銀製のディッシュカバーを開ける。
中からは蒸した鶏、蒸した甘藍と人参の温野菜のサラダ、チーズが現れた。
せっかくだから食事をとりつつ、ノットリード一日目の情報共有を行おう。
「まずは今日の〈水の宮殿〉での出来事を聞かせて、パリューグ」
「入れ替わってからはニーベルハイム伯爵の姿は見かけなかったわ。
ああ、そうだ。エルンスト達と話を合わせるために、進水式関連の話はあなたの耳にも入れておかないとね」
私はナイフとフォークで蒸し鶏を切り分けてティルナノグのお口にぽんぽん突っ込みつつ、パリューグに話を聞いていく。
鶏と温野菜にかかっているソースはチーズを使っていてとても濃厚で美味だった。
「ふむふむ、例えばどんな?」
「新型空母は内部にゴーレムが仕込んであるので、ゴーレムギルドが全体的に支援しているとかね」
ここで言うゴーレムギルドはゴーレムが集っているギルドでは無くゴーレム作成者のギルドだ。
ゴーレムを使う工場の多い地域では有力な団体である。
「他には何かある?」
「海上保険の入札関連で、妾たちが着く前に一悶着あったらしいわ。
結局、トゥルムが引き受けることにしたそうだけど」
さすが豪商トゥルム。
海運には必須の大型保険をがっちり取りにいってる訳だね。
「あとは噂話ね。イグニシアの貴族が軟禁していた白磁の錬金術師に逃げられたとか」
「あら、前に聞いた噂からなんだか進展してる。
行方不明じゃなくて、逃亡ってことになってるのね」
「なんでも〈伝令の島〉のあの騒ぎの最中に逃げられてしまったらしいわ〜」
オーギュストの起こした超広域精神干渉によるパニックの陰で、そんなこともあったのか。
その人が精神操作の影響を受けにくい〈来航者の一族〉の混血なら、あの事件は絶好の機会だっただろう。
逃げ切れるといいね、その白磁の錬金術師さん。
「あとはイグニシアの旧空母の到着が遅れているらしくて、明日辺り到着しそうよ。
このまま何事もなければ、進水式は明後日ってことになるらしいわ」
「そうするとオーギュストが到着するのも明後日ってことになるのよね」
そう言うとパリューグは曖昧に笑う。
おや、早く会いたくはないのだろうか。
「ちょっと残念?」
「ふふ、会えるなら少しくらい遅くても妾は構わないわ」
私はズレてしまった話をもう一度、昼の情報収集結果にもどす。
「他には詐欺の噂とかはなかったかしら?」
「半年ほど前に、古美術品の大規模な詐欺団が摘発されたことがあるそうよ。
構成員のほとんどは捕まってて、刑も執行済みみたいねえ」
「古美術品の詐欺なんてあったのね。でも捕まってるなら別件なのかしら」
「この件の主犯格は逃げ果せてるそうだから、そいつがまた何かやる可能性もあるんじゃない?」
詐欺の内容や対象が原作ゲームから変化している可能性もあるのだろうか。
もしかすると、以前の二つの事件の結末が変化したことで、異なった歴史になってしまったのかも。
「銀鉱脈関連の話にも探りを入れてみたけれど、特に収穫はなかったわ」
「うーん、それでも詐欺に注意するようにニーベルハイム伯には伝えないとね」
「それはそうだけど、ニーベルハイム伯にどうやって事態を伝えるか、迷うわあ……。
妾が化けて会いに行ったら、その方がずっと詐欺師みたいだし」
手紙で知らせようにも、受け取りようによっては脅迫文にも見えかねない。
まさか、エーリカの姿のまま忠告するわけにもいかない。
そんなことを呟きながら、パリューグは思案顔だ。
確かに「あなたは騙される運命なので気をつけて下さい」なんて助言、まさに詐欺師が言いそうなものだ。
「あ、そうだ! その件で良い知らせがあるの」
私はハロルド・ニーベルハイムに街で遭遇したことを伝える。
ついでにトゥルム短杖店の奥の貯蔵庫のことやギルベルト青年のことも付け足しておく。
「うまく友人になって、文通でこまめに状況確認できたらいいかもね」
「悪くないわね、何か雲行きが怪しくなったら動けばなんとかなるかしら」
蒸し鶏をだいたい食べ終わったティルナノグが会話に混ざる。
『俺が杖店にいた時に、あの赤毛の小倅とそのような事をしていたとはな』
「私の体質とかハロルドの体質とかについて、そのギルベルトって人に詳しく説明もしてもらったわ」
私は〈虹の革紐〉を使った体質の測定の件をざっと二人に話す。
杖の反動の件や、ギルベルトとの出会い。
まったく外部魔力を阻害しないハロルドと、全ての外部魔力を阻害する私の違い。
『ほほう、すばらしい力では無いか』
「ううーん、今ひとつ異文化すぎて妾には分からないけど、それってお得なの?」
「それは私もピンと来てないけど」
ティルナノグがぎらっと目を光らせて反論し始めた。
『星をいくら落としても死なない豪腕ということだ。これこそ黄金に値する力だろう!』
「ええ〜〜、何それ。例の錬金術師の星? うっわ、危険すぎじゃない?」
『〈星のアウレリア〉の威光にひれ伏せばいいのだ、猫よ』
「ええええ〜〜〜、人の身に余る力すぎるわよ〜〜〜!!」
ティルナノグは自分の死亡原因なのに錬金術師の星には特別な思い入れがあるらしい。
いや死亡原因だからなのかもね。
この世の条理を凌駕して星を宙に創造する航海者の歌の杖。
そんな物騒な杖、人生でそうそう使う機会なんて無いと思うけどね。
「あー、そうそうギルベルトってカッコいいの?」
パリューグはお得意のイケメン話に切り替えてきた。
錬金術師の星についてティルナノグと会話するのが面倒になったんだろうな。
「すごい美形ではないけど、清潔感がある好青年って感じ。ちょっと意地悪そうだけど面倒見が良くて優しかったわ」
『お前はツラの皮一枚がそんなに大事か』
「大事よ〜。わざわざ何度も繰り返して言うのもやぶさかでないくらい大事よ〜!」
『俗物め……』
二人が相変わらず仲良く喧嘩している隙に、私は温野菜サラダとチーズを食べ始めた。
『しかし末息子のギルベルトか。店主に会いに行ってくれれば良いのだが、難しいのだろうな』
「ティルったら、そんな話まで店主さんとしてたの?」
『うむ、怒って叩き出してしまったが心配で心配でならぬと言うのだ』
「そういえばハロルドもそんな事を言ってたわよ」
『息子の方もなにやら作りたい物があるので技術を学びにこの街を飛び出たらしいんだがな』
「なるほど……」
じゃあギルベルトは故郷に帰ってきてもあの貯蔵庫に潜んでいるわけか。
言われてみればなんとなく訳ありな雰囲気だった事を思い出す。
これで大体の情報は共有出来たみたいなので、私は明日の方針を立てなければ。
「でもまあ、これでそれぞれの情報は共有できたわよね」
『うむ』
「では明日の行動予定だけど、まず出来上がる杖の受け取りだわ。これで七割の短杖は利用可能になるし」
「ん、あらら。残りの三割はまだなの?」
「ちょっと費用がかかりすぎる杖があるのよ」
短杖の値段はピンキリだ。
例えば以前使った杖の中では、過去視があり得ないくらい高価だ。
これを沢山使ったせいで、クラウスのお兄様への借金がとんでもない額になったんだよね。
「ついでに、ハロルドやギルベルトとの接触もしておこうと思うわ。
杖講座の続きも聞いておきたいし」
「ふんふん、その間妾はまたエルンストについていれば良いわけね」
「ええ」
三人の認識を合わせ終わったら、あとはパリューグの夜の調査である。
「じゃ、これで私は私の仕事に行く頃合いかしら」
「お願いするわね。パリューグ」
パリューグは、短めの金髪で白い肌の偉丈夫に化けた。
この逞しくて愛嬌のある青年は、苛烈王ジャンだという。
「夜遊びに行くみたいでちょっと楽しいかも。うふふ」
『油断するなよ。お前も十全な力は戻っていないのだから』
「あらら、心配してくれるんだ?」
『ふん、急に居なくなれられたら計画が滞るからな!』
「はいはい、じゃあ、行ってくるわね〜!」
彼女はティルナノグと軽口を叩き合ってから、どことなく楽しげに周辺地域への調査へ向った。
窓からとんっと飛び出すと、運河の向こうにひとっ飛びである。
そうして私は彼女を見送ると、やっとふかふかのベッドに身を沈めたのであった。