運河の都9
私とハロルドは杖の試射やギルベルトの講義を終え、トゥルム短杖店に戻って来た。
杖は全てテーブルの上に丁寧に並べられていて、一本一本に簡単なメモ書きが添えられている。
見積もりは終わっていたらしい。
『おお、戻ってきたか』
「ごめんなさい。遅くなってしまったかしら?」
『いやいや、こちらも予想外に話が弾んでしまってな。
ちょうどキリが良いので一息ついていたところだ』
私はティルナノグの横に腰掛ける。
ティルナノグは手袋をした大きな手で私の髪を撫でた。
「なーんだ。気にする必要なかったじゃん」
「これ、ハル。お前はもう少しお客様のことを気にしなさい」
「おーっと、エーリカにもお茶のお代わりを持って来なきゃなー」
店主がハロルドに苦言を呈す。
ハロルドはポットを引っ掴むと、慌てて店の奥に戻っていく。
店主は相好を崩し、私に向き直る。
「本数が多くてご面倒をかけたでしょう?」
「いえいえ、良い仕事を拝見させて頂きました」
『安心するといい。充填だけでなく修理も問題ないそうだ。金額と納期は……』
金額はなかなか厳しいが、仕上がりは思った以上に早い。
充填だけなら、翌日完成のものまである。
いくつかの高価すぎる杖の修理は延期して、残りの杖は全部お願いしても良いかもしれない。
「では、これとこれとこれと……あと、この杖の充填を。
できれば明日には何本か回収したいので、攻撃系と視覚系の杖を優先でお願いします」
「承知致しました。では合計でこれくらいで、手付金は──」
店主が手早く作った契約書の額面を確認し、私もサインした。
手付金と杖を渡し、代わりに看板と同じ紋章とナンバーの刻印された金属札を受け取る。
使いの者が受け取りに来れるようにという、貴族相手の店らしい配慮だ。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
「ごめんなさい、ハロルド。他にも寄るところがあるから」
「ちょうど良かった。ハルや、茶器は仕事場に運んでおいておくれ」
湯気の立ったポットを持って、ハロルドが戻ってくる。
店主はハロルドに指示を飛ばしながら、預かった短杖を一本一本柔らかい布で包んでいく。
私達は店主とハロルドに挨拶して店を出た。
しかし、しばらく歩いたところで、背後から声が飛んでくる。
「あんた達! もし良かったら、行きたいところまで俺が案内しよっか?」
「それは助かるけど、お店はいいの?」
「いいって、いいって。
よっぽど面白い杖だったらしくて、師匠ったら、俺には手伝わせてもくれないんだよ。
今日はもうお客さんも来そうにないしさ〜。いいだろ?」
『良いのではないか? ……この小倅、どうやら例のアレの関係者のようだしな』
ティルナノグはこっそりと耳打ちする。
私も既に知っていたことではあるけれど、彼も店主との会話から情報を引き出していたらしい。
さりげなく有能な守護獣である。
「で、これからお二人はどこに行くのさ?」
『まずは錬金術の素材だな』
「それと、本屋さんも。伝承関係に強いところがいいわね」
「へえ、素材屋に本屋かあ。それならいい店があるよ」
渡し場から小舟に乗り、ハロルドの案内で運河を行く。
本日後半の目的は、星鉄鋼をメインとした錬金術素材の値段調査に、郷土資料集めだった。
もちろん、どちらも幻獣対策の一環である。
「鉱物や魔獣の素材なら〈小鬼通り〉と〈皮剝人通り〉だね。
本屋は修道院の手前で降りた〈毒殺者通り〉だ」
杖店のあった〈坩堝通り〉から二区画ほど離れた島で降りた。
すると、船から降りた私の足元を、黄緑色のボールのようなものが通り過ぎる。
川縁から落ちそうになったそれをティルナノグが受け止めた。
「何? 熟してないオレンジ?」
『ふむ、オレンジの匂いではないな』
ティルナノグの手の中のそれは、柑橘系の果物だった。
オレンジに似てるけど、ちょっと違う。
なんだろう、コレは。
よく見ると辺りにもちらほらと同じものが転がっている。
三人で手分けして拾いながら歩いていくと、赤毛を三つ編みにした女性が道に転がっている果実を拾い集めているのに出くわした。
「あれ〜!? ベル姐ちゃん、どうしたのさ?」
ハロルドからベルと呼ばれた女性がこちらを見上げる。
動きやすそうで清潔な服を着た、真面目そうな二十代前半くらいの女性だ。
まるで地獄で仏を見つけたような、すがるような熱い視線だった。
「ああ〜、ハル、いい所にきたわね。助けて〜〜!」
「あー、あー、だいたい分かった。ちょっと助けてくるから、エーリカと旦那は少し待ってて」
ハロルドはベルの持っていた籠に拾っておいた黄緑色の果物を放り込むと、回収に加わった。
待ってて、と言われたものの、二人でも大変そうな量だ。
私はティルナノグと目を合わせて頷いた。
四人で協力して、そこら中に広がった果実を丁寧に拾い上げていく。
「やっぱり人数多いと助かるわ。ありがとう、皆さん!」
このベルという女性はすぐそこの香水屋の調香師とのことだった。
果物の正体は、イグニシア産のベルガモットなのだそうだ。
「船着き場から運ぶ途中で、つい、うっかり籠を倒してしまって……。
お忙しいところ、本当にありがとうございます。
なにか御用がありましたらユークレース香水店まで来て下さいね、大サービスしますから」
「店の外に出るとただのうっかり者だけど、姐ちゃんは調香師としては優秀だからね。
エーリカの友達にも是非おすすめしておいてよ」
ベルは私達ににっこりと微笑んだ。
感謝と同時に商売も忘れないスタイルはたくましい。
「ああ、そうそう思い出したわ、ハル。これギーゼラおばさんからのお礼」
ベルはハロルドに小さな白い包みを渡す。
大きめの麻のハンカチか何かで包んだものらしい。
「え〜、気にしなくていいのに」
「まあまあ、その旦那さんとお嬢さんにも分けておいてね、ハル?
中身はいつもの焼菓子と新作の飴よ。とびっきり上等な南の蜂蜜で作ったんだって」
「おお、やったあ!」
「うふふ。それじゃあ皆さん、私はこれで失礼します」
一礼すると、ベルは貴婦人の看板のかかっている香水屋に入っていった。
ユークレース香水店って言ってたっけ。周りと比べて大きめの店舗だ。
見ていると、入れ替わり立ち代わり、身なりのいいご婦人がたが出入りしている。
なかなか流行っているいい店のようだ。
視線をハロルドに戻すと、彼はニコニコしながら早速包みを解いていた。
「そういえば、何のお礼なの?」
「いやさ、一昨日だったかな、壊れてた回転式の砥石を修理しただけだよ。
少し前から円形砥石がバカに値上がりしちゃっててさ。
古いのを引っ張り出して、修理しながら使ってるとこが多いんだよね。
あ、折角だから食べちゃってよ。味は俺が保証するよ」
彼は新作らしい蜂蜜飴を私達にも分ける。
『ううむ、美味だな』
「本当、美味しいわね、これ」
口の中に広がるのは、濃厚なのに癖のない、優しい甘み。
勉強した後だから、甘いものが嬉しい。
ティルナノグは舐めずにガリガリと噛み砕いていた。
「へへへ〜、ギーゼラおばちゃんのお菓子はだいたい全部美味しいからね」
ハロルドはまるで自分が褒められたように喜んでいた。
隣の領地の伯爵家の長男なのに、〈百貨の街〉にとても馴染んでるみたいだ。
行き交う人々と挨拶を交わしつつ先を歩くハロルドを追いながら、私はそんなことを考えていた。
☆
橋のたもとに、鶴嘴を持った小鬼の像が建っている。
ここは魔獣商の多い〈皮剝人通り〉と、鉱物商の並ぶ〈小鬼通り〉の境界にあたる場所らしい。
「鉱物商のおススメは流れ星の看板。魔獣商だったら大蛸のとこ」
「さすが、詳しいのね」
「まあね。この街は俺の庭みたいなもんさ。
五つの頃には師匠のとこに出入りしてたからね」
どうしてそんなに幼い頃から〈百貨の街〉にいるのだろう。
原作を中途半端なところで止めざるを得なかったせいもあって、ニーベルハイム家の家庭事情が気になってしまう。
「五歳の時に何かあったの?」
「最初は療養のために来たんだ。師匠は杖で負った傷を治すのも上手だからさ。
まあ、あとは勝手に押し掛け弟子みたいな感じで」
「傷を?」
「杖の反動でね。もう治っちゃったけど、まだこんな跡がある」
ハロルドはシャツの袖をまくった。
右腕の広範囲に火傷痕のような皮膚の薄いところがある。
それはどこか、揺らめく炎のような形に似ていた。
「大袈裟だろ。おかげで半袖着たら心配されちゃうしさ」
「こんな跡がついてしまうほどの大怪我だったのね?
さっきは杖を勧めてしまってごめんなさい」
「いいっていいって。
このときは攻撃用の……父さんの持ってた護身用の杖でついたヤツなんだけどさ。
突風ぐらいなら、そう簡単に大事には至らないから」
ハロルドには、さっぱりとした笑顔で返されてしまった。
こういうさらっとした性格、見習いたいなあ。
「おっ、ハルじゃないか!」
私達が話していると、誰かがハロルドを呼ぶ声が聞こえてきた。
人の良さそうな笑顔を浮かべた、恰幅も身なりもよい年配の男性だ。
大きな腹を弾ませ、ふうふうと息をつきながら駆寄ってくる。
「いやあ、ちょうど良い所にいたなあ。助かったよ」
「なんだよ、セルゲイのおっさん」
「軽く修理を頼みたいんだ。もちろん小遣いは弾むよ」
さっきから引っ張りだこだな、この子。
手先が器用だから、みんなから頼られているのだろう。
「もしかして例のフィルター? 新しいヤツ買いなよ」
「いや、そっちじゃなくてポンプの方だよ。
ペダルが歪んじまってなあ。パパッとやってくれんか?」
「えええ〜〜、また太ったんじゃないの?」
「失礼なやつだな。これでも先週より五十一グラム痩せたんだぞ。
おまけで肩こりに効く水薬もついてくるぜ。何なら火傷用と整腸作用のあるヤツもつけよう」
「……うう、しかたねーなあ」
頼み込む男性にハロルドは仕方なしに首を縦に振った。
ハロルドは申し訳なさそうに私に頭を下げた。
「そんなわけだからさ、俺ちょっと最後まで案内出来なさそう。ゴメン、エーリカ」
「ううん、十分助かったわよ、ハロルド」
「へへ、そうなら嬉しいや」
あ、そうだ。
この後行く書店街〈毒殺者通り〉でのおススメ店も聞いておかなくちゃ。
「あとは歴史や郷土の幻獣関連の情報が得られるお店ってあるかしら?」
「その手の本屋なら……修道士が本を開いてる看板の店を探してみなよ」
「本当になんでも知っているのね、ハロルド」
「いやいや、これくらいお安い御用だってばさ。んじゃ、またね!」
ハロルドは別の舟に乗せられて去っていく。
こちらに手を振るハロルドの横で、薬屋の店主らしい恰幅の良い男性もぺこぺこお辞儀していた。
手を振り返して見送っているうちに、舟は運河を曲がり、見えなくなった。
『忙しない小倅だったな』
「ねえ、ティル。あなたも彼がニーベルハイム伯爵の息子だって気づいてたのよね?」
『うむ。店主との雑談で、そういう話が出た』
「上手く立ち回れば、ハロルド経由で詐欺の件を伝えられるかもね」
ハロルドを通せば、ニーベルハイム伯爵に注意喚起しやすくなるはずだ。
よく知らない誰かに言われるより、息子の訴えの方が聞き入れてくれそうだよね。
問題は、どうやってハロルドに詐欺の情報を伝えるかということだけど。
まあ、一歩進展したわけだし、考えるのは一旦保留にしよう。
先に元々の予定から消化していこう。
この街は庭同然と言い切ったハロルドが太鼓判を捺す店とは、どんな店なのか楽しみだ。
まずは流れ星の看板を掲げた鉱石商を探そう。
私はティルナノグと手を繋ぎ〈小鬼通り〉を歩いてゆく。
☆
両錐水晶に流れ星の看板がかかっているお店に入る。
店の中央には大きな紫水晶や、庭園水晶等の大型の結晶が陳列されている。
母岩である白い滑石に食い込むように結晶化している立方体の黄鉄鉱なども目に楽しい。
四人ほどの店員がいるが、全員客と交渉中である。
私はケースの中に陳列されている各種の鉱物を見て回る。
ティルナノグは私の後ろから覗き込んでいた。
「まずは何より星鉄鋼かな」
『ほう、これが星鉄鋼の鉱石か。なかなかに美しいな』
「でしょう?」
黒に虹色がにじむように浮かぶ独特の星鉄鋼の結晶体だ。
加工してしまうとこの色合いが失われてしまうのが惜しいくらい綺麗だった。
ちなみに星鉄鋼の値段は、同量の銀に等しい程度だった。
あれだけの性能を持ちながらなんてお得なんだろう。
潤沢な魔力の持ち主でない限りティルナノグのように柔軟には使えないから当然か。
星鉄鋼は彼の装甲のためにも常に予備を買い貯めておかねば。
その他にも星水晶に、磁鉄鉱や翡翠、琥珀、石榴石、蛍石、隕鉄などの単価もメモしていく。
なかなか上質な蛋白石や碧玉も揃っている。
これは良い店かも。
ハーファン産の月光鉱もちゃんと揃っていた。
母岩である黒曜石の上に鈍色の偏方二十四面体の結晶が七つほどついている。
私は〈来航者の遺跡〉での出来事とハーファン公爵家の兄妹を思い出す。
クラウスにもアンにも色々お世話になっているし、何か贈り物しよう。
何が良いだろうか。
先ほどのユークレース香水店で売っている香水なんていいかもしれない。
そんな事も考えながら、私は並んでいる鉱物をチェックしていった。
次に鉱物商から抜け出て、魔獣や幻獣を扱う店の並ぶ〈皮剝人通り〉へ向う。
生きている魔獣を取り扱っている店と、魔獣や幻獣などの素材を売る店が立ち並んでいる。
私の目的は後者である。
魔獣素材でハロルドおススメのお店の看板は大蛸の看板だ。
客は私以外に五人ほど。
店に入ってすぐのところに陳列されていた巨大なガラス壜の中から、ぎょろりとした大きな目玉が睨んでいた。
魚人の蜂蜜漬けだ。
琥珀色の液体の中で、南方の魚人特有のヒレが、ドレスのフリルのように広がっていた。
おそらくカルキノス大陸からの輸入品だろう。
「う……っ!?」
『ハハ、これは悪趣味だな』
いささかグロテスク気味な店内を恐る恐る見回る。
猫と羊がまざったようなキマイラの骨に、人馬の骨。
蠍人虎のミイラ。
ニンゲンのような怪物に出くわす度に心臓が縮まる思いをしてしまう。
大物素材のエリアを過ぎると、光に照らされた大小の蜂蜜漬け入り素材の陳列棚が広がる。
ガラスで出来た棚の上で、ガラス壜に詰められた獣たちが姿を表す。
苦悶の表情を浮かべたマンドラゴラの蜂蜜漬けにアルラウネの蜂蜜漬け。
幼生多頭蛇の蜂蜜漬けに幼生大蛸の蜂蜜漬け。
ティルナノグはそれらの蜂蜜漬けの壜を覗き込んで興味深そうにしている。
『喰えるのか、コレは?』
「食用ではないはず。
それに食べられたとしても蜂蜜漬けだからきっと甘すぎるわよ?」
大事な材料を食べられては困るので、さらりと否定しておく。
『蜂蜜か。先ほどの飴程度なら俺は好きな味だぞ』
「いえ、そうじゃないの」
ティルナノグと素材についての認識をすりあわせたりしながら店内をうろつき回る。
やっと一角獣の角とか樹脂コーティング済みのコッカトリスの骨に辿り着いて一息つく。
これくらいが私の許容範囲の限度みたい。
飛龍の化石や、始祖鳥の化石などもちらほらと揃っている。
(うん、ここもナカナカ良いお店みたい。本当に良いお店を紹介してもらったわ)
値札を見ながら必要な素材の価格を紙片に書き込んでいく。
大きな素材は目が飛び出るほど高価だ。
しかし小指の爪ほどのサイズはとてもお手軽なお値段である。
メモしていたら、店員とマニアックそうな客が「天使の骨」について熱心に語り合っていた。
なんでもカルキノス大陸にわずかながらに出回っているとか。
最近友人になった獅子型天使を思い出して、なんともいえない気分になる。
そういえば彼女も死にかけだったし、すでに死んでいる天使がいてもおかしくはない。
でもそれはなんだかとっても悲しい話だなあ。
一通りの価格調査を終えて、私とティルナノグは本屋へ早足で向う。
橋を渡って向いの島にある〈毒殺者通り〉で修道士の看板を探しだす。
そのお店は、通りの奥まったところでやっと見つけられた。
店に入ると黴臭い匂いがした。
沢山の古くて価値のある本が詰まっているようだった。
まずは目的に合うような本を見繕ってもらおう。
片眼鏡をかけた店主らしい老人に声をかける。
「あの、この土地の歴史とあとは幻獣についての本ってありますか?」
「歴史ならあすこだね。それと幻獣ならさらにむこう」
そっけなく二ヶ所を指差して、在庫の整理を始めた老人にもうちょっとだけ質問する。
「出来ればこの地域に本当にいた幻獣の資料がいいんですけど、そんなのって無いです?」
「……ほお、面白いお客さんだ。
うん、だったら良いのが二冊ありますよ。ちょっと待ってて下さいね」
そう言って店主が探してくれたのはこの土地に関連する巡礼物語と、商人の日記だった。