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運河の都5

 ハロルドの先導で、私は店の奥へと入っていく。

 箱詰めにされた短杖(ワンド)や種類別に分類された材料の積み上がったバックヤードを抜けて、生活用のスペースへ。

 薄暗い室内を注意深く見ていると、店内同様、異様に高価な物品が置かれているのに気づく。


 特に、壁に飾られている八枚の磁器(・・)の皿。


 転生して以降、磁器を見たことは数えるほどしかない。

 〈春の宮殿〉にもお爺様の代に購入したらしい古い壷があるが、点検や手入れの時以外は大事に仕舞われたままだった。

 使用することはもちろん、飾ることすら躊躇われるほど、この世界の磁器は高価だ。


 磁器を作る技術は、現在では失われている。

 現存している全ての磁器は、かつてカルキノス大陸からイクテュエス大陸にまたがる大帝国が存在した頃のものだ。

 それらの磁器は遥か彼方にあるという東の大陸で作られ、帝国との交易で持ち込まれたのだという。

 東の大陸との交流は完全に途絶えているため、新たな磁器を入手するすべはない。

 それどころか、磁器を作る技術がまだ東の大陸に存在しているかどうかさえ定かではないのだそうだ。


 磁器の製法を再現する試みは何度も行われているらしい。

 少し前にも、イグニシアのとある貴族が、見込みのある錬金術師を監禁して白磁の制作まで漕ぎ着けたという。

 しかし、完成した磁器どころか、制作者の錬金術師の姿すらも見た者はいない。

 眉唾な噂話である。


 ここに飾られている皿は八枚全てが派手な色彩で精緻な図案の描かれた、絢爛豪華な芸術品だ。

 磁器そのものの価値を考えると、一枚で小さなお城が買えるような代物かも知れない。

 さすが豪商トゥルム、こんな小さな店の隅にまで、とんでもない稀少品が潜んでいるなんて。


「あら? でもこれは……」

「おや、お目が高い。それが気になるの?」


 その一枚は、一度割れた皿を修復したもののようだった。


「確か、漆で継ぎとめて、その跡を金箔で隠す……金継ぎ、だったっけ」

「へえー、エーリカも物知りだなあ」

「偶然聞きかじっただけよ」


 それも、前世で知ったものなので、あまり自慢できるものではない。

 金継ぎの跡のため、図案はよく分からなかった。

 辛うじて判別できる角や蹄などの図案から考えて、おそらく瑞獣を描いた物だろう。


「うちの師匠もそれが好きみたいでさ。

 時々、時間を忘れたみたいにじっと見つめてることがあるよ」


 私は頷いた。

 完璧な美品も悪くはないが、一度壊れて直された皿には独特の美しさがあった。

 思わず私も、言葉を失って見入ってしまう。


「おっと、いけない。

 目的地はもうすぐだからさ、こっちこっち」


 ハロルドは重厚な桃花心木(マホガニー)の扉を示す。

 彼は煌びやかな鍵をポケットから取り出すと、鍵穴に差し込んで回す。


「よいしょっと……」


 扉を開けると、雑然とした大きな部屋が現れた。


 部屋の中央には長テーブルが四つ。

 テーブルの上には複雑な実験器具や様々な試薬や標本で満たされたガラス壜、計算式の書かれた小さな黒板。

 そして、テーブルからこぼれ落ちてしまった何枚もの犢皮紙(ヴェラム)、何かの削りクズ。

 天井の梁からは薬草の束が何本もぶら下がっていた。

 部屋の四方にそれぞれ同じようなドア。

 ドアの横の壁には(キャビネット)が設えてあり、錬金術の素材箱がぎっしりと詰めこまれている。

 部屋の隅には積み上げられた薬草袋、ケースに入った空き壜、荷札がかかったままの木箱、などなど。


 兄の貯蔵庫(ヴンダーカンマー)と違って、ずいぶんと散らかっているけれど、その雰囲気にはなじみ深いものを感じた。


「ここは、あなたの貯蔵庫なの?」

「うん、師匠に借りてるんだ。一目で分かるなんて、さすがアウレリア公爵領の人だなあ」

「兄もこのような貯蔵庫を持っていたから」

「ここの扉から別の部屋に繋げるから、ちょっと待ってて」


 ハロルドはそう言ってまた別の鍵を取り出した。

 多重の空間移動設備になっているのだろう。

 こんなものを持っているあの老人も、それを任されているハロルド少年も、ただ者ではない。

 杖屋に出入りしているただの子供に渡す品物にしては高価すぎるのだ。


 私は床の上に転がっている蜂蜜漬け標本やインク壜を踏まないように、ぐるりと部屋の中を迂回してハロルドの後に続いた。

 不意に、何冊もの手帳が積み上がった机に目が留まる。


 一番上の手帳の表紙がめくれていた。

 何とはなしに、私はそこに書いてある文字を読んでしまう。

 ハロルド・ニーベルハイムの研究日誌──


(ええっ!? なんでこんなところに伯爵家の息子がいるのよ!)


 いきなりの攻略対象出現に、私は混乱してしまった。

 ラッキーと言えばラッキーだけど、心の準備が追いつかない。

 そもそも、今回は攻略対象に会わないことを前提に計画を立てたのに。


(でも、伯爵家の嫡子なら、こんな豪華な設備を任されていてもおかしくないか……)


 ハロルドの外見が六年後のものと大幅に違ったので気づかなかったけれど、考えてみれば符合する部分は多い。

 どちらのハロルドも八重歯だったし、髪や瞳の色合いも似ている。

 これから背が伸び、髪を伸ばし、没落して生活が荒むと、私の知っている六年後のハロルドになるのだろう。

 最後の一つは、こんな屈託なく笑う子供には経験させたくないことだけれど。


「ここは杖の試射ができるようになってるんだ」


 二番目の扉の部屋は、小さめの体育館ほどの広さの場所だった。

 天井は二階建てくらいの高さ、壁は頑丈そうな石造り。

 入り口と反対側の壁には、大人の背丈の三倍の高さまで土嚢が積み上がっている。

 特徴的なのは足元で、よく均された剥き出しの土が敷き詰められていた。


「すごいわね。これもハロルドのために?」

「ホントは師匠が末息子のために作ったらしいんだ。

 でも、そいつが逃げ出したんで今は俺に貸してくれてる。

 うちの父さんは杖に触るのだって良い顔しないのに、贅沢な話さー」


 先ほど聞いてしまった家庭事情の件か。

 私は禿頭の店主の気難しげな顔立ちを思い出す。

 一見成功しているような家にも、何かしら事情があるものなのだろう。


「さーて、準備しなきゃな。

 的を用意するから待っててよ」


 ハロルドは楽しそうに叫んで、地面に片膝をついた。

 いつの間にか彼は上着を脱いでいて、作業用エプロンに手袋という出で立ちになっていた。

 額にはゴーグル、腰には工具ホルダー。

 職人スタイルに着替えた彼は、汚れるのも構わずアセイミナイフで地面に何か書き込んでいく。


「それ、ゴーレム? (コア)にする部品がなくても作れるのね」

「あんた、何でも分かるんだなあ。話が早くていいや」


 ハロルドが作っているのは、最低限の歩行できる基本的なゴーレムのようだ。

 文字を刻み終え、最後にふっと息を吹き込む。

 息に込められた魔力が祝福となり、神の御業の模倣によってゴーレムが動き始める。


 起き上がったゴーレムは体高三メートルくらい。

 首の無い太った人間のような姿をしている。

 次々起き上がった十二体のゴーレムはよろよろと歩きながら、命令された地点に歩いていく。

 ゴーレムのうち六体はボーリングのピンに似たフォーメーションで並び、残りは両脇で待機するようだ。


「はいよ、エーリカ。まずは突風(ガスト)の杖だ」


 私はハロルドから一本目の杖を受け取る。

 兄の作る突風の杖とは、素材の配分が少々違うように見える。

 杖に直接刻まれているのは西北地方の古い文字のようで、内容を判読できない。


「ちょっとこれは……的が重すぎない?」

「いいや、こう見えてかなり出力を上げてあるから、行けるでしょ」


 突風の杖の作り出す風は、対象物を十メートルくらい吹き飛ばすことを目安に調整される。

 しかし、それは人間サイズを前提とした話だ。

 土塊でできたゴーレム達は、少なくとも一トンくらいはありそうだ。

 ……これ、吹き飛ばすの無理じゃない?


「しっかり足を踏ん張ってね。

 この杖はまだ反動のバランスをチェックしてないからさ」


 いつの間にか、ハロルドは私から五メートルほど離れた場所にいた。


「その反動云々の件、もっと詳しく教えてもらえる?」

「いやいやいや、きっと絶対大丈夫だからさ」

「きっと絶対大丈夫なら、そんなところじゃなくて私の後ろで見守ってくれるかしら」

「いや〜、その……」

「近くにいた方が、良いデータが取れるんじゃない?」

「う……」


 にっこりと微笑むと、ハロルドは呻きながら私の後ろに回った。

 これで、倒れても彼がクッションになってくれるだろう。

 何かあっても一蓮托生である。

 何もあって欲しくないのが本音だけれど。


 私は愛用の錬金術師の絹手袋(シルクグローブ)を見つめた。

 エドアルトお兄様に頂いたこの手袋の性能を信じよう。

 一番手前に立ったゴーレムに向かって、ハロルドの杖を構える。


「吹き飛──」


 杖を振り切った瞬間、目を開けていられないほどの圧力で、空気の塊が爆発的に発生した。

 渦巻く暴風が直撃すると、ゴーレムの足が浮き上がった。

 六体のゴーレムは突風(ガスト)に巻き上げられ、錐揉みしながら反対側の壁に設置された土嚢に激突する。

 耳をつんざくような轟音。

 ゴーレムは衝撃で真理(エメス)の文字を損傷したらしく、粉々に砕けて土塊に戻った。

 

「──べ?」

「おおおおお!!!」


 ハロルドは喝采の声を上げて大喜びだ。

 え? これ、本当に突風(ガスト)

 攻撃用の、もっととんでもない杖に見えるんだけど。


「やった〜〜、計算通り!

 反動さえ考えなきゃ、このくらいの威力は出せると思ってたんだよなあ」

「反動……さすがにこれクラスの杖の反動を抑制しないのは、個人用に売るには危険過ぎないかしら」

「うえ〜、エーリカも師匠と同じ意見?

 ようやく試験できたし、思い通りの仕上がりだし、俺としては大満足なんだけど」


 エドアルトお兄様の手袋がほぼ完全に反動をカットしてくれたから、今回は良かったけど。

 誰もがお兄様謹製の大人げない装備(チートアイテム)を持っているわけではない。

 下手すると店の信用に関わる。

 これはハロルドの師匠も諌めたくなるだろう。


 とは言え、これはこれで優秀なのかも知れない。

 お兄様の手袋が使える私にとっては、単に強力なだけの杖だ。

 優美さの欠片も無いことは、この際目をつぶろう。

 あと、小回り重視で常識的な威力にしてもらいたい。


「それにしても、全然反動受けなかったね。

 おかしいなあ……本当ならもっと……」

「もっと、何?」

「いやいや、何でもないよ」


 ハロルドはわざとらしく目を逸らす。

 この子ときたら。


「あ、そう言えば、さっきその手袋見つめてたよね。

 それって、もしかしなくても特別製?」

「ええ、天才的な錬金術師の作よ」

「いいなあ。そういうの、俺も欲しいなあ」


 そう言えば、彼は反動を受けやすい体質と言っていた。

 反動を防げれば、杖が使えるのだろうか。

 これだけ杖が好きなのだから、きっと自分でも振ってみたいのかも知れない。

 私は手袋を脱いで、ハロルドに差し出す。


「あなたも一回くらい試してみる?」

「うーん、どうだろ。少しくらいなら行けるとは思うんだけどなー。

 俺さあ、ガキの頃にすごい失敗しちゃってさ。

 父さんも師匠も、絶対に杖は使うなって言われてて……でも……」


 ハロルドは何度も躊躇いながら、私の手袋に手を伸ばした。


「この手袋なら、俺にだって、きっと──」


 興奮した様子で、ハロルドは私の手袋に手を通す。

 小柄な少年の手は、私の手袋にもぴったりとフィットしたようだ。

 ハロルドは突風(ガスト)の杖を構え、残ったゴーレムに陣形を組ませた。


「……よし、残りのゴーレムは俺がやる!」


 ゴーグルをかけると、ハロルドは真剣な表情になった。

 慎重に狙いをつけ、彼は先頭のゴーレムを睨んで杖を振りかぶる。


「吹きと──」


 次の瞬間、ハロルドの姿が消えた。

 杖が形成した緑色に輝く魔法陣だけがその場に残り、ゆっくりと崩壊して消えていく。

 ゴーレム達は何事もなかったかのように、部屋の反対側に佇んだままだ。


 後方で物の壊れるような何だか嫌な音が響く。


(ええ〜〜〜!?)


 一瞬パニックになりかけて、なんとか持ち直す。

 振り返ると、壊れかけたドアが、辛うじて蝶番で引っかかって揺れているのが見えた。

 私は小走りに貯蔵庫へと戻る。


「ハロルド?!」


 ドアを開けて踏み入ると、壊れかけのドアはそのまま外れて倒れた。

 中は惨憺たる有様だった。

 まるで、嵐でも過ぎ去ったような──いや、まさに嵐が通過したんだけど。


 部屋の隅に積んであった薬草袋から、二本の足が生えていた。

 この丈夫そうな長靴(ブーツ)は、ハロルドのものだったはず。


「大丈夫? 生きてる?」

「い、つつつつ、痛うううう……い、生きてるけど、さ……痛たたた……」


 薬草袋からハロルドを引っ張り出す。

 ずぶ濡れの犬がするようにブルブルと首を振ると、乾燥した薬草が飛び散った。

 見たところ大きな怪我は無い。

 上手い具合に薬草袋がクッションになって助かったらしい。


「い、いや〜、薬草袋片付けてなくて良かった〜〜!

 ああもう、俺ってば、格好つかないなあー」

「ごめんなさい。まさかこんな事になるなんて」

「いやいや、いいんだよ。エーリカの手袋のお陰でこの程度で済んだんだし。

 こんな風になるのは俺の体質が悪いんだからさ」

「でも」


 尚も謝罪しようとする私を、ハロルドは制して言った。


「俺はこういう運命なんだ。仕方ないさ」


 ハロルドは笑顔を作ってそう言った。

 しかし、その表情や態度には悲しそうな雰囲気が滲み出ていた。


 その時、不意に物音がした。

 物を動かす音に加えて、衣擦れの音。

 突風で開いた半開きのドアの向こうで、むくりと人影が起き上がる。


 私は咄嗟にハロルドの落とした突風の杖を拾い上げ、その人物に向かって構えた。


「……あなたは、誰?」

「誰? 誰だって?」


 ドアの向こうから現れたのは、光沢のある真新しい礼服を着た赤毛の青年だった。


「そりゃ、こっちの台詞だよ。少年少女諸君」

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