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運河の都4

 すれ違う通行人たちが、ちらちらと振り返ってこちらを見ている。

 その視線の先にいるのは、私の隣を歩く真っ黒な人物だった。


 外套(コート)も帽子も手袋(グローブ)も黒尽くめ。

 おまけに顔の辺りを包帯のような布でぐるぐる巻きにしている。

 太く長い腕、異様に広い肩幅。

 やや猫背ぎみの姿勢、ぎこちない足取り。

 その大男は、古典怪奇小説に出てきそうな怪人そのものだった。


 彼の左手にはやや大きめの錬金術師の鞄。

 右手は私の手を握っていた。

 包帯で隠された面甲の向こうから、聞き慣れた声が響く。


『エーリカよ、これでは却って目立っているのではないか?』

「それでも、元の姿よりは安全なはずよ」


 私の返答に、ティルナノグは小さく唸って考え込んだ。

 今回、彼には鎧の変形機構を利用して、人間に変装してもらっていた。

 肥大化により手足を伸長し、直立姿勢を維持し、尻尾や首の長さを縮める。

 ぎりぎり人間に見えるシルエットになったところで、上から包帯や外套などで装甲を隠す。

 これで少なくとも人工生命体(ホムンクルス)には見えない。


 変装の目的は、保護者の役を演じてもらうためだ。

 子供一人で出歩くよりも、大人がいた方がスムーズに交渉が進むこともあるだろう。

 それに、変装ティルナノグがこれだけ強面(こわもて)ならば、大抵の厄介事は向こうから避けて通ってくれるはずだ。


「ほら、似たような格好をしてる人もいるし」

『ふむ。言われてみればそうだな』


 周囲を見回せば、ティルナノグと同様に甲冑状の四肢を衣服や包帯で覆っている人が見受けられる。

 彼らの多くは鉱山労働者や船乗り、兵士などの格好をしていた。

 事故や戦争で失った四肢に、ゴーレム技術を流用した義肢を装着しているのだ。

 錬金術の街ならではの、高価で高性能な義肢である。

 ティルナノグは相当激しい戦闘か大きな事故を経験した人に見えていることだろう。


『さて、()よ、まずはどこへ行こうか?』

お父さん(・・・・)、杖の修理や充填をしたいから、〈坩堝(るつぼ)通り〉に向かいましょう」


 親子っぽいロールプレイを挟みつつ、目的地を目指す。

 乗船場から辻馬車代わりの小舟に乗り込んで、〈百貨の街〉の錬金術エリア〈坩堝(るつぼ)通り〉で降りる。

 錬金術のための素材や、出来上がった短杖などの専門店がずらっと並ぶ通りだ。


 目指すお店の名前は、トゥルム短杖(ワンド)店。

 初夏の降臨祭でできた文通友達、レイルズ男爵家のご令嬢トリシアおすすめのお店である。

 名前からすると、豪商と名高いトゥルム家の系列だろう。

 杖の販売・修理・充填はもちろんのこと、オーダーメイドの短杖作成も行ってくれるらしい。

 今回は持ち合わせの都合で、修理と充填だけの予定だ。


 通りに面した店先には、真鍮や白錫で作った美しい看板が並んでいた。

 〈百貨の街〉では取り扱い商品にまつわる看板を掲げる取り決めがあるのだそうだ。


 鉱石店には結晶や鶴嘴(ツルハシ)

 魔獣素材店には一角獣(ユニコーン)など。

 水薬(ポーション)のための素材店にはカップに鈴蘭。

 当然、短杖店には短杖(ワンド)の意匠だ。


 いくつかの店は基本的な意匠に加えて、自分の家の出自を表すシンボルを組み合わせることがある。

 例えば、トゥルム系列の店には月と塔。

 月は祖先がハーファン系の魔法使いに連なることを、(トゥルム)は家名の由来を表しているのだとか。


『おお、エーリカ。あの店ではないか?』


 私はティルナノグが指した店に掲げられた看板を見上げる。


 真鍮で出来た楕円形の三日月の中に白錫の塔が一つ。

 塔の上には二本の交差した真鍮の短杖。


 どうやら迷わずに目的地に到着できたようだ。

 店は小ぢんまりとしているが、上質な石材が使われた趣味のいい作りをしていた。

 扉は開け放たれているので開店中のはずだが、店の前のマットには靴痕がなく、来客がほとんどないことを示していた。

 おすすめの名店のはずなのに、不思議な店だ。


 私とティルナノグが店の前で様子を伺っていると、中から大声が聞こえてきた。


「……何?」

『喧嘩か議論のようだな』


 私達は何となく足音を忍ばせ、気づかれないように入店した。

 案の定、お客の姿は見当たらない。

 小規模であまり流行っていないお店なのかな?

 そう思って改めてよく見ると、調度品はどれもこれも値が張りそうなものばかりだった。

 飾ってある杖も、やたらと出来がいい。

 さすが豪商トゥルムに連なるだけはある。


 店内には老人と少年が二人だけだった。

 店主とお孫さんだろうか?

 その二人以外には、店員の姿も見えない。


 少年は燃えるような赤毛で短めの髪。

 大きなアーモンド型の吊り目で、瞳の色は思慮深そうな深緑だ。

 瞳の色に合わせた濃緑色の上着をきちんと着込んでいる。

 私よりも五センチほど低い背丈。

 歳相応にやんちゃそうな顔をしている。


 老人は禿頭で、わずかに残った毛髪は真っ白。

 鼻眼鏡の奥には鋭い目、眉間には深く刻まれた皺。

 気難しげで頑固そうなお爺さんだ。

 質のいい絹のシャツに、これまた上等そうな毛織物のベスト。

 使い込まれたアームカバーは、いかにも職人らしい。


「師匠、こっちの設計じゃ、どうしてだめなのさ!」

「ハル、お前の杖は確かに優れているが、安全性が低過ぎる。売り物にならんね」

「そんなに頭が固いから実の息子に逃げられるんだろ、師匠はさ!」

「それとこれとは話が別だ!」


 老人と少年は私達に気づかず、言い争いを続けていた。

 私はティルナノグと目を見合わせる。


『師弟喧嘩か』

「聞いてはいけない他人の家庭事情まで聞こえてきたわ。

 お邪魔しては申し訳ないし、気づかれる前に出ましょうか、ティル」

『うむ、出直すか、あるいは別の店にするのがいいだろう』


 言い争いをしていた赤毛の少年と禿頭の老人が、同時にくるりとこちらを向いた。

 うっ、見つかってしまった。


「トゥルム短杖店へ、ようこそっ!!」

「いらっしゃい。杖の修復ですかね?」


 少年は素早く入り口側に回り込み、両手を広げた。

 歓迎のポーズでもあるのだろうけど、獲物を逃がすまいとする仕草にも見える。

 身動きの取れなくなった私達に、老人が悠々と歩み寄ってくる。

 さっきまで喧嘩していたのに、息のあった連携だ。


「そこのお客様、良い杖が揃ってるよ!」

「……これ、ハル。この方々は杖の修復のために来られたんだよ」


 老人店主には、何故か私たちの要件が筒抜けらしい。

 私はティルナノグの外套を引っ張り、返事を促す。


『ああ、言わなくても用件が分かっているなら話は早い。

 俺達は杖の修復と充填が目的だ。出来るか?』

「まずは座ってお寛ぎください。商談はそれからです。

 ハル、お客様にお茶を。戸棚の奥の、火の鳥の封がしてあるやつだ」

「はいよ、師匠。一番高い葉だね」


 鞄を示すティルナノグに、老人店主はソファを勧めた。

 私達は言われるままに腰掛ける。

 老人の雰囲気は一種のプロ特有のものに切り替わっていた。

 これなら任せても問題ないような気がする。


『まずは見積もりだけでもいいのか?』

「ええ、構いませんよ」

『では頼む』


 ティルナノグは鞄を開き、損傷した杖や空の杖をテーブルに広げる。

 老人は目を見開き、そのうちの一本を手に取った。


「ほぉ……これは、希少な杖ばかりで……」


 老人は鼻眼鏡をテーブルに置くと、拡大鏡(ルーペ)を取り出して精査していく。

 気難しそうな老人の表情が、どこか楽しそうなものに変わる。

 すごく良い職人さん的な雰囲気だ。


「お客様はこっちへどうぞ。師匠はこうなると、しばらくは動かないよ」

「ありがとう」


 赤毛の少年が見積もり中のとは別のテーブルに茶器を用意していた。

 ティルナノグは手振りで辞退したので、私だけがありがたくご相伴に預かることにした。

 少年は陶器のカップに注がれたお茶を手渡しながら、ウィンクする。


「お客様はアウレリア公爵領周辺からのご旅行でしょ?」

「ええ、その通りよ。私はそんなに分かりやすい格好なのかしら」


 私は内心どきりとしながら、服に紋章がついていないことを確認する。


「靴底に凝っているのは、西の旧王家(アウレリア)に連なる高貴な方々くらいなものですから。

 細革(ウェルト)と成牛の堅牢な革のお陰で、靴底は雨水も沁み込まない」


 少年に言われて、私は自分の足元を見つめた。

 身元がバレるほど靴底が特徴的だったなんて知らなかった。


「すごいわ。靴で出身地が分かるなんて知らなかった」


 少年はへへっと笑いながら鼻下を人差し指でこすった。

 得意満面だが、ちょっとだけ照れくさそうだ。


「ほかにも、高価な馬の尻革(コードバン)を靴に使うのはイグニシア王室領あたりの貴族でしょ。

 柔らかな子牛の革を使って上品な靴を作るのはハーファンの貴族。

 靴の裏側に羊毛(フリース)を張り込んでるのは旧ルーカンラント全域さ」


 なるほど、文化の違いで服飾も変わるものだ。

 この少年はずいぶん詳細に世界を見ているみたいだ。


「同い歳くらいに見えるのに、私よりも物知りなのね」

「ええと、先月八歳になったばかりだよ」

「あら、本当に私と同い歳なんだ。勉強家なのね」

「いやいや、師匠の受け売りだよ。

 本当は手のうちを全部明かしちゃいけないんだけど、ついつい。

 あ、気にしないで飲みなよ。こいつは絶品だよ」


 どことなく彼の言葉遣いが気安くなったような気がする。

 同い歳だと分かったからか、喋っているうちに素が出てきたのか。


 私はさわやかな香りを楽しみながら、お茶を一口啜る。

 渋さの中に果実のような仄かな甘み。

 カップを傾けながら、私は雑談を続ける。


「あなたはこちらのお孫さんだったりするの?」

「ううん、俺は師匠の店に入り浸っているだけだよ。強いて言うなら弟子かな」

「私はエーリカと言うの。あなたはハルって呼べばいいのかしら?」

「ああ、でもハロルドでもいいよ。そっちが本名だからさ」


 そう言って、彼は八重歯を見せてにっと笑った。


 おや?

 サードシナリオの攻略対象と同じ名前だ。

 まさか例の彼がこんな所にはいないだろうけど。

 それに、ハロルド・ニーベルハイムにしては背が低いし、性格も明るく朗らかだ。

 西北地域では多い名前なのだろうか。


「ハロルドは何でこのお店に入り浸っているの?」

「杖作るのが好きなんだ。

 父さんには作るなって禁止されてるんだけど、師匠のところならこっそり作れるから」


 短杖を作るのが好きだなんて、お兄様とは気が合いそうだ。

 しかし、それを親に禁止されているなんて、厳しい家の子なんだなあ。


「それでお店の外まで聞こえるくらいに議論が白熱してしまっていたのね」

「うえ〜、聞こえてたの?」

「ええ」

「俺は短杖が使えないから、代わりに試し撃ちを頼みたかったんだけどさ。

 ちゃんと反動を考慮した杖じゃなきゃダメだって言われちゃってね」

「錬金術師の手袋をつけても、杖が使えないの?」

「ああ、俺は他の人より杖の反動を受けやすい体質なんだ。損な体質でしょ?」


 短杖の利点は「準備さえ揃えれば誰にでも使えること」だ。

 その短杖が使えない人がいることに驚いてしまった。

 世の中には、予想外の体質に苦しめられている人がいるんだなあ。


 短杖を使えても作ることが出来ない体質の私は、少しだけ親近感を覚える。


「もし良かったら、私が試してみましょうか?」

「えっ、いいの? 危ないかも知れないよ?」

「私は杖の作成が出来ないから、その分杖を使う練習だけはたくさんしているの」

「へえ、大変なんだなあ。そんな体質もあるのかー」


 ハロルドはちらりともう一つのテーブルに目を向ける。

 私もつられてそちらを見た。

 店主の老人はまだ熱心に杖を調べていた。

 意外なことに、老人とティルナノグの方も雑談が弾んでいるようだ。


「あんたのお供の人と師匠も、まだまだ時間がかかるみたいだね。

 すぐそばに俺の工房と試験場があるんだけど、そこに行ってみよっか?」

「すぐそばに?」

「うん、こっちだよ」


 ハロルドは自分の分のお茶を一息に飲み干すと、店の奥の方に歩いていく。

 私も慌ててカップを置くと、椅子から降りてハロルドの後を追ったのだった。

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