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エドアルト・アウレリアの調査記録

記録化石(ヒストリオ・エレクトラム)

 分類種別:黒

 分類番号:0004

 日付:1880/07/01

 場所:カルキノス・イグニシア領〈再征服の都〉、オドイグニシア方伯公邸内幽閉塔


       ☆


 石造りの部屋は、鉄格子で二つに分断されていた。

 室内は薄暗く、昼夜の判別がつかない。

 床の表面は砂っぽく、空気は乾燥している。


 部屋の中には二人の人物が居た。

 鉄格子の向こう側で、ルイ・オドイグニシアが簡素な椅子に腰掛けている。

 手前側にはイグニシア王室の紋章を身に付けた書記がペンを手に机に向かい、ルイを観察している。


 重い鉄製の扉が開いた。

 エドアルト・アウレリア、エルリック・アクトリアス、クラウス・ハーファンの三名が入室する。

 ルイが横目で入室者の様子を確認する。

 書記が立ち上がり、三名と入れ違いに退室した。


 エドアルトは書記が腰掛けていた椅子をルイの正面に設置し、腰掛ける。

 エルリックとクラウスは、それぞれエドアルトの右後方と左後方に立ったまま待機する。

 エルリックは汗の浮いた額にハンカチを当て、クラウスも不快そうに顎に垂れ落ちた汗を袖で拭っていた。

 しかし、エドアルトとルイは汗一つかくことなく、平静な表情を保っている。


「ふん、今日はお前か。エドアルト・アウレリア。

 言っておくが、何度訊かれても僕の主張は同じだぞ」

「期待を裏切ってしまって申し訳ないね。

 でも、今日は君の犯した罪について尋問しに来たわけではないんだ」

「何だと?」


 エドアルトの言葉に、ルイの表情が険しくなった。

 クラウスは眉根を寄せてエドアルトを睨む。


「おい、エドアルト──」

「クラウス君、心配することはない。

 君は打ち合わせた通りにやればいいんだよ。

 ほんの少々、尋問の内容が変わるだけさ」


 エドアルトは空豆ほどの大きさの琥珀を一粒、クラウスに手渡した。

 クラウスは言いかけた言葉を呑み込み、魔法の詠唱を開始する。

 呪符(スペルカード)が部屋全体に展開され、月明かりに似た淡い魔力光が輝く。


 魔法陣が完成し、記録化石(ヒストリオ・エレクトラム)との連動が確立する。

 これ以降、記録情報の中には霊視の魔眼(グラムサイト)をはじめとした数種類の魔法による観測結果が追加されている。


 エルリックも長杖(スタッフ)呪符(スペルカード)を準備する。

 いつでも詠唱が行える態勢を整えた後、エルリックはエドアルトとアイコンタクトを取った。


「今日はやけに大袈裟だな。僕に何をするつもりだ?」

「ちょっとした雑談だよ。気楽に構えてくれたまえ。

 そうだね、例えば……新しい生活には慣れたかい?」

「なんだ、僕を嘲笑いにきたのか。お前も暇なヤツだな、エドアルト」


 ルイはエドアルトを睨みつけ、粗末な椅子の上でふんぞり返る。


「ふん。慣れるものか。ここは最悪だ。

 風通しが悪くて、埃っぽいし、暑苦しい。

 食事も不味い。ベッドも固い。

 僕を誰だと思っているんだ。本来ならお前達は不敬罪に問われているところだぞ」

「残念ながら、君の王国はその鉄格子の中だけだよ。

 君の妄想をこちら側に持ち出すのは、やめておきたまえ」


 エドアルトの返答を聞き、ルイは舌打ちした。


「妄想だと? お前こそ現実を見るんだ、エドアルト」

「現実ねえ……。どうやら、僕と君の現実には齟齬があるようだ。

 君の考えるところの現実について、説明してくれないか」

「いいだろう。よく聞け。

 そして、よく考えるんだ。後ろの腰巾着どもも一緒にな。

 誰につくのが最良か、愚者にも分かるように説明してやる」


 ルイは椅子ごと前に乗り出し、声を低めて続ける。


「いいか、僕こそが、正当なるイグニシアの継承者だ」


 エドアルトは肩をすくめた。


「その主張は聞き飽きたんだけれど」

「お前達が理解できないから何度も繰り返すハメになっているんだ。

 少しは申し訳なく思え。

 今日はあの忌まわしい愚兄もいないし、アンリの寄越した書記はお前が追い払ってくれた。

 ……特別に、重要な判断材料を付け加えてやる」

「なるほど。たまには退屈しない話をしてくれることを願っているよ」

「退屈しないどころか、度肝を抜くぞ。

 これからするのは、イグニシアの暗部についての話だ」


 ルイは言葉を切って、唇を笑みの形に吊り上げた。


「僕はな、エドアルト、お前を他の愚民どもよりも、少しは買っているつもりだ。

 お前は僕ほどじゃないが、優秀なヤツだ。

 だから、この話を聞けば、こちら側につきたくなるはずだ」


 エドアルトは無言で続きを促す。


「現国王アンリが簒奪者だという僕の主張には、確固たる根拠がある。

 事が事だけに、現政権の息のかかった人間の前では言えない。

 当然、僕が言ったことについては他言無用だ」

「いいだろう。神に誓って、他言はしないよ」

「神など毛筋ほども信じちゃいない男が、軽々しく神への誓いを口にするな。

 お前にとって最も大事なものに誓え」


 それから十数秒、エドアルトは黙考した。

 エドアルトは片手を挙げ、宣誓する。


「僕の最愛の妹、エーリカ・アウレリアに誓う」

「よし。他の二人もだ」

「おい、俺達もか?」

「クラウス君、エルリック、頼むよ。付き合ってやってくれ」


 クラウスは渋々、エルリックは遠慮がちに挙手する。


「ならば俺も……いや、俺は妹に誓うことにする。これでいいだろう?」

「普通に神に誓ってもいいんですよね?

 ここで聞いたことは、決して他言しません」

「よし。話してやる。ありがたく思え」


 ルイは尊大に言って、更に身を乗り出した。


「王太子だった第一王子が、先々代国王が病床にある時期に怪死している。

 順当に行けば、第二王子だった僕の父が王位を継承するはずだ。

 しかし、実際には王位を継承したのは、第三王子のアンリだった。

 奇妙だとは思わないか?」


 エドアルトは答えない。

 ルイは構わず続ける。


「一つ目の事実だ。怪死したのは第一王子だけではない。

 その双子の妹、第一王女も同時期に死んでいる。

 公には第一王女の方が一週間早く死んだことになっているが、明らかに偽装だ。

 病気を理由に第一王女の葬儀に第一王子が出席していない。

 また、第一王子の葬儀で柩の中身を見た者もいない」

「その時、まだ君は生まれてもいなかったはずだけどね」

「信頼できる筋からの情報だ。複数人から同じ証言が拾えるはずだ」


 ルイは少し間を置いた後、続ける。


「二つ目の事実だ。

 第一王女の死が公表される直前、一人の伯爵が〈伝令の島〉に招かれている。

 伯爵は新設された地上竜部隊の教官に命じられ、王家が所有していた邸宅が与えられた。

 奇妙なことに、邸宅は即日用意されたのに、辞令が出されたのは到着の数日後だ。

 しかも、伯爵夫人は息子を出産したばかりだと言うのに、夫と共に〈伝令の島〉に随伴している」

「……何が言いたいのかな?」

「この急な勅命の目的は夫人の方だと言いたいんだよ。分かるだろう?」


 ルイはエドアルトを睨む。

 エドアルトは微笑を保ったまま、ルイの視線を受け止める。


「とぼけるな。そろそろ気づいているんだろう?」

「何のことかな」

「第一王女は、死の間際に出産していた。

 あるいは、死後その胎から子供が取り上げられた。

 招かれた伯爵夫人は、密かに乳母の役割を果たしていた」

「何だと──」


 クラウスは思わず声をあげた。

 エドアルトは振り返り、人差し指を唇の前にかざす。

 クラウスは手のひらで口を押さえ、一歩後退る。


「イグニシアの慣例に従うならば、長子相続が原則だ。

 僕の父が継承権を放棄したことは、百歩譲って致し方ないと仮定しよう。

 しかし、第一王女の子が成人しているのならば、アンリは王位を彼に返還するべきだ」

「その子供が王位継承を放棄していなければ、その通りだね」

「そう言ってくれると思っていたよ、エドアルト」


 ルイは芝居がかった態度で立ち上がった。

 椅子に腰掛けたエドアルトを見下ろし、ルイは続ける。


「これが最後の欠片(ピース)だ、エドアルト。

 僕が産まれる前、父は長年子が産まれなかったことを理由に継承権を放棄していた。

 しかし、父が継承権を放棄したにも関わらず、僕は依然として公的には王位継承権第三位だ。

 もう理解できただろう?

 僕こそが、第一王女の子、真なる王なのだ」


 ルイは高らかに宣言する。

 エドアルトはしばし沈黙した後、口を開く。


「君の主張はそれだけ?」

「何だと?」

「話は終わったのかと聞いてるんだ。

 それ以上何も言うことがないのならば、座りたまえ。

 玉座なら君の後ろだ」

「な……貴様……」


 ルイは顔を紅潮させて怒りを表明しつつも、エドアルトの言葉に従って着席する。


「ところで、ルイ・オドイグニシア、君は今年で何歳になるんだっけ?」

「いきなり何だ? 何の関係がある?」

「君の口から、明確な答えが聞きたいんだ。頼むよ」

「僕は十四歳だ。十月が来れば十五になる」

「では、アンリ陛下は、即位して何年になるかな?」

「十九……いや、二十年くらいだったかな?」

「第一王子と第一王女の怪死──この事件は、君の調査によれば、何年前だった?」

「に……二十年……前……、ちょ、ちょっと、待ってくれ……。

 エドアルト、ちょっと、待ってくれ……、深呼吸がしたい」


 ルイは顔面蒼白になっていた。

 エドアルトは肩をすくめ、ルイの復調を待つ。

 ここから二分間、記録されている音声はルイの呼吸音のみ。


「おかしい。どうしてなんだ……僕が……、僕が第一王女の隠し子のはずでは……」

「途中から僕も変だと思っていたんだよ。

 君の正統性には結びつきそうにないことを、得意満面に話しているから」

「な、なんだと?」

「隠蔽された第一王女の息子──僕はそれが誰なのか知っているんだ。

 本人が名乗り出ない限り、墓の下まで持って行くつもりだけどね。

 おそらく、彼の性格から考えて、その立場と権利を主張することは無いだろう」


 エドアルトは一瞬だけエルリックの方に視線を向けた。

 エルリックは小さく頷く。


「確かに、彼なら誰に頼まれても名乗り出ないでしょうね」


 ルイが顔をあげる。

 その額には、汗がびっしりと浮かんでいた。


「さて、そろそろ落ち着いたかな?

 安心したまえ、ルイ・オドイグニシア。

 君が王家の血を引いているのは間違いないんだから」

「そうだ。僕はイグニシアの正統な王子……。

 僕は誰よりも上手く竜に乗れる。

 僕の竜は他のどんな竜よりも強い。

 僕は、イカサマ野郎のオーギュストとは違う」

「イカサマ野郎はお前だろう、売国奴め」

「クラウス君?」

「何でもない。気のせいだ。詠唱がちょっとした罵倒に聞こえる前例もあったかもな」


 クラウスは肩をすくめ、わざとらしく目を逸らして呪符(スペルカード)を繰る。


「まあ、そうだね。オーギュスト殿下の能力が偽物だとは思えない。

 僕もあの時は各種の感知魔法を併用して観測していたからね」

「ぐ……」

「でも、仮に、万が一、既存の感知魔法を全て欺ける未知の手段で不正を行っていたとする。

 そして、あり得ない話だが、彼が騎乗能力の欠如を理由に継承を見送られたとする。

 それでも、第二王子のジュール殿下がいるよ」

「ジュールはまだ三歳だ。王という重責を背負うには幼すぎる」

「アンリ陛下は若くて壮健だ。ジュール殿下が王位を継ぐ日が来たとして、その時の彼は青年になっているとは思わないか?」

「な……」


 ルイの呼吸が再び不安定になる。

 彼は崩れるように椅子からずり落ち、床に膝をついた。


「苦しそうだね。医師を呼ぼうか?」

「ほ……ほ、放って、おけ……。僕を、毒殺……する、つもりだろう……?」

「君のことはどうでもいいが、君が死ぬと、シャルル卿が悲しむ。

 いや、実のところ、シャルル卿のこともどうでもいいけどね。

 裏を返せば、君が生きていても不都合はない。安心して生きているといいよ」

「ふぐぐ……っ、ふう……、ふう……」


 ルイが項垂れている隙に、エドアルトは振り返ってクラウスにハンドサインを送った。

 クラウスは魔法陣を構成するいくつかの数値確認した後、エドアルトに向かって小さく首を振る。

 エドアルトの表情が、一瞬だけ曇る。

 しかし、エドアルトはすぐに静かな微笑の仮面を被り直し、ルイに向き直った。


「僕は、僕だけが、王国のためを考えているんだ。

 戦争狂のアンリなんかが、イグニシアに平和をもたらせるものか。

 狂信者のシャルルは、輪をかけて最悪だ。

 あいつは王家の人間を神か何かだと思い込んでいる。

 その癖、僕に対しては口煩くて、何一つ認めようとはしない。

 口を開けば二言目には、ところで穢れたギガンティアは聖なる炎で焼き払わねばならない、などと妄言を」

「シャルル卿らしい話だね。

 彼の頭がおかしいのだけは僕も同意しておくよ。

 だけど、君に対しての厳しさは、おそらく彼なりの愛情表現だろう」

「何を馬鹿な。貴様があの愚兄の何を知っている!?」

「僕達がリーンデースに入学した時、シャルル・オドイグニシアが監督生(ゴールドカフス)だった」


 ヒステリックになりかけていたルイが鎮静する。

 エルリックは静かな口調で、エドアルトの言葉に続いた。


「エドアルトは特にシャルル先輩のお世話になったよね。

 懐かしいなあ。穢れたギガンティアは──って、まだ口癖にしてるんだ」

「エルリックも会ってくるといいよ。

 礼拝堂で待っていれば、日に三度は顔を見れるはずだ」

「あはは、私は遠慮しておこうかな」


 エルリックは笑みを浮かべたまま眉だけで困り顔を作った。

 ルイの目がエドアルトとエルリックの間を泳ぐ。


「君はシャルル・オドイグニシアという男を誤解しているよ。

 彼は君が捕縛されたという報告を受けて以来、毎日礼拝堂に通い、君の更生を祈っている。

 祭の期間中も酒や肉を断ち、日々の睡眠時間も削って。

 不器用な男なんだ。

 おそらく君の欲しい好意の形ではないだろうけどね」


 ルイはひざまずいたまま、茫然と空中を見上げる。

 激しい感情の波が去り、彼の表情には深く静かな後悔が浮かんでいた。


「ああ……どうして、どうして僕は……。

 エドアルト、お願いだ、教えてくれ。

 僕の竜は……キャメリアとシルベチカは、今、どうしているんだ?

 まだ、生きているのか?」

「生きているよ。

 飛ぶことも這うこともできないけれど、生きている」

「僕のせいだ……僕のせいで、彼女達は!

 キャメリアに、シルベチカに、謝らなければ!

 僕は、取り返しのつかないことをしてしまった……」

「それは難しいね。

 彼女達はイクテュエス大陸にいる。

 今の君には、渡航許可も面会の許可も下りないだろう」

「そうか……そうだよな……。

 どうして……どうして、こんなことになってしまったんだ。

 父が、僕のために選んでくれた竜だったのに……。

 命よりも大事な竜だった……なのに……」


 ルイの目から涙が溢れてくる。

 彼は始めは静かに忍び泣いていたが、次第に嗚咽から慟哭へと変わっていく。


「父は言っていたんだ。王を補佐できるような、有能な騎士となるように、と。

 義兄だって、いずれこの地を治め、守護の要となるのは僕だ、と。

 僕はなぜ……王になるだと? 王位を簒奪するだと?

 この南の地から離れて、己の役目を放棄して……。

 尊き竜に呪いの釘を打つなどと、忌まわしい真似を……!

 馬鹿な……あり得ない! なぜ? なぜだ!?」


 ルイは両の拳を石の床に打ち付けた。

 何度目かで皮膚が破れ、拳から血がにじんだが、彼はやめようとしない。


「ルイ・オドイグニシア、今なら、僕の声が届くかい?」

「何だ、僕に……これ以上、何を……?」


 その日初めて、ルイはエドアルトの目を真っすぐに見つめた。

 エドアルトもまた涙に現れたルイの目を見つめ返す。


「ある男がいた。

 あいつとは同学年だったが、あまり仲が良くはなかった。

 僕はあいつのことが嫌いだったし、あいつも同様なはずだ。

 あいつの何を知っていると問われたら、確かなことはほとんど言えないだろう」


 ルイは話を遮ることなく、エドアルトの言葉に耳を傾けていた。

 エルリックは暗澹たる面持ちで目を伏せた。


「でも、これだけは確実だ」

「何だ?」

「あいつは決して、自分の家族を手にかけるような男ではなかった。

 ましてや、一族郎党を皆殺しにするなんて、出来るはずがない。

 その中には、幼子も含まれていたというのに」

「皆殺し……それは、もしかして、ルーカンラントの、昨年起きたという、あの事件か?」


 ルイの問いに、エドアルトが首肯する。


「あいつがどこにいるのか。生きているのか死んでいるのかも分からない。

 でも、ルイ、君はここにいて、まだ生きている」

「エドアルト……」

「正直な話、僕は君を軽蔑している。特に、エーリカの件は今でも根に持っている。

 しかし、君はそこまで非道な人間でもないはずだ。

 君の向上心や愛国心につけこんで、操ろうとしていた者がいるはずだ。

 君を唆した誰か(・・)のことを教えてくれ。

 まだ間に合う。

 もしも手遅れでないならば、こちら側に戻ってきて欲しい」


 エドアルトはルイの前で片膝をついて腰を下ろす。

 鉄格子を挟んで、同じ目の高さで向かい合うと、エドアルトは手を差し出した。

 ルイは震える手で差し出された手を攫もうとする。


「エドアルト……お願いだ……、助けてくれ……たすけて……」


 手が触れる寸前で、ルイの手がすとんと落ちる。

 見えない糸で引っ張り上げられるように、ぬるりとした挙動でルイが立ち上がった。


「なーんてね」


 ルイは木のウロのような空虚な笑みを浮かべる。

 突然の豹変に、エドアルト達三人は咄嗟に各々の杖を構えた。


「エドアルト・アウレリア、お前の妄想も大概だな。

 たすけて(・・・・)

 しかも、最後は御涙頂戴の泣き落としかよ。

 そんな三文芝居、今時の大衆演劇でも流行らないぞ」


 ルイは両手を顔の横で拡げ、道化じみた仕草で踊るように体を揺らす。

 依然として彼の表情は人間離れした笑顔の形に硬直したままだ。


「おい、エドアルト、これは──」

「クラウス君、精神操作か?」

「違う。霊視の魔眼(グラムサイト)にも、超常解析(アナライズ・ドゥエオマー)にも反応はない。

 他の感知呪文も同じだ。

 この部屋の中には、俺達が構築した魔法を除いて、どんな魔法も存在しない」


 そう叫んだ後、クラウスは呪符(スペルカード)を追加投入した。

 いくつもの感知系呪文が展開され、より詳細な分析記録が追加されていく。

 しかし、その全てが、ルイが精神操作能力を受けていないことを示している。


「ははは。当たり前じゃないか。

 僕が誰かに操られている、可哀想な被害者だとでも思ったのか?

 だれか(・・・)おねがいだ(・・・・・)

 おめでたい連中だな。

 何もかも、僕自身の意志で行ったことだ」

「ルイ、まるで二つの意志が混じっているように聞こえるが」

「ん? 何の話をしている?

 僕はぼくを(・・・)、普通に喋っているだけだが?

 たすけてくれ(・・・・・・)

「エルリック、無駄かも知れないけど、念のため防護陣(プロテクティブ・サークル)を」

「わ、わかったよ……!」


 エルリックは呪文を詠唱し、ルイを囲うように呪符(スペルカード)を展開する。

 しかし、クラウスはそれを見て制止の声を上げた。


「違う! その呪文じゃダメだ!

 感知魔法の制御を代われ、アクトリアス!」

「は、はい……!」


 エルリックは構築しかけていた呪文を放棄し、感知魔法を詠唱し直す。

 感知魔法の実行者がエルリックに切り替わった。

 これ以降、観測結果の精度が若干低下する。

 クラウスはエルリックのものと細部が異なる防護陣(プロテクティブ・サークル)を部屋全体に展開した。

 ルイは右往左往する三人を、ニタニタと眺めている。


「チッ! やはり精神操作は行われていないのか!?」

「精神防御特化の呪文か……いや、クラウス君、このまま続けてくれ。

 これ以降の精神操作を予防するだけでも、充分に意味はある」

「流石、ハーファンの御曹司。いい子ちゃんだねえ。

 精神操作が行われていないことは、この中の誰よりも分かっていたのに。

 たすけて(・・・・)

 お前が一番清らかで、一番隙だらけだ。

 怖い保護者がいなければ、お前から切り崩すんだけどな。たすけて(・・・・)

 オーギュストにやったみたいに、時間をかけて、少しずついたぶりながら」

「貴様……!」


 クラウスの怒りに呼応して、防護陣(プロテクティブ・サークル)に供給される魔力が一時的に増加した。

 呪符(スペルカード)から余剰魔力が溢れ、燐光となって舞い散る。

 クラウスは感情を抑制するように意識を集中させ、魔法を安定させた。


「正統性なんてものは、後から付いてくるんだよ。

 始祖王ギヨームは神に愛されていたから征服王となったのではない。

 彼が征服者だったから、神に選ばれたという伝説ができたんだ。

 僕も同じさ。だれか(・・・)

 僕がイグニシアの王となった後で、それらしい伝説を作ればいい。

 どんなに穢い方法で王権を簒奪しようと、勝てればいいのさ」

「敵国ギガンティアに祖国を売り渡してもかい?」

「その通りだ。たすけて(・・・・)

 だいたい、今のイグニシアだって、敵国と結んでいるじゃないか。

 たすけて(・・・・)たす  (・・・・)

 野蛮なルーカンラント、排他主義のハーファン。

 そして狂人の国アウレリア」


 クラウスが何かに気づき、身を震わせた。

 記録されているルイの感情構成要素のうち、恐怖や苦痛をはじめとするいくつかの要素が、ある時点から消失している。


「よくも僕の計画を邪魔してくれたな、エドアルト。

 だけど、僕に触れたことが間違いだったと、お前はいずれ知るだろう」


 ルイは右手を持ち上げ、エドアルトに指を突きつける。


「予言しておくぞ、エドアルト・アウレリア。

 これより六年の後、お前の妹──エーリカ・アウレリアは誰よりもおぞましい死を迎えるだろう。

 その時、お前は、僕と同じモノになるんだ」


 ルイは一際壊れた笑みを見せた。

 突如、ルイの体から力が抜け、床に転倒する。

 観測結果からは、ルイが完全に意識を失っているのが分かる。


「エルリック、シャルルと医術師を!

 クラウス君は、何でもいいからとにかく強力な解呪(ディスペル)を!」


 エドアルトが叫ぶ。

 他の二人は弾かれたかのように動き出す。

 エルリックがドアに飛びついたのとほぼ同時に、エドアルトが鉄格子を分解(ディスインテグレイト)で破壊する。

 クラウスは心術破り(ブレイク・エンチャントメント)を使用するが、ルイに変化はない。

 エルリックが退出したため、感知魔法による観測が停止する。


 エルリックと入れ替わりにイグニシアの書記が入室。

 エドアルトは自分の鞄から医療器具や短杖(ワンド)、薬などを取り出す。

 書記に対して手短に説明しながら、エドアルトはルイを診察している。


 クラウスが秘蹟解体(アーケイン・ディスジャンクション)を使用。

 魔法効果に巻き込まれ、記録が停止する。



       ☆



記録化石(ヒストリオ・エレクトラム)

 分類種別:灰

 分類番号:0006

 日付:1880/07/01

 場所:カルキノス・イグニシア領〈再征服の都〉、オドイグニシア方伯公邸


       ☆


 簡素な小部屋にクラウス・ハーファンが腰掛けている。

 エドアルト・アウレリアが入室し、ドアに施錠する。

 エドアルトはテーブルを挟んでクラウスの正面に着席した。


「なんだ。エドアルト、俺の証言も記録するのか」

「念のためだよ。君を疑っているわけじゃない」

「どうだかな……まあ、俺はどっちでも構わないけどな。

 正直、さっきの出来事は、何が何だかさっぱり分からない」


 クラウスはかぶりを振った。

 彼の眉間には深い皺が刻まれている。


「クラウス君。まだ十歳の君が関わるには酷な事件だったと思うけれど……」

「お前がアクトリアスと話している間に、少しは落ち着いた。

 気遣いは無用だ。だいたい、お前が遠慮していると気持ちが悪い」

「それはそれで、僕の方がショックだなあ。

 ……さて、君の目から見て、ルイの様子はどうだった?」

「記録映像のとおりだ。あれ以外は何も分からない」

「君の感じたままに、率直な意見が欲しい。

 もしかすると、僕が見落としたことに気づいているかも知れない。

 そうでなくても、既知の情報を整理するのは有意義なことだ」


 エドアルトは熾火のように仄かに輝く魔法文字の封入された琥珀──記録化石(ヒストリオ・エレクトラム)をテーブルに置く。

 クラウスはしばらくの間、琥珀を覗き込み、記録された情報を確認する。


「やはり、精神操作や呪術によって操られていた痕跡はないな」

「それ以外では?」

「ルイをあんな風にしたやつは、相当性格が悪そうだ」

「そう考える根拠は?」


 クラウスは琥珀に記録された情報をエドアルトに提示する。


「いくつかの感情構成要素が、通常の人間より大幅に強い。

 平常時とほぼ同条件だったはずの記録開始時からな」

「その感情とは?」

「愛しさ、懐かしさ、寂しさ、後悔、悲しみ。

 肉親を亡くした直後のパターンに近似している。

 ルイがやったことを考えると、少々噛み合わない気もするけどな」

「人が一人壊れるには、充分なきっかけだよ」


 クラウスは、エドアルトの言葉を聞いて深く考え込んだ。

 エドアルトは記録を確認し終え、再び琥珀をクラウスに渡す。

 クラウスは手の中で琥珀を転がしながら呟く。


「ルイの親が亡くなったのはいつだ?」

「四年前のことだ。二人いっぺんにね。

 不幸な事故だったよ。

 シャルルもルイも、何の気構えも出来ていなかっただろう」

「……そうか」


 クラウスとエドアルトは沈黙する。

 しばらくして、クラウスが言いにくそうに口を開いた。


「しかし、やはり四年も経っているとなると……」

「不自然かな?」

「……どうだろうな。俺はまだ、肉親を失ったことがない。

 感情構成要素の組み合わせから導き出せる精神状態について、座学で知っているだけだ。

 魔法の絡まない生の感情のことは、何も知らない」


 クラウスは一度言葉を切り、手のひらを見つめる。


「いや、大事な人を失いそうになったことはあったな。

 ギリギリで助かったけれど。

 もしも、あいつを失っていたら、俺は──」


 はっとしたように、クラウスはエドアルトを見る。


「確か、ルイも同じことを言っていなかったか?」

「予言……か……」

「エーリカは大丈夫なのか」

「本当にルイが予知能力なんてものを持っていたら、僕達に尻尾をつかまれないように動きそうなものだけどね」

「それはそうだが……」


 クラウスは苦悩に満ちた表情になる。

 エドアルトはクラウスの様子を見て、肩をすくめた。


「実のところ、僕も余裕があるわけじゃない。

 ルイの言葉を聞いた時には、全身の血が凍りそうなほど恐ろしかった」

「お前でも、そうなのか」

「ははは、クラウス君、僕を何だと思っているんだい」


 クラウスは暗い表情のまま押し黙る。


「僕なんて、心は割と弱い方だよ。

 だからこそ、ルイがどのようにして堕落したのか、想像ができる。

 僕がルイだったら、何が一番辛いか。

 そして、同時に、僕の心を折るならどうすればいいか」

「待て。その言い方だと、ルイの境遇が何者かに仕組まれたかのように聞こえるぞ」

「ああ、まるで仕組まれたかのようだと思うよ。

 ルイとは不仲だったシャルルが学園を卒業して、帰郷する。

 その直後に起こる両親の死と、シャルルの爵位継承。

 オーギュスト殿下の竜が孵化するはずだったのも同じ時期だ。

 このタイミングで僕の知らない何らかの不安要素が一つか二つ重なれば……」


 エドアルトの表情から笑みが消え、真剣な目になる。

 クラウスはエドアルトの挑むような視線を真っ向から受け止めた。


「君は、出来すぎていると笑うかい?」

「笑えないな、全く笑えない。

 誰かを堕落させるために、誰かを殺しているやつがいるなどと。

 ……俺だって、危ういタイミングで妹を亡くしそうになったんだぞ」

「そうだ。誰もがルイと同じ立場になりうるんだ。

 僅かに歯車が狂うだけで、運命は全く違う方向へと転がっていく」


 エドアルトは言葉を切った。

 クラウスは沈黙したまま考え続けている。


 そのうち、クラウスは自分の手の中にある琥珀の存在を思い出し、テーブルに置いた。

 エドアルトはテーブルから琥珀を取り、操作する。

 記録化石(ヒストリオ・エレクトラム)の再生が停止し、琥珀の中の文字が施錠を示すものに変化する。

 エドアルトは琥珀を仕舞うと、ポケットから二本の鍵を取り出てクラウスの目の前に置いた。


「君を見込んで、これを託したい」

「何の鍵だ?」

「ある場所に星の光を集めてある。この世から光がことごとく消え去ったとき、その星が最後の光となる……かもしれない」

「ある場所とは?」

「時が来れば分かるはずだ」

「どんな時だ?」

「例えば僕が死んでしまって、エーリカを守ることができなくなった時」


 クラウスは椅子を蹴って立ち上がった。

 エドアルトは底の知れない笑みを浮かべた。


「エドアルト、お前……!」

「あくまでも万が一に備えてのことだよ。そう簡単に大事な妹を任せたりはしないさ」


 エドアルトは静かに立ち上がり、クラウスに背を向けた。


「……さて、君とのお喋りはこのくらいにしておこう。

 ルイがこのまま目を覚まさなかったときの対処をシャルル卿と相談しなければならない」

「待て、エドアルト」


 呼び止められたエドアルトが振り返る。

 クラウスはローブの内ポケットから一通の封筒を取り出した。


「俺がこれをお前に渡したことは、誰にも言うな。

 本来なら(ハーファン)の人間にしか見せないはずのものだ」

「中身は?」

「先程、ルイが昏倒した時に、俺が見破った呪文の写しだ。

 肝心の昏睡を引き起こした魔法は見えなかった。

 しかし、多重偽装魔法ならば、その大部分を解析できた。

 実行者の名前を見てみろ」


 エドアルトは折り畳まれた羊皮紙を開き、すぐさま閉じた。


「カイン・グレンデル……キャスケティア最後の王の名か」

「その名を東や北の人間の前で口にするなよ。命の保証はできないぞ」

「本物だと思うかい?」

「さあな。本物だろうが偽物だろうが、秘密裏に追跡して殺し、埋葬することになっている」

「これを、なぜ僕に?」

「お前のためじゃない。エーリカの悲しむ顔を見たくないだけだ。だから、俺のためだ」


 エドアルトは封筒を上着の内ポケットに大事に仕舞い込む。


「ありがとう。役に立ったよ」

「気をつけろよ、エドアルト。

 これまで現れた狂王の僭称者(せんしょうしゃ)は、いずれも相当な手練だったそうだ」

「クラウス君も充分に気をつけたまえ。

 君達兄妹を死地に誘った首飾りの呪い……あの術の実行者も、カインという名だった」


 クラウスは目を見開き、虚空を睨んだ。

 振り切れた感情に引きずられるように膨れ上がった魔力が、青い火花となって散る。


「感謝するぞ、エドアルト。よくぞ俺に教えてくれた」


 見えざる敵に憤怒の形相を浮かべるクラウスに、エドアルトは氷のような微笑みを返した。

 エドアルトは踵を返し、退室する。

 記録化石(ヒストリオ・エレクトラム)の魔法は正常に終了した。

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