春の宮殿4
その後、なんとかクラウスの追及から逃れて夕食に向かった。
夕食の最中にクラウスが遺跡の件を話題に出した途端、私の父もハーファン公爵もとても厳かに彼を諌めた。
仕方ないよね。まだ十歳の子供が行っていい場所ではないのだ。
遺跡の話題が出たとき、兄が涼しい顔をしながら内心ハラハラしていたのが面白かったのは内緒だ。
クラウスにエドアルトお兄様が〈来航者の遺跡〉に行った事を口止めしておいて良かった〜〜。
夕食会が終わると、エドアルトお兄様は〈春の宮殿〉の転送門を利用して、大陸中央部にある魔法学園都市リーンデースに向かおうとしていた。
転送門は、それぞれの拠点の重要建造物の地下にあり、拠点同士を魔法的に繋いでワープ機能を提供している。
利用には一度きりの鍵を利用する事になるので、兄は夕食会の後で父から鍵を一つ受け取っていた。
私は先ほどのクラウスとの会話の中でふと不安に思ったことがある。
この星水晶にかけられた魔法について聞きたくて、自室で手荷物をまとめていた兄をつかまえた。
「お兄様、お急ぎのところ申し訳ないのですが、この首飾りについてお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ん、首飾りがどうしたんだい、エーリカ」
「クラウス様が、この首飾りにかかっている魔法について気にしていたんです。とても特殊な魔法だと」
「へえ、特殊な魔法、ね。……貸してごらん、エーリカ」
わずかに眉間に皺をよせて、兄が星水晶を凝視する。
エドアルトお兄様は、その場にしゃがんで手持ちの革鞄を床の上で広げた。
「移動式の奇跡の部屋でしたの……?」
錬金術師の用意したアイテムの類の集めた貯蔵庫を、奇跡の部屋と言う。
その革鞄は、内部の空間を拡張したもののようだ。
兄はその中に貯蔵庫を構築していたのである。
「いやあ、空間を弄る魔法はとても高額だったよ……」
「ですよねえ……」
兄が遠くを見るような目でそう言った。
ちなみに中に入ってる杖の類も、材料だけで大変な額である。
これはかなりの散財しちゃったんだろうな、エドアルトお兄様。
具体的な額は分からないけど、ざっと見ただけでも将来兄が受け継ぐ予定の銀鉱脈を一つや二つ売り払っちゃってても不思議じゃないくらい。
「さて、調べてみるか」
エドアルトお兄様は、その中にある大量の短杖の中から、砂糖楓の枝を使った一本を選び出した。
杖の先には翠玉。
取手の部分には夜光貝で孔雀の羽を模した細工が施してある。
おそらく芯材が孔雀の羽根なのだろう。
短杖の長さは、ちょうど指揮者のタクトくらいの長さである。
こんな小さな道具に、おそらく五十回以上──最高級の杖なら百回以上の魔法が込められている。
便利だな〜って思うけど、一本には一種類の魔法しか込められないんだよね。
あらゆる事態に対応するには、無数の短杖が必要になる。
だから西の錬金術師は準備が大事なのである。
エドアルトお兄様は、その杖をまるで指揮者のように振った。
淡い緑の光による魔法陣が兄の周囲に展開され、彼の目に集束する。
これでエドアルトお兄様の目は一時的に霊視の魔眼と化した。
この世界で言うところの錬金術師の魔法は、どこまでも手作業である。
「なるほど。これはすごいな」
「いかがでした?」
「〈来航者の遺跡〉で見つけたから、その時代のものだとばかり思っていた。でも、実際はもっと古いよ。少なくとも南のイグニシアがこの大陸を征服する前のものだ」
西のアウレリアの祖である〈来航者の一族〉がこの地に着いたのは、およそ六百五十年前だ。
南のイグニシア侵略王がキャスケティアを滅ぼし、この大陸を支配下に置いたのは、さらにその百五十年ほど前の話。
合わせて八百年もの昔になる。
キャスケティアは吸血鬼の国だ。
かの国は吸血鬼の王族や貴族が、人間を家畜のように支配していた闇の国だった──と伝えられている。
つまり、この石にかけられた魔法は、キャスケティアの吸血鬼のものである可能性が高い。
不吉この上ない。
「吸血鬼の使っていた魔法、ということですね」
「ああ、そうだね」
この大陸では吸血鬼なんてとっくの昔に絶滅してしまった八百年前の亡霊だった。
だけど、私がまだ攻略していないシナリオには吸血鬼が出てくるらしいんだよね。
「幸いにして僕らには安全なものだ。西の人間はこの手の魔法にひたすら鈍いからね。でも──東や北の人間は恐ろしく敏感に影響を受けるんじゃないかな」
「どんな魔法が仕組まれていたんですか?」
「魅了に近いが、何て言うんだろう、もっと……そう、欲望を呼び起こす魔法がかけられているみたいだ……この石は僕がもう少し預かっていた方がよさそうだ」
欲望を呼び起こす魔法かぁ。
ふと「リベル・モンストロルム」でのクラウスとアンの悲劇について思い起こす。
本来とても礼儀正しいアンが、何故エーリカが持っていた首飾りを欲しがったのか。
──この首飾りが呼び起こした欲望の所為なのかも知れない。
「エーリカ、僕の代わりになるか分からないが、これを」
これは、お兄様の貯蔵庫の鍵だ。
貯蔵したアイテムは私たちの一族にとって命にも等しいものである。
「お兄様、どうしてこんな大切なものを私に?」
「君がとても不安そうだったからだよ。僕は友人のために魔法学園都市に行かなきゃならない。本当は君の側にいてあげたいんだけど……あちらも事は一刻を争うみたいでね」
「お兄様……」
「大丈夫、余程の事がなければ、明日の早朝には帰って来れるはずだよ」
そう言って、兄は地下にある転送門を通って魔法学園都市に向かった。
私は〈春の宮殿〉の客間へ向かう。
クラウスとアンの無事を確認するためだ。
長いドレスが脚に絡むのも構わずに、私はお行儀悪く夜の宮殿の回廊を走っていた。
今日起こった出来事が、次々と脳裏に浮かぶ。
咲き誇る花々の中で頬を染めていたアンの笑顔。
星水晶の首飾りの魔法を調べるときのクラウスのキラキラした目。
古代の吸血鬼の魔法がかかった首飾りの──淡いけれども怪しい青い光。
私は、少しでも早くアンの笑顔とクラウスの顰め面を見て安心したかった。
☆
ハーファン公爵の子供達の宿泊のために宛てがわれた客間には、この春の庭園の花々がたっぷりと飾られている。
部屋の中には芳しい花の香りが漂っていた。
しかし、クラウス公子とアンの姿が見当らない。
ハーファン公爵に仕える侍女たちは、ことごとく魔法による睡眠状態に落ち入っていた。
眠っている侍女達の中にアンが紛れていないかを確認したが、やはりいなかった。
──おそらく、クラウスの仕業だ。
まだ十歳の少年に過ぎないというのに、クラウスの魔法能力は破格に高い。
彼女達はただの侍女ではなく、公爵付きの侍女だ。
つまり多少の魔法の心得はある。
それならば、常に軽度の魔法抵抗の強化を使っているはずだ。
そんな彼女達が前後不覚になるほど強力な眠りの魔法を使って抜け出してしまうなんて。
これ、いったいいつ頃使われた魔法なんだろう。
クラウスだけじゃなくアンまで消えているというのも気になる。
クラウスの方は〈来航者の遺跡〉に向かったのだろう。
十中八九、間違いない。
アンについては、幸運が味方してくれていれば、ハーファン公爵と公爵夫人の元にいるかもしれない。
(確認のためにも、急いで父やハーファン公爵に会いにいくべきだよね?)
この状況が下手に広まって、パニックが起こってしまっても良くない。
私は扉を閉じ、回廊を渡って父の部屋へと向かった。
十五分ほど歩く。
とっくの昔に父の部屋についてもおかしくないのに、元の部屋に辿り着いてしまった。
この時点で、私は慣れ親しんだ宮殿で迷っている事を理解した。
宮殿を迷宮に変えるような魔法がかけられている。
しかし、いくらクラウスでも、空間歪曲までは使えないだろう。
おそらく幻影迷宮化だ。
通過する人間の方向感覚を狂わせて幻影に絡めとり、あたかもそこが迷宮であるかのように幻惑する魔法だ。
この魔法のせいで、〈春の宮殿〉はいくつかの区画に分断されてしまっているようだ。
私がハーファン公爵のいる客間や父アウレリア公爵の部屋に行くこともできないし、大人たちが子供部屋へ辿り着くこともないだろう。
十歳にしてこんな複雑な魔法を使いこなすなんて……。
私はクラウスの才能に驚きを隠せなかった。
(ていうか、無駄に用意周到すぎるでしょ、クラウスーー!!)
こんなときこそ落ち着くべきだと思って深呼吸する。
「エドアルトお兄様、早々に使わせていただく事になりそうです」
先ほど兄から貰い受けた貯蔵庫への鍵を見つめる。
私はそれを適当な部屋の鍵穴に入れ、回した。
この鍵自体が、宮殿のどの部屋の扉でも兄の貯蔵庫に繋がる扉に変えることができるマジックアイテムなのだ。
扉を開くと、そこには錬金術師エドアルト・アウレリアの奇跡の部屋が現れた。