空の玉座3
オーギュストが王妃様に抱きしめられるのを、私は少し離れたところから見ていた。
取り巻く人々は目を潤ませながら、幸せな家族の姿を見守っている。
私もほっと胸を撫で下ろしていた。
オーギュストは完全に竜との感応能力を会得したようだ。
トントン拍子でその能力をみんなに認められることもできた。
心の片隅で、若干の嫌な予感がする。
何度も死の危機に晒されすぎたせいか、過敏症になっているのかもしれない。
でも、流石にもう、これで大団円と言っていいだろう。
「オーギュストには、これ以上手助けしなくても大丈夫そうだね」
『ええ、思った通り優秀な子だわ。お互い命拾いしたわね』
肩に乗った仔猫──の姿に化けたパリューグが小声で答える。
何でも、仔猫の姿が最も燃費がいいのだそうだ。
玄室での戦闘のせいで、パリューグが蓄えていた力はすっかり使い果たしてしまった。
彼女を生存させているのは、私との契約の際に摂取した一滴の血液から得た力だ。
徹底した節約によって、何とか死なずに耐えている形である。
そのため現在のパリューグは、その見た目通り仔猫程度の力しか揮うことができない。
パリューグは私の肩の上で、気怠そうにだらりと前肢を投げ出す。
疲れ果ててはいるけれど、オーギュストを見守る彼女のその表情は、どこか満足そうにも見えた。
「結局、オーギュストには何が足りなかったの?」
『才能がありすぎたのが、あの子の不運なのよ。雀は雀の子には飛び方を教えられるけど、鷲の子には教えられないわ』
パリューグは仔猫の姿のまま器用に肩をすくめた。
彼女の言葉を要約すると、こういうことだ。
オーギュストの感応能力は、あまりにも強力すぎた。
あまりの強大さに、彼の力に触れた竜が恐怖してしまうほどだった。
竜の恐怖はオーギュストに伝播し、彼の不安と結びついて更に増幅される。
この悪循環が竜との精神感応を妨げていたのである。
例外は卵の頃から彼の力の影響を受け続けてきた専用竜だけだった。
だから当初パリューグは彼女達の孵化を待とうと考えていたらしい。
しかし孵ったのは小型竜のゴールドベリだけ。
騎乗に適しているはずの残り二頭は依然として卵のままだ。
オーギュストが一般の竜で騎乗の訓練を行おうとするのは時間の問題だった。
ここで問題となるのが、彼の強力すぎる精神感応の才能である。
才能がありすぎるから加減するようにとパリューグが忠告しても、オーギュストは実際にどの程度弱めればいいのかわからなかった。
失敗だけが重なり、オーギュストは自分の才能に疑念を抱きはじめる。
──パリューグは単に優しさから才能があると嘘をついて慰めているのではないか?
オーギュストがそう思うのも、無理はなかったのかもしれない。
誰かに聞いても、過去の文献を漁ってみても、才能がありすぎて竜に対して感応能力を著しく弱めて行使しなければならなかった、なんていう事例は見付からなかったのだから。
「ああ、だから酩酊の呪いがかけられた竜には乗れたのね」
『その通り。竜を酔っぱらわせれば恐怖が薄れて騎乗できるようになるなんて、思いもしなかったけど』
パリューグは私の肩の上で頬杖をつき、遥か遠くを見るような顔つきでオーギュストの方を見つめた。
あんまり人間っぽい仕草をしてると、怪しまれそうでハラハラするなあ。
『あの子は例年通り一般枠の竜に何度も挑戦して、そのうちボロボロになって帰ってくるものとばかり思ってたの。飛んでる姿を見たときは、妾も驚いたわ』
「あれ? じゃあ、あの呪いの鐙は、パリューグが用意したのではないの?」
『当たり前でしょ。竜があんな危ないものを身につけていると知っていたら、そもそも試合に出る前に止めていたわ』
確かに、言われてみればその通りだ。
結局、それが原因で感応能力の暴走が起こり、〈伝令の島〉の全てを巻き込んだ大事件となってしまったわけだし。
『本当はね、妾はあの子の願いを叶えたくはなかったの』
「どうして?」
『天使としての契約において、妾たちは失敗する可能性がある方法をとれない。だから、あの子の騎乗を確実にするためには、あの子の力を弱体化させるしかなかった』
「命懸けで抑え込まなきゃいけなかったのね。あれだけ強ければ無理もないけど」
『でもね、オーギュストの能力は祝福されるべきものよ。あれは、あの子が神様に愛されている証なの。そんな素晴らしいものを、妾はあの子から取り上げたくはなかった』
パリューグはオーギュストと彼を取り巻く人々を、眩しそうに見つめる。
『エーリカ・アウレリア。あなたには感謝しているわ。おかげで、妾は失敗を恐れず、あの子の可能性に賭けることができた。まさか、妾が生きているうちに、こんな素敵な光景が見られるなんてね』
「どういたしまして」
パリューグは私に寄りかかり、頬に自分の毛皮を擦り付けた。
さすが元神獣らしく、彼女は柔らかい良い毛並みだ。
まあ、悪い気はしなかった。
私がオーギュストの事情に割り込んだのは、所詮我が身可愛さの行動だったのだけど、結果良ければ全てよしだ。
「あ、でも、気になることが」
『なによ?』
「彼が竜に乗れなかった理由はわかったけど、どうやって乗れるように変えたの?」
『ああ、そう言えば、詳しく説明する暇もなかったものね。さて、どう説明したものかしら』
「もったいぶらないで教えてよ」
『ううん。そんなわけじゃないけど……なにせ、妾が手を加えたのはほんの僅かで、ほとんど何もやってないもの』
「……え? どういうこと?」
そのために奇跡を使ったとばかり思っていた。
だから私も自信満々に彼女の指示に従っていたのに。
驚きで硬直した私に、パリューグはにんまりと笑みを返した。
『要するに、今のオーギュストの能力を弱めるよりも、過去のオーギュストの能力を弱めてしまった方が簡単だったってことなのよ』
「もう少し詳しく説明して」
『オーギュストが力の調節を学ぶことができれば、無理に能力を剥奪する必要もない、というわけ。妾は再契約のときの記憶操作の聖句に干渉して、契約するまで感応能力が弱かったという偽記憶をあの子に植え付けたわけ』
「じゃあ、本当にあれは奇跡の力じゃないの?」
『その通り。だって、奇跡とも言うべき力は、あの子が元々持っているんだもの。あとは、その力を慎重に調節して行使するだけ』
分かったような、分からないような。
例えるならばこうなのかな?
自転車に乗れない子供に「後ろで支えているから」と嘘を言って安心させる。
そして、こぎ始めた自転車の荷台から手をそっと離す。
それと似たようなことを、超常能力を搦めて行ったようなものだろうか。
「失敗したらどうするつもりだったの?」
『その時は、妾の全存在とか契約者の魂とかを使って、力技でどうにかするつもりだったわ』
「そんな行き当たりばったりな作戦で勝手に魂を使われてたの?」
『成功したんだからいいじゃない。あの銀竜が暴走したときは、妾もおしまいかと思ったけど』
本当にギリギリだったんじゃないか。
知らないうちに、死亡フラグがいくつも通り過ぎていたようだ。
オーギュストがどこかで失敗していたらと考えると、ぞっとする。
「奇跡はどうしたの?」
『妾を縛るあらゆる神の束縛からの解放のために使ったわ』
「え?」
『もう奇跡を与える獣ではなくなったということよ。人の望みを聞いて、願いを叶える役目を降りたの。もう契約の獣なんて都合のいいものは存在しないわ』
遠目にオーギュストがこちらを向いた気がした。
私がいる方に向かって、手を振っている。
私も彼に向かって軽く手を振りかえした。
「……では、もうあなたは誰からも忘れられないってことなのかしら」
『まあね』
「これからは奇跡の実現に力を吸い取られて、弱体化したり消滅することもない?」
『ええ。でもそんなに余生は永くないでしょうね。信仰が薄まってるし』
「それでいいの?」
『うふふ。出来ればあの子の結婚式くらいは見たいけど、どうかしらね〜』
「そんなに気になるなら、パリューグがオーギュストと結婚すれば良かったんじゃない」
私は修羅場での彼女のセリフを思い出して揶揄ってみた。
しかし、私の肩の上の仔猫は首を振った。
パリューグはもっとオーギュストに執着しているのだと思い込んでいたけれど、どうやら違うらしい。
『やっぱり、どんなに可愛くて愛おしくても、妾にとってあの子は息子みたいなものなのよ』
あの時、パリューグは自分自身の魂を失ってもオーギュストに尽くそうとしていた。
それは恋人のような想いとは違う、育ての親の願いみたいなものなのだろうか。
『母親が息子を束縛して喰らい尽くしたら……それは呪いよね?』
「……そうかもね」
『もうあの子には妾はいらない。あの子の翼はちゃんと一人でも空を目指すわ』
「……いいの?」
『いいの。いいってことにしないと、離れられないでしょ?』
私を呼ぶ声が聞こえる。
オーギュストや王様や王妃様が手招きしていた。
王様の背後には、いつの間にかお父様が立っていて、厳めしい表情でこちらを見つめている。
あ、しまった、嫌な予感ってこれか。
危険だから外出しないようにって、言いつけられていたんだった。
私は顔を強ばらせる。
オーギュストが不思議そうに振り返ると、お父様はすぐに笑顔を作った。
怒られるなあ、これは。
でも、良しとすべきだろう。
死んでいたら、叱られることもできないんだから。
それに、オーギュストを囲んでのお祭り状態が一段落するまでは、保留してもらえそうだしね。
私はパリューグに目配せし、オーギュストたちの方に向かおうとする。
どうやら、何もかも無事に終わりそうだ──と、思ったその時だった。
「くだらない! とんだ茶番だ!」
楽観的な私の予想を裏切るように、聞き覚えのある叫び声が響いた。
人ごみをかき分けて現れたのは、顔を苦渋と怒りで真っ赤に染めたルイ・オドイグニシアの姿だった。