空の玉座2
移動に際して、オーギュストは手始めに大聖堂内部にいた荷運び用の地上竜のうち、最も近くに居た者を目覚めさせ、呼び寄せた。
竜の背にクラウス・ハーファンとエーリカの鞄を乗せ、竜の角の上にちょこんとゴールドベリが乗る。
オーギュストとエーリカが竜を先導するような形で、一行は大聖堂の外を目指した。
「回廊が幅広いのは、こういうときに助かりますね」
「大聖堂として改築した直後にも役に立ったそうだ。深奥部の壁画をはじめとして、大きな展示品は竜に曳かせて運び込んだらしい。人間の力じゃ持ち上がらないものが多いからな」
「元はお城だったんですよね? 狭くて入り組んでいる方が、防衛には有利だって聞いたことがあるんですが」
「幅広い方が城内で竜を運用しやすいからだな。今の王城も、調度品を片付ければ、竜に騎乗したままで移動できる造りになってるんだ」
オーギュストはエーリカと会話しながら、手当り次第に周囲で眠っていたり暴走状態になっていた竜と心を触れ合わせていく。
時折、暴走した竜の恐怖や悲しみの感情が逆流して来るが、彼にとっては既に大した障害ではなかった。
竜と同調しやすい敏感で繊細な自分と、それを俯瞰する観察者としての自分をバランス良く保つことで、強い負の感情を受け入れながらも流されないでいることができていた。
大聖堂の出口に到着する頃には、地上にいる竜はほぼ全て制御下に置くことができていた。
周辺の通りを封鎖していた竜がおとなしくなったため、大聖堂の正面から伸びる大通りをイグニシアの旗を掲げた一団が近づいてくるのが見えた。
「よかった、どうやら私達を救出に来てくれたみたいだな」
「オーギュスト様、どうやら、国王陛下やお父様もいるみたいです」
エーリカは視力を強化する杖を使い、その集団の顔ぶれを確認したようだった。
彼女の言葉を聞いて、オーギュストも集団の近くにいる竜の目を借りる。
その中には国王やアウレリア公爵だけでなく、王妃や諸名家の有力貴族たちの姿も見えた。
オーギュストは、国王の姿を見たことで、ほっと胸を撫で下ろした。
イグニシア王アンリは、現役の竜騎士の中では最も竜の制御能力に長けている。
ずっと続いている混乱も、彼が到着すればすぐに沈静化することだろう。
ひどく叱られるかもしれないし、また陰口が一つ二つ増えるだろうけれど、これだけの混乱を引き起こしたのだから甘んじて受け入れなければなるまい。
オーギュストはそんなことを考えていた。
不意に、上空を旋回していた竜のうちの一頭が、軌道を変えて王の一団に向かって飛んでいく。
二十メートル級の銀竜だ。
酷く狂乱しているようで、武装した集団に対して本能的に敵意を抱いてしまったのかもしれない。
近づいてくる王達は、まだ誰一人として接近する竜に気づいていない。
二十メートル級の竜の平均的な飛行速度から計算し、到達するまでおおよそ五秒程度。
今から気づいても、回避は間に合わない。
狂乱の度合いが強いため、制御は困難を極めるだろう。
オーギュストはこれまで、有翼の大型竜への感応を避けていた。
騎乗槍試合での失敗のせいで、軽いトラウマになっていたのだ。
(だけど、自信がないとか恐いとか、そんなことは言ってられない……お願いだ、止まってくれ!)
オーギュストは暴走した銀竜に向かって、精神の腕を伸ばすようなつもりで感応能力を解放した。
焦りそうになる気持ちを抑えつつ、小鳥の雛を持ち上げるくらいの力加減で、そっと竜の心を受け止める。
オーギュストによって精神を掌握された銀竜は、すぐさま翼で空気を打ち、急制動を行った。
銀竜は王達の眼前で反転し、再び上空に戻っていく。
彼らはようやく自分たちの危機に気づいたらしく、何か叫んでいるようだった。
「危ないところでしたね」
「ああ、何とか間に合った。他の竜も気が立ってるのが多いな。父上達が到着する前に、暴れそうな子は少し大人しくさせておこう」
オーギュストは先程の銀竜を、大聖堂上空を舞う竜の輪の中に加える。
そして、銀竜の目を通して他の竜を観察した。
感情が不安定になっている竜を見つけ、次々に感応能力での接触を行う。
オーギュストは竜との精神感応を繰り返し、とうとう大聖堂付近の全ての竜との感応を終えた。
護衛用の小型竜から二十メートル級の大型竜まで、有翼竜から地上竜に至るまで。
全て合わせれば三桁近くにもなるのに、オーギュストはほとんど精神的負荷を感じていなかった。
つくづく、『強大な力を契約の獣から与えられた』ものだとオーギュストは実感する。
せめて、あの獣が去る前に、一言でいいから感謝の言葉を贈りたかった。
それが絶対に叶わないことが、オーギュストは残念でならなかった。
(せめて、まだ近くにいるのなら、見ていてくれるだろうか)
オーギュストが右手をまっすぐ上げると、全ての有翼竜が一斉に上昇していく。
彼の命ずるままに、竜達は交叉し、旋転しながら隊列を組み替える。
それはまるで、色とりどりの竜が織りなす、一枚の織物のように見えた。
「すごい……」
エーリカが、そして王に率いられてやってきた全ての人々が、竜の舞踏を見上げて感嘆の声をあげた。
竜の群れは様々な姿に変化し、大空を彩っていく。
天空に広がる竜の絨毯は、時間差で宙返りすることで打ち寄せる波へと変わり、大渦や竜巻を象って激しく飛び交ったかと思えば、緩やかな滑空によって風を孕んで舞い落ちる花弁を幻視させる。
オーギュストは竜の視覚や聴覚、皮膚感覚などを共有しながら、その全てを緻密に制御することが出来た。
まるで手と手を繋ぐように容易く、鎖の輪のように堅く、心同士が結びついていく。
つい数時間前まで、感応しようとしても拒まれていたのが嘘のようだ。
オーギュストは今ではもうどんな竜とも自由自在に心を通わせることができる気がしていた。
それは、自分自身が世界に受け入れられているような感覚だった。
今までの彼は、この世界のどこにも居場所がないと思っていた。
しかし、これからは、この空の全てが彼のものになるのだ。
竜から祝福を受けるということは、こういうことなのか──オーギュストはそう実感する。
既に、空は手が届きそうなほど近くに感じられていた。
竜の視界を通して、彼は何処までも透明な青い空に包まれている。
大聖堂の周囲の全ての竜を掌握した後、オーギュストはそのまま距離が近い順に精神感応を続けた。
その竜達が妙に遠くにいることが、不自然と言えば不自然だった。
オーギュストはかすかな違和感に首を傾げながらも、他の竜と同様に彼女達を自分の近くへと招く。
「あ、これは……いいのかな……?」
「どうなさったんですか、オーギュスト様?」
「いや、ちょっと誤算というか……珍しいものが見られるよ」
誰よりも早くその竜の正体に気づいたオーギュストは、苦笑を浮かべた。
次に気づいたイグニシアの王族や貴族達がざわめき立つ。
見上げる彼らを、翼を拡げた巨大な白竜と金竜の影が覆う。
「二十メートル級よりも大きい……? まさか、あれは王竜なのか!?」
「馬鹿な! 王竜と感応できるのは、彼女らがかつて仕えし王だけのはず!」
「しかし、あの竜の姿は、まさしく伝承に謳われている始祖王の乗騎そのもの」
「おお、なんと! 儂が生きているうちにこのような奇跡を目にすることができようとは!」
イグニシアの貴族たちは、口々にそんなことを叫んでいた。
実物を見たのはオーギュストも初めてだったけれど、その特徴は知っている。
いくつかの宗教画や彫刻のお陰だ。
アーソナやサーマスに続いて、歴代の王竜たちも次々と人々の前に姿を現していた。
本来なら感応能力が絶対に届かないはずの高空にいる王竜達にも、オーギュストの感応能力は軽々と届いてしまったのである。
「ああ、島の入り口の巨像の竜ですね。確か、始祖王ギヨームの竜だったとか」
「白竜がアーソナで、金竜がサーマスだよ。一度でいいから会ってみたかったんだけど、まさか本当にそれが叶うなんてね」
「珍しいんですか?」
「ああ、類い稀なる瑞祥だと言われている。エーリカは運がいいね。アーソナとサーマスが姿を現したのは、始祖王の代を除けば、まだ即位する前の苛烈王ジャンがこの国を救ったときぐらいだそうだよ」
当時、イグニシアはギガンティアとの戦争で劣勢を強いられ、伝令の島を敵船団に包囲されていた。
もはや陥落寸前と言われたある日の払暁、まだ一兵卒だったジャンは天啓を得て、アーソナやサーマスをはじめとする歴代の王竜を呼び寄せることに成功する。
年経た巨大竜の圧倒的な戦力によってギガンティアの船団を追い返し、一躍英雄となったジャンは時の王女を娶り、次代の王となった。
イグニシアのほとんどの男の子が諳んじることのできる、有名な英雄譚の一つである。
その苛烈王の王竜までもが姿を現し、人々の間には更に深いどよめきが広がった。
黒竜ユリゼンと、赤竜ルヴァ。
彼女達が人々の前に姿を見せたのは、苛烈王の治世以来初めてのことである。
「これは本当に現実なのか……?」
「勝利と栄光の王の再来だ……」
「いったい、何者がこんなことを」
オーギュストが広場の中央に進み出る。
すると、最初に王竜達が、次に他の竜たちがオーギュストを囲むように降り立った。
竜たちは道を作るように整然と広場に並び、一斉に頭を垂れた。
集まった人々が、一斉にオーギュストの方を見た。
彼は人々の注目を集めながら、堂々と人々の前へと歩いていく。
「おお! 誰よりも深く竜に祝福されし、約束の御子よ!」
「王の中の王に忠誠を」
「王だ……彼こそ、真の王なのだ……」
まず大司教が感極まって叫び、司教冠を脱いでオーギュストにひざまずいた。
聖職者達が大司教に続き、イグニシアの貴族達や騎士達も祈るように膝を折る。
兵士や民衆たち、他の土地から来た人々も、その熱気に押されて同じ姿勢をとった。
誰もが動けず見守る中を、国王だけがオーギュストに近づいていく。
「父上、私の能力のせいで大変な混乱を引き起こしてしまいました。どんなお叱りも受ける覚悟です」
「それ以上言うな」
国王はオーギュストを抱え上げた。
まるで幼子にするような仕草に、オーギュストの頬が朱に染まる。
しかし、それ以上に国王の顔は感動で赤く染まっており、頬には涙が流れていた。
「オーギュスト! 我が子よ!
お前の血が誰より濃く、誰よりも強いが故に起こったことならば、誰がお前を誹ることができようか!
見るがいい、全ての民、全ての竜はお前のものとなったのだ!」
オーギュストは茫然として周囲を見回した。
もはや、誰一人として彼に蔑みの目を向けるものはいなかった。
国王がオーギュストを解放し、地面に下ろすと今度は王妃が彼を抱きしめた。
オーギュストは戸惑いながらも、次第に照れくさそうな笑みを浮かべる。
割れるような歓声が響き、広場に集まった人々は祝福された王子と王家を讃えた。
少し離れたところから、エーリカと猫は幸せそうな家族を満足そうに見つめていた。




