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天使の玄室6

 柄にもない優しい笑顔でクラウスは私を見つめて言った。


「エーリカ、間に合ってよかった」


 彼は灰色の衣服の上から黒いローブを身に纏っていた。

 手には魔法の増幅効果がある長杖(スタッフ)

 ちらりと見えたローブの内側には、たくさんの呪符(スペルカード)の束が仕込まれている。


「あ、ありがとうございます、クラウス様……!」

「無事そうだな……、ん?」


 そう言って、クラウスは眉間に皺を寄せて私を睨む。


「……そう言えばエーリカ、お前、なぜこんな所にいる」

「複雑な事情で。それより何故クラウス様はここが分かったんですか?」


 たしかエドアルトお兄様と一緒に極秘の捜査していたのでは?

 それに、隠し通路が開いてたとは言え、ここは入り組んだ大聖堂の一番奥なのに。

 どうやってここを探し当てたんだろう。

 私の問いに、クラウスはちらりと私の鞄に視線を向けた。


「俺は、アンの緊急用警報(アラーム)を追って来たんだ」

「警報……ですか」


 なんらかの手違いで私が持って来てしまったのだろうか。

 いや、あの時は物の出し入れなんてしていなかった。

 ……もしかして、アンが私に警報をつけた?

 しかし、アンが私の鞄に触るチャンスなんて、一度もなかったのに。


(ああっ! そうか! ティルナノグと握手した時、彼の手に魔法を仕込んでおいたんじゃ!?)

 

 すごい手際だ。

 私とティルナノグだけでは解決出来ない可能性を想定して、あの時点で既に増援を呼んでいたのか。

 クラウスは怪獣ザラタンをほぼ単身で倒した実力者だ。

 こんな状況で現れた増援としては、これ以上ないくらいに頼もしい。


「アンが何か危険なことに巻き込まれたものだと思ったんだがな。道理でアンにしては移動速度が速いはずだ」

「そ、それは大変申し訳なく……」

「妹が危険だと言うと、エドアルトのやつは二つ返事で捜査から抜けさせてくれたよ。他の捜査員から同類を見るような目で見られたのが屈辱的だった……何だこの風評被害」


 どちらも妹想いだから、通じ合うところがあったのだろうか。

 捜査の責任者がエドアルトお兄様だったのも、私にとって幸運だったのかも知れない。

 数々の幸運と、誰かの優しさが絡み合って、クラウスはここにやってきたのだ。

 どこか一つでも状況が変われば、彼は間に合わなかっただろう。

 私は思わずクラウスのローブの裾を握り、彼を見つめた。


「クラウス様……あなたが来てくれて、本当によかった……」


 クラウスの表情に一瞬、緊張に似たものが走る。

 彼はぶっきらぼうな様子でそっぽを向いた。


「ふん、エドアルトにでも感謝するんだな」


 おっと、裾を握ってたら、戦闘しにくいよね。

 私は慌ててクラウスのローブから手を離した。


「しかし、お前を庇いながら怪物と戦うのは避けたい。すぐにでも退きたいところだが……エーリカ、あそこに倒れている女は、お前の知り合いか?」

「え、倒れてる女……って」


 倒れてるのはオーギュストしかいないんだけど、どういうことだろう。

 ああ、そうか。

 クラウスって、まだオーギュストと会ったことがないのか。

 女顔で髪長くて一見華奢だから、誤解してしまったのだろう。


「ええ、大切な友人です」

「ならば見捨てるわけにはいかないな。友の友なら、なおさらだ」


 よし、勘違いしてオーギュストを救出する方向に傾いてくれた。

 嘘は言ってない。

 ちょっと真実を隠して、騙しただけだ。


「クラウス様。頑張ってあの人を助けましょうね!」

「エーリカ、お前は相変わらず危機感が薄いな」

「はい、アン様にも言われました」

「そんな危機管理能力のないお前が、どうしてまた危険なことに首を突っ込んでいるのか……とことん問いつめてやりたいところだが、それは後にしてやる。どうやらあの怪物は待ってくれそうにないからな」


 クラウスは長杖をかざし、新たに二束分の呪符(スペルカード)を展開した。

 防護陣(プロティクティブ・サークル)を挟んだ向こう側で、パリューグは愉快そうに笑っている。


『まあ、可愛らしい。小さな騎士(ナイト)様なのね。

 羨ましいわ。(わたし)もカッコいい男の子に「俺が守る」とか言われてみたーい。

 でも──』


 パリューグの爪が、縦横に揮われた。

 目の前に張られていた防護陣(プロティクティブ・サークル)に十字状に傷が入った。

 一瞬にして、その軌跡上の呪符(スペルカード)が破壊され、燃え尽きる。


『独り身には目の毒だから、消えてもらうわ』


 クラウスは慌てて追加の呪符(スペルカード)を投入し、詠唱によって呪文を強化した。


「なんだこの化物は……」

「幻獣で天使で獅子で守護獣で、何でも願いを叶えてくれる人喰いの怪物です」

「なんだそれは。ええい、その話も後でいい」

「あ、はい」

「その代わり、そこにザラタンに似た怪物の残骸が転がっていることについても、きっちりと説明してもらう」


 一番バレてはいけない人に、バレてしまった。

 なんてことだ。

 誤摩化したいが無理っぽいので、正直に話すしか無いな。


「クラウス様、好きにしていいとおっしゃってたじゃないですか」

「埋葬くらいはしてやりたいだろうと思ったが、まさか封印を解くなんて、誰が思うか!」


 喋りながら、クラウスはどんどん防護陣(プロティクティブ・サークル)を厚くしていく。

 五層、六層、七層……一番厚い所は八層もある。


「クラウス様、少し攻撃に回した方がいいのでは?」

「ああ、この防護陣(プロティクティブ・サークル)は精神攻撃には強いが各種防御力が低いんだ」

「別の呪文なんですね?」

「八百年以上前のものだ。何故だか知らないが、こと精神攻撃に限った話をするならば、古い時代の呪文の方が強いらしい」


 言われてみれば、呪符(スペルカード)の移動速度が〈来航者の遺跡〉で見たときより少し遅い。

 八百年前と言えば、吸血鬼のいた頃の呪文だ。

 おそらく彼らの使っていたという、魅了や支配等の魔法から身を守るためなのだろうか。


「でも、それでも今は物理防御とか耐熱防御が高い現代のものの方がいいのではないでしょうか?」

「この辺りが王都を包んでいる精神干渉波の中心だろう?」

「あ……」

「まったく。この手の攻撃に鈍いのは本当に羨ましいぞ」


 そう言えば、オーギュストの精神干渉で、魔法防御(アンチマジック)の低い人は動くことすらできず、魔法防御が高い人も大聖堂までは近づけなかったんだ。

 クラウスがここまで近づいても平気なのは、精神防御に優れた古い呪文で防護陣(プロティクティブ・サークル)を張っていたおかげだったのか。


「と言うわけだから……エーリカ、不本意ながら、お前の力が必要だ」

「はい!」

「攻撃を頼む。そのための杖は持って来ているだろう?」

「クラウス様はどうするんですか?」

「俺は防御に専念する。隙があれば俺も攻撃するつもりだが、あまり期待するな」

「はい」


 私は中に仕舞っていたティルナノグがクラウスに見えないように鞄の角度を調整しながら、短杖(ワンド)を選ぶ。

 でも、ティルナノグを一撃で倒すような怪物相手に、どんな攻撃をすればいいんだろう。


 ……いいや、弱気になってはいけない。

 ただでさえ規格外の強敵なんだから、せめて気持ちだけでも勝てるつもりで行かなければ。


『んー? お話終わった? そろそろ目障りなカップルの邪魔していい?』


 律儀にこちらの体勢が整うのを待っていたパリューグは、欠伸を噛み殺しながらそう言った。

 一見すると、気怠げでやる気がなさそうな様子だが、どこからどう見ても隙がない。

 私が戸惑っていると、クラウスは私を庇うように数歩進み出た。


「待たせたな、化物。俺が相手をしてやる。かかってこい」

『あらあら。

 じゃあ、お言葉に甘えるわ。

 せっかくカッコ良くて素敵な男の子に誘われたんだから、たっぷり遊んでもらっちゃおうかしら』


 パリューグは暢気そうにそう言うと、半歩踏み出した姿勢で足に力を込めた。


 クラウスは長杖(スタッフ)を突き出すように構え、杖に込められた増幅の能力を起動させていく。

 彼の持っている杖は〈来航者の遺跡〉に潜ったときの高価そうな杖ではなく、試合会場にいた魔法使いの人達が持っていたような量産型の一般的な杖だった。

 それでも、弘法は筆を選ばずと言うのだろうか、素人目に見ても充分に圧倒的な魔力の高まりを感じる。

 ──と、思ったそばから、その魔力の塊が一瞬で霧散する。


「えっ!?」


 クラウスの杖が、その軸の中程から折れて砕けていた。

 杖を握りつぶしているのは、毛皮で覆われた手。


 さっきまで十メートル以上離れた場所にいて、防護陣(プロティクティブ・サークル)によって進路を阻まれていたはずのパリューグは、一瞬で私とクラウスの間に立っていた。


 確かに、呪符(スペルカード)は完全に私達を覆い尽くしているわけじゃない。

 でも、まさか高速で飛び回る無数の呪符(スペルカード)の間をすり抜けるなんて。

 人型の獅子は、無邪気に笑う。


『だめじゃない。女の子に、そんな物騒なものを向けちゃ』

「バカな……!」


 クラウスは驚愕の表情を浮かべるが、すぐに砕けた杖を手放し、追加の呪符(スペルカード)を抜く。

 彼の手とパリューグの手の間で魔力の火花が散った。

 パリューグの赤熱した鉤爪を、クラウスは咄嗟に張った防護魔法で受けていた。

 辛うじて呪文展開の完了した数枚の呪符はクラウスの手の中で灰になり、他の呪符は床にはらはらと散らばる。


 パリューグはそのまま逆の手にも炎を纏わせ、クラウスを攻め立てる。

 両者の間で何度も火花のような光が瞬いた。

 その度に、クラウスの呪符(スペルカード)が数枚ずつ破壊されていく。

 このまま攻防が続けば、防護陣が破られてしまうだろう。


 私はそれに気づくより早く、飛び出していた。

 防御しているだけではジリ貧だ。


 パリューグの側面に回り込み、攻撃用の杖を起動した。

 この位置からなら、クラウスを巻き込まない。

 魔弾(マジックミサイル)の杖を取り巻く魔法陣から、純粋な魔力で出来た弾丸が発射される。

 回避しにくいようにやや狙いをばらけさせ、五発立て続けに速射。

 しかし、パリューグはこちらを見もしないで軽々と回避した。


「よくやった!」


 パリューグへの命中は得られなかったけれど、接近戦の手は僅かに緩んだ。

 クラウスにはそれで充分だったようだ。

 攻防を入れ替えて、呪符(スペルカード)を纏ったクラウスの拳がふるわれ、パリューグが防御する。

 一際強く、魔法陣の白い光が弾けた。


 光がおさまると、クラウスの拳を受けたパリューグの左手が分厚い霜に覆われていた。

 凍結の魔法が、炎の爪を抑え込んでいる。


 クラウスは同様の攻撃を繰り出す。

 パリューグはその攻撃を、バックステップで回避した。


 距離を取ろうとするパリューグに、私は魔弾(マジックミサイル)を掃射する。

 クラウスも防護陣に使われていた呪符(スペルカード)を攻撃に転用して追いつめる。


 無防備な着地の瞬間を狙ったはずの私の攻撃は、パリューグが着地点に降りて来なかったことによって不発となる。

 彼女は一瞬早く到達したクラウスの呪符(スペルカード)を足場にして再度ジャンプしていた。

 私達は空中のパリューグに向かって追撃するが、彼女の右手の鉤爪によって迎撃され、かき消される。


 真っ赤なドレスを翻し、パリューグは優雅に着地した。


『やれやれ、あんまり力を削りたくはないんだけど』


 パリューグは凍結した左手に力を込める。

 彼女の左手を覆う霜の内側から炎が吹き出すと、霜は即座に蒸発して消え失せた。

 直接的なダメージにはなっていないが、幾許かの力を浪費させることは成功したはずだ。


 でも、あとどの程度力を削げばいいんだろう?

 じりじりと焦燥が募ってくる。

 

 パリューグと目まぐるしい接近戦を行っていたクラウスの負担も気になる。

 彼は今、どれだけの衝撃を受け続けているのだろうか。

 分厚い防護陣を維持しながら、絶え間なく魔法を使い続けている彼の魔力は、どの程度残っているのだろうか。

 

「クラウス様、まだ()ちます?」

「ああ、まだいける。お前だって、切り札の一つや二つ、残っているだろう?」

「ええ」

「次で決めるつもりで行くぞ。あれ(・・)を使う。少しだけ時間をくれ」


 クラウスはそう言って、一枚の呪符に防護陣とは別の魔法を纏わせた。

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