表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/216

天使の玄室5

 巨大化したティルナノグの星鉄鋼でコーティングされた鉤爪が、怪物としての正体を現したパリューグに叩き付けられる。

 あまりの轟音に、私は思わず目をつぶってしまっていた。


 恐る恐る瞼を開けた時、目を疑うような光景が繰り広げられていた。

 数倍の体格差があるにも関わらず、パリューグはティルナノグの鉤爪を片手で受け止めている。

 ぞっとした。

 姿形に惑わされていたけど、彼女は本当に怪物なのだ。


『おや、あんたは蛇の王の眷属じゃあないようだねえ。

 ──作り物の紛い物の竜か。どうりで、(わたし)に逆らえるはずだわ』


『紛い物だと!? 不遜な!! 俺を……俺を、それ以上愚弄することは許さぬ!』


 ティルナノグは激昂し、攻撃を繰り返す。

 パリューグは鉤爪を紙一重で避け、あるいは軽く手を添えるようにして受け流した。

 全てが必要最小限の動きだ。

 ティルナノグにはだんだん焦りが見えてくるが、パリューグの表情からは余裕すら伺える。


(蛇の王……って、オーギュストが話してくれた契約の獣の物語に出てくる怪物の名前だったよね)


 蛇と竜を同一視する例は多い。

 つまり、伝承で語られている蛇の王というのは、竜の王でもあるのかも知れない。


 一瞬の隙をついて、パリューグが反撃に転じる。

 パリューグの鉤爪が、ティルナノグの両腕のガードをすり抜け、彼の肩を抉った。

 目にも留まらぬ早業だ。


 攻撃を受けた肩の装甲は、高熱に晒されたように赤熱し、鉤爪の形の傷痕がついていた。

 すぐに甲冑に刻まれた呪文が起動し、賢者の石の魔力を使って傷が塞がれていく。


 軽い破損なら自動修復されるように作っておいてよかった。

 同じ場所を狙われ続けたら、甲冑を破壊されてしまうところだった。

 それにしても、素手で星鉄鋼の装甲を傷つけるなんて、恐ろしい攻撃力だ。


(わたし)のことを不遜と言ってくれたけど、あんたの方がよっぽど不遜だよ、紛い物の黒竜。獣なら獣らしく、強い者には腹を見せて服従しなきゃあ』

『フ、笑止! 強者に従うのが摂理と言うのならば、お前が腹を見せて転がるんだな、化け猫女!』


 ティルナノグは装甲で覆われた長い尾を横薙ぎに払った。

 パリューグは軽々とジャンプし、それを飛び越える。

 しかし、ティルナノグの狙いはまさにそれだったらしい。


 尻尾による薙ぎ払いで体勢が崩れているにも関わらず、ティルナノグは鉤爪の攻撃を放つ。

 ちょうど腕の関節を全部逆に曲げるような動きだ。

 肉体を不定形の液体に変化できるからこそ可能となった、怪獣ザラタンの面目躍如とも言える一撃である。


 さしものパリューグも、不安定な空中での慮外の不意打ちをかわすことはできなかった。

 ティルナノグの爪がパリューグの腹に突き刺さった──かに見えたが、彼女はそのまま爪に体を巻き付けるかのように動いた。

 パリューグは星鉄鋼の手甲に深く爪を立て、体操選手のようにティルナノグの手を鉄棒代わりに回転する。


 甲冑の腕が捻り上げられ、ぎしりと金属の歪む嫌な音が響く。

 ティルナノグの両足が床を離れた。

 さっきまでの位置関係をちょうど逆転させたような形で、パリューグが地に立ち、ティルナノグの巨体が持ち上げられて宙に浮く。


 いくら関節を極めようとしても、ティルナノグの中身にはダメージを与えることができない。

 ティルナノグは肉体を自在に固体と液体の間で変化させることができるからだ。

 だが、星鉄鋼の甲冑が形状変化するには多少のタイムラグが必要だ。

 その僅かな時間差を利用して、パリューグはティルナノグではなく甲冑の関節を極め、動きを封じたらしい。

 パリューグはそのままティルナノグを床に叩き付ける。


『そら、赦しを請いなさい。今ならまだ見逃してあげるわ、奇形の蛇の仔よ』

『ガァァァァ! 誰が貴様などに!』


 ティルナノグは腕甲から液化した前腕を抜き、残った三本の肢で床を蹴って飛び退った。

 パリューグの腕の中に残った腕甲は数秒の後に光の粒子となって砕け、再びティルナノグの前腕に集束して結合する。


 怪物同士の異次元の攻防。

 それに見とれるように惚けていた私は、眼前にティルナノグが逃れてきたことで、ようやく我に返る。


『グゥゥ……悔しいが、今の俺の力だけでは、あの女に勝てぬ……』

「どうすればいいの? 一度退く?」

『いいや。力で勝てなければ、他のもので勝てばいいのだ。切り札ならば何枚でも……いや、何本でも持って来ているだろう?』

「わかったわ」


 私はティルナノグにワンドホルダーに下げておいたとっておきの攻撃用の短杖(ワンド)を投げる。

 分解(ディスインテグレイト)短杖(ワンド)だ。


 杖頭は正十二面体の磁鉄鉱(マグネタイト)、軸材は十年以上使われた水車の車軸。

 芯材に使われているのは空間圧縮された二十リットルの王水だ。

 杖の表面には現在では判読不能な十七個の古代文字が刻まれている。


 ティルナノグは顎の装甲を開き、杖を飲み込んだ。

 杖から吸収した魔法のエネルギーが、彼の体内に張り巡らされた増幅機構の中を循環する。


 ティルナノグの口から、電気に似た黒い火花を伴った黒い光線が放射された。

 彼の体内で増幅されたせいか、竜のブレスのような極太光線になっている。

 圧倒的なスピードを持つ神獣でも光線は避けられなかったらしく、パリューグは黒い光線に直撃した。


 分解光線を身に受けたパリューグは、半透明な七色の歪んだ幻像となってブレる。

 まるで壊れかけたテレビがチラついた映像を映し出すような、奇妙な現象だ。

 しかし、それも一瞬だけで、パリューグはすぐに元通りになった。

 相手がどんな怪物であっても例外はなく、分解光線はあらゆる物質を破壊し、細かな粒子に変える。

 そのはずなのに、パリューグは無傷でそこに立っていた。


『あら、危険な魔法だこと。大事な王子様に流れ弾が当たらなくてよかったわ』

『貴様……、何故……ッ!?』

『勘違いしないでね。ちゃんと分解されてあげたわよ。すぐに元通り集束したけど』


 パリューグはコキコキと肩を回して体の動きを確認し、にやりと笑う。

 彼女はでたらめな鼻歌を歌いながら、悠々とティルナノグに近づいていく。


『いい攻撃だったわ。一歩間違えば消滅させられちゃうところだった。でも、最大の間違いは、(わたし)を物質だと思い込んだことかしら』

『物質でなければ何だと言うんだ!』

『それは見ての通り──』


 パリューグが片足を半歩踏み出すのだけが見える。

 次の瞬間、パリューグの速度は私の知覚力を超越し、私の網膜に残像を残して消え去った。

 彼女の通過した軌跡に五条の赤い閃光が迸る。


『──熱と、光よ』


 私はパリューグから発された強烈な光で、僅かに目を逸らした。

 正面に向き直った時、そこには六分割されたティルナノグが横たわっていた。


 より正確に言うと、そこにあったのは六つに溶断されて破壊された甲冑と、液化し形状を保てなくなったティルナノグだった。

 堅牢なはずの星鉄鋼の鎧は引き裂かれ、高熱によって融かされたかのように切断面は赤熱していた。

 ティルナノグ本体は辛うじて生きているようで、熱された金属部分を避けるように黒い液体がのたうっている。

 彼の体も直接高熱を受けたらしく、肉の焼け焦げる匂いとともに黒煙が立ち上っている。


「ティル!」

『グゥゥゥゥゥゥッ!? まずい……これほどのダメージを受けるとは……』

「大丈夫!? 死なないで!」

『あ、安心しろ……死にはしない…………だが、俺はもう、戦えぬ……しばし、眠、る……』


 ティルナノグは竜の形を失った液体のまま、私の鞄の中に退避する。

 かなりの部分がパリューグによって灼き潰されてしまったらしく、動けるのは黒い液体のごく一部だけのようだ。

 重い、けど、何とか抱えて走れる程度の重さだ。

 戦闘用鞄だけでも、そこそこ軽量な造りにしていてよかった。


『エーリカ……、逃げ、ろ……』


 その言葉を最後に、ティルナノグは静かになる。

 慌てて霊視の魔眼(グラムサイト)の杖を振ると、彼に内蔵された呪文がまだ動いているのが見えた。

 よかった、生きている。

 回復のための休眠に入っただけ、だと思いたい。


 鞄を持ち上げ、出口の方を向いた私の前で、複雑に絡み合った見た事もない魔法構造体の塊が揺らめいた。

 重なり合った通常の視覚に、金髪の女獣人の姿が映る。


『逃がさないわよ。せっかく邪魔者がいなくなって、二人っきりになれたんだもの』


 回り込まれてしまった。

 炉の中で溶け輝く黄金の色で、パリューグの瞳が笑う。

 どうしよう。

 ティルナノグでもスピード負けしちゃうような怪物相手に、どうやって逃げ切ればいいんだろう。


 不意に、パリューグを取り巻く聖句の一部に見た事のある文字列が含まれているのに気づいた。

 それは古代ロムレス時代の文字に見える。

 私がまだ読めない言語なので、自然と古代ロムレスの文字を目にした機会は少ない。

 いつ見たものだろう。

 聖典か、聖堂の展示物か、それとも──


(ああ! あれは、記念碑(オベリスク)に彫られていた、削除された方の碑文の一部だ!)


 私の頭の中で、不意にいくつもの情報が一本の糸で繋がっていく。


 契約の獣は蛇の支配権を持っている。

 始祖王の守護天使は、竜を操る力を与えた。


 唯一神とともに壁画に描かれていた獅子の頭をした天使。

 薬(びん)を手にした天使。

 流行り病を喰らって人々を救った契約の獣。

 お守りになった病魔喰いの大山猫(リンクス)


 高熱を発する爪を持つ神獣。

 天使の掲げていた炎の剣。


 彼女の体は物質ではなく、熱と光でできている。

 前世の世界で、天使は何で出来ていると言われていた?


 これは、ザラタンの伝承と、ちょうど逆のことが起こっているのではないだろうか。

 元々はパリューグという一体の怪物だった。

 しかし、それが複数の名で呼ばれ、語り継がれていくうちに、別々の怪物(モンストロ)として人々に記憶されていった。


「あなたは悪魔じゃないと、この子が……ティルナノグが言っていました」

『ふうん。悪魔ではないなら、(わたし)は一体なんだというの?』

「パリューグさん、あなたは、始祖王に竜への騎乗能力を与えた天使ですね?」


 パリューグは、金色の体毛に覆われた前肢を自分の胸に乗せ、恍惚の笑みを浮かべて天を仰いだ。

 彼女の肩が小刻みに震え、それは次第に壊れたような哄笑へと変化していく。


『ククク……アハハハ、アハハハハハハハハハハ──

 これは、なんて素敵なのかしら、エーリカお嬢ちゃん。

 たった数年の間で、二人も(わたし)の正体を暴くなんて。

 しかも、そのうちの一人は、イグニシア王族ですらない異民族の女。

 何千年も生きてきて、こんなことは初めてよ』


 突然パリューグは笑うのをやめ、優雅な仕草でお辞儀をした。


『その通りよ、錬金術師エーリカ・アウレリア。

 (わたし)は唯一にして至高なる神の第一の御使い。

 千の腕持ち遍く世界を照らす太陽の、左眼より生まれた者。

 神に賜りし(わたし)の名は疫病(ペスティレンス)

 我が(きみ)、始祖王ギヨーム・イグニシアに授けられし名は幻猫(キャス)パリューグ。

 (わたし)は伝令。

 (わたし)は炎の剣を揮う者。

 (わたし)は病を取り除き、蛇を従える者。

 (わたし)は幼子を守り、人々の願いを聞き届ける者……だった』


 まるで陽炎が立ち上ったように、ぐにゃりと一瞬視界が歪んだ。

 パリューグの左目からどろりと血が垂れ、涙のように頬を伝って落ちていく。

 壁に刻まれた目の形の紋様から発される光が白から赤へと変わり、パリューグの左目と同調するかのように、得体の知れない赤い液体が流れ出ていた。


 気づけば、全身汗だくになるほどに、部屋の温度が上昇していた。

 それなのに、私はずっと背筋に寒気を感じるほどの恐怖を感じている。


『今の(わたし)は、かつての力を失ってしまった。もはや残り滓に過ぎない。

 巨人を屠り、吸血鬼を屠り、賢き者や心優しき者の願いを叶えるために、(わたし)はあまりにも多くの力を使ってしまった。

 蛇の王を喰らい、数多の病を喰らい、我が王の愛した民を救うために、(わたし)はあまりにも多くの力を失ってしまった。

 神のために、人のために、(わたし)は力を尽くしてきた』


 彼女の言葉が本当ならば、天使としての彼女はもう滅びかけと言うことだろうか?

 ならば、そのなけなしの奇跡をオーギュストに破滅を承知で与えようとしていたのだろう。


 私の本能はこの滅びかけの天使から一刻も離れたがっていた。

 しかし、私は足を一歩も動かす事が出来なかった。


『それなのに、(わたし)は人々の記憶から忘れ去られた。

 もはや誰も(わたし)を覚えていない。

 もはや誰も(わたし)に祈ることはない。

 我ら御使いの力の源は、人間達の信仰。

 それを失ってしまっては、目減りした力を補充することもできない。

 このまま(わたし)は、緩やかに消滅していくのだと、そう思っていた。

 あと一度か二度、誰かの願いを叶えたら……そうでなくても、ほんの十数年もすれば、(わたし)は存在を維持出来なくなって、消えてしまうだろう。

 その滅びを受け入れているつもりだった──』


 パリューグは言葉を切り、横たわるオーギュストを見つめる。

 慈愛に満ちた、それでいて切なさを感じさせる表情だ。


『だけれど、忘れ去られていた(わたし)を見つけてくれた者が……必要としてくれる者がいた。

 この子だけが。

 そう、オーギュストだけが、(わたし)に再び存在する意味をくれた。

 死んでいるも同然だった(わたし)を、生かしてくれているのよ。

 ならば、この身も心も捧げる事に躊躇はなく戸惑いもないわ』


 彼女の言葉は、オーギュストの言葉によく似ていた。

 飽くなき献身だ。

 自らを犠牲に捧げても、誰かの幸せを願う。

 例えその先に待つのが二人の破滅だとしても。


「でも、それじゃあ、結局オーギュスト様の願いは完全には叶わないじゃないですか。もしかして、オーギュスト様の願いを叶えるには、あなたに残された力では足りないんじゃないですか?」

『ええ、その通りよ。オーギュストの血から得た魂の力に加えて、(わたし)の全存在を燃やし尽くしたとしても、保って六年……いや、四年半が関の山でしょうね』


 原作よりも存在を維持出来る期間が短くなっている。

 もしかして、先ほどのティルナノグとの戦闘のせいだろうか。

 なけなしの命を更に減らしてしまうなんて、あの戦いに何の意味があったと言うんだろう。


「パリューグさん、もう、やめましょう。このままじゃ、二人とも不幸になってしまうだけです。契約の遂行を諦めて、残された時間をオーギュスト様と一緒に過ごせばいいじゃないですか」

『ええ、そうね……(わたし)もずっと、できればそうしてしまいたいと思っていた。でもね、エーリカお嬢ちゃん、(わたし)はもう決めたのよ。残された力は、全てこの子のために使おうと。(わたし)の大事な王子様の願いを、叶えてあげようと』

「パリューグさん……」

『だって、力を得るための生贄が、何も知らずにノコノコと近づいてきてくれたんですもの。もはや(わたし)が消滅を覚悟する必要すらないわ』


 パリューグにとって、オーギュストはそれほどまでに大事な存在だったのだろう。

 何とか別の解決策はないか、ずっと考えているけれど、何も思いつかない。

 ……ん、あれ?

 ちょっと待って、最後に何か変な言葉が聞こえた気がする。


「……生贄、って何ですか?」

『さあ、誰かしら。きっと賢くて可愛くて、とびっきり優しい錬金術師の娘のことじゃないかしら?』


 パリューグは口を半開きに開けて、口角を吊り上げた。

 牙を剥き出しにした、獣の笑み。


 指先に痺れを錯覚するほど、血の気が引いた。

 緊張と恐怖で体温が下がったのを感じる。

 鈍感すぎる私の第六感が、今更ながらに最大限の警鐘を鳴らしていた。


 何で気づかなかったんだろう。

 パリューグの正体とか、彼女の想いとか、そういうの暴いてる場合じゃなかったよね。

 目の前にいる彼女は、王子様に力を与えたい健気な瀕死の守護獣とか、国家を見守って来た天使とかである以前に、力を求める餓えた獣じゃないか。


 死亡フラグだ。

 怪獣ザラタンの力でも折れないほどの、とてつもなく頑丈な死亡フラグが、そこに立っていた。


『あら、可哀想に。こんなに震えて。

 大丈夫よ。あなたの存在を消滅させたりはしないわ。

 あなたの血と魂は願いを成就するための力に変換させてもらうけれど、あなたの肉体は(わたし)がもらってあげる。

 (わたし)があなたの体を使ってあなたの人生を生きてあげる。

 なんて素敵。エーリカ・アウレリアの体ならオーギュストとも結婚できてしまうわ』


 その天使は、天使という概念がゲシュタルト崩壊を起こしそうな台詞を吐いた。

 何だか衝撃的すぎて内容が上手く脳に入ってこない。

 ただ一つ分かるのは、パリューグの想定する未来計画なんて、私としては真っ平御免だということだ。


 ゆらり、ゆらりとパリューグが近づいてくる。

 私は腰のワンドホルダーから金縛り(ホールド)の杖を抜き、パリューグを目がけて振った。

 コカトリスから抽出されたものを希釈した、不可視の石化の呪いが、杖頭に僅かな魔力光を残して射出される。

 しかし、パリューグの足は止まらない。


 一瞬だけ、バトルものアニメの演出みたいに彼女の体がブレたのが見えた。

 きっと、単純な杖の攻撃は当たらない。

 不可視の攻撃や光速の攻撃を使ったとしても、杖や視線の向きで攻撃する前に回避されそうだ。


『エーリカ・アウレリア。あなたはオーギュストを助けに来たんでしょう? なら、何も難しいことはないわ。そのついでに(わたし)のことも助けてくれるだけでいいのよ』


 パリューグは妖艶に微笑み、赤熱した爪を見せつけながらそう言った。

 彼女が近づくごとに、周囲の気温が上昇しているように感じる。


 私はちらりと出口に視線を向けた。

 あそこまで辿り着ければ、物理的な障壁を作り出す石壁(ウォール・オブ・ストーン)の杖や鉄条網(バーブドワイヤー)の杖で接近を阻むことが出来る。

 もちろん、パリューグにかかれば、どんな障壁も一瞬で破壊されてしまうだろう。


 しかし、物理障壁が一つや二つではなく、無数に存在したらどうか。

 破壊の力を行使するためには、パリューグ自身の命を削らなければならない。

 杖の残弾を考えると五分五分だが、追跡を断念させるくらいの大量の障害物を設置出来れば、逃げ切れるかも知れない。


(でも……)


 この作戦には、二つの問題がある。

 一つは、ティルナノグの入った、普段よりも重い鞄。

 もう一つは、出口と反対側に倒れているオーギュスト。


 重い鞄のことを考えると、出口までのたった十メートル程度の距離が、果てしなく遠く感じる。

 だけど、最短距離で逃げるなら、オーギュストは諦めることになる。

 とは言え、パリューグの向こうにいるオーギュストを背負って、ティルナノグの入った鞄を持って脱出なんて、どう考えても不可能だ。

 そもそも、仮に二人を見捨てたとしても、私が逃げ切れるとは限らないのだ。


『せめて苦しまないように終わらせてあげるわ。さようなら、エーリカお嬢ちゃん』


 パリューグはゆっくりと右腕を振り下ろされる。

 その鉤爪から、凝縮された炎が発されているのが見えた。

 これが、ティルナノグを倒した光の──壁画に描かれていた炎の剣の正体か。


 その炎の切っ先が私に触れる寸前、私の背後から銀色に輝く何かが飛んでいく。

 飛来した何かは、不規則な動きで飛びながらパリューグの腕に衝突する。

 重金属同士が打ち合うような音がした。

 彼女の腕は弾かれ、炎を形成していた魔力の流れが霧散する。


 パリューグは咄嗟に左手に短い炎の爪を作り出し、飛来した物体を斬り裂いた。

 纏っていた魔法陣ごと真っ二つになった紙片が、一瞬にして燃え尽き、灰になって散っていく。

 あれは、もしかして東の……ハーファン式の呪符(スペルカード)


 パリューグがオーギュストの方に飛び退るとともに、幾千枚の呪符(スペルカード)が私を守るように取り巻いた。

 この呪文は見たことがある。

 ハーファンの魔法使いが使う防護陣(プロティクティブ・サークル)だ。

 そして、この魔法を得意とし、あくまでも防御用であるはずの防護陣(プロティクティブ・サークル)を攻撃に転用してしまうような人物と言えば、私は一人しか知らない。


「勝手にそいつを殺されてもらっては困る。エーリカを殺したければ、俺を倒してからにするんだな」


 まるでどこかのライバルキャラのような台詞が響く。

 その声とともに姿を現したのは、東の魔法使い、クラウス・ハーファンだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ