春の宮殿3
庭園の案内は問題なく終わった。
アンは大満足のご様子だ。
西のアウレリアで改良された花々を珍しそうに楽しげに見て回ってくれた。
帰り際には忘れずに、選んでおいた花を摘んでアンの部屋に飾るように、庭師にお願いしておいた。
これで彼女が部屋に着いたら喜んでくれるだろう。
夕食会の前に一度自分の部屋に戻ろうとしていたら、びっくりするものに出くわしてしまった。
「……はっ、まだだ、もう一回勝負しろ……!」
「困ったなあ。もう息が切れてるじゃないか、クラウス。僕はもうお腹が空いて来たし、止めたいんだけどなあ……」
クラウスと我が兄エドアルトが宮殿の中庭で手合わせしていたらしい。
クラウスは東の魔法使いの使う長杖を、エドアルトお兄様は西の錬金術師が使う短杖を持っていた。
どうやらエドアルトお兄様が圧勝してる雰囲気。
さすがです、お兄様。
いや子供相手には手加減しようよ、二十歳児。
中庭の芝生があらかた抉れているじゃないですか、やだー!
「おや、エーリカ。君の方はどうだったかい?」
エドアルトお兄様は私を見つけると「助かった」といった表情で声をかけて来た。
その声にクラウスがびくっと震えたのを見てしまった……。
見られたくなかったんだろうな、こんなけちょんけちょんに負けてる場面。
「ええ、アン様にとても喜んでいただけましたよ。お二人はお手合わせしてらしたのですか?」
「ああ、クラウス君が僕の実力を試してみたいって言ってくれてね。いやあ、彼はとても優秀だよ。僕なんて防戦一方でさ」
「あら、そうなんですの?」
またまたご謙遜を。
行き過ぎた謙遜はイヤミになるので気をつけた方がいいですよ、お兄様。
おそらくクラウスの仕掛けた攻撃的な魔法をすべて、涼しい顔して無効化したんでしょ?
「っ……!」
ほら、クラウスがぷるぷる震えて赤くなって来てる。
だいたいこの勝負、どう考えてもクラウスの方が分が悪いのである。
基本的に、魔法使いは自由度やバリエーションではるかに錬金術師を上回る。
しかし、その分肉体的精神的負担が高い。
何故かと言うと、魔法使いは構築した呪文を自身の肉体から生成して魔法を実行するからだ。
未熟な肉体や、不安定な精神はそれらをすべて阻害する。
逆に、強い感情を呼び起こして構成した魔法はおそろしく強力になる。
錬金術師は予め呪文を構築して生成しておいた魔法を、様々な物質を利用して充填する。
そして、後から必要に応じて魔法を再生実行させる。
体調もメンタルヘルスも関係ありません。
問題は事態に備えて準備をちゃんとしてあるかどうかだけ。
以上により、十分に物資を貯蔵した錬金術師と、まだ肉体的に完成されていない魔法使いでは勝負にならない。
ちなみに私ことエーリカは、アウレリア家でも近年まれに見る劣等生である。
致命的なことに、呪文の構築と魔法の充填が出来ないのだ。
辛うじて他の錬金術師の作成した道具を利用するくらいはできる。
実は錬金術師じゃなくても、どんな人間にでも出来ることなのですけどね……、ははは。
辛い!
父と兄の庇護下にある今はいいけど、学園に入学したらどうなっちゃうんだ!?
それはさておき。
「お二人とも、そろそろ夕食会ですよ。準備をなさった方がよろしいお時間ではないでしょうか」
汗一つかいていない涼しげな兄と、這々の体のクラウスに伝えた。
「というわけなんだよ、クラウス君。この勝負は時間切れの引き分けということで」
「……つ、次は負けないからな……っ」
「ああ、そうだ。僕は先ほど学生時代の友人から呼び出されてね。夕食会のあとに魔法学園都市に戻ることになるんだ」
「なんだとっ……!?」
「いやあ、残念だよ。クラウス君」
兄が今夜早々に魔法学園都市に戻るなんて私も初耳である。
クラウスはエドアルトお兄様に勝ち逃げを決められてしまうわけか。
「いきなりですね、せめてハーファンの方々がいらっしゃる間はこちらに留まれないんですか?」
「なにぶん急用でね。僕の分までクラウス君と仲良くしておくれ、エーリカ」
「え……?ええ」
そうしてエドアルトお兄様は立ち去ってしまった。
私とクラウスが取り残された。
これは気まずい。
クラウスをちらりと見ると、露骨に睨まれてしまった。
どうしようかなと思いつつ微笑むと、さらに睨まれてしまった。
「……さっきは無礼なことを言って済まなかった」
睨んでいたのではなくて、真っすぐな目で私を見ていただけだった。
「いいのですよ、クラウス様」
「他人からの弱さがうつる以前に、俺は元々弱かったらしい」
クラウスはしょんぼりしたワンコみたいな顔になった。
エドアルトお兄様、どういうしばき方したんですか……?
「お前もあの男の妹だ。手練の錬金術師なのだろう」
「いえ、私は錬金術の才能は全然」
「……お前達はそういう謙遜が好きなのか?」
ああ、エドアルトお兄様の謙遜のあとだと胡散臭くなっちゃうな。
「いえ、私に関しては本当ですわ。残念なことに、体内で呪文や魔法のための魔力が阻害されてしまうんです」
「……! そうなのか、それはすまないことを聞いた」
西のアウレリアでも少々厳しい体質なのだけど、東のハーファンだとかなり致命的な体質だよね。
いきなりクラウスの私を見る目が同情的になってしまった。
真面目に我が身を振り返ると本気で将来が不安になる。
きっと原作ゲームでのエーリカは、この辺の劣等感で屈折しちゃったんだろうなあ。
「しかし、ああ……これは食い下がっているのではなくて、単なる疑問なのだが、お前の周辺にとても変わった魔法の痕跡を感じるんだ。お前自体の魔力でないとするならば、一体何がその魔法を構成しているんだろうな」
おっと、どういうことなんだろう?
「あら、私はまったく気がついておりませんでした」
私だってもちろんアイテムで防御用の魔法を纏っている場合もある。
しかし、ここはアウレリアの本拠地。
ホームグラウンドでそんな魔法を使う必要はない。
「気になる。悪いな、少し近くに寄っていいか?」
「え? ええ、いいですわ」
クラウスはそう言って、私のすぐ前に寄って来た。
そのまま私をじーっと見つめ始めた。
「ふむ……」
こんなので分かるのか。
流石、将来は万能の魔法使いだね。
「分かった、お前の胸元からだ。何か特殊な魔力を秘めた装飾品でも保持してるんじゃないのか?」
ああ、あれかーー!
お兄様から頂いた星水晶の首飾り。
「今朝、兄から貰った物です。そんな強力な魔法が仕掛けられているなんて知りませんでした」
これをアンに見せてしまうといけないけど、クラウスになら問題ないよね。
そう思って私は胸元から首飾りを引き出した。
時刻は夕刻。
薄暗くなってきた空間に、青い星のような光が溢れた。
「……美しいな。そうかこれが有名なアウレリアの星の光か……」
「仲良しになれる程度のお呪いがかけてあるそうです」
お呪いレベルだと思っていたけど、本気の魅了だったのだろうか?
クラウスは魅せられたようにじっと見つめている。
「お前の兄の魔法ではないな。それどころか、俺が知らないタイプの魔法だ。ハーファンのものでもないし、アウレリアのものでも無いように見える」
「そうですね、これは〈来航者の遺跡〉で見つけたものだと聞きました。なんらかの古代の魔法なのかもしれませんね」
「〈来航者の遺跡〉か」
しまったな、と思った。
何となくこのキーワードが出てくること自体が、あまり良くないことの先触れな気がする。
「でも、この石の魔法的な処理にエドアルトお兄様が気が付かなかったのは何故なんでしょうね」
「俺も気のせいかと思うくらいの微弱なものだよ。ただ、俺が知らない魔法ということは、相当稀なものってことだ」
優れた魔法使いであるクラウスのことだ。
魔法の痕跡を視覚的に感じることができる霊視の魔眼をいつでも利用しているから気がつけたのだろう。
彼らの魔法は無意識下でも自動的に起動するのである。
残念なことに、私たち西の錬金術師は、想定外の事象には対応できない。
エドアルトお兄様がこれに気がつかなかったのも不思議な事ではない。
それにしてもクラウスったら、ずいぶん自信家なんだな〜。
魔法学園に入学前だというのに東西の魔法を網羅してるって言い切っちゃうんだ。
「そんなことまで分かるなんて、すごいですね、クラウス様」
「当然だ。そのために全力で毎日鍛錬してるのだからな」
クラウスの目がキラリと光った気がした。
才能豊かな人間って、自分の好きな分野に対しては好奇心高いし貪欲だよね。
「俺もその遺跡に行ってみたい。エーリカ、そこへ案内してくれるか」
──この流れ、悪い予感しかしない。
何だか私の死亡フラグが立ちつつある気がする。
ゲームではアンが〈来航者の遺跡〉の悪霊に取り憑かれたのである。
アンの代わりにクラウスが遺跡に行ったら、クラウスが悪霊に取り憑かれて、私を呪い殺しそうだよ〜〜!!
「無理です。あそこは危険な場所ですので」
「エドアルトなら問題なく行けた場所なのだろう? 俺では無理だというのか?」
うわ、妙な対抗意識を刺激してしまった!
そうですよって言ったらプライド傷つけるんだろうなあ。
どうしよう、これ。