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天使の玄室4

「教えてくれ、私は父上の……イグニシア王アンリの子なのか?」


 オーギュストの問いかけが、隠し部屋に響く。

 彼に声をかけようとした私は、思わず立ち止まった。

 私への問いかと思ったけれど、彼の視線は別の場所を向いている。

 まるで、目に見えない会話の相手がそこにいるかのようだ。


「では、私は人間なのか? この力は、いったい何なんだ?」


 切実な声色で、オーギュストの問いは続く。

 私に背を向けた彼の表情は、見えない。


「……お前は、いつも私の耳に優しい言葉を使う。いつも私に都合のいいことを言う。お前は嘘つきで、真実なんていくらでも捩じ曲げる。

 ああ、分かっているんだ。本当は、私の心が弱いせいで、お前の言葉を信じられないだけなんだ。

 私が逃げているのがいけないんだ……真実から、自分から、そして、お前から」


 オーギュストは言葉を切り、ゆっくりと振り返った。


「……こんなところまで、ついて来てしまったんだな、エーリカ」


 さっきまで血を吐くような悲愴さで何者かに訴えかけていたのに、オーギュストの顔は静かな微笑みで覆われていた。


 オーギュストは、心がひどく痛んでいるだろうに、辛そうな顔一つ見せない。

 たった数日の友人関係では、笑顔の仮面の向こう側には踏み込めなかったのだ。


 でも、関係ない。

 今欲しいのは、オーギュストの心のケアではない。

 心の傷は、破滅の運命から逃れてから、ゆっくり癒せばいい。


「オーギュスト様、帰りましょう。まだ間に合います」

「間に合う? 何が間に合うんだ? 何に、間に合うんだ?」

「それは……」


 私は思わず、言葉に詰まってしまった。

 オーギュストの紫水晶(アメジスト)色の瞳が揺れる。


「何もかも、全て、手遅れなんだ。一度人の心に入り込んでしまったものは、簡単には拭い去れない。定まってしまった評価を、抱いてしまった疑念を覆すには、大きな力が必要なんだ……それこそ、奇跡でも起こせるくらいの力が」


 オーギュストは掠れるような声で、言った。


「母上はずっと私のことを信じてくれていた。父上も、どんなに疑念を吹き込まれようと、信じようとしてくれていた。

 私は父母に、彼らの望んでいた結果をあげたかった。

 私は、彼らの望むオーギュストでありたかった」


 私には彼の気持ちを理解することはきっと出来ない。

 オーギュストの七歳から始まった苦しみの三年間のことは分からない。

 どんな思いをして、彼がこの禁呪に手を出したのか。

 ここ数日一緒にいただけの私は、分かったつもりになってはいけないんだろう。


 でも、彼の破滅を止めちゃいけないことにはならないはずだ。

 何も分かっていない他人が、余計なお節介で手を出しても、いいはずだ。


「だからって! オーギュスト様が犠牲になる必要はないはずです!」

「犠牲……か。エーリカにかかれば、何もかもお見通しなんだなあ」


 私の叫びに、オーギュストは自嘲的に薄く笑った。


「禁呪のこと、知っていたのに、隠してたんですね」

「ごめん。お前を騙しちゃったな」

「そんな話がしたいんじゃないんです。謝って欲しいわけじゃ……」

「もう決めたんだ、エーリカ」


 私の言葉を遮って、オーギュストは迷いのない声で言った。

 どうして、そんな消え入りそうな儚い笑顔を浮かべているのだろう。


「私と友達になってくれてありがとう、エーリカ」

「なんで、今、そんなこと言うんですか。まるで、これからは友達じゃないみたいじゃないですか」


 まるで死にそうじゃないですか。

 数少ない友達なんだから、友達やめられると困るんですけど。

 矢継ぎ早にそう言って、オーギュストに詰め寄ってしまいそうになってしまった。

 あるいは、感情のままに詰め寄って、無理矢理にでもやめさせてしまえれば、よかったのだろうか。


「私の願いが叶えば、きっと今の私は消えてしまうからさ」

「……そんな」

「だから、最後にお前にもう一度会えてよかった」


 オーギュストの手の中に銀色の光が閃く。

 奇妙なデザインのナイフだ。

 大聖堂の展示物に、あんな形のものがあったような気がする。

 問題は、彼がそれで何をするつもりなのかということだ。


「ダメです!!」


 私とティルナノグが駆け寄るよりも、オーギュストが自分の手のひらに小さな傷をつける方が早かった。


「一つだけ奇跡が起こせるのならば、私は、本来あるべきだった私を願う。

 ここにいる私ではなくて、自信に満ちた、何一つ己を疑わなくていい私だ。

 竜に乗って自由に空を舞い、父や母に誇りを与える私だ。

 もし、それが手に入るのならば、私は、私の心なんていらない──」


 彼の手から血の雫が落ちる。

 しかし、その血は床に落ちる前に、見えない何かに舐めとられたかのように消え失せた。

 オーギュストの紫色の瞳が、静かに閉じられる。



「古の契約に従い、願いの代償として、私は私の守護者に血と肉と魂を、──私の全てを捧げる」



 オーギュストの体から力が抜け、彼は天を仰いで倒れていく。

 それと同時に、彼の背後で炎が燃え上がった。


 炎は赤く燃え盛り、人の背丈の二倍ほどの高さまで伸びる。

 その炎の中に、人のような影がゆらめく。

 荒れ狂う炎の舌の間から二本の腕が出現し、オーギュストを抱きしめた。


『愚かな子……こんなにも心がボロボロになるまで思い悩んでしまうなんて。

 ああ、それにしても、なんという皮肉。

 その心に刻まれた傷故に、私達獣の目には、お前の魂は喩えようもなく美しく映るのだから』


 炎は次第に小さく集束し、炎に隠されていた人物が姿を現す。

 獅子の(たてがみ)を思わせる、太陽の色の艶やかな金髪。

 灼けついた砂漠を思わせる小麦色の肌。

 炎の熱は糸となって南方風の赤いドレスを織り上げ、光は凝縮して黄金の装身具へと姿を変える。


 それは野性と凶暴を感じさせる、美しくも恐ろしい女性だった。


 若くも見えるし、老いているようにも見える。

 幼くも見えるし、熟れているようにも見える。


 彼女の年齢は外見から想像できなかったが、無理もない。

 だって、彼女は、どう見ても人間ではない。

 人間の尺度で測れる筈がない。


 何よりも、彼女が人ではないことを主張していたのは、彼女の目だった。

 猫科の肉食獣を思わせる、縦長の虹彩を持った金色の瞳。

 やや吊り上がった、大きな双眸。


 見ただけで息が詰まるような威圧感と恐怖。

 見ただけで心が蕩かされそうな誘引力と安心感。

 相反する印象を放つその二つの瞳を見ただけで、私の本能は彼女が人界における異物であることを理解した。


「パリューグさん……? まさか、あなたが、契約の獣……?」


 どう見ても自称悪魔、パリューグにしか見えないその人物は、目を細めて微笑んだ。

 私はその笑みを、肯定だと受け取った。


 その顔を間違えようはずがない。

 だけど、肯定された今でも、彼女があの自称悪魔だなんて信じられない。

 唯一神の壁画の前や、王城のテラスで会った時と全然印象が違う。

 明らかな怪物(モンストロ)の気配を纏った今の彼女は、自称どころか本当に悪魔だと言われても納得してしまいそうだ。


 パリューグは傷つきやすい宝物を扱うかのような手つきで、オーギュストを床の上に横たえる。

 まるで母親のような、慈しみに満ちた仕草だ。

 

『まさか、こんなところまで入って来てしまうとはねえ……エーリカお嬢ちゃん?』

「パリューグさん、あなたが契約の獣なら、話が早いです。お願いですから、オーギュスト様と契約しないで下さい」


 なぜ彼女が契約の獣なのか。

 契約の獣なのに、どうして今までオーギュストの願いを叶えてあげなかったのか。

 そういった疑問を全て置いておいて、私はパリューグを説得することにした。

 あとは履行されるだけになってしまった破滅の契約を、どうにか止められるとすれば、契約の獣本人だけだからだ。


 本当なら、戦闘も辞さない覚悟だった。

 しかし、契約の獣がパリューグなら、戦うことなく契約を破棄してもらえるかも知れない。


「契約のためにオーギュスト様と融合すれば、六年後、あなたは暴走状態になってしまいます」

『知ってる』

「どういう理屈か分かりませんが、契約の獣は……あなたは、オーギュスト様との融合に耐えられないんです」

『知ってる』

「暴走状態になってしまったら、人を殺してしまう恐れがあります。それに、あなたが再び分離することで、オーギュスト様は竜への騎乗能力を失ってしまうんです。今度こそ永久に」

『だから、知ってるんだってば』


 パリューグはオーギュストを横たえた後、ゆっくりとこちらを振り返った。

 オーギュストに向けるのとは違う、気怠げな目が私を見つめる。


『待て、エーリカ! そいつにそれ以上近づくな!』

「え……?」

『気をつけろ、体が人型をしているからと言って、そいつの心が人と同じ形をしているとは限らない』

「でも、パリューグさんは……」


 目の前でぱっと光が弾けた。

 それと同時に、私の眼前を黒い影が過る。


 着地したティルナノグの左前腕の装甲に傷がついていた。

 パリューグのポーズが数秒前とは違う、右手を振りかぶったような姿勢になっている。

 私に確認出来たのは、この二つの「結果」だけだった。


 たった一瞬の間に、この二人……いや、二頭の間で何らかの攻防が繰り広げられていたらしい。


『あーら、賢しい蛇だこと。せっかく、何が起こったのかも分からないくらいに、一瞬で優しく終わらせてあげようと思ったのに』

『ようやく正体を現したな、牝狐め! 初めからお前のことは怪しいと思っていたんだ!』


 ティルナノグは私を庇うようにパリューグの前に立ち塞がる。

 どう見ても、戦いは避けられそうにない。

 だけど、どうしてパリューグが私を殺そうとするのか、それがわからない。


 っていうか、いつの間に死亡フラグ立ってたの?

 不意討ちとか勘弁して下さい。


「ティル、初めからって、あなた何も……」

『言っただろう。騙されるなと、こいつは悪魔ではないと。おそらく、こいつは悪魔ではなく、幻獣の類だ。定義の正確さを無視するなら、神獣とでも呼んだ方が直感的に分かりやすかろうがな』

「神獣……? パリューグさんが……?」


 パリューグさんはぶるりと首を振る。

 鬣のような金色の髪が、前世にちらりと見た歌舞伎の演目のように振られた。

 その頭部からは獅子に似た耳が飛び出し、両腕は短い金色の柔毛に覆われ、付け爪だったときよりも長く鋭い爪が生えてくる。

 背中から腰の辺りまで開いたドレスの隙間から、獅子のような尾がゆらりと伸びた。

 乱れた髪の間から、金色の瞳が私達を睨みつける。


『牝狐だ神獣だと、好き勝手言ってくれるわね。蛇よ、あんたの目は節穴かい?』

『ヌウウウウウウ……! 女、貴様ァ……また俺を蛇などと呼んだな!?』


 ティルナノグは床を蹴ってパリューグに肉薄する。

 その黒い鉤爪がパリューグに届こうとした瞬間、再びあの閃光が鉤爪と交叉した。

 重い甲冑を纏ったティルナノグは弾き飛ばされ、空中でくるりと宙返りして私の前に戻ってくる。


『この体では分が悪い……エーリカ、俺の拘束の解除を』

「え、ええ、わかったわ!」


 半ば雰囲気に流されるように、私はティルナノグの纏っている甲冑に対する命令を唱える。


 星鉄鋼は魔力を注ぎ込むことにより黄金に等しい展性を発揮し、かつ鋼鉄並みの硬度を得る。

 幸いにして魔力は潤沢に存在するので、ティルナノグの甲冑にはもう一つの隠された機能を組み込んでおいたのだ。


「檻は開かれ、軛は解かれ、鎖は千切れ、全ての戒めは砕け散りて星屑に変われ。

 我が術は見えざる炉。我が法は見えざる鋳型。

 我が咒は見えざる鉄床。我が呪いは見えざる鎚。

 (くろがね)に刻まれし記憶よ蘇れ。

 真の姿を取り戻し、我が友を覆え。星屑の甲冑よ」


 私の唱えた合言葉(コマンドワード)に呼応するように、ティルナノグを覆う甲冑に淡く輝く古代アウレリアの魔法文字が浮かび上がった。

 ティルナノグの魂と一体化した賢者の石から、多量の魔力が星鉄鋼の甲冑に流れ込んでいく。

 星鉄鋼の甲冑は風に舞う花弁のように、文字の形に砕けてティルナノグを取り巻いた。


 液状の本体を露出させたティルナノグは、どんどん膨張していく。

 その背は象ほどに、その(かたち)は竜のように。


 巨石(メガリス)の祭壇で出会った姿そのままの形状を象った液状の表皮に、文字の形に分解された星鉄鋼が付着していく。

 魚の鱗のようにティルナノグを再び覆い尽くした破片は、一際強い光を放つ。

 光が収まったとき、鱗のようだった星鉄鋼は一体化し、黒竜を模した巨大な甲冑へと姿を変えていた。


『あらあら、大きくなっただけで(わたし)に勝てるつもりなのかしら?』

『変わったのが大きさだけではないことを、その身をもって知るがいい!』


 巨大化が完了した刹那、ティルナノグはパリューグに向かって全力で疾駆した。

 先手必勝とばかりに全力で振りかぶられたティルナノグの鉤爪が、金色の神獣に向かって叩き付けられる。

 空気そのものが破裂するような轟音が、隠し部屋全体を震わせた。

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