天使の玄室3
「ティル、ここにオーギュストがいるのね?」
『うむ。そうだ。俺が引き返している間に、余計な連中まで集まってしまったがな』
建物の屋根の上から、その場所を見上げた。
私達の目の前には、天を衝く大聖堂の威容がそびえている。
現在、大聖堂の周囲にはたくさんの竜が集まっていた。
翼ある竜達は大聖堂の周りを旋回したり、尖塔に留ったりしている。
翼のない竜達も、大聖堂の前の広場にぎっしりとひしめいている。
彼女達は、精神干渉が始まったときにオーギュストを取り巻いていた竜達と比べると、どことなく虚ろな表情をしていた。
よく見ると、そこかしこで気絶した竜も見られる。
『あの金髪の王子がこの事態を引き起こしているのならば、ヤツは人の領分を越えた力を持ってしまっているのやも知れぬな』
ティルナノグから感嘆と驚愕の言葉がこぼれる。
「そう言えばティル、これだけの強い精神干渉を受けているんだったら、あなたも大変なんじゃないの?」
『愚問だな。お前達ほど鈍くはないが、俺もアウレリアだ。そう易々と魂の主導権は奪わせぬ』
「なら安心ね」
私達は広場に降り、大聖堂に近づいていく。
危険ならば、また跳躍で高い所に戻るつもりだった。
しかし、私達の進路を阻もうとする竜達の動きはどこか緩慢で、容易に回り込めてしまう。
大聖堂に近づけば近づくほど、倒れている竜や動きの鈍い竜が増えていく。
さほど苦労せず、大聖堂の中まで入り込めてしまった。
「もっと激しい妨害に遭うかと思ったのに」
『王子が本心では救出を望んでいるか……あるいは、竜の精神でも、これだけ強力な精神干渉を長時間は耐えられないのか』
「それなら、なおさら手遅れにならないうちに見つけなきゃ」
『うむ。そうだな。急ぐとしよう。だんだん異形の気配も強まっている。獣の匂いがぷんぷん漂ってくるぞ』
ティルナノグの先導で、大聖堂の中を駆け抜ける。
建物の中にも小型竜が入り込んでいたが、その全てが気を失って倒れていた。
邪魔されないのは助かるけれど、竜のこともオーギュストのことも心配になる。
竜が着いて来れなかったとしたら、彼は一人でいるのだろうか。
オーギュストに近づくにつれて、大聖堂の内装や展示物がおどろおどろしいものに変わっていく。
まるでこれから起こることを暗示するかのような、恐ろしい地獄絵図だ。
本来ならば施錠された経路だが、全ての扉が先に入り込んだオーギュストによって解錠されていた。
この道筋は、私も知っている。
私は無意識にワンドホルダーや錬金術師の絹手袋に触れて、確認していた
私の用意した物資で、この想定外の事態にどれだけ対処できるだろうか。
今になって、あの時こうしておけばよかったとか、あれも準備しておくべきだったとか、後悔が胸をかすめた。
『案ずるな。お前だけで届かないときのために、俺がいる』
「ええ、頼りにしているわ、ティル」
そして、私たちは最後の扉を開ける。
そこには、この大聖堂でただ一枚の、神の似姿が描かれた壁画がそびえている。
異形の太陽に睨まれたかのような錯覚に、私の背筋にぞわりと悪寒が走った。
唯一神の壁画の部屋の中央には、ゴールドベリがいた。
オーギュストと別れた時に彼が着ていた、乗馬服用の黒い上着に包まれるように、彼女は倒れている。
慌てて駆け寄って確認したが、呼吸はあるようで安心した。
ゴールドベリは深い眠りに落ちているだけのようだ。
しかし、オーギュストはいない。
ゴールドベリや上着から考えて、彼が一度はここに来たことは間違いないはずだ。
彼はどこに行ったのか。
なぜ行き止まりである、壁画の部屋を通過しなければならなかったのか。
『エーリカ、王子の匂いはこの部屋で途切れている……獣の匂いが強すぎるせいで、正確な場所までは分からないがな』
「いいえ、それだけ分かれば充分よ」
不必要かも知れないとは思っていたけれど、念のため迷宮探索用の杖も持ち込んである。
私は鞄を開け、まず霊視の魔眼の杖を手にした。
とりあえず、困ったときの定番である。
霊視の魔眼の杖を振り、自分の目元に淡い緑色に輝く魔法陣を展開させる。
魔力を見通す魔眼を通した視界には、怪しい魔法の形跡は見当たらなかった。
『魔法的な仕掛けではないようだな』
「過去視があればもっと良かったんだけど……」
過去視は空間制御魔法が使える魔法使いとの共同開発品だ。
そのため、結構な稀少品で、値段も高い。
兄妹のよしみで譲ってもらうには、代金を払うにしても気が引けるのだ。
無いものは仕方ないので、あるもので工夫する。
これもまた錬金術師の鉄則である。
私は鞄から別の杖を取り出した。
この短杖は巻物とセットになっている。
巻物は方眼が焼き付けられた羊皮紙で出来ている。
杖頭には羅針盤型の浮き彫りが刻まれた磁鉄鉱。
軸材には十年以上沈まず航海した船の竜骨で、芯材に使われているのは六分儀の形に彫刻された星水晶だ。
石突には実際に使われた錨を鋳融かして作られた錨のミニチュアが提げられている。
魔法の地図の杖。
航海者だったアウレリアの民が暗礁などを感知するために作り出した海中探信をベースに、写本用の自動筆記を組み合わせた、比較的新しい種類の杖だ。
この杖は、障害物をある程度透過して、建物の構造を明らかにする力がある。
「星の光よ、行く先を照らし出せ」
魔法の地図の杖を振る。
淡い黄色の光が杖頭に灯り、同じ色の魔法陣が円形に展開していく。
半径五メートル程度に魔法陣が広がりきると、魔法陣を構成する魔法文字が砕けて錨の形になり、部屋の四方八方に飛び散った。
淡い光の灯った杖頭をインクに浸し、巻物に押し付ける。
スタンプのように羅針盤の形が巻物に捺されると、杖頭の光は羅針盤の印に移った。
部屋に広がっていた光が巻物の羅針盤に集束し、稲妻のような閃光が弾ける。
羅針盤の印からインクが自動的に羊皮紙の上を走り、魔法によって建物の構造を描き出されていく。
「見つけた! この下に、隠された空間がある!」
『魔法ではなく、機械式の仕掛けで隠されていたのだな』
隠し空間があるはずの場所は、唯一神の壁画の真下のようだ。
──契約の獣は太陽の下に眠る。
そんな古い詩があると、オーギュストは言っていた。
イグニシアの唯一神は太陽の神だ。
「この下に、契約の獣がいる……でも、どうやってオーギュストはこの下に……」
多少高価でも過去視を持ってくるべきだったかな。
こんな時にこそ、あの魔法が便利なのに。
頭を抱えていたら、ティルナノグが壁画の前に進み出てきた。
『こんなときのために俺がいる』
「なるほど。その通りね。流石に壁画を壊すのはまずいから、床の方をお願い」
『任せろ。ではエーリカ、限定解除を』
私は頷き、星鉄鋼の甲冑を制御する合言葉を唱える。
「檻よ、枷よ、鎖よ。
しばしその戒めを解き、鉄に封じられし記憶を喚び起こせ。
我が友の腕を覆いし甲冑よ、その身に刻まれし勇姿を示せ」
合言葉に呼応するように、ティルナノグの両腕を覆う甲冑が光を発し始めた。
魔力を吸って無限に変形する星鉄鋼の甲冑は、ティルナノグ──賢者の石の魔力によって即座に設定された形状へと姿を変える。
光が消えたとき、ティルナノグの両腕は一回り大きくなり、爪はより鋭く長く変化していた。
『中身も充填完了だ』
「よし、思いっきりやっちゃって!」
『応!』
ティルナノグの両腕が、黒い疾風のように閃いた。
彼が腕を一振りするたび、床石が引き裂かれ、めくれ上がっていく。
ものの十数秒で人が通り抜けられる穴が空き、その向こうに隠された階段が見えた。
「絶好調ね、ティル!」
『うむ。この甲冑、なかなか俺に馴染んでくれる……さて、エーリカ。ここで当たりのようだぞ。獣の匂いだけではなく、禍々しい魔力も感じる』
「ええ……やっと私にも視えたわ」
霊視の魔眼を通して、淡い赤に輝く靄のような魔力が漂っているのが感知される。
詳細情報を解析することが出来ない、純粋に魔力濃度の高い空気のようだ。
私は熱を発さない星水晶のランプをベルトに結わえ、用心のために軟着陸や浮遊の短杖をホルダーに挿した。
そうして、私とティルナノグは細く暗く急な階段を降りていく。
螺旋状になった階段の横には、いくつかの蓋の開いた柩が置かれていた。
それらの中身が見えそうになって、私は一瞬ぞっとする。
しかし、その柩には死体は詰まっておらず、ぎっしりと白い花が敷き詰められているだけだった。
空っぽの柩には名が彫られていた。
そのいくつかは私も知っている名前だった。
始祖王ギヨーム、苛烈王ジャン……いずれも名君と讃えられていたイグニシアの王たちだ。
『大聖堂はかつては王城だったそうだが、ここは王の墓なのか?』
「いいえ。イグニシアの竜騎士王は地の下には眠らないわ。彼らは死んだら空に帰るの」
私が予習で得た知識によると、イグニシア歴代の王の墳墓は存在しない。
誇り高きイグニシアの竜騎士王達は、竜葬によって葬られる。
彼らの死体は、かつて騎乗していた竜によって食べられ、彼らの魂は竜と一つになるのだそうだ。
王を喰らった竜は、彼女達が愛した王のための天空に浮かぶ墓となる。
彼女たちは王竜と呼ばれる。
命ある限り、王の魂を天に掲げ続ける、空の玉座だ。
始祖王の王竜も、苛烈王の王竜も、いまだイグニシアの空を飛び続けている。
だから、王のための地下墓所なんて、イグニシアには必要ないはずだ。
階段が終わり、大聖堂の最下層に辿り着く。
契約の獣がいるはずの扉の前にも、一つの柩が置かれていた。
他の柩よりも新しく見えるその柩には、まだ花が入れられていない。
新しい柩に刻まれた名前を見て、私は血の気が引くのを感じた。
──オーギュスト・イグニシア。
そこには、私が探していた少年の名が刻まれていた。
☆
私は壁に半ば身を隠して杖を構え、ティルナノグが扉を開ける。
そこは、壁画の部屋よりも少しだけ狭い、おおむね立方体のような形をした部屋だった。
壁や天井や床には図案化された目と瞼を模した溝が彫られている。
溝はどういう仕掛けか、淡く発光していた。
表面に彫られた溝以外には、これと言って特徴もなく、像や絵も置かれていない部屋。
その中央に、私に対して背を向けるように、オーギュストが立っていた。




