天使の玄室2
オーギュストと竜が去り、魂を失った人形のようになった人々が押し寄せてくる。
虚ろな表情でぶつぶつうわ言を呟きながらゆらゆらと近づいてくるゾンビめいた姿に、最初こそビビってしまっていた。
しかし、本物のゾンビのように人を襲ったり捕食したりしないのだと分かって、ほっと胸を撫で下ろす。
直接的な命の危険はないけれど、注意は必要だ。
大量の人々の流れに巻き込まれたら、そのままどこに押し流されていくかわからない。
実際、正気を保っていたアウレリア出身者らしき人が何人か、操られた群衆に囲まれて遥か彼方に運ばれて行くのを見た。
統制が取れているので、将棋倒しなどの事故が発生しないのが、せめてもの救いだろうか。
「あれ? そう言えば、ティルはどこに……?」
ティルナノグは人間より力持ちだし、小さいから人と人の隙間をすり抜けて移動出来るはずだ。
だから群衆に押し流されちゃったとは考えにくい。
まさか、他の竜たちと一緒に、オーギュストについて行っちゃったのだろうか。
この大混乱の最中、合流しようと思うとかなり苦労しそうだ。
群衆に巻き込まれないように、物陰から様子を伺っていると、屋根の上を飛び回る影が見えた。
衣服から推測するに、アウレリアの錬金術師やハーファンの魔法使いのようだ。
ああ、そうか。
地上を移動しようとするから群衆に巻き込まれるんだ。
それなら、建物の上や空中など、操られている人々が邪魔出来ない場所を移動すればいいんだ。
ティルナノグが置いて行った鞄から、浮遊や跳躍など空中移動に適した杖を探す。
うーん、屋根に登るだけなら、上方向の移動に強い浮遊だけど、屋根から屋根へ飛び移って移動するなら、ジャンプ力を強化する跳躍かな。
オーギュストやティルナノグを探すなら、そのための杖も必要だよね。
「ここにいたのか、エーリカ。無事でよかった」
何種類かの杖をためつすがめつしていると、不意に頭上から声をかけられた。
見上げると、そこには錬金術師や魔法使いの一団を引き連れたお父様の姿があった。
☆
オーギュストの精神感応によるパニックが発生した瞬間、お父様は他の錬金術師や魔法使いとともにブラックカラントから回収した呪具の解析を行っていた。
解析作業中に魔法使いの人達が次々に魔力枯渇で気絶したことで、異変に気づいたらしい。
その症状は、高威力で継続的な精神干渉を受け続けたときのものに酷似していた。
緊急事態であることを認識したお父様達は、呪具の解析を一時中断し、まずは事態の正確な確認のために動いた。
呪具解析のために集められていたスタッフを調査のために振り分け、お父様自身はイグニシア王やハーファン公爵夫人との合流を試みた。
ハーファン公爵夫人は、魔力の枯渇によって気絶する直前ギリギリまで、意識を失ったイグニシア国王夫妻やその子供達、その他の貴族たちの保護に奔走していたそうだ。
お父様はハーファン公爵夫人と合流すると、要人保護の役目を引き継いだ。
調査の結果、〈伝令の島〉全体が大規模な精神干渉の影響下にあることが判明した。
島外への脱出方法が船か橋しか無い以上、王都の民全てを安全な場所に避難させるのは現実的ではない。
郊外にあったために精神干渉の影響が小さかったアウレリア公爵家の別邸を貴人用の避難所として開放し、まずそこまでの避難経路の確立を行ったそうだ。
その後、お父様はいくつかのチームを編成し、操られた群衆の誘導、怪我人の治療、火気の始末、行方不明者の捜索などのために巡回していた。
偶然にも私と合流できたのは、このときのことだったらしい。
現在、私も公爵家別邸に避難している。
私が待機するように命じられた一室には、魔力枯渇のために気絶したハーファン公爵夫人やアン、安全のために魔法で眠らされたイグニシア王一家、保護されたトリシアやマーキアなどの他の貴族の子女がいた。
「混乱に乗じて、どんな不埒者が現れるとも限らない。ここなら、少なくとも今は安心だ。エーリカ、お前も騒ぎが収まるまでここにいなさい」
「お父様! 私は公爵の娘です。こんな事態だからこそ、務めを果たさなければ」
「だからこそ、この場所を守る者が必要なのだよ、エーリカ」
オーギュストの捜索を行いたいという本音を隠して進言したら、それを逆手に取られて動きを封じられてしまった。
私は横目でちらりと、気を失ったアンや、他の人達を見る。
無防備な状態にある彼女達を引き合いに出されては、私も否とは言えなくなってしまう。
「エーリカは……あの時、オーギュスト殿下と一緒にいたのか」
俯き、口を閉ざした私に対して、お父様は少し和らいだ口調で訊ねる。
答えに困っていると、お父様はかがみ込み、私の顔を覗き込んで元気づけようとするように微笑んだ。
「大丈夫だ。オーギュスト殿下は私達が必ず見つけ出して保護する」
「お父様……」
「混乱は大きいが、これは命の危険があるような異変ではない。安心して待っていなさい」
お父様は優しいけれども有無を言わさぬ真摯さで言い置いて、部屋を出て行った。
どうしよう。
色々な状況を想定して準備はしていたけれど、現実の状況はそれを凌駕してしまった。
契約の獣と戦闘になってくれたら、いっそ楽だったのに。
迷宮探索からの古代の大怪獣との戦いの方がイージーモードって、どういうことなの!?
実際のところ、魔法少女モノに出てきそうな契約至上主義ぬいぐるみとティルナノグの戦いとか勃発してくれたら、いい感じのふんわりマスコット対決になってくれたはずだよね。
今からでもいいから、契約の獣さん出て来てくれないかな。
鞄を椅子代わりにして、現実逃避ぎみにぼーっと天井を眺めていると、カタカタと不自然に窓の揺れる音がした。
『エーリカ、こんなところにいたのか。探したぞ』
窓の向こうで手を振っていたのは、さっきまで行方不明になっていたティルナノグだった。
私は慌てて駆け寄り、窓を開ける。
ここ、三階なのに、よく登ってこれたな。
重い甲冑を着てるのに、ティルナノグは驚くほど身軽だ。
大怪獣ザラタンのパワーにかかれば、甲冑の一つや二つ、大した重さじゃないのかもしれないけれど。
「ティル、どこに行っていたの?」
『手筈通り、あの金髪の王子を追っていたのだ。ちゃんと怪物の気配のする場所は突き止めてきたぞ』
「……手筈通り?」
『なんだ、忘れたのか、友よ。お前が立てた作戦だぞ。騎乗槍試合で金髪の王子が竜から落ちた後、ヤツを密かに追跡し、契約の獣の隠れ場所を突き止めるんだろう?』
「あ、あー……!」
色んな事がいっぺんに起こったせいで、すっかり忘れていた。
当初はそういう作戦だった。
作戦中止とも続行とも指示を出していなかったけど、ティルナノグはあの混乱の中、独断でオーギュストを追跡してくれていたのか。
「すごい、ティル! なんてファインプレー……!」
『クククク、もっと俺を讃えるがいい。俺はとても役に立つ守護獣なのだ』
「流石ティル! ティルかっこいい! そうと決まれば、契約の獣の住処に殴り込んで、速攻で異変を決着させましょう!」
『俺好みの展開だな! 任せるがいい、どんな怪物が現れようと、俺の知恵と力の前には無力だ!』
私はティルナノグに戦闘用の鞄を渡し、試合観戦用に着ていた装飾少なめのドレスの上からワンドホルダーつきのベルトを巻いたりして戦闘態勢を整える。
思わぬ朗報にテンションが上がった。
そのせいで、ここがどこなのか、周囲に誰がいるのか忘れてしまっていたのが失敗だった。
「エーリカお姉様、そのゴーレム……いえ、その怪物は、もしかしてザラタンなのではありませんか?」
その声に、私は恐る恐る振り返る。
いつの間にかアンが目を覚まし、訝しげな視線をこちらに向けていた。
「ア、アン様、よくご無事で……」
「精神干渉の中心から離れたおかげで、私の魔法抵抗でも影響を防げるようになったみたいです。魔力を温存するために、あえて精神防御に回す魔力を一時的にゼロにして気絶しておいたのが活きました」
「へ、へえ……」
相変わらず、男前な子だなあ。
「それより、そのザラタンに酷似した姿の、ザラタンのものに似た魔法機構が組み込まれた、ザラタンに似た声のゴーレムについて……」
「ひい……ち、違います。この子は普通のゴーレムですよ、アン様。ね、ティル?」
『お、俺ゴーレム。動く。戦う。くるくる回る』
ティルナノグは手を突き出したポーズで、おもちゃのロボットのようにカタカタ揺れながら歩く。
どこからどう見ても芝居だと分かるけれど、今はこれで通すしかない。
「そうですか? 私が焦熱光線で打ち抜いたときの傷が太腿の辺りに見えますが」
「まさか……外装は新調した甲冑だから、傷なんて残ってないはず……」
『大丈夫だ、エーリカ。あの傷なら最下層でお前達を追跡している間に再生している』
「やっぱり」
しっかり誘導尋問されていた。
アン様、末恐ろしいです。
「こ、このことは……ご内密に」
「自分の姉のように尊敬するお方が、人を襲うような謎の怪物と行動を共にしている。しかも、なにやら剣呑な言動を繰り返している。エーリカお姉様なら、この状況で黙秘していられますか?」
「ぐ……そこを何とか」
『待て、エーリカ。ここは俺に任せろ』
私を庇うように、ティルナノグがアンの前に進み出る。
もしかして、アンを説得する気だろうか。
何から何までティルナノグに頼ってる気がして、不甲斐ないなあ。
『東の魔法使いの小娘……いや、アンよ。俺達の邪魔をすると言うのならば仕方ない』
「何をするつもりですか、怪物ザラタン」
『ククク、なに、少々眠っていてもらうだけだ。命までは取らぬ』
「とうとう本性を現しましたね。エーリカお姉様から離れなさい!」
ティルナノグは鋭い鉤爪をチラつかせ、アンは長杖を構える。
いや、待って、余計にこじれてるんですけど。
私は慌てて二人の間に割って入る。
「ちょっと! 二人とも落ち着いて!」
『案ずるな、エーリカ。一瞬で終わらせてやる。もちろん傷も残らないようにやってやる』
「あの時の私と同じだと思わないで下さい。こちらこそ一撃で殲滅してみせます」
「だーかーらー、そういうの待って! ティル、アンは私の友達なんだから、攻撃しちゃダメでしょ!」
『……うむ』
「アン様、ザラタンは……今はティルナノグって名前なんだけど、この子は私の守護獣なんです! 大規模精神干渉事件を解決するために、この子の協力が必要なんです!」
「事件を……解決……?」
ティルナノグは素直に威嚇をやめ、アンも杖を向けるのをやめた。
困ったような複雑な表情で、彼女は私を見つめる。
「あの事件の中心に、友達がいるんです。詳しいことはまだ話せないけど、とにかく私が行かなきゃいけないんです」
「何だか……また厄介なことに首を突っ込んでらっしゃいますね」
「あ、はい。面目ないです。今回は命の危険は少なめなので、安心して下さい」
今のところ、オーギュストとの関係は良好なため、死亡フラグは折れている。
その上、原作シナリオには存在しない展開に突入している。
これだけの大事件が原作でも起こってたなら、語られててもおかしくないからね。
原作にない展開ならば、原作由来の死亡フラグには干渉しない、一種の安全ルートとも言えるわけだ。
たぶん、きっとそうだと信じたい。
うん、実はちょっとだけ自分を騙してるかも。
「例のシボウフラグとかいう神託の情報ですか……」
「信用できませんか?」
「いえ、そうではないんですが……私、エーリカお姉様は人間として何か──生存本能が壊れているみたいで怖くて心配なんです」
そうなのかな。
そうかもしれない。
まあよく前世でも危険感知能力ゼロだよねとは言われていた。
『安心しろ、アン。エーリカのことならば、俺が必ず守る。俺と戦ったお前ならば、俺の強さをよく分かっているはずだ』
アンは面甲越しにティルナノグの目を覗き込んだ。
ティルナノグはどことなく自信満々な様子で見つめ返す。
やがて、アンは根負けした様子でため息をついた。
「本当にもう、しょうがないですね。危なかったら絶対に逃げて来て下さいね」
「わかりました。今度こそ危ないことはしません。だから安心してください、アン様」
「ザラタン──ティルナノグ様、エーリカお姉様はこう言っていますが、絶対に無茶しますから、ティルナノグ様が守ってあげてくださいね」
「うっ」
『任せろ。こいつの性格は俺も知っている。元よりそのつもりだ』
アンは握手するようにティルナノグの前腕を握る。
ティルナノグも力強く頷きを返した。
二人とも、ひどい誤解だなあ。
私はいつも死なないように、危ない目に遭わないように努力してるのに。
「私もお供できればよかったんですが、私の未熟な魔法抵抗ではお二人にご迷惑をかけてしまうでしょう」
「アン様……」
「私はエーリカお姉様に代わって、ここを守りましょう。必ず帰ってきて下さいね」
「はい。必ずや」
せめて少しでも不安を取り除けるように、私は笑顔で返事をした。
ティルナノグは窓枠に飛び乗り、私を手招きする。
私はワンドホルダーから一本の杖を抜く。
軸材は束ねた葦と、それに巻き付けた蔓巻発条状の針金。
杖頭には磁鉄鉱、芯材は蝗虫と兎と蛙の脚。
使用者のジャンプ力を劇的に強化する、跳躍の杖だ。
浮遊が縦方向の移動に特化した杖だとするならば、跳躍はどちらかというと横方向への移動向きである。
足場がない場所では使えないが、今回のように屋根から屋根へと飛び移りたいときはうってつけだ。
「行っていらっしゃい。幸運がエーリカお姉様と共にありますように」
「ありがとうございます、アン様。あなたにも幸運を」
『行くぞ、エーリカ!』
「ええ、行きましょう、ティル!」
私とティルナノグは、未だ混乱の支配する王都へと飛び出した。
異変の中心、オーギュストの元へ向かうために。




