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天使の玄室1

 オーギュストの墜落の後、色々な人々が事態の究明と収拾のために奔走していた。


 王様はスピーチなどのセレモニーの合間に直属の部下に指示を飛ばし、情報統制や事実確認を命じていた。

 王妃様はルーカンラントの貴族と直接交渉に立ち、腕が良く口の堅い医術師の調達に当たっていた。

 また、二人の護衛竜は会場を密かに飛び回り、彼女達の目や耳を通して不審な人物がいないか見張っている。

 お父様は保護されたブラックカラントに取り付けられていた呪具を回収し、掛けられていた魔法の解析を行っている。

 他にも、私が把握できないくらいたくさんの人々が、華々しい大会の閉幕の影で動いていた。



 私はティルナノグを連れて、オーギュストが運び込まれた医師のテントの前に立っていた。


 テントの周囲は王室直属の兵士が警護し、誰も近づけないようになっていた。

 私も、もちろん例外はない。

 それは人々に余計な誤解を与えないための、オーギュストを守るための措置のはずだった。

 しかし、会場には既に無責任な憶測や酷い中傷が飛び交っていた。


 第一王子が他人の竜を盗んで騎乗槍試合(トーナメント)に出場した。

 神聖なる竜に何やら怪しい魔法道具を身につけさせていたらしい。

 不正行為が露見し、竜から落ちたらしい。

 不貞の子には相応しい結末だ。

 どうやら王は隠蔽したいようだ。その証拠に王子のテントに誰も近づけない。


 あいまいな情報が広まっていく。

 その中で徐々にオーギュストへの悪感情も広まっていくのを感じた。


『エーリカ……』

「ごめん、ティル。まだ、私……どうすればいいのか、わからない」

『わかった。俺の力が必要な時は言ってくれ。俺はお前を待っている』

「ありがとう」


 その空気の中、私は今自分に何が出来るかを必死に考えていた。

 何もしないのは嫌だった。

 だけど、何も手を打てないままに、無情に時間だけが過ぎていく。


 どれくらい経っただろうか。

 テントの中から数人のもみ合う声が聞こえてきた。


「殿下、急に動いては危険です!」

「離せ! 今すぐに……父上に直接弁解をしなければ!」

「いけません! 国王陛下は殿下のためを思って──」


 テントの入り口の幕を捲り上げて、オーギュストが現れた。

 兵士や医師と押し合っているオーギュストと目が合う。


「……オーギュスト様」

「エーリカ……?」


 彼は甲冑を脱がされ、いつもの乗馬服に似た衣装に身を包んでいた。

 その右手には、私が彼に贈った青いリボンが握られている。

 オーギュストはしばらく私を見つめた後、不意に脱力し、悲痛そうな表情で顔を背けた。


「彼女を中に通してくれ」

「しかし、殿下、陛下からは何者も通すなと……」

「責任は私が取る。お願いだ」


 兵士はしぶしぶと言った風情で私をテントの中に案内する。

 中にはカーテンで二部屋に仕切られていた。

 入り口側の部屋には、薬箱や乳鉢などの製薬器具、数枚の羊皮紙が散らばったテーブルが置かれている。

 こちらは医師の部屋らしく、彼はテーブルに向かうとオーギュストにくれぐれも安静にするように伝えて、書類に何かを書き込み始めた。


 奥の部屋には簡素なベッドと数脚の椅子が置かれていた。

 ベッドの下には、先ほどまで使われていたらしい洗面器や水瓶。

 オーギュストがベッドに、私が椅子に腰掛ける。

 困ったような笑顔を浮かべ、オーギュストは言葉に窮しているようだった。


 ティルナノグが私の方を見上げる。

 そうだよね、私から切り出すしかない。


「飛ばない約束でしたよね」

「……ごめん」

「責めに来たんじゃないですから」

「うん、それでも、ごめん。こうならないように、心配してくれてたんだろう?」


 オーギュストの顔は柔らかく微笑んでいたが、その薄皮一枚の向こうに苦痛と後悔が渦巻いているのが見て取れた。

 なんだか、見ているだけで辛い。

 今度はこちらが、かける言葉に困る番だった。


 言葉を選んでいる間の沈黙が、ひりひりと心に痛い。

 無理矢理に話をそらして、私は言葉を紡ぐ。


「落下からは魔法で守られていましたけど、振り落とされた時に怪我などは?」

「いや、大丈夫だよ。運が良かったのか、ブラックカラントが優しかっただけか分からないけどな」

「それなら、いいんですけど……」

「ははは。ちょっとみんなを驚かそうとしたら、この体たらくだ。まったく、ざまあないよな」


 彼は自分を茶化しながら、無理して明るく笑った。


「初めてなんだ。初めて、ゴールドベリ以外で私を怖がらない竜に会えたんだ。こいつと一緒なら飛べる……そう思ったんだけど、な」


 オーギュストはテントの天井を見上げて、ため息をついた。

 きっとその目は天井を突き抜けて、青い空を見上げているのだろう。

 ほんの少し前まで、彼のものだったはずの空を。


「空は、どうでした?」

「最高だった。空こそが私の居場所なんだと思った。まるで血潮の一滴まで竜と一体になったかのようだった。翼が風を打つ感触を、私の肌はまだ覚えている」

「それは、よかったですね」

「ああ、よかった。夢のようだった。もうあの子は私を怖がって一緒に飛んでくれないのかと思うと、体を半分もぎ取られたような気分だよ」


 力なく笑って、彼は涙を流す代わりに、目を伏せて僅かに眉を寄せた。

 それが彼にできる精一杯の悲しみの表現なのだと、私は愕然とする。


 この上、民衆が彼が不正を行ったと信じ込んでいると知ったら、彼はどうなってしまうんだろう。

 着々とオーギュストを契約の獣へと運ぶレールが──私を死亡フラグへと誘うレールが敷かれていくのを感じる。


 私の中で、不意に断片だった情報がかちりとはまった。

 オーギュストは竜に恐れられていた?

 ああ、だから酩酊の魔法なのか。

 酩酊状態だったから、彼を怖がらなかったのか。


 きっと決勝戦の後で酩酊状態が解けたがために、彼はブラックカラントに恐怖されてしまったのだろう。

 自然に解けたのか、それとも誰かが仕組んだのだろうか。

 何かが分かりそうな、まだ大事なものが足りないような、もどかしい感覚だ。


 私とオーギュストがそれぞれの思惑を抱えて無言で向かい合っていると、テントの外からざわめきが聞こえてきた。


「ん……何でしょう……?」

「参ったな。騒がしいやつが来たみたいだ」


 カーテンを勢いよく開けて現れたのは、ルイだった。

 ルイは優越感に満ちた笑みを浮かべてオーギュストを見下ろす。

 彼は試合に使った甲冑姿のままで、一目で優勝者とわかる誉れの花輪(レイ)に飾られていた。


「おお、オーギュスト殿下! しぶとくも生きていたか! こんな事になってしまうなんて残念だな!」


 ルイは本人を前にしても、やっぱりいつも通りの失礼な言い草のままだった。

 ずかずかと病室に上がり込んだルイは、椅子を引き寄せてオーギュストの前に腰掛ける。


「ルイ、聞いたよ。優勝だそうじゃないか、すごいな」

「僕の実力なら当然さ!」


 大仰な身振りで両手を広げ、ルイは得意げな顔をした。


「それよりも……聞いたぞ、オーギュスト。君の竜には何やら不正使用の魔法装備が取り付けられていたんだって? だろうなあ、そうでなければ君が僕に敵うはずはない。折角僕に匹敵するライバルができたと思ったんだがなあ。実に残念だよ」

「魔法装備? 悪いが、その話について、私は何も知らない」

「とぼけるなよ、オーギュスト。お前が普通の方法じゃ騎乗できないなんて、乳飲み子すら知ってるんだ。なあ、そんな便利な道具をどこで手に入れたんだ? アウレリアか? それともカルキノスか?」


 ルイの長広舌が、ますます調子づいてくる。

 彼のオーギュストに対する評価は、レッテル張りと憶測と、それを基にした中傷ばかりだ。

 そろそろ聞くに耐えない。


「ルイ様、魔法装備については、まだ正確な情報は分かっていません。お父様をはじめ、専門家の方々が全力をあげて解析しています。あなたも責任ある立場なら、軽々しく不確かな情報を口にしないでください」


 私は二人の会話に割り込んだ。

 ルイが今初めて私の存在に気づいたように、びっくりしてこちらを見つめる。

 しかし、すぐにルイは相好を崩し、口元にいやらしい笑みを浮かべた。


「なんだ、あの時のアウレリアの娘か。へえ……君たちはそういう仲だったのか」

「どういう仲だと誤解したのか知らないが、私とエーリカは友達だ」

「ふーん? 否定するところが、ますます怪しいじゃないか」


 何がおかしいのか、ルイは大声をあげて笑った。


「あっはっはっは。まったく隅に置けないな。君も随分好色な血が流れているようだし、こういう子まで相手に──」

「私だけでなく、この子や──母上まで侮辱するつもりか、ルイ!」


 オーギュストは拳を握って振り上げた。

 でも、それ以上は動かない。

 すんでのところで、理性によって踏みとどまっているようだ。

 それなのに、ルイは大げさに怯えたようなポーズで、嘲るように言い放つ。


「そら見ろ! 言葉で勝てないと分かったら暴力だ! これだから下賎の血と淫売の血の混じった雑種は!」


 オーギュストの紫の瞳の中で、焔のような輝きが揺らめいたように見えた。

 錯覚だろうか。

 それにしては、なんだか妙な感じがする。


「そうだな、ルイ……悪かったよ。暴力はよくないな」

「分かればいいんだ。分かれば。これはお前のためなんだぞ、オーギュスト。こんな状況で僕を殴ってみろ。きっとみんながお前のことを、不正がバレた腹いせに優勝者に殴り掛かった痴れ者だと思うだろうよ」

「そうだな」


 オーギュストは握っていた拳を解き、静かにベルトの辺りに添えた。

 ちょうど剣の柄がある辺りだ。

 しかし、今の彼は治療のために剣を鞘ごと外している。


 そこまではいい。

 相対しているルイを見て、私はびっくりした。

 ルイは自分の腰に帯びた剣に手をかけていたのだ。


「オーギュスト様、ルイ様、何を!?」

「エーリカ、頼む。静かにしていてくれ。これは私とルイの問題だ」


 そう言ってオーギュストは微笑んだ。

 なぜだろう。

 その瞳の中に、普段の彼とは違う、残酷な雰囲気が混じっているような気がする。


「なあ、ルイ、言いたいことはそれだけか? この際だ。何でも聞いてやるぜ?」

「当然あるとも。イグニシア王族が十歳にもなって竜に乗れないなど、恥ずかしくないのか? おお、そうだったな。お前にはイグニシアの血なんて、一滴も流れていないんだったな!」

「ふうん、それで?」


 オーギュストはゆっくりと右手を挙げていく。

 まるで剣を抜くような仕草だ。

 ルイもまた、鏡に映った像のように、同じ格好で剣を抜く。


 私はぞっとした。

 オーギュストがルイを操っているのだろうか。

 どうやって?

 確かに、イグニシアの人間には、他の生き物を操る精神感応能力が備わっている。

 しかしその力は微弱なもので、しかも人間には通用しないはずだ。

 でも、確かに目の前で、ルイはオーギュストの動作に合わせて剣を抜いているのだ。 


 ルイはまだ自分が剣を抜いているのにも気づかず、オーギュストを嘲笑するのに夢中になっていた。


「お前は淫売の子なんだよ、オーギュスト! 王族でもないくせに、王太子だなんてな! お前の代で由緒あるイグニシアの歴史を終わらせる気か?」

「へえ?」

「僕が王になってやるから、お前は臣下に下るんだな! お前の父が僕の父にやったように、ド田舎の領地でも与えて飼い殺してやる!」

「ほう?」


 オーギュストは見えない剣を自分の首に添えた。

 ルイも同じように、本物の剣を首に添えた。

 ルイの剣の表面を、ルイの血が伝う。


「そうだ、淫売の妻と不義の子を黙認しているお前の親父だって、本来なら罪人なんだぞ? 王だからと言って、こんな背信行為が許されるものか! お前を廃嫡しないってことは、立派な国家への裏切りだ!」

「ふうん。ところで、王家の血ってのは、そう言う色をしてたんだな。見た感じ普通の血と変わらないみたいだぜ」

「何? ……なんだ、これは? なんで僕の剣が……あれ? 痛い……?」


 ようやく異常に気づいたらしいルイの顔が青ざめる。

 彼の狼狽を見て、オーギュストは酷薄な笑みを浮かべた。


「いつもお前が自慢しているもんだから、さぞや特別な色をしているんだろうと思っていたが、期待はずれだったな」

「動かない……腕が、動かない……待って、待ってくれ……誰か、僕の手を止めてくれ! 誰か! 僕を助けろ! 僕が僕に殺される!」

「おいおい、何を言ってるんだ、ルイ? お前自身と違って、お前の腕には人並みの羞恥心が備わってたってだけの話じゃないか。何を慌ててるんだ?」


 テントの内外にいた兵士達や医術師は、いつの間にか床に倒れていた。

 彼らは見えない縄で縛られたかのように、両手両足を揃えたまま横たわってもがいている。

 オーギュストは手に力を込めた。

 ルイの剣が、より深く首に食い込む。


「お前が悪いんだ、ルイ……私をここまで怒らせたんだからな」

「だめ! オーギュスト!」


 私は必死で声を張り上げた。


 オーギュストはこちらを振り返った。

 彼は憑き物が落ちたような顔をして、呆然と私を見つめる。


 剣が床に落ちた音が響く。

 ルイは床に這いつくばって、泣きながら傷口を押さえていた。

 出血はまだ大したことがない。命に別状はないだろう。


 よかった。

 きっと、殺してしまっていたら、オーギュストも酷く傷ついたはずだ。


「エーリカ…………私は、今、何を……?」

「オーギュスト様……」

「ああ、そうか。これは……こんなのは、人間の力じゃない。人間が持っていいい力じゃない……これは、人間の、命の尊厳を踏みにじる力だ」

「違います、オーギュスト様!」

「いいや。違わない。私はダメなんだ。私が父上の子だろうと、そうでなかろうと、私は王になれない……私は、人と一緒にいちゃ、いけない……」


 オーギュストは片手で顔を覆い、よろめくように私から離れた。

 このまま彼を一人にしてはならない気がする。

 しかし、駆け寄ろうとした私を、虚ろな目をしたルイや兵士達が両手を広げて阻む。


「ルイ様、どいて下さい!」

「だめだだめだめだだ……わた、わたしはひととといっしょに……ちゃいけなない……」

「おうに、なれな、おうにな、れなおう、になれな、い……」

「いちゃ、いちゃ、ひとと、いちゃ、いけな、い、い、い、いけな……」


 彼らは口々にうわごとのような意味のわからない言葉を呟いていた。

 その動きは操り人形のようにカクカクしている。

 私が足止めされている間に、オーギュストはテントを出て行ってしまった。


「オーギュスト様! 待って下さい!」

「ごめん、エーリカ。優しくしてくれてありがとう。でも、もう、私に近づいちゃいけない……さようなら」

「だめです! オーギュスト様!」


 何とか操り人形のようになった人々を押しのけて、私もテントから脱出する。

 しかし、外にはテントの中とは比較にならないくらいの混乱が待っていた。


 民衆達は、虚ろな目をした人形の群れに変わっていた。

 数百人、数千人の人々が、ゆらゆらと体を揺すりながら、列をなして歩いていた。

 みな一様に表情の抜け落ちた仮面のような顔で、意味の分からないうわごとを呟いている。


 前世の世界で見たゾンビ映画を思い出した。

 でも、いずれも生きた人間で、おそらく精神感応によって操られているだけなのだろう。


 精神感応に鈍いアウレリア出身者や、魔法防御の高いハーファンの高位の魔法使いなど、正気を保っている人々もいるにはいるようだ。

 しかし、通りを埋め尽くす操られた群衆のせいで、身動きが取れないようだった。


 群衆で出来た河の中に、一部だけ明らかに違う集団がいた。

 それは、オーギュストを囲む竜の群れだった。

 竜達は次々にオーギュストの傍らに降り立ち、彼の周囲を飛び回っている。

 竜たちも意識が曖昧なようで、夢を見ているような緩んだ面持ちで、ふらふらとオーギュストに付き従っている。


 その中で、ゴールドベリだけが普段通りの様子で、オーギュストの肩に留っている。

 彼女はオーギュストを慈しみ、慰めているように見えた。


「オーギュスト様!」


 オーギュストは振り返らず、竜を引き連れて去っていく。

 私が竜や操られた人々の壁によって近づけないうちに、彼の姿はどこかに消えてしまった。

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[一言] 主人公、何もしなく見物なのか?
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