騎乗槍試合3
準決勝が終わり、激しい戦闘で荒れた試合場の片付けが行われていた。
ものすごく大きな熊手に似た整地用具を、何頭もの牛に似た体型の竜が引いている。
広大な試合場を均すだけでも一苦労のようだ。
決勝は、黒竜ブラックカラントに騎乗する正体不明の黒騎士に扮したオーギュストと、白竜キャメリアに騎乗するルイ・オドイグニシアの対戦となる。
オーギュストだけでなく、ルイもまた全戦全勝で決勝に臨んでいた。
ルイの乗騎、白竜キャメリアは他の竜よりもスピードとパワーがあるらしい。
騎手の力量差はほとんどないものの、竜の性能差で大きな差がついてしまうのだ。
その上で、ルイはラフプレイを好んだ。
竜の牙や鉤爪、ブレスを使用することは禁止されているが、それ以外のあらゆる方法で攻撃を仕掛けたのだ。
竜の力が勝っているのをいいことに、槍が当たらなければ、そのまま体当たりで相手の姿勢を崩させる。
速度の優位を活かして相手の頭を押さえることのできる位置をキープし、竜ごと地面に叩き付ける。
すれ違い様にキャメリアに咆哮させ、相手の騎手の動揺を誘う。
砂を巻き上げての目つぶし、煙幕。
などなど。
王様は、ルイの乱暴な戦い方について、カルキノス出身であることが理由だと言っていた。
カルキノス・イグニシア領出身の竜騎士は、若い騎士も老練の騎士も、例外なく実戦経験が豊富だそうだ。
彼らの戦い方には、対巨人を想定した騎乗技術が含まれている、と王様は言う。
「騎士としては少々褒められたものではない戦い方だが、兵士として考えれば別だ。あの乱暴な試合運びも、実戦経験の浅い若い竜騎士達には良い刺激になったことだろう」
「なるほど。しかし陛下はもう一つの良い刺激……ブラックカラントの正体不明の黒騎士の方がお気に召したように見受けられますが?」
「ふふふ。仕方ないだろう? 私も人の子だ。国王としての思惑と個人的な好みは別だよ」
イグニシア王は悪戯っ子のような表情でウインクする。
それを見て、私は自称天使なときのオーギュストを思い出した。
国王とオーギュストは、ふとした時の仕草がよく似ている。
国王とお父様が、楽しそうに「あの試合は名勝負だった」「あの竜騎士のこういうところが上手い」と喋っていたとき、誰かが貴賓席まで上って来た。
イグニシアの紋章が織り込まれた垂れ幕を潜って姿を現したのは、運営スタッフの徽章をつけたアクトリアス先生だった。
あれ? また眼鏡ズレてますよ、先生?
「国王陛下、公爵閣下、ご歓談中に失礼いたします」
「おお、エルリック君か。何だね?」
「観測班から、魔法による不正行為が行われているのではないか、という報告が上がっておりまして」
お父様は国王対して簡単にアクトリアス先生のことを紹介する。
アクトリアス先生は懐から運営スタッフの印が捺された羊皮紙を取り出し、二人に見せた。
お父様達は羊皮紙を覗き込む。
「ふむ、ブラックカラント……あの黒騎士か」
「左様でございます、陛下。ハーファン領の事件のため、強い魔法使いは軒並み出払っていまして、まだ巧妙に隠匿された偽装魔法の僅かな痕跡が感知されただけなのですが……」
何だか不穏な話が聞こえてしまった。
オーギュストが不正?
そんな話は聞いたことがないし、彼は不正をするような人には思えない。
後ろ暗いことをして竜に乗ったとしても、オーギュストの血に関する疑惑は晴れないのだから、やる意味もない。
同じイカサマでも、命懸けで契約の獣との融合なんてダイナミックな方法を取っちゃう人だし。
何かの陰謀か。
それとも、私が原作とは異なる行動をとったから、歴史が歪んだのか。
そんなことを考えていると、観客席から大きな歓声が上がる。
試合場を見ると、二頭の竜が飛び立つところだった。
それを見たイグニシア王は腰を浮かせ、思わず叫んだ。
「何だと! どうして試合が始まっているんだ! まだ審議中だぞ!?」
「ああ、しまった! 申し訳ありません、国王陛下。他の部署に中断の連絡を入れるのを忘れてました!」
うわあ、アクトリアス先生って、この頃からドジっ子だったんだなあ。
アクトリアス先生は慌てふためき、眼鏡の位置をカチャカチャと何度も直す。
でも、その度に変な方向に眼鏡がズレていく。
なんなの、その眼鏡呪われてるの?
アクトリアス先生は、挙げ句にどこかへ駆け出そうとして、お父様に止められた。
「エルリック君、落ち着きなさい。とにかく、まずは事実を確認しよう」
「ああ、一度騎乗槍試合が始まったからには、おいそれと中断させるわけにはいかない。たとえそれが王の命令でもな」
王様の言葉にお父様は頷き、一本の短杖を取り出した。
砂糖楓製の、杖頭に翠玉の嵌められた杖──霊視の魔眼の杖だ。
エドアルトお兄様の杖よりもやや長く、翠玉の表面に金箔で孔雀が象嵌されている特別製だ。
お父様は長腕のエルンストの二つ名で呼ばれている。
アウレリア公であるお父様の海戦における役目は、水平線の彼方の巨人を一撃で葬る超長距離砲撃だ。
それ故に、お父様の杖には射程延長の加工が施されているらしい。
既に遥か高空を舞っていた黒竜ブラックカラントを見つめて、お父様は杖を振った。
普通の霊視の魔眼と同じような魔法陣が出現した後、双眼鏡のような形に複数の魔法陣が重なっていく。
「ふむ……魔法効果の源はあの鐙か。なるほど。何重にも偽装がかかっている。これなら試合前の検査をすり抜けてしまったのも不思議はない」
どきりとした。
本当にオーギュストが何か不正をしているんだろうか。
何かの間違いであって欲しい。
「だが、あれは無害だ……いや、無害と言い切れるものではないが、少なくとも不正に竜を強化するような代物ではない」
「お父様、それは、どんな魔法なんですか?」
「酩酊だよ」
「酩酊?」
酔っぱらう魔法?
なんでそんなものが、オーギュストの竜に?
私が悩んでいると、王様は破顔した。
「ははは。酩酊の魔法か。確かに、そんなもので強化されるようなら、酒場は勇士で溢れ返ってしまうだろうな。むしろ酩酊の魔法などがかかっているのに、よくあそこまで華麗に竜を操れるものだ」
言われてみれば、王様の言う通りだ。
酔っぱらっている竜なんて、近づくのも危険そうなのに。
王様の言葉に、お父様は肩をすくめる。
「とは言え、厄介ですね、陛下。酩酊の魔法とは言え、使用禁止の規定に抵触するのは間違いないのですから」
「負けてくれればこの場だけの秘密として内々に処理出来るが……どうもあの黒騎士、易々とは負けそうにない。酩酊などという枷があるにも関わらず」
しばらく考え込んだ後、イグニシア王は自分の中で結論がついたのか、ゆっくりと頷いた。
「よし。続行しよう。観客の顔を見てみろ。中断してしまっては暴動ものだ。残念ながら、黒騎士が勝ったとしても優勝扱いには出来ぬが、」
「そもそも、陛下がこの勝負を見たいのでしょう?」
「ふふ、ばれたか」
お父様の刺激に、王様はぺろりと舌を出した。
しかし、すぐに真面目な表情を整えると、エルリックに指示を出す。
「ということだ、エルリックとやら。あの魔法は酩酊であり、竜や騎手を強化するものではない……と、各員に通達しておくように」
「承知しました、国王陛下」
エルリックは一礼して貴賓席を退出し、慌てて階段を駆け下りて行く。
転ばないかどうか、少し心配だ。
でも、もっと心配なのは──
不意に、観客がわっとざわめき立つ。
私やお父様や王様は、はっとして二頭の竜の方に視線を戻した。
何だか、見た感じでは、オーギュストの方が押されているようだ。
王様とお父様は、すぐに戦況の分析を行う。
「む? 今のは、当たったのか?」
「いいえ陛下、フェイントですね。黒騎士への攻撃と同時に、ルイが自分の盾を叩きました。その音で命中と誤認させたようです」
ルイの盾の音に気を取られ、オーギュストは一瞬だけルイの槍から視線を切り、自分の盾を確認してしまった。
その隙を逃さず、ルイはキャメリアの体当たりでブラックカラントを叩き落とそうとする。
今度こそ当たったかと思ったのに、間一髪、ブラックカラントは体当たりを避けていた。
ルイの反則スレスレの攻撃でペースを崩されながらも、オーギュストは善戦している。
(うわあ、危ない……、それにしても、相手を見てもいないのに、オーギュストは上手く避けるなあ……)
イグニシアの竜騎士は、竜の目線で周囲を見ることが出来る。
何試合か前に、イグニシア王はそんなことを教えてくれた。
なんでも、竜に騎乗できるようになると、騎手には見えないはずの背後の様子などを、竜の目を通してうっすらと把握出来るようになるんだとか。
騎乗に熟達すればするほど、竜の目を通した視界はより鮮明になり、目を借りれる時間も増加してゆく。
(だから、本当なら、竜に初めて乗ったオーギュストは、あんまり後ろが見えてないはずなんだけど……不思議だなあ)
二頭は距離を取って旋回し、再び突撃の体勢をとった。
これまで何度か槍を交えた時と同様に、キャメリアの方が高く遠い位置まで上昇している。
二頭のスピードやパワーの差が如実に現れていた。
お父様や王様の解説によると、基本的には同じ時間の間により遠く高く飛べる竜の方が、槍同士の戦いでは有利だと言う。
直後の攻撃の際に、よりたくさんの加速をかける余地があるためだ。
「やはり、槍ではブラックカラントの分が悪いですな」
「うむ。これまでは身体能力的に互角の竜が相手だったから、あの黒騎士の騎乗技術だけで押し切れたが……キャメリアが相手では苦しい戦いになるのは無理もない」
どうして同じ二十メートル級の竜同士なのに、こんなに差ができるのか。
試合を観戦しながら、王様とお父様に聞いたことがある。
答えは「より裕福な貴族に飼育されているから」だそうだ。
イグニシア王は次々と貴族の飼育する竜の恵まれた環境について並べた。
専用の広い厩舎や狩り場を持つ点。
餌に含まれる豊富な栄養と、それらのバランスを管理する飼育員の存在。
適切なトレーニングメニュー。
肉体だけでなく精神の健康を管理する竜専門の医者をはじめ、一頭の竜のためだけに集められた多数のスタッフ。
「キャメリアの強さは育成環境の問題だけでは不自然だが……まあ、オドイグニシア家が強い竜を育てるための技術を一つや二つ隠していても、おかしくはないかな」
王様は首をひねりながらそう言った。
とにかく、オーギュストの乗るブラックカラントが不利なのは分かった。
彼の育てている竜の卵が孵っていたら、キャメリアと同等の竜で試合に臨めたんだろうか。
オーギュストは能力で劣る竜に騎乗していながら、まだ避け続けている。
しかし、キャメリアのスピードとパワーに振り回され、オーギュストは既に攻撃を試みる余裕もなくなっているようだった。
十何度目かの攻撃で、ついにブラックカラントはバランスを崩す。
ルイはその隙を見逃しはしなかった。
ブラックカラントが立ち直る間を与えないために、ルイは最小の旋回半径で再突撃をかける。
キャメリアを急降下させ、ルイはオーギュストの後方から鞍の左後部の盾を狙った。
(危ない!)
ルイの槍が命中する直前、オーギュストは絶好のタイミングでブラックカラントを宙返りさせた。
オーギュストからはルイの正確な位置は見えなかったはずだ。
なのに、またもや彼は竜の視界を利用して攻撃を避けたことになる。
ルイの槍の穂先は何もない空中を突いた。
オーギュストは逆さまになったまま、すれ違いざまにルイを狙って槍を繰り出すが、盾には当たらない。
そのまま両者がすれ違った直後、思いもよらないことが起きた。
キャメリアの鞍の上から、ルイがいなくなっていたのだ。
(あ、違う! 消えたんじゃない!)
視線をオーギュストの方に移すと、彼の槍に何かがくっついて、もがいていた。
それは、鎧の革紐を絡めとられ、宙吊りにされたルイだった。
(ええー?! ルイの方が体が大きいのに、どうやって!?)
よく観察してみると、穂先の方は鞍に付けられた金具に固定されていた。
あれは、騎乗突撃の際に槍を固定するための金具だったはずだ。
確かにこれなら重さは全部竜にかかるので、持ち上げるのに力はいらない。
その代わり、鎧の革紐を絡め取って反対側を固定するまでのタイミングは相当難しかったはずた。
失敗したらルイに警戒されて二度と試せないだろうに、一発勝負でよくやれたものだと感心してしまう。
「竜が方向転換する時の勢いを使って引っこ抜いた、というわけか」
「ほう……これはまた、器用なことを……」
王様の解説にお父様は納得し、思わずため息をつく。
観客達も、見ただけでは何が何だか分からなかったのだろう。
会場はしんと静まり返っていた。
しかし、オーギュストがキャメリアの前肢に向かってルイを差し出すと、会場に歓声が響き渡った。
相手の体が鞍から完全に離れても、盾への攻撃と同様に一勝ということになっている。
不利と言われていたにも関わらず、ブラックカラントを駆るオーギュストが初戦を制したのである。