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伝令の島10

「うふふ、じゃあ、またね〜。 オーギュスト、ちゃんと謝るのよ〜〜?」


 悪魔さんと、その肩に飛び乗ったゴールドベリは、ぱちっとウィンクをする。

 何だか、とっても息ぴったりだ。

 私が呆気に取られている間に、一人と一匹はドアの向こうに消えていってしまった。

 本当に、神出鬼没な人だなあ。


 私は少し気まずい感じで、ちらりとオーギュストを伺う。

 やっぱり彼も気まずそうだった。


「ごきげんよう、天使様」

「ごめん。やっぱり怒ってるよな」

「はい、少しだけ怒ってます」


 オーギュストは困ったような笑みを浮かべて、一歩距離を詰めた。

 私は思わず、一歩後退する。

 彼は笑顔のまま私から目を逸らした。

 笑みは深くなったのに、それと同時に彼の心も深く沈んでしまったような気がする。


「うん、でも、それが正解かも知れない。あの天使と名乗った少年は実在しなかった……ってことで、私とはこのまま知らない人として接してくれ」

「どうしてそうなるんですか」

「私と仲良くしていると、エーリカお嬢さんにまでロクでもない噂が立ってしまうからね」


 オーギュストは、非の打ち所のない笑みを浮かべてそう言った。

 その表情に微塵も暗い影がなかったせいで、かえって彼が深く悲しんでいることが分かってしまった。

 笑顔のポーカーフェイス、分厚い心の殻を被った嘘つき王子は、この頃には既に完成していたらしい。


「ごめんな。ありがとう。たった一日だけだけど、私が台無しにしてしまったけど、それでも今日は、お前のお陰ですごく楽しかった」

「だから、どうしてそうなるんですか」

「私のこと知っちゃったら、もう今まで通りの気楽な間柄にはなれないだろ。それに……」

「それに?」

「天使は、正体がバレちゃったら、天使じゃいられないのさ。そういうルールなんだ」


 オーギュストは唇に人差し指を添え、悪戯っ子のような顔でにっこりと微笑む。

 その瞬間だけ、聖堂にいたあの天使が戻ってきたような気がした。

 しかし、オーギュストがすぐに踵を返したので、天使は彼の寂しそうな後ろ姿の向こうに消えた。


「オーギュスト王子は、天使になりたかったんですか?」

「私は別に、空を飛べれば天使でも悪魔でもどっちでもよかったんだけどな」


 彼は夜空を見上げた。

 その表情は見えないけれど、きっとあのカラカラに渇いたような笑顔をしているのだろう。

 悲しくても涙も出ない、渇き切った心には、私も覚えがある。


「空を飛びたいんですか」

「飛びたい」


 びっくりするような、強い口調が返ってきた。

 彼は震える手を、届かない遥かな空に向かって伸ばす。


「飛びたい。飛びたいんだ。空が飛べさえすれば……私が空を飛べさえすれば、何もかも元通り、何もかも上手く行くんだ」

「オーギュスト様……」

「なんてな……エーリカお嬢さんには、関係ない話だったよな」


 振り返ったオーギュストは、分厚い笑顔の仮面を被り直した、彫刻の王子様だった。


「地上にいたって、心は空にあるのが南の竜騎士だ。私は竜騎士のなり損ないだけど、空に焦がれるのは他の竜騎士と同じってわけさ」


 私は、微かな胸の痛みとともに、確信した。

 この人は、オーギュストは、何を犠牲にしても飛ぶだろう。

 彼の渇望は、いずれ契約の獣による邪法へ辿り着く。


 その契約を行ってしまえば、獣と融合してしまえば、破滅が待っているとしても。

 六年後、獣の暴走で騎乗能力を完全に失ってしまうと知っても、彼はきっと止まらない。


「話が逸れちゃったな。まあ、そんなわけなんだ。引き止めちゃって悪かったな」

「いえ……」


 取りつく島もない。

 この分厚い心の壁を突破するのは難しいだろう。


 その時不意に、弦楽器の音が聞こえてきた。

 大広間でも聞いた、イグニシアの音楽だ。

 ハーファンやアウレリアの曲と入り交じった現代風の曲調ではなく、どことなく異国色が強い。

 きっと原型に近いアレンジの曲調なのだろう。

 のびのびとした弦楽器のソロに混じって、気持ち良さそうな出鱈目な鼻歌も聞こえてくる。


「この声って、悪魔さん?」

「あいつ……あのお節介……」

「うわあ、楽器もできるんですか、あの人……器用なんですね」

「ああ、あいつは──パリューグは、何でも出来るからなあ」


 オーギュストは笑顔を作るのも忘れて、頬を引きつらせた。

 何だかおかしな話だけど、今の顔の方がよっぽど自然に見える。


「ああもう、ダメだ。台無しだ。綺麗さっぱり諦めようとしてたのに……」

「オーギュスト様?」

「ごめん。エーリカ。私はお前のこと、諦められない。やっぱり、もっと一緒にいて欲しい」

「それって……」


 オーギュストは私の手を取り、上目遣いで見つめた。

 不安そうな表情。


「わかりました。友達少ない同士で仲良くしましょう」

「友達少ない同士、ってお前ね……」

「あら? オーギュスト様、悪魔さん──パリューグさんでしたっけ? 彼女以外にお友達は?」

「……ゴールドベリ」

「人間のお友達は?」

「分かった。降参だ。その通り、私には友達が少ないよ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、オーギュストは両手を挙げた。


「じゃあ、私が友達になれば友達の数が一気に一・五倍ですね」

「わあ、乱暴な数字のマジックだなあ……でも、本当にいいのか?」

「あれ? 嫌ですか? 残念です。オーギュスト様にふさわしい友達ができるよう、お祈りしておきます」

「いやいや、全然嫌じゃないぜ。心の底からよろしくお願いしたい」


 彼は照れくさそうに笑い、私の手を握った。


 私みたいなのでも、友達がいない状態よりはずっとマシだろう。

 孤立がどれだけキツいか私も知っている。


 前世で「部員全員と寝ていた」なんてありもしない噂を広められたときは、笑う事すら出来なかったことを思い出す。

 いや、笑うどころか、怒る事すらできなかった。


 別の学校に通っている幼なじみが「何それ最低。最低にも程があるわ!」と私の代わりに怒ってくれなければ耐えられなかったかも知れない。


「しかし、エーリカも友達少ないのか」

「ええ。でも、それが何か問題ですか? 友達なんてお気に入りが何人かいれば良いだけです」

「いーや、問題ないね。私もその考えに賛成だ」


 目を細めて笑うオーギュストはとても無邪気そうで。

 私はオーギュストのいざという時の、そういう友達になりたいと強く思った。


 そんなことをしていたら、何だか弦楽器の音が急かすような曲調になってきた。

 ゴールドベリの鳴く声も聞こえてくる。


「あいつら、どこかから見てるのか?」

「星明かりだけじゃ、全然分かりませんね」

「つまり、こういうことか……」


 オーギュストは肩をすくめると、握手していた手の形を滑らせるようにして変え、私の前にひざまずく。


「レディ・エーリカ。どうか私と踊ってくれませんか」

「はい。喜んでお受けいたします」

「すまないな。ホント、あいつはこういう余計なお世話が好きで」

「あはは」


 オーギュストのリードで、滑り出すように私達は踊り始めた。

 星明かりの下の、二人きりのダンス。

 観客は悪魔と竜だけ。

 でも、みんなに囲まれていた大広間よりも、オーギュストが生き生きしているように見える。


「渋々踊り始めた割に、楽しそうですね」

「おっと、バレちゃったな。実はエーリカがハーファンの魔法使いと踊ってた時から、羨ましくてさ」

「見てたんですか?」

「うん。見てた。相手の魔法使いの足を踏みそうなステップとかも全部」

「あはは。お恥ずかしいです……」


 憑き物が落ちたような顔で、オーギュストは踊る。

 その足取りは軽く、危なげないステップだ。

 きっと、パリューグか王妃様と練習したんだろう。


「羨ましかった。私もお前と踊りたかった。今、すごい楽しい。あー、正直に喋るのって、なんて楽なんだろう」

「そりゃそうですよ。嘘つく方が疲れます」

「だよなー。毎日ヘトヘトだよ。エーリカの前でだけ正直者になろうかな」

「例えば?」

「飛びたい。飛びたい。飛びたい飛びたい飛びたい」


 さっきの苦しそうな独白と違って、何だか駄々っ子みたいな言い方で、彼は心からの願いを叫ぶ。

 本当にこの人は空が飛びたいんだなあ。


「あと、お前のことが好きだ」

「え、いきなり好きとか困ります」

「え、友達としてだぜ」


 おおっと、びっくりした。

 この人いきなり何を言うんだろうと思ってしまったよ。


 しかし、こんなに空を飛びたい人がなんで飛べないのだろう。


「そう言えば、オーギュスト様は何で飛べないんですか?」

「おお……」


 オーギュストは一瞬言葉に詰まった。

 ちょっと無神経な、いや、かなーり無神経な事を言ってしまった気がする。


「そんなこと、面と向かって聞いてきたヤツなんて初めてかも知れない。わー、新鮮だー」

「う、失礼でした?」

「いや、気にされてない方が全然楽だ。ずっと腫れ物扱いだったからな」

「わ、大変無神経なことを」

「いいっていいって、そういう無神経なヤツのほうが私は好きかも知れない」

「うっ」


 今度は私が言葉に詰まる。

 ああ、やっぱり無神経だったなあ。

 せめて不敬罪にあたらないように気をつけておこう。


 そんなことを考えていたら、オーギュストは唐突なことを言い始めた。


「眠り姫が目覚めてくれないんだ」


 何だか詩的な表現だけど、何のことなんだろう?


「私の竜三匹のうち、長女のゴールドベリ以外は卵から孵化してくれないんだよ」

「キスしてみてはいかがですか?」

「いや、キスくらいならいっぱいしてるよ。でも目覚めてくれないんだ」

「してるんですか」


 卵にキスしてる王子かあ。

 ちょっとシュール?

 あ、でも意外に絵になるかも知れない。

 美形は何やっても許されるから、憎いね。


「イグニシアの王侯貴族は、生まれた時に竜の卵を与えられる。卵を孵して、竜を育てて、騎乗できたらやっと一人前なんだ」

「ゴールドベリがいるのではないですか?」

「あの子は護身用の小型竜だ。あれ以上は大きくならないよ。二匹の義妹が大型になるはずなんだ」

「そうなんですか」

「名前も決めてるんだ。赤竜がブライア、白竜がブランベル。きっと美人さんに育つはずなんだ」


 なんだか、妹自慢するときのエドアルトお兄様に似た表情で、オーギュストは言った。

 異種間シスコンとはいったい……。


「もしかして、そのせいで竜に乗れないんですか?」

「ご名答。王族としては異常事態なんだよな。何故卵が孵らないかは分からないままだ。……だから、せめて汎用竜に乗れればいいんだが」

「難しいんですか?」

「難しい。だから貴族は専用の竜を卵から育てるんだ。私も、ブライアとブランベルが孵るまで待てって言われてる」

「待てないんですか?」

「待てないね」


 オーギュストは私の腰に手を回して抱き上げ、くるりと回った。

 ちょっとびっくりした。

 でも、やっぱり竜騎士見習いだけあって、鍛えてるんだなあ。

 足腰の安定性が、こうやって一緒に踊るとよく分かる。


「竜の生態を調査にきた魔法学園都市の奴らに聞いたんだ。父上も、祖父も、七歳程度で空を飛んだって」

「でもオーギュスト様、もう十歳ですよ」

「父上達みたいな天才騎手にはなれなくていい。天才の子が無能だったって思われたくないんだ」


 くるりとターンしたところで、曲が終わる。

 私達は手だけを繋いで見つめ合っていた。


「そしてそれ以上に、私は、母上の名誉を守りたいんだ。私が王家の血を引いていることを、竜に乗ることで証明したい」

「オーギュスト様……」


 彼の背後で、星がきらきらと瞬く。

 鏡のような海に星が映り込んでいて、どこからが空なのか、どこからが海なのか分からない。

 綺麗だ、と思った。

 でも──


「シスコンでマザコンって、かなり業深いですよね」

「シス……何?」

「おおっと……」


 まずい、気が抜けて大変なことを口走ってしまった。


「今、すごく失礼なこと言わなかった? 気のせいかな? ちゃんと私の目を見てもう一回言ってご覧?」

「何でもないです。本当に何でもないです。あーあー、オーギュスト様は本当にお美しいですねー」


 ちょうどタイミング良くパリューグさんがニヤニヤ笑いながら、私達をからかう気満々でやってくる。

 この時ばかりは、自称悪魔が天使に見えたのだった。

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