伝令の島9
放心したクラウスが令嬢達に群がられる様を遠巻きに眺める。
これ、何かに似てるなあ。
……ピラニア?
かなり失礼なことを考えながら、私は優雅に安全圏に脱出した。
先ほど友達になってくれたトリシアとマーキアは、クラウスを取り囲む集団の中にいるようだ。
どうしようかな。
アンに構ってもらおうか。
そう思っていたら、クラウスの救出に向かっているアンが見えた。
自分より年上の、十人以上の令嬢の群れを恐れもしない。
たくましいなあ。
私も少しはアンを見習わないと。
じゃあ、ティルナノグと一緒にのんびり食事でもしておくかな。
そう思ってキョロキョロしていたら、また別の人から声をかけられた。
「君がアウレリア公のご令嬢、エーリカ様なのかな」
一目でイグニシア系と分かるプラチナブロンドの長髪に濃い菫色の瞳の少年で、紫色の小型竜を連れている。
年の頃は十三、四くらいに見える。
そういえば、先ほどのイグニシア王や王妃様、オーギュスト王子の周りにいた王侯貴族の一人に似ている。
「僕とも一曲踊っては下さらないだろうか?」
「……ええ、よろしくお願いいたしますわ。あなたを、なんとお呼びすればいいのでしょうか?」
こういう見知らぬ人と初めて踊るのはかなり気がひける。
しかし無碍に断るわけにもいかないんだろうなあ、ここはイグニシアだもの。
「おや? 僕のことを知らないのかい? いけないねえ、公爵令嬢ともあろう者が」
「申し訳ありません。なにぶん王都に来たのは初めてなので、イグニシアの貴族の方とは馴染みがなくて」
「仕方がないね、許してあげるよ、アウレリア公爵令嬢。僕の名声も大陸の西の果てに届くほどではなかったわけだな。精進しよう」
私はひきつりそうになる頬を必死でなだめていた。
前置きが長くないですか。
どこかの自称天使な王子みたいに、非公式の場所で会ったときならともかく。
王城の宴の場で、しかもダンスに誘った相手に名乗らないって、どうなの。
「ふふふ。よーく覚えておきたまえ。覚えていれば将来役に立つはずさ。僕はルイ・オドイグニシア。カルキノス・イグニシア領の中心都市〈再征服の都〉を治めるオドイグニシア方伯シャルルの弟さ」
ルイ・オドイグニシア。
これはまた特殊な人物に目を付けられてしまったかもしれない。
彼は、オドイグニシア家つまりイグニシア王家の分家な訳だ。
このルイもシャルルもオーギュスト王子の従兄弟にあたると言うことで、彼らも王位継承権持ちだ。
ルイ・オドイグニシアという人物は「リベル・モンストロルム」のホームページやブックレットの登場人物紹介には掲載されていない。
私がプレイしたシナリオ二本半の中にも登場しなかった。
カルキノス大陸の人だし、年齢的にも同時期に魔法学園に通うことはないだろう。
私の死亡フラグには、多分関係がない人物だ……けれど、分家とは言え王族だからなあ。
困った感じの人だけど、王族となれば無視するわけにはいかない
私は公爵令嬢の仮面をなるべくきっちりと被る。
私はルイが差し出した手を取り、彼にリードされながら踊り始めた。
彼は私の耳元に顔を近づけて呟く。
「君は面白い女の子だね。聞いたよ。よりにもよってオーギュストが天使だなんて」
うっ……やっぱりあの時周りにいた人か。
早速、黒歴史を掘り返されてしまった。
顔の筋肉が強ばるのを感じる。
しかし、表面の薄皮一枚で何とか微笑みを返した。
「そうですね。でもオーギュスト王子はとても美しかったのでそう思ってしまいました」
何が踊り食いに繋がっているとも限らないし、どこで誰が聞いているかも分からない。
皮肉だったことにされてしまうとマズいので、無理矢理気味に押し通してみた。
すると、ルイは二度も髪をかき上げ、斜め気味の顔の角度を維持して、こちらに流し目する。
「美しいってのは、普通は僕みたいな男のことを言うんだよ、お嬢さん」
「……そうですね、ルイ様」
ドン引きしそうになったけど、何とか耐えることができた。
ナルシストな人なんだろうか。
確かにルイも美形ではあるけど、美形揃いのイグニシア王族の中では目立たない方だと思うな。
「ハハハ、でもね、アウレリア公爵令嬢。いくら美しくてもあの王子には近付かない方がいいよ」
「そうなのですか、ルイ様」
「オーギュスト王子はね、なんと言うか……荊のようなやつなんだ。美しくても、触れればその手を傷つけ、血を流させる。彼の噂の一つや二つ、聞いたことがあるだろう?」
「いえ、私はそういう噂には疎──」
「いやいや! 待ちたまえ! 王子の風聞など、こんなところで口にするような噂ではない! 誰が聞いているとも知れないんだからな!」
話を振ったのはルイだろうに。
それに、そんな大声で言ったら、周りの人に私まで変な噂立ててるみたいな印象を持たれてしまう。
八歳の女児なんて、簡単に言いくるめられると思っているのかも知れない。
実際、原作のエーリカはそうやってオーギュストを嘲ることに疑問を抱かなくなってしまったのだろうか。
「僕はオーギュスト王子と仲良くしたいと思っているんだけど、王子は僕を嫌っているようでねえ。いまだに竜に騎乗できない可哀相な彼を鍛えてあげてもいいんだけど、全然付き合ってくれないんだ。情けない話しだよ、従兄弟だっていうのに」
「ご苦労なさっているのですね、ルイ様も」
むしろ、ルイの方こそ積極的にオーギュストを嫌っているように見える。
あるいは、王位継承を巡るライバルとして、邪魔だと思っているのか。
どちらにしても、悪評に便乗してオーギュストの立場を悪くしたいんだろうな。
厄介だなあ。
肯定したら周囲にアウレリア公爵令嬢はルイの味方だと喧伝されそうだし、否定したら大声で逆方向の印象操作をされる。
適当に流すのが精一杯だ。
「オーギュスト王子はここ数年ですっかり歪んでしまった。僕は心配で心配でならないよ。味方のいない可哀相な彼の味方になってあげたくてねえ。僕は優しいからみんなの味方になりたいんだ」
「私も、オーギュスト王子は噂話のような人物とは思えません。味方になれるものでしたら、私も──」
「君はやめた方がいい! オーギュスト王子は荒れているからねえ、君のような小さな少女が無防備に近付いていったら何をするか分からない」
「そうなのですか、ルイ様」
公爵令嬢の仮面を被り続けるのが苦痛になってきた。
オーギュスト王子をフォローしているフリをしながらの悪口は、いつまで続くのだろう?
こんな人達に囲まれていては、オーギュスト王子が雪花石膏の彫像になるのは仕方ないような気がしてきた。
そんな胃が痛くなりそうな会話をしながら、私はルイに手を取られてくるりとターンした……つもりだった。
「何者だ! 他人のダンスのパートナーを……!」
ルイの声は正面ではなく背後から聞こえた。
振り返ると、ルイは少し離れたところで、不可解そうな表情で空中に手を差し出したまま硬直している。
え、じゃあ、私の手を取っているこの人は誰なの?
そこにいたのは、仮面舞踏会などで被るような仮面で顔を隠した長身の人物だった。
イグニシア貴族らしい衣装に、羽飾りのついた帽子、金糸で刺繍のされた煌びやかなマント、踵の高いブーツ。
帽子の下からは一房の金髪がこぼれていた。
誰だろう?
どこかで会ったことがあるような気がする。
「失礼。アクビが出るようなつまらないステップでしたので、お姫様が退屈しているかと思いまして」
「何だと!? その言い草、僕がルイ・オドイグニシアだと知ってのことか!」
「ふーむ? オドイグニシア? 聞いたことがありませんなあ。どこかの田舎貴族の家名ですかな?」
「こ……この下郎! 言うに事欠いて!!」
侮辱とも挑発ともとれる言葉に、ルイは激昂した。
仮面の向こうで、悪戯っ子のような目が笑う。
「もしかして、あなたは……」
「では、お姫様は頂いていきますよ」
その人物はマントを脱いでふわりとルイの視線を遮るように翳す。
マントが空気を孕んでゆっくりと落下していくまでの短い間に、仮面の人物は稲妻のように動いた。
私の頭に黒髪の鬘を乗せて、特徴的な金色の髪を覆い隠す。
灰色のケープを私の肩にかけ、豪奢な青いドレスを隠す。
仮面の人物の早業で、私はあっという間にハーファン貴族令嬢のような姿に変わる。
仮面の人自身も帽子と仮面を脱ぎ去り、結っていた髪を解いた。
マントだったものをパレオのように腰に巻き、地味な色のヴェールを被ると、その人物はあっという間にドレス姿の女性に変わる。
僅か数秒の早変わりだ。
その一連の動きを見ていた周囲の人々も、驚きでぽかんと口を半開きにしている。
マントの向こうにいたルイには、私達が消えたように見えたことだろう。
「あなた……悪魔さん?」
「しーっ、お静かに」
仮面を脱いだその人は、大聖堂の深部で会った自称悪魔だった。
今の彼女は肌の露出を抑え、侍女のような地味な色合いのドレスを着ている。
さっきまでは男にしか見えなかったのに、まるで魔法のようだ。
すっかり地味な姿になった私の手を引いて、彼女は踊りの輪から離れていく。
☆
悪魔さんに連れられて、人気の無いテラスに辿り着いた。
空には雲一つないらしく、満天の星空が広がっている。
〈伝令の島〉の周囲の海も凪いでいるようで、鏡面のような静かな水面に星の光が反射してキラキラ輝いていた。
まるでお城が宇宙空間に浮いているみたい。
そんな幻想的な光景を背に、寂しそうな笑みを浮かべたオーギュスト王子が立っていた。