伝令の島7
あまりの恥ずかしさに、私は王家の面々が座るテーブルからそそくさと退散した。
今はお皿片手にお肉を見繕っている真っ最中だ。
いくらでも食べてくれる相棒がいると、いろんな料理を気兼ねせず少しずつ味見できていいなあ。
そんなこんなで、色んなテーブルを回ってそこそこに挨拶していたら、いつのまにか同行者ができていた。
一人はアウレリア出身のレイルズ男爵家の令嬢トリシア。
もう一人はイグニシア出身のジョーナス副伯家の令嬢マーキアだ。
二人とも私と同じ八歳だそうだ。
トリシアは装飾用の短杖をドレスの帯に差し、マーキアは小鳥くらいの小さな竜を肩に乗せている。
「エーリカ様エーリカ様、御手が汚れないよう、わたくしのハンカチをお使い下さいませ」
「エーリカ様、こちらのお菓子もお召し上がり下さいませ。この砂糖菓子はイグニシアの貴族子女の間で大変流行しておりましてよ」
「エーリカ様はわたくしと同じアウレリアのお姫様ですのよ。イグニシア貴族はすっこんでいらっしゃいな」
「何よ、男爵令嬢の分際で。ここはイグニシアでしてよ。イグニシアの者が案内させて頂くのは当然でしょう?」
「お二人とも、あまりお騒ぎになっては、皆様の迷惑になりますよ」
トリシアとマーキア、二人の可愛い女の子に両側から取り合われてしまった。
さながら私は捕獲された宇宙人状態である。
このくらいの年頃だと「○○ちゃんは私と遊ぶの!」とか言って、友達を取り合うよね。
ちっちゃい女の子のこういうところって微笑ましくて可愛いなあ。
トリシアとマーキアの二人が言い争いに夢中になってこっちを見てないうちに、テーブルの下からティルナノグが顔を出した。
素早く私の持ってきた山盛りの皿と、ティルナノグが食べ終わった空の皿を交換する。
「ごめんね」
『気にするな。お前の持ってきた皿以外からも食べている』
「見付からないようにね?」
『大丈夫だ。俺はこれでも素早い』
言い争いが終わったのかトリシアとマーキアの二人の令嬢が近づいてきた。
ティルナノグはさっとテーブルクロスに身を隠す。
「お待たせしました、エーリカ様。マーキアが愚図で大変でしたのよ」
「あら、ついさっきの事もお忘れになったのかしら。愚鈍だったのはトリシアでしてよ?」
「はいはい。逃げませんから、安心して下さい」
しかし、これではちょっと動きにくいかも。
うーん、どうしよう。
可愛らしいレディ二人に挟まれて困っていたら、ハーファン系貴族の一団から、飛び切り目立つ女の子が現れた。
その女の子と目が合って、私は微笑んだ。
私は彼女のことをよく知っている。
一ヶ月半前に一緒に死線をくぐり抜けた間柄の、アン・ハーファンだ。
アンは大人っぽい黒いドレスに身を包んでいた。
一見すると地味に見えたけど、よく見ると刺繍やらレースやらでものすごい凝った作りをしてる。
薄紅色の花を象ったコサージュもよく似合う。
アンが動くたびに、シャンデリアの灯りで銀糸がキラキラと輝いていた。
顔立ちもこの前より少し大人っぽくなっていて、涼やかで鋭利な美貌の片鱗が見える。
「お久しぶりです、エーリカお姉様。ずっとお会いしたかったです」
「まあ、アン様。私もあなたに会えて嬉しいわ」
私はにっこりと微笑んで出迎える。
その時、トリシアとマーシアが私の両側で、袖をぎゅっとつかんだのを感じた。
「まあ、図々しい小娘だこと。わたくしたちが先にエーリカ様とお話していますのよ?」
「そんな貧相なドレスで、よくエーリカ様の前に立てましたわね。出直していらっしゃい」
おおっと、アンまでライバル視されてしまっているの?
私は口をはさもうとしたが、二人の話を遮りにくくて言葉が出せずにいた。
「ちなみにわたくし、エーリカ様と同じアウレリアの男爵令嬢ですのよ。エーリカ様と同じ!」
「ちなみにわたくし、イグニシアの副伯令嬢でしてよ。副、伯、令嬢でしてよ!」
アンを共通の敵と定めたらしい二人は、一歳年下のアンに詰め寄る。
私がオロオロと三者を取りなそうと右往左往しかけていたところで、アンと目が合った。
アンは軽く微笑み、手を挙げて落ち着くようにジェスチャーする。
「四重の波に帆をかけた三艘の船の紋章……あなたはアウレリアのレイルズ男爵家のご令嬢ですね?」
「うっ!? ええ、わたくしはトリシア・レイルズですが……なぜ我が家の紋章を知っているの?」
「眠る白竜と交差する剣の紋章……そちらはイグニシアのジョーナス副伯家のご令嬢ですね?」
「ぐ……確かにわたくしはマーキア・ジョーナスでしてよ。でも、失礼ですわよ。わたくしたちに先に名乗らせるなんて」
おー、すごい。
流石勉強家のクラウスの妹、予習はばっちりだ。
アンは余裕たっぷりに微笑むと、さりげなく隠していたハーファンの紋章から手を除けた。
「申し遅れました。私はハーファン公爵家のアンと申します。トリシア様、マーキア様、以後お見知りおきを」
子供ながらによく通る声でアンが自己紹介し、完璧な所作でお辞儀をする。
トリシアとマーキアは口を半開きにして、しばらく硬直していた。
不意に、二人は弾かれるように一歩下がり、深く礼をする。
「旧王家ハーファンのご公女様とはつゆ知らず、ご無礼を!」
「ひっ……! ご拝謁の栄誉に預かり、恐悦至極にございます!」
「流石にそこまで恐縮されると、まるで私がお二人を苛めているみたいではありませんか。どうか、面を上げて下さいませ」
アンは余裕たっぷりの強者の笑みを向ける。
「私がお二人をお邪魔してしまったのは事実ですし、おあいこではございませんか。私たちは三人ともエーリカお姉様が大好きな仲間のようですし、細かい事は水に流して、平等に仲良くいたしましょう、ね?」
「はっ、はい!」
「恐れいりますっ!」
平等と言うものの、しっかり格付けが済んだようだ。
トリシアもマーシアもすっかりアンに対して従順になってる。
アン様、すごいね、お若いのに。
匠の技を見せてもらった気がする。
そっとアンが私に近寄ると、トリシアとマーキアはスペースを空けて一歩下がった。
アンは私に寄り添うようにして、私を見上げた。
「エーリカお姉様、ずっとこうしてお話したかったです。今でもあの夜のことが忘れられなくて、思い出すと胸がドキドキしてしまいますの」
「……アン様、なんだかすごく人聞きが悪いですわね」
「あっ! そうでしたね。あのことは私たちだけの秘密でしたね」
「……アン様、人聞きの悪い部分はそっちだけじゃないです」
ちらりと、トリシアとマーキアを見ると、そっと目を逸らされた。
なんで頬が赤いの?
やっぱりそういう風に誤解されたの?
違います、そういうのじゃなくて一緒に地下探検して怪獣を倒した仲なんです! とは言えないのが辛い。
「そういえば、エーリカお姉様、贈り物はちゃんと届きました?」
「ええ、届きましたよ。とっても美味しかったです。ありがとうございます」
「でしょう? きっとエーリカお姉様も気に入ると思ったんです。ハーファンにいらっしゃったら、毎日でも美味しいお肉を召し上がって頂けますよ!」
「それは素敵。ハーファンにお邪魔したときは、是非ご相伴に預かりますね」
クラウスは兎も角、アンはちゃんと歓迎してくれそうで嬉しいなあ。
食文化が進んでいるらしいハーファンの御馳走には、私も興味あるんだよね。
なにかの機会でハーファンに行くときは期待しておこう。
おっと、そう言えば折角だしクラウスのあの手紙の件、聞いておこうかな。
「あの……クラウス様のことなのですけれど……」
「はい! お兄様のことですね! 何でもお尋ね下さい!」
「不思議な手紙を頂いたんですけど……何か私、クラウス様を怒らせるようなというか、闘争心に火をつけるようなことしてしまいました?」
「不思議な、手紙……? それは、いつ届いたものですか?」
アンが眉間にわずかに皺を寄せていた。
相変わらず兄への態度は手厳しいみたいだなあ。
「アン様からの贈り物に同封されていた手紙ですよ」
「同封……え、まさか……そんな、いくらお兄様でも…………ちなみに、内容はなんと?」
「お前は強い。俺はお前に負けないような男になる。待っていろ……でした」
「そんな……お兄様が……!?」
アン様が一瞬貧血を起こしたようにくらりと後方に倒れそうになった。
慌てて支えようとするが、彼女はすぐに持ち直し、深呼吸した。
「やっぱり果たし状なんでしょうか?」
「いいえ。あの手紙は、おそらく別の意図を伝えるはずだったんです。言葉足らずで果たし状みたいに見えるかもしれませんが、違います。どうか兄を信じてあげて下さい。兄にもう一度チャンスを」
うーん、詳細はわからないけど、手違いってことでいいのかな?
よかった、あれじゃあんまりだものね。
本当に安心した。
「よかったです。クラウス様とは仲良くしたいですから。書き直し大歓迎ですよ」
「ありがとうございます。エーリカお姉様は女神のようにお美しいだけじゃなく、女神のようにお優しいですね」
「それは言い過ぎです、アン様。恥ずかしいなあ……」
そんなことを言ってたら、すぐ近くで黄色い歓声が上がった。
先ほどから口数少なく同行していた、二人の令嬢の声だ。
「きゃー! 誰ですの? あのお方は!」
「きゃー! きゃー! まるでお伽噺の王子様のようですわ!」
トリシアとマーキアが興奮した様子で叫んでいる。
彼女達だけじゃなく、もう少し年上のお姉さんたちまで、一人の少年に見とれているようだった。
その黒髪の少年がこちらを向いた。
あ、なんだ、クラウスか。
クラウスも妹同様に、このわずかの期間に成長しているようだった。
前の一点の曇りも無いような溌剌とした風情はなりを潜め、わずかに憂いを帯びた伏せがちの青い瞳が印象的だ。
彼も一見すると地味ながら、凝った衣装を纏っていた。
黒に近い灰色のローブは一ヶ月前に見た実用品ではなく、光沢のある豪奢な毛織物に銀糸の刺繍で縁取りを施した高級品だ。
胸元のブローチやカフスは、ハーファンの紋章になぞらえた銀色の月。
それ以外にも各所に心憎い細工が施されている。
流石のクラウスも、王家主催の祝宴ともなると、お洒落してくるんだなあ。
これだけ凝った衣装なのに、衣装だけが浮くことはない。
むしろ凝っていながら地味な色調に抑えた衣装が、クラウス本人を引き立てているような感じ。
中身を知っていなければ、もっと私も「きゃー」なんて言えたのかも知れないね。
「わたくし達と歳も離れていらっしゃらないようですのに、あんなに美しい殿方がいらっしゃるなんて!」
「へえー……、さすがですねー……」
「ど、どうしましょう、エーリカ様! あの方、こちらにいらっしゃいましてよ!」
「へえー……、そうですねー……」
「わたくし、ドキドキしてきましたわ! ああ、これは夢かしら!」
「へえー……、そうかもしれませんわねー……」
果たし状の誤解は解けたものの、内心ビクビクである。
それなのに、私の両脇をトリシアたちがガッシリ押さえてくれているので、逃げるに逃げれない。
どうしようか悩んでいる間に、クラウスは私の目の前まで来ていた。
彼はややぎこちなく、私に対して微笑む。
「レディ・エーリカ」
「あ、はい。クラウス様」
「しばらく見ない間に、一層美しくなられたようだな。はるばるイグニシアまで脚を運んだ甲斐があった」
「クラウス様はキャラ崩壊……おおっと、性格変わりましたね」
「これは手厳しい。俺には似合わなかったか?」
クラウスは今度は自然に笑い、私もつられて微笑む。
うん、いい感じに場が暖まった。
そう思った矢先に、クラウスは思いもしない行動に出た。
彼は貴婦人にかしずく騎士のような仕草で私の前で膝をつくと、私の手を取った。
(な、何をするんだー!)
私の無言の悲鳴の代わりに、トリシアさんとマーキアさんの嬉しそうな「キャー」がホールに響く。
「エーリカ・アウレリア。どうか、お前と最初に踊る栄誉を俺にくれないか?」
「えええ!?」
混乱して視線を彷徨わせると、アンの誇らしげな視線とぶつかった。
(あ、把握した。これってアンによる調教の成果報告だね。グッジョブ)
中身はあの暴れ馬だから、下手に知らない人の前に出すのは危険と判断したのだろう。
言わば私は毒味役ってことなのかな。
「失礼いたしました、クラウス様。その申し出、喜んでお受けいたしますわ」
私は淑女らしい仕草を取り繕い、スカートのすそをつまんでお辞儀をする。
もう一度トリシアさんやマーキアさんの黄色い声が響き、周囲の大人達の耳目まで集めてしまう。
おおっと、これは恥ずかしい。
だがしかし、いずれ本気で社交界にデヴューしたらこれに耐えなければならないのだし頑張ろう。
クラウスも見られるのが恥ずかしいようで、私を見つめて耳まで赤くしている。
「行くぞ。エーリカ」
「ボロが出てますわよ、クラウス様」
「うるさい」
クラウスは足早に私の手を引いて、ダンスの輪の中に入っていった。