伝令の島5
金髪サラサラの自称天使様は私の手を引いて、大聖堂の奥へと進んでいく。
私達のやや後ろを星鉄鋼ゴーレムの振りをした黒竜ティルナノグは、二つの大きな鞄を手についてくる。
もう一個、私が持てるくらいの大きさの鞄もあったんだけれど、それは今天使さんが持ってくれている。
親切な人だなあ。
よく見ると、細身なのに腕にはしっかり筋肉がついている。
聖職者の息子というインドアなイメージに反して、けっこう鍛えているようだ。
彼は少し進む度に施錠された扉を開け、まっすぐにどこかをを目指していた。
手元を見ていると、鍵束ではなく、一本の鍵で開閉している。
どうやら、この大聖堂専用の万能鍵を持っているようだ。
「かなり奥まで行くの?」
「ああ、年に数回しか公開されないヤツだからな」
「珍しいものなのね」
「まあな。でも、私は特別だから、いつだって見ていいんだ」
「へえ、すごいわね」
仏教で言うところの秘仏なんだろうか。
有名なお寺とかで、何ヶ月とか何年かに一度公開するようなやつ。
ちょっとワクワクしてきた。
扉を開ける度に、壁画や彫刻の怪物っぽさが高まってきた。
ヒエロニムス・ボスとかブリューゲルとかを彷彿とさせる混沌度。
子供の落書きと悪夢と本気の怪異が、程よく背筋をぞくりとさせる配分でミックスされている。
怖いけど、これはこれで楽しいかも。
「これは……かなりキてるわね」
「まだまだ本番はこれからだぜ。目的地は一番奥の部屋だからな」
「大聖堂の最深部なのね……」
つい最近、故郷の遺跡でうっかり最深部に辿り着いて酷い目にあったことを思い出す。
今思えば良い思い出だけど、少し最深部にはトラウマが出来た。
ちらりとティルナノグの方を振り返る。
うーん、トラウマの元凶さんは今のところ味方だし、大丈夫かな。
「さて、お待ちかねの、とっておきだぜ」
天使さんが他の扉とは趣の違う、仰々しい細工の施された最後の扉を開ける。
広々とした、しかし装飾のほとんどないシンプルな部屋。
部屋の奥には、他の場所から切り出してきたらしい巨大な石灰岩質の壁が鎮座していた。
そこに描かれていたものが何か、はっきりと認識する前に、ぞわぞわと悪寒に似たものが背筋に走った。
「あちらに御座しますのが、我らが主、この世でたった一柱の神様ってヤツだそうだぜ」
その石灰岩の壁には、太陽神としての側面を強調した唯一神の姿が描かれていた。
鮮やかな朱色、黒、白、そして黄金。
中央上部に太陽を配し、下部に人間や他の被造物たちが描かれ、唯一神から平等に与えられる恩寵や愛が表現されている。
これだけならば、特に気持ち悪くはない。
その太陽には手が無数に生えているのだ。
恐ろしくなるほどたくさんの、細長い光の手。
その手の一本一本が、地上の人々の頭の上に伸ばされている。
太陽の中には七つの目が描かれている。
それぞれの手にも無数の目だ。
現代イクテュエスの感覚で言うと、それはお世辞にも写実的とも技巧的とも言えない。
しかし、鬼気迫る何かを感じさせる執念深さで精巧に描かれたその壁画は、見る者を圧倒した。
凄まじい大作だが、神聖さに心打たれる類いの代物では無い。
一見するとデタラメな落書きのようで、吹き出しそうになる。
でも、きっと吹き出したら、笑った後で居心地の悪さに後悔してしまうだろう。
「カルキノス大陸にある、聖地の祭壇から切り出してきたそうだ」
「すごい……」
「気持ち悪くて引いちゃうだろ?」
「気持ち悪い感じするけど、それ以上に怖いわ」
「まあな。あんまりにも奇妙で、信者が幻滅したり怯えたりしちゃ都合が悪い。だから、普段は公開してないそうだ」
私は、壁画に描かれた神の似姿から目を離せなくなっていた。
ズレた感性かも知れないけれど、これはこれで一種の美しさがあるような気もする。
そこには、神様や人間たちだけでなく、他のものも描かれていた。
神様に従う、数々の御使いたち。
大きく描かれた格が高そうな御使いが四体、それ以外の御使いは小さめに描かれている。
四体の大天使って考えると、前世の世界の特定の宗教がイメージされるが、どうも趣が違う。
それらの天使には、獣の顔がついていた。
「これは……天使……?」
「ああ、そうだぜ。こいつらもかなり奇形だろう?」
この部屋以外の宗教画や彫像の中では、天使の顔は美しい人間の顔で表現されている。
だからこそ、ギャップに戸惑ってしまう。
限定公開の壁画に描かれた天使は、天使と言うよりも、エジプトの神様みたいだ。
中でも神に最も近い場所に描かれた御使いは、特別扱いの豪華さだった。
一際大きく描かれ、貴重な金や辰砂がふんだんに使われている。
頭部は獅子で、六枚の羽根を持ち、たくましい体をしている。
右手には炎の剣、左手には薬の壜。
赤い衣を纏ったライオン天使は、やや扱いの小さい他の三人の大天使──牛頭と鳥頭、そして顔を赤く塗りつぶされた御使いを従えていた。
四人の大天使は、それぞれ御使いの群れを指揮するような身振りをしていた。
(こういうの、キリスト教とかにもいたっけ? 確か……熾天使とか智天使とか、そう言うのよね)
そんな異様な神と異様な天使の描かれた大作壁画に圧倒され、私は言葉を失った。
口を半開きにして見上げる。
全貌を視界に納めるために、ゆっくりと後退る。
そしたら、不意に柔らかい何かにぶつかった。
「おやおや、こんなところに女の子を連れ込むなんて、悪い坊やだこと」
背後から、ざらりとした甘ったるい女の人の声が聞こえた。
「あー、参ったなあ。うるさいのに見つかっちゃったぜ……」
自称天使さんが、私の背後の人物を見て額に手を当てる。
私が彼の視線を追って振り返ると、美人さんと目が合った。
愛嬌があるのに厳しさを感じさせる、目力のある双眸。
元々の背が高い上にヒールも高いのか、かなり高いところから見下ろしていた。
タテガミを思わせる、豊かで艶やかでボリュームたっぷりの金髪ポニーテール。
南方独特の露出度の高い赤いドレスからは、小麦色に焼けた豊満な胸が溢れんばかり。
全身に金の装身具をジャラジャラつけていて、目が痛いほどの絢爛豪華さだ。
惜しい。
あと十歳若かったら、悪役令嬢役を代わってくれそうなタイプじゃないかな。
そんな感じのゴージャス・ビューティーさんがそこにいた。
「妾がうるさい? あらあら、まだ毛も生えてない坊やが、言うようになったわね」
「ほーら、あんたはそういう所がうるさいんだぜ」
天使さんが拗ねたように言うと、その謎の美人さんは喉を鳴らすように笑った。
「天使さん、お知り合いですか?」
「あー、こいつはなー……何て言ったらいいのか……」
「天使さん? へえ? 天使さんねえ? そうだねえ。あんたは確かに天使だねえ」
「げえ……余計なこと言うなよ」
天使さんは私の手を引き、謎の美人さんから引き離す。
うーん、なんだか厄介な知り合いなのかな。
そういえば、部外者が入ってると怒られちゃうとか言ってたっけ。
「余計なこと? 妾が? くふふふ、妾が今まで一言でも、余計なことを言ったことがあったかしら?」
「もうとっくの昔に、そういう言葉が余計だぜ」
「つれないわねえ。やっぱり若い娘の方が良いのかしら? 天使サマ?」
謎の美人さんは、天使さんを楽しそうに挑発している。
彼女が誰か気になって私は口をはさんでしまった。
「あの……」
「あー、悪い。こいつはな、私の知り合いで……あんまり大っぴらには言えないんだが、この聖堂に住んでるヤツなんだ。告げ口はしないはずだから、安心すると良いぜ」
「そうなんですか」
なんとなく、言いにくい立ち位置の人だとだけ分かった。
聖堂のお偉いさんのお妾さんか、訳ありの貴族の娘さんか何かなのだろう。
あんまり踏み込んでいい話じゃなさそうなので、私はそれ以上つっこまないことにした。
「あらあら、怖くないお姉さんだってバレちゃった。せっかく自己紹介を面白おかしく盛ろうかと思ってたのに」
「何を言う気だったんだかなー……」
「あなたが天使サマなら、妾は悪魔よー! ……ってね」
「上手くもないし、面白くもないな。普通だぜ」
謎の美人さん改め自称悪魔さんは、子供を脅かすみたいな仕草で両手を上げた。
ネイル盛りまくりで攻撃力高そうな爪だなあ。
天使さんは呆れた様子で受け流す。
なかなか陽気で面白いお姉さんみたいだ。
「あれー? 怖くなーい?」
「はいはい、怖いぜ怖いぜ。怖いからやめてくれ」
「あっ! はい、怖かったです」
「うふー。それは重畳だわあ。一切衆生はかくの如く妾を畏怖すべきなのよー」
悪魔さんは子供のようにはしゃいだ様子で、くるりと一回転する。
天使さんは迷惑そうにしながらも、どこか微笑ましそうに見つめていた。
何だかんだで、仲のいい天使と悪魔である。
こんなところで秘密裏に囲われているのだろうし、退屈で人恋しくてたまらなかったのかなあ。
すると大聖堂の外から鐘の音がなった。
夕刻を知らせる鐘だろう。
「もうこんな時間か。お嬢さんはそろそろ帰った方が良い頃合いだな」
「あーら、残念。珍しく賑やかで楽しかったのに」
「はいはい。楽しい時間はおしまいだ。こんな小さな子をいつまでも引き止めるもんじゃないぜ?」
おっと、そういえば連夜行われているという、王家主催の降臨祭の宴に招待されていたんだった。
各国の貴族が集まるそうなので、私もそれなりの衣装で装わなければならない。
「今日はありがとうございました。また明日、自由に動ける時間が出来たら遊びにきてみるわ」
「じゃ、またね〜。今度は妾が地下墓所でも案内してあげるわ〜」
「地下墓所かよ……、女の子連れて観光するなら、他にも色々あるだろ。まったくお前ときたら」
「えー? この部屋も女の子に見せるには大概よ?」
「じゃ、またなエーリカ、もっとマシなところを私が見繕っておくぜ!」
ニコニコしながら自称天使と自称悪魔は手を振っていた。
やっぱり宗教関係専門っぽいなあ。
本当は市街地の観光ガイドもお願いしたかったけど、あんまり我がままは言えないよね。
大聖堂を出て、人気が少なくなった辺りで、私はこっそりとティルナノグに耳打ちする。
「長い間大人しくしていてくれてありがとう、ティル」
『ああ。このくらい、お易い御用だ。お前も楽しそうだったしな』
「ええ、楽しかったわ」
天使による大聖堂の観光ツアーを終えると、外はもう夕暮れ時だった。
紅い太陽が水平線に飲み込まれていく。
お祭りの最中なせいか、こんな時間なのに人通りが多い。
街を包む空気には、夕餉の支度特有の空腹を刺激する香りが漂っていた。
うーん、今から何か食べちゃうと、ドレス着る時に困るかなあ。
悩んでいると、ティルナノグが私のスカートの裾を引っ張った。
『しかし、エーリカ。あいつらに騙されてはいけないぞ』
「ん、何がかしら?」
『あの男は天使ではないし、あの女は悪魔ではない』
「うーん、流石にそれは私も分かってるから大丈夫よ」
『うむ。ならば良いのだ。エーリカは賢いな』
どうだろう。
「サンタさんはいないんだよ」に対し「うん、知ってる」ってうっかり素で答えちゃったような、若干の居心地の悪さを感じる。
そもそも、忠告の意図がよく分からなかったけど、深く考えないことにした。
私はティルナノグと一緒に賑やかな街中を通り抜け、アウレリア公爵家の別邸に戻った。




