伝令の島1
私の名前はエーリカ・アウレリア。
公爵令嬢で金髪縦ロールの、地味で普通な女の子です。
チャームポイント?
強いて言うなら、死の淵から片足踏み外してるところかな……?
──困った。
戯けてみても、ダメージが軽減されない。
そもそも金髪縦ロールで死亡フラグ過積載の公爵令嬢の、どこが地味で普通なんだろうね。
〈来航者の遺跡〉での事件から約一か月半ほど。
私は机の木目を眺めながら、現実逃避の真っ最中であった。
友人となったはずのクラウス・ハーファンから「果たし状」をもらってしまったからだ。
何故……!?
それにしても流石クラウス、手紙まで攻撃力が高い。
新手の精神攻撃系呪符か何かか。
そろそろ次の死亡フラグと戦わなきゃいけない時期なのに。
気力がゴリゴリ削れていく。
もしも時間が戻せるなら「わー、クラウスから手紙だー、嬉しいー」とか思ってた時に戻りたい。
過去の私よ、その手紙は開封せずに、嬉しい気持ちは心の戸棚にしまおう。
そして手紙そのものは机の奥に大事に仕舞っておこう……ね?
これの返信もどうしよう。
とても返しにくい。
下手に返事して万が一戦うことになったら、勝てないどころか命が危うくない?
だってヤツはあんなに強いんですよ?
やっと友達が出来たと思ったのに、この体たらくとは……。
『どうした、エーリカ。肉を食べないのか?』
おっと、他にも友達ができたんだった。
私は顔を上げ、信頼できる相棒に向き直る。
ぬいぐるみ大のトカゲっぽいシルエットの甲冑。
竜を意匠化したような兜。
面甲のスリットの向こうで、つぶらな瞳がぱちぱちとまばたきしている。
星鉄鋼製ゴーレムに偽装した鎧を纏った謎の生き物。
彼こそが、私の新しい友人である。
私の祖先の一部に裏切られて殺された悪霊──巨大海獣ザラタンさん改め、黒竜ティルナノグさんだ。
新しい名前は、転送門に書かれていた言葉から引用である。
もう一つの契約内容であるところの友達については、私で我慢してもらうことにした。
彼は一度はアウレリア全てを恨み、皆殺しを画策していた。
しかし、一番信頼していた人からは裏切られていなかったことを知って、すっかり丸くなっている。
さっきからアンの送ってきたハーファン特産の生ハム原木にむさぼりついて、幸せそうだ。
報復?
なにそれ、美味しいの?
お肉の方が美味しいよ、みたいな感じ。
「いえ、なんでもないわ。それ、私にもちょうだい」
コミュニケーションの齟齬くらいでダメージを受けていたら生きては行けない。
強かであらねば。
まずは肉でも食べよう。
そうだ、生ハムならアレと一緒に食べるときっと美味しいよね。
私は朝摘みの果物の乗ったフルーツバスケットからいくつかの無花果を取る。
『無花果と一緒に食べるのか?』
「ええ、あなたもどう?」
手持ちのフルーツナイフで実を割り、皮をむきながら答える。
生ハム原木っぽいものから肉を削いで、それで果実をくるむ。
ちょう適当な、生ハムの無花果添えである。
私の前で、お口をぱっくりあけてるティルナノグにシュート。
『お、おおおおおお!!!』
「あら、おいしい?」
『美味だ!』
「でしょう?」
私も口にする。
ああ、オレイン酸たっぷりの豚の塩気と無花果の甘みが程よいなあ。
肉の味は良いよね、慰められるよね。
美味しいお肉があって友達がいるならば、きっと人生は意外に豊かになる。
「そう言えば、あなたの方は、今の体には慣れてきたの?」
『うむ、悪くない。むしろ心地よい』
「そう。なら良かったわ」
ティルナノグは甲冑を着たままでぶんぶんと腕を振り回し、元気アピールをする。
関節の調子もいいようだ。
もう少し可動域を増やそうかと悩んでいたけれど、安定しているなら今は無理に手を加えてバランス崩さない方がいいかなあ。
ちなみに、私の父である錬金術師アウレリア公は、娘が精巧なゴーレムを作ったと聞いて喜んでいた。
ごめんなさい……お父様……。
このゴーレムもどき、肉入りなんです。
なんだか騙しているようで、申し訳がない。
それはさておき。
ファーストシナリオ「黄金狂殺人事件」の真犯人である彼を味方につけたことで、一つ目の死亡フラグは完全に回避した。
この一件で、ゲームでは明らかにされていなかった悪霊の詳細が分かって意外なお得感が──
いやいや、想定外の要素多くて大変苦労しました。
人外とはいえ、腹心の友が出来たのは嬉しいことだ。
これで内緒の相談がしやすくなった。
『そういえば、次の神託はどうなのだ?』
ティルナノグには、前世の乙女ゲームの話を打ち明けても無駄だと思ったので、代わりに「滅びの運命を神託として受け取った」と言い換えてみた。
電波の度合いはあまり変わらないし、嘘では無いからいいかな。
「次は、南の王子さまとのイベント……出来事なの」
イグニシア第一王子オーギュスト。
彼は暗愚の王子として、八歳児の耳に入ってくるほど有名である。
本人に会ったことの無い人まで、みんな口を揃えて言っているくらいだ。
ちょっと可哀相な人だよね。
ちなみに、ゲームでの六年後のオーギュスト王子はチャラかった。
金髪ロンゲで小麦色の肌。
軽薄そうな笑みを浮かべて、いつも違う女の子とイチャついているチャラ王子。
でも、誰とも深い関係にはならないし、距離を縮めようとするとサラリと逃げる。
チャラいけれども、心の殻がむちゃくちゃ厚そうなタイプなのである。
醜聞まみれのオーギュスト王子。
彼にまつわるセカンドシナリオ「食人聖天使事件」のあらましはこうだ。
舞台は聖天使の祝日で賑わう、おなじみ学園都市リーンデース。
そこに、血腥い事件のニュースが飛び込む。
祝祭のために飾り付けられていた礼拝堂にやってくると、そこは目を覆わんばかりの惨状だった。
現場にまき散らされた、おびただしい血液。
血の海の中には少女の左耳と指が三本、そして少年の左腕が一本。
切断面は獣に喰いちぎられたかのように乱雑だった。
残された人体の断片の特徴から、殺されたのはオーギュスト王子と私エーリカ・アウレリアだと特定される。
礼拝堂にあった天使像の口元は、まるで天使が二人を食い殺したかのようにべったりと血に濡れていた。
殺害現場で、ヒロイン・クロエは片腕のない巨大な獣の影を見る。
そして、その夜、彼女は殺害されたはずのオーギュスト王子と出会ってしまう。
簡単にネタバレする。
王子オーギュストは苛烈な劣等感を抱いている。
竜騎士の国の王子様なのに竜に騎乗できないこと。
そして、それゆえに、不貞の子という疑いまでかけられていた。
どんなに努力しても、彼に向けられるのは疑惑と侮蔑の視線ばかり。
重圧に耐え切れず、ついにオーギュストは禁断の邪法に手を伸ばす。
契約の獣と呼ばれるイグニシアの古の祖霊を復活させ、その獣と一体化してしまったのだ。
竜に騎乗する能力を得た代償に、彼は人であることをやめたのである。
しかし、その六年後、融合した身体の負荷に、獣自身が耐えきれなくなっていた。
夜な夜な、その獣は王子から分離して一人歩きを始める。
不幸にも血に飢えた獣に遭遇してしまった、哀れな犠牲者を生きたまま貪り喰らうために。
この獣の最初の被害者は当然、時報と名高いエーリカ・アウレリアさんなのである。
この死亡状況を体験するのは本気で避けたい。
生きたまま食べられるとか、踊り食いなの? 私って白魚か何かなの?
おっと思考が乱れた。
この王子様が禁呪に手を出すきっかけを作った人物がいる。
それは誰なのか。
もちろん、自業自得と薮蛇でおなじみのこの私、エーリカ・アウレリアなのである。
そう、また自業自得なんですよ。
エーリカはオーギュスト王子の失敗を嘲笑し、彼のプライドをズタボロにしてしまうのだ。
どうして原作のエーリカさんって他人の地雷を踏み抜いちゃうんだろう。
ちなみに、原因となるイベントは春の降臨祭での騎乗槍試合でのお話のはず。
まさに今は降臨祭の季節。
しかも、私と父は王家主催の降臨祭の宴に招待を受けているらしい。
イグニシア王領への出立は明日だ。
それなのに、頼みの綱のエドアルトお兄様は欠席です。
父も納得するような、少々深刻なことを調査しているとかいないとか。
この電波がかったゲームの展開をオブラートにくるんだりくるまなかったりして腹心の友ティルナノグに伝えるとこんな反応が返ってきた。
『南の奴らはただ一つの神を信仰してるのだろう?
契約の獣などと、そんな祖神は認められぬだろうな』
「うーん、あの国は異教に寛容なはずなんだけど、さすがに王家にまつわる邪神もどきではね」
『邪神なのか』
「人の血肉を求める神様は流石に寛容な宗教でも許されないよね」
ふんわか仏教とちょっぴり神道で冠婚葬祭しつつ、なんちゃってキリスト教のイベントで遊ぶ、寺社仏閣は好きだけど宗教そのものには興味ない平均的日本人である私には、邪教感パない。
せめて、捧げものは人間以外をお願いしたところである。
『俺たちにとっては普通なことだがな』
「へ……へえ、あなたも人とか食べるの?」
『クククククククククククク! 俺は血肉自体には興味はない! 俺が喰らうのは人の魂だ!』
「へー……、知らなかったわー……」
知りたくもなかったことを知ってしまった。
『クククク! 魂を喰らうには血肉を喰らう必要があるがな!!』
「へー……、すごいわねー……」
もっとヤバいものをご所望されてしまったが、そんなものを捧げる訳にはいかない。
それにしても、こういう話をする時すごく盛り上がるのは、ビビりには辛い。
数百年ぶりの自由なんだろうし、好きにさせてあげたいんだけどね。
「というわけでね、お願いしてもいいかしら、ティル」
『うむ、なんだ』
「お手伝いして欲しいことがあるのよ」
『ほう。大事な友の頼みだ。何でも言ってみるがいい』
そう、これは彼にしか頼めない事なのである。
臨戦態勢の錬金術師はいつだって大荷物持ちなので、力持ちの友人には鞄持ちをお願いしたいのだ。