怪物たちの祝祭4
「狩りの時間が来たのよ。ハーラン・スレイソン」
長い黒髪の人工精霊が、俺の目の前に浮かんでいた。
気がつけば、俺はあの書庫にいた。
奇妙だな。
ついさっきまで、鳥たちから連絡を受け取っていたはずだ。
俺はなぜこんな場所にいるんだ。
嫌な予感がする。
小鞄に入れていた雪銀鉱の装身具を確認すると、少しだけ光が濁っていた。
本来なら、この銀は通常の銀のように曇ったりはしない。
何かが起こったことはわかる。
「へえ、そりゃ、どういうことですかね?」
「狂王カインの復活。ブラド・クローヒーズの中に潜んでいた狂王が、原初の模様で世界をねじ曲げ始めたの。封印した屍都の時間を巻き戻して復活させたり、吸血鬼たちに一斉蜂起を指示したり、都合の悪い人間を別の世界に投げ込んだりしているわ」
なるほど。
もう世界の終わりは始まっているのか。
そして、それは凪いだ海のように、こんなにも静かに淡々としているのか。
「世界の終わり……クロード様が恐れていたことが起こってしまったわけですね」
「よく把握しているわね」
俺が最終的にたどり着いた、クロード様の動機だ。
なぜクロード・ルーカンラントがブラド・クローヒーズを殺そうとしたのか。
それは、ハーファンの古代秘術を手中に収めた狂王が、世界に干渉し、作り変えるのを止めるため。
被害者ブラド・クローヒーズについて知ることが出来た今だからこそ分かる。
しかし、何故この人工精霊が世界の終わりを俺に知らせに来た?
だいたいコレは一体なんなんだ?
まさか、俺が欲しい事実を俺の心から掘り出すような力を持った古い吸血鬼か?
実際の俺の前には、少女の姿の人工精霊じゃなくて大口を開けた化物がいるという可能性。
あるいは、ドロレス・ウィント本人の可能性。
シグリズル様とボルツ──あの二人の共犯者だった魔女なら、この程度の情報を伝達するのは造作もないのだろう。
死んだと思わせて、どこかで身を潜めて生きていたとしても不思議ではない。
「あなたはおそらく、人工精霊ではなく本人ですね?」
「そう。人工精霊を踏み台にして、異世界から干渉しているわ。予めあちらから干渉できる仕掛けを組み込んでおいたの。狂王が原初の模様を利用したときのために。まあ、あなたにこんな風に会うことができるなんて、思っていなかったけどね」
魔女は目を細めた。
俺を嘲笑っているかのような、邪悪な笑みだ。
「この状況を凡そ想定していた、と?」
「ええ」
しかし、それなら俺だって言いたいことがある。
「ならば、クロード様をあの凶行に誘導したのは、あなた達ウィント家ですね?」
「うふふ」
魔女は楽しげな笑い声をあげた。
この後に及んで、悪びれるフリさえしない。
「あなた達ウィント家は、クロード様を駒として使い捨てるため、偏った情報で洗脳した」
俺は感情を抑えて声を出したつもりだった。
しかし、響いた声は怒りを隠し切れていなかった。
「私より昔の差し手が、勇者として選定したの。狂王の器を殺せるのなら殺して欲しかったらしくてね」
魔女は俺の想定外のことを口に出した。
「でも、クロード・ルーカンラントの意思は、エドアルトへの同情とブラドへの憐憫から構成されていたわ。もし彼がもっと無情な少年なら、いつでも後ろからブラドの首を容易くへし折れたのにね」
クロード様は捨て駒ではなかった。
悲劇の引き金は、ウィントの暗躍ではなく、クロード様の情けによるものだった。
そう告げる魔女の言葉に、俺は戸惑う。
俺の口から漏れ出るはずだった呪いの言葉は、行き場を失った。
「内実を打ち明けるとね、過去のウィント家の差し手が選んでいた狂王殺しの勇者は二人いたのよ。クロード・ルーカンラントとエルリック・アクトリアス。この子たちだけが狂王を殺せる可能性を持っていたの。でも何度も真摯に仕組んでも、誰かが殺されて、誰かが奪われて、その結果、狂王を倒し損ねていた」
その干渉の結果、成人に満たない子供を狂王の呪いに侵させておいて「真摯」か。
よくも言えたものだ。
これは、狂気と紙一重だ。
彼らは決して歴史の表舞台には立ってはならない一族だ。
「クロードをこのような形で奪われたのは、本当に悲痛なことなのだけど、それでもエルリックやエドアルトまで奪われるよりはマシな結果なのよ。最悪の可能性を例に出すなら、エドアルトとエルリックが同時に吸血鬼化していると、今日この瞬間にたどり着くまでの死者の桁がヒト桁変わるし、なんなら全てが手遅れだったし、あなたは死んでいたでしょうね」
見てきたことのように、地獄の底の底のような暗い未来を、魔女は滔々と語った。
「……なるほど、七回の未来視なんて大嘘だ。あなたは一体、何度世界の終わりを視たんですかね?」
魔女は冷酷な瞳のまま、口元だけにっこりと笑う。
「ははは、あなたは怖い人だ。なにが怖いって、ぜんぜん悪びれないところですよ。人の心がない」
「何を今更。ほら、思い出して。シグリズルを殺したのは誰?」
両手に、嫌な感触が、生々しく蘇る。
何年経とうが忘れられない、罪の感触だ。
「私はエレオノールを殺したわ。私たち、仕えるべき主をこの手で殺した同類じゃない? ね、仲良くしましょ?」
喉の奥がにわかに乾いて、返事すら出来ない。
あの時の記憶が、泉のように湧き出す。
「さて。ここから本題よ」
魔女の言葉で、現実に引き戻される。
「あなたのための舞台を用意してあげたのよ。吸血鬼狩りの時間が始まるわ!」
魔女は高らかに宣言した。
俺は、乾いた唇で問い返す。
「へえ、そいつはどういう訳ですか?」
「狂王に創造された怪物にとっては、主人からの指示は絶対。そして今、狂王はすべての怪物に人間を食い散らかすように伝えたの。喜びなさい。ようやく人間を犠牲にすることなく、吸血鬼が狩れるのよ」
物騒なセリフを吐きながら、魔女は心の底から嬉しそうに笑った。
☆
魔女からより詳細な現状と計画を聞くと、俺は自分に割り当てられた仕事へ向かった。
まずは学園内の鳥舎に立ち寄り、最寄りの連絡員に指示を飛ばす。
連絡を受けた者は、伝書梟を更に次の連絡員へ。
そして、一部は転移門を使って王都や各公爵領などの重要拠点へ飛んで、狂王復活と屍都の浮上を伝える。
実際に屍都が地上に姿を見せるのは、各地へ連絡が届いた後になるだろう。
少々勇み足だが、それゆえに先手が取れる。
リーンデース近隣地域に控えている修道騎士には、住民の避難誘導を命じた。
住民たちは、転移門を使って他の都市へ転移させる。
リーンデースがもぬけの殻になれば、ウトファル騎士団も撤退。
そこから更に各都市に潜伏させていた修道騎士や各地の騎士・兵士と連携して避難先の都市を守護させ、吸血鬼から人間を守る。
俺たちには珍しいくらいのまっとうな仕事だ。
初動の連絡を飛ばした後は、自らの脚で学園長室へ向かった。
ロウエル・トゥールだけは俺が直接交渉する必要がある。
トゥール学園長は起きていた。
偶然寝付けなかったという話だが、果たして本当に偶然なのか、ウィント家の干渉か。
まずは狂王復活による危機的状況が迫っていることを伝え、学生を転移門へ誘導して他の都市へ逃げてもらう。
彼は避難を了承するとともに、自らも戦いに加わる意思を見せた。
「あなたは子供たちに必要な方です。どうか避難先で子供たちを守ってください」
「ハーラン卿、しかしこの学園は──」
「あなたが生徒のそばにいなければ困る、とウィント家当主から言われております」
「ウィント家の者が、か」
「……避難先に吸血鬼が強襲する可能性があります。どうか、生徒を守ってください」
リーンデース魔法学園の生徒は、おそらく念入りに命を狙われている。
避難先の情報は秘匿されているはずだが、それが漏れている可能性は排除できない。
「……承知した」
学園長の号令により、迅速な一斉避難が始まる。
生徒たちは全員叩き起こされ、大講堂に集められた。
その様子を、白い小型竜が見守っているのに気づいた。
誰かの守護竜か?
しかし、今まで学園内で見たことのない竜だ。
「ハーラン卿。点呼が完了しました」
教師に呼ばれて、不在者リストを確認する。
いつもの夜会のメンバー以外は、既に集まっているようだ。
「この生徒たちは、我々が捜索しておきますので」
「よろしくお願いします」
探すのはこの事件が終わった後になるが、完全な嘘ではない。
教師と会話している間に、あの白竜はいなくなっていた。
何となく気になるが、時間が押している。
これからハロルド・ニーベルハイム三世と合流し、装備を渡さなければならない。
生徒の列が転移門のある地下階に向かい始めたのを見届けて、俺は大講堂を後にした。
本校舎の玄関をくぐると、喉鼻に嫌な感覚を覚えた。
〈猟犬〉だ。
もう数メートル近づけば匂いも感じるはずだが、そこまで近づいてやるつもりはない。
俺は銃を抜き、一見すると何もないところを狙って射撃した。
次の瞬間、空中に血の華が咲く。
まるで、猟犬が自分から望んで弾に当たりにきたかのようだ。
俺の銃の師はシグリズル様だった。
初めてシグリズル様がこれをやっているのを見たときは、奇跡のように思えた。
今では、俺がそのありきたりな奇跡の起こし方を、新米に教える側だ。
続けざまの射撃で、二体目を破壊する。
三体目の動きを読んで回避。
この怪物の弱点──歪に肉が繋がった接合点を狙い撃って、床の染みに変える。
人間より遥かに素早く、強靭で、恐れを知らない。
本能のままに生き物を追跡し、生命を貪ってどこまでも強くなる。
実に恐ろしい化物だ。
だが、それだけだ。
本能だけで、知性はない。
恐れを知らないが、危険に気づくこともできない。
どんなに素早くても、動きは単純で読みやすく、また簡単に騙される。
猟犬どもが塵に還っていくのを見ながら、使った分の弾丸を再装填する。
魔女との約束で、この銃をハロルド三世に貸さなければならない。
ちょうど再装填が終わって顔を上げると、ハロルド三世の後ろ姿が見えた。
仕組まれているかのようなタイミングだ。
つまり、ほぼ確実にあの魔女が仕組んだことだろう。
「ハロルド・ニーベルハイム三世!」
ハロルド三世を呼び止め、装備していた銃をベルトごと渡す。
水薬の使い方までは教えてないが、抜け目のない彼のことだから適切に使ってくれるだろう。
「では、くれぐれもお気をつけて、三世」
「ハーラン卿も、ご武運を!」
さて、こうなると俺の武器がないわけだ。
このまま、丸腰でバケモノに食われる訳にはいかない。
装備回収のために保健室へ向かい、ついでに雪銀鉱の道具をいくつか回収する。
予備の弾丸や暗器、粉末・ワイヤーなどの変則的な形状にしたもの。
それらを雪銀鉱の力を封じる鞄に格納する。
隠してあった雪銀鉱の剣を帯びる。
最後に錬金術師の手袋をはめ、短杖と銃をベルトに挿した。
その時、雷鳴が響き、学舎が揺れる。
窓から空を見上げると、いつの間にか空に見たこともない異形が満ちていることに気がついた。
そして、そんな異形の群れの中を飛び回る、炎を纏った獣人。
堕天した天使と、幻獣の戦いか。
そんな戦いに比べれば、俺の主戦場はまだ人道的だろう。
ちょうどそのタイミングで、伝書梟が帰ってきた。
どうやら、リーンデース市街地に吸血鬼が出現したらしく、交戦が始まっているようだ。
何から何まで、あの魔女の予想通りか。
俺は厩舎に立ち寄って馬に乗り、学園を抜け出た。
☆
馬を駆って、リーンデースの市街地へ向かう。
ドロレス・ウィントからの指示は、修道騎士団との合流と、吸血鬼の討伐だった。
いつもの俺の仕事だ。
ただし過去と違うのは、生者と死者の境界がはっきりしていることだろう。
どんなに臆病な吸血鬼も、狂王の復活祭へ歓喜に満ちて参列する。
臆病で、卑怯で、保身に長けた、猜疑心の強い血啜りほど滅ぼしにくい。
俺たちが死に物狂いで探しまわり、暴き立て、追って、追って、追い続けても辿り着けなかった吸血鬼。
そんな連中が、わざわざ刃が届くところまで出てきてくれるのだ。
銃声のする方へと馬を走らせる。
屋根越しに、何かが蠢くのが見えた。
通りを一つ隔てた場所で、醜く巨大な蛞蝓のような吸血鬼が蠢いていた。
頭部の触覚にあたる部分に、大量の人の手が生えている。
十二名の騎乗した修道騎士たちが、行く先を塞ぐように戦っている。
蛞蝓は一瞬で腕を数倍の長さに伸ばし、正面で押し留めていた修道騎士の首に絡み付く。
俺はその腕を雪銀弾で撃って千切り飛ばした。
この図体の大きさから察するに、三桁台の魂を保持しているようだ。
しかし、戦闘慣れしていない。
この蛞蝓と特徴が一致する血啜りを知っている。
山中に潜伏し、十数年に一度、闇に紛れて守りの薄い小さな村を襲う卑怯者。
竜が怖くて隠れ続け、人間に見つかることすら極度に避けていた臆病者。
ああ、そうだ。
お前みたいな奴が俺の前に身を晒すのを、ずっと待っていたよ。
「ハーラン総帥!」
修道騎士の一人が俺の名を叫ぶ。
「状況は?」
「はッ! 北東、南、西区画を除き、民間人の転移が完了。前述三区画は血啜りによって分断され、民間人は避難施設に立て篭っております」
そこにある避難施設と言えば、オムニアフルウント錬金術研究所、リーンデース南大聖堂、エセンティア魔法協会。
いずれも、結界を備えた強固な施設だ。
戦闘員も詰めているから、簡単には落ちないはずだ。
「こちらの被害は?」
「修道騎士が十八名負傷し、後方で治療中。死者はありません」
待機させていた手駒の三分の一は削られたか。
誰も死んでいないのは僥倖だが、回復する前に押し切られたらお仕舞いだ。
「大型の吸血鬼は何体いる?」
「この転移門の近くに出現した一体と、各避難施設の近くにも一体ずつ。全部で四体であります」
「よし。では手始めに転移門の安全を確保する。速やかにこの薄鈍を潰すぞ」
「了解ッ!」
俺は雪銀鉱ワイヤーの束を修道騎士たちに渡す。
修道騎士たちは俺の意図を即座に理解し、散開した。
俺は修道騎士を追おうとする蛞蝓に弾丸を撃ち込み、注意を向けさせる。
「さて、遊ぼうか。修道騎士と戦うなんて怖くてたまらないだろうが、逃げるなよ?」
蛞蝓は腕を一斉に伸ばし、俺を捕らえようとする。
俺のところまで届く触手だけを見切って撃ち落とし、馬を駆けさせた。
蛞蝓は巨体には似合わぬ速度で追ってくる。
とは言え、それでも馬よりは遥かに遅い。
挑発するためにギリギリまで速度を落とし、捕まる寸前で再加速する。
蛞蝓は怒り狂い、雄叫びをあげながら腕を振り回した。
俺は馬を蛇行させながら、正確な射撃で腕を破壊していく。
全弾撃ち込んでも、大したダメージにはなっていないようだ。
銃で滅ぼそうとしたら、手持ちの弾丸では到底足りないだろう。
俺はのんびりと弾を込めながら、血啜りに向かって口笛を吹く。
「さすが古い血啜りの擬態だ。鈍重すぎて本物の蛞蝓かと思いましたよ。避けないところを見るに、頭の中まで蛞蝓と同等やも知れませんね。おお、怖い怖い」
俺の安い挑発に、大蛞蝓がぶるりと全身を震わせた。
頭部から生えた腕の数が二倍に、それぞれの腕の太さは三倍になる。
蛞蝓のバケモノは蛞蝓らしく這うのをやめ、腕を使って走りはじめた。
路面に爪をたて、石畳を破壊しながら、恐ろしい勢いで俺に向かってくる。
俺は馬の尻を平手で叩き、全速力で駆けさせる。
このまま進めば、広場がある。
そこまで誘い込めば、こちらの勝ちだ。
広場に駆け込む瞬間、路面にキラリと光るものが見えた。
「上げろ!」
俺の合図で、騎士たちはワイヤーを張る。
直後、大蛞蝓が広場に突っ込んできた。
幾重にも張り巡らされた雪銀鉱のワイヤーと自らの速度によって、蛞蝓は乱切りにスライスされる。
「かかれ!」
細切れになってもまだ蠢いている血啜りに、俺たちは一斉に飛びかかった。
変形しようとする肉片に、下馬した騎士たちが斬りつけていく。
巨体の血啜りも、バラバラの小片にしてしまえば脆い。
百年程度は生きただろうに、惨めな人生の終わりだ。
俺は騎乗したまま、一番大きな肉塊を蹂躙する。
蹄鉄も雪銀鉱製のものだ。
数度駆け抜けただけで、大蛞蝓だった肉塊は塵になって吹き散らされていく。
我ながら、誇り高い北の剣士からは程遠い行為だ。
──魂を預けるところが剣なら、我々は何を使おうが剣士だ。
馬を駆けながら、昔シグリズル様の言った言葉が脳裏に浮かぶ。
この言葉は、俺を支える言葉の一つだ。
だから俺はどんな手段を用いようとも、今更何一つ揺らぐことはない。
目の前の敵を屠るのみ。
そのように自分を作り上げてきたし、そう成った。
「俺は避難所へ向かう。二人付いて来い」
「はい!」
「残りは転移門の確保だ。ヒマなうちに蹄鉄を雪銀鉱に換装しておけ」
「了解!」
部下たちに指示を出し、最も近い西区の避難所へ向かう。
しばらく馬を走らせると、巨大な靄のような影が見えてきた。
いや、違うな。
目を凝らすと、無数の蝙蝠が宙を舞っていた。
蝙蝠たちは集合し、一塊となって防衛に当たっていた修道騎士に突撃した。
その騎士は数メートル突き飛ばされ、建物にぶつかって止まる。
息はあるようだが、即座に復帰できないだろう。
見回せば、八人の騎士が倒れている。
すぐに動けそうなのが四人。
転移門からついてきた部下に救護を指示し、俺は蝙蝠の塊に向かって射撃する。
蝙蝠たちはすぐさま散開し、弾を回避した。
一糸乱れぬ動きで再集合すると、蝙蝠の塊は標的を俺に定めたようだ。
なるほど。
群体で一体の血啜りか。
俺は攻撃を回避しながら、右手で通常弾を装填した銃を抜いた。
塊に向かって、でたらめに弾丸を撃ち込みながら、動きを観察する。
一見すると、全て同じ動き。
左手で石錐の雨の短杖を抜き、回避先を予測して振った。
翡翠の鋭い石片が降り注ぐ。
石片に貫かれ、十数匹の蝙蝠が破壊される。
蝙蝠たちの動きが、わずかに乱れた。
自分の推測を確かめるために、もう二発ほど石錐の雨を撃つ。
推測は確信に変わった。
そこに本体がいる。
俺は石錐の雨の短杖を仕舞い、一匹の蝙蝠に銃の照準を合わせた。
狙われた蝙蝠を、他の蝙蝠が覆って守ろうとする。
「俺に騙し合いを仕掛けるのは、百年早かったですね」
左手で魔弾の短杖を抜き、俺の影に向かって振った。
魔弾は、石畳の隙間から現れた血啜りに突き刺さる。
赤黒い粘体状の血啜りは、もがき苦しみながら再び石畳の隙間に潜り込み、逃れようとする。
だが、逃すわけがない。
ダメ押しに更に三発の魔弾を叩き込むと、本体は塵となって消滅した。
同時に、分体たちも幻のようにかき消えていく。
群体に守られていた蝙蝠は、囮だったというわけだ。
囮を本体だと思わせたいなら、破壊された時に死んだふりをすればよかったものを。
何食わぬ顔で別の蝙蝠を次の囮として使うから嘘がバレるのだ。
嘘をつくなら、大きな嘘を一つだけつくに限る。
部下たちと合流する。
負傷した者も、命に別状はないようだ。
避難所へ向かおうとした瞬間、目の前にいくつもの肉塊が立て続けに落ちてきた。
肉塊はぐしゃりと潰れ、血でできた泥人形のような、歪な人型に変形していく。
次々に肉塊が降ってきて、血の泥人形がどんどん増えていく。
それどころか、通りの向こうからも泥人形がどんどん押し寄せてくる。
遠くに巨体の頭だけが見えた。
あれが元凶か。
戦闘能力は高そうなのに、それでも分体を投げつけて自分は高見の見物とは。
血の泥人形は〈猟犬〉より鈍重そうだが、その分頑強そうに見える。
本体にたどり着くまで、物資や体力が保つかどうか怪しい。
「鎚に打たれる土器のごとく砕かれ、風の前の塵がごとく吹き散らされるとも!」
俺が叫びながら剣を構えると、部下たちも続いた。
「我らが骨は、後に来る者のための礎とならん!」
「我ら刃を恐れず、我ら火を恐れず、我ら死を恐れず!」
「全ては神の企てなればなり!」
俺は突撃の先陣を切った。
修道騎士たちは抜剣し、轡を並べて俺に続く。
血みどろの戦いが始まった。
まだ俺は、抜け出したはずの狂猟の中にいるのか。
仲間を死に誘う悪霊のままなのか。
ああ、俺は。
──あのシグリズルが、あなたを苦しめるようなことをあなたに求める人間だと思う?
──だからこそ、人間らしく生き足掻きなさい。孤独ではなく人の中で、人間として。
あの魔女が別れ際に俺にかけた言葉が、呪いのように頭の中に響いた。
人殺しと、死んで償えと、罵られた方がどんなに楽か。
あの魔女も、それを知っているからこそ、そう言ったのだろう。
あれは真実に魔女だ。
俺の心は完全に呪われて、もはや自分自身を哀れむことも許されなくなった。
俺は悪霊なんかじゃなく、ただの人間でしかない。
吹き荒れる死の嵐の中。
夜空に流れる星を一目でも見ることを願いながら、俺は笑っていた。