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怪物たちの祝祭2

「じゃあ、ハロルド・ニーベルハイム三世。あなたの職人としての矜持、見せてもらうわ」


 ドロレス・ウィントの声が頭上から鳴り響いた。

 俺は俺の役目を果たすために、自動的に開いた車両の扉から飛び出す。


「うわっ、とと……! ぐぐっ!」


 俺は石床につんのめって転んだ。

 華麗に一歩踏み出したつもりだったのに!


 くっそ、恥ずかしいな。

 だ、誰にも見られてないよな?


 左右を確認する。

 そこはリーンデース本校舎の回廊だった。

 ドロレス・ウィントに言われた通りだ。

 

 しばらくこの場所はあのドロレス・ウィントって人の制御下だって話だから、まだ安全なはず。

 怖がる必要は、まだない。

 問題は、ここから出た後だ。


「んふ……ふふふ」

「こらこら、エドアルト。こういう時に笑っては悪いよ?」 


 後ろから笑い声が聞こえた。

 振り向くと、そこにいたのはエドアルト卿とアクトリアス先生だった。


「ひっ、見てたんですか?」

「あはは、大丈夫大丈夫、誰にも言わないから。当然、エルリックも口が堅いしね」


 エドアルト卿がそう言うと、アクトリアス先生がにっこりと微笑んだ。


「さて、なんで僕らがここにいるかは分かるよね?」

「はい!」


 エドアルト卿が、鞄を俺に渡す。


「もちろん君にこれを託すためにだよ。これが、アウレリアの星の光だ」


 俺はエドアルト卿から鞄を受け取り、中身を確認する。

 短杖入りの小箱と材料・製造方法の書かれた紙片が入っている。


「絶対、無駄にはしません」


 両大陸に散らばる屍都全部を一気に破壊する。

 この星の霊脈をぐちゃぐちゃにするような行為だ。

 だからこそ、狂王の仕掛けた魔法を一瞬でも止めることができるのだろう。


「これは僕らの母の形見なんだ。どうか僕のエーリカのために仕上げてやってくれないか」


 そんな出鱈目な破壊行為が出来るのは航海者の歌の杖だけ。

 この杖を複製して、新たな航海者の歌の杖を構築するのが、俺に与えられた役割だった。


「任せてください!」


 俺はドンと胸を叩く。


「さあ、行こうか、エドアルト。私たちにも急ぎの用事があるからね」

「そうだね、エルリック。では頼んだよ、ハロルド君!」

「先生たちも、どうかご無事で!」


 アクトリアス先生とエドアルト卿の二人は、回廊の奥へと進む。

 二人が一緒に歩いていくと、床がまた光り出した。

 これから狂王と金狼のところへ向かう二人の恩師に、俺は深く深く頭を下げる。


「どうか、生きて俺たちの元に戻ってきてください、先生たち」


 鞄を肩にかけ、くるりと背を向けてから、俺は逆方面に向かった。


 俺の目的地は錬金術工房棟だ。

 航海者の歌の杖の材料リストと製造方法のメモを確認する。


 ・硫黄と水銀

 ・高純度の星水晶

 ・星鉄鋼


 杖の材料はとてもシンプルなものだった。

 その反面、来航者の一族でなければ、なかなか作れるもんじゃない。


 高純度の星水晶塊はエーリカから貰った。

 エドアルト卿からは星鉄鋼と硫黄と水銀を受け取った。


 材料は揃ったが、加工にはびっくりするくらい複雑で儀式的な工程が必要だ。

 並の錬金術師には、百遍やっても作れないだろう。

 だが、それが可能なくらいの技術や知識なら、身につけている。

 複雑な加工に必要な工具も、俺の工房には充分揃っている。


 今の俺なら、やれるはずだ。


「ハロルド・ニーベルハイム三世!」


 真後ろから俺を呼ぶ声がして、振り向いて足を止める。

 ハーラン・スレイソン卿だ。


「もしかしたら、これが必要になるだろうと、あの魔女から依頼を受けましてね」


 ハーラン卿が差し出したのは、複雑なホルダーの取り付けられたベルトだ。

 それには二丁の回転式拳銃と、五本の薬壜が格納されている。


「俺に、これを?」

「ええ。万が一の可能性があるので、護身用の武器と水薬を君に、と」


 二つの銃には雪銀鉱の弾丸が装填されていた。

 貴重な、貴重な、雪銀の弾丸だ。

 小さな細い五本の壜の中には、もう一人の()のよく知った戦闘用の水薬(ポーション)が入っている。


「ありがとうございます、ハーラン卿。大事に使わせてもらいますよ」

「では、くれぐれもお気をつけて、三世」

「ハーラン卿も、ご武運を!」


 戦いに向かうハーラン卿を見送って、俺はベルトを腰に巻いた。

 ずしりと重い。

 この重さに懐かしさを感じるのは、もう一人の俺のせいか。


 俺は用心しながら、本校舎の正面玄関へと向かう。

 外に出る前に、水薬を一本服用する。

 体臭や呼気に影響して、吸血鬼や屍者から感知されにくくなる薬だ。

 これで、万が一(・・・)突然吸血鬼に遭遇しても、すこしだけ身を隠しやすくなる。 


 副作用は三日くらい一睡も出来なくなること。

 作業用にもちょうどいい。


 外に出ると、空は異様な状態だった。

 可視できる薄い光の膜で、学園が覆われているのが見えていた。

 

「これって、もしかして学園の結界?」


 その学園を覆う結界の外側に、良くわかんない形の気持ちの悪い生き物が取り付いている。

 ていうか、空全体に赤っぽいバケモノが飛びまくってる。


「ひっ、何あれ……!?」 


 目に入れた瞬間に、見たらヤバい奴だとわかる。

 俺は顔を背けた。

 その時、薄曇りの空に、雷光が閃き、大地が揺れた。


「……っ!? うわ、な、なんだよ、これえ!」


 何度も、何度も、光が迸り、轟音が響く。

 雷が落ちるたびに、ヤバい生き物たちは消えていった。


 目を凝らすと、天の高いところに、なんだか光っている人型の姿が見える。

 もしかして、あれが?


「ははは……マジでいるんだ、天使様って奴は……」


 エーリカや殿下が話してくれても、ぜんぜんピンと来なかったのに。

 さすがに目前でこんな奇跡を見せられたら、信心の薄い俺にもわかるさ。


「よろしく頼みますよ、天使様」

 

 辺りを見回して、物陰に隠れながら移動する。

 どうにかして、工房棟までたどり着いた。


「特に何もいないのかな?」


 こそこそと周囲を伺いながら、工房棟に入る。

 まず向かったのは、一階の一番奥にある俺の工房。


 廊下の角を曲がれば入り口ってタイミングで、俺は異常に気がついた。

 物音だ。

 ぺたぺたと、無数の裸足の人間が歩いているような音。

 こんな場所で、そんな音がするはずがない。


 ちらりと覗いて、すぐに引っ込んだ。

 俺の部屋の前には、やっぱり変な形のバケモノがいる。

 ちょっと直視できない見た目の、バケモンだ。


 吸血鬼? 

 それとも眷属ってやつ?

 あれ、どかさなきゃ、俺の工房使えないじゃん。


 ──まさか、あんなのと戦うわけ? 俺が〜〜〜っ?


 足がすくむ。

 無理だろ、あんなの。

 正真正銘の化け物だ。

 身の程ってやつを弁えろよ、ハロルド・ニーベルハイム三世。


 とっとと逃げなきゃ殺される。

 最悪なら、乗っ取られる。

 それは、絶対にあってはならないことだ。


 ──そうかな? 俺はあのエーリカとだって戦えたじゃん。

 ──あの(・・)エーリカと、だぞ?


 ──それ以前に、たくさんの血啜りを始末してきただろ、俺は。


 もう一人の俺が、そう俺に呟く。


 自分の工房に向かうのをやめて、二階の工房に向かった。

 ちょうど良く、ゴーレム工学のシュラムベルク先生の部屋の鍵が開いていた。

 工具が揃えば、ここで航海者の歌の杖を仕上げるかとも思ったが、おそらく避難時に回収して行ったらしく、圧倒的に足りない。


 ──やっぱり俺は、あの化物と戦って、自分の工房へ行かなきゃならないみたいだ。


 工房には、組み立て前の四体の強化合金製ゴーレムが残されていた。

 俺はその部品を手早くかき集め、仕上げる。


 (コア)に文字を刻み直し、お高い炉をぶちこむ。

 実用試験中の、内部で爆発を発生させて瞬発的にエネルギーを得るタイプの炉だ。

 長期使用には向かないが、瞬発力に優れるので、戦闘用にはもってこいだ。

 これで俺を守るための丈夫なゴーレムが出来上がった。


 炉の試作品がたくさん転がっていたので、分解して内部の爆発機構を取り出す。

 こいつは爆弾代わりに使えるかもしれない。


 ついでに、杖の材料を拝借して、即席の特殊弾を作ろう。

 俺が選んだのは、コカトリスの骨。


 弾殻には星鉄鋼を使って、鋭い弾頭が肉を抉り、体内でひしゃげて中の素材をまき散らすように設計する。

 吸血鬼だろうと何だろうと、これを身体の内側にブチ込めば、数十秒くらいは石化してくれるはずだ。


 貴重な十二個の雪銀鉱の弾は無駄遣いできない。

 とりあえず石化弾で固めた上で雪銀鉱を使う。

 そう決めて、一つの銃から弾丸を抜き去って、自作の弾を込める。


 ガリガリガリガリ。


 何かが板を引っ掻く音。

 隣の部屋からだ。

 ベキベキと何かが壊れる音と共に、壁の向こうで何かが歩き回る音がする。


 何だか分からないが、化け物なのは確かだ。

 俺は息を潜め、抜き足でドアから距離を取った。

 ゴーグルをかけ、銃を抜いておく。


「……こっちに気づくなよ」


 獣めいた呼吸音。

 血のような空気が漂ってくる。


 ガリガリガリガリ。


 何かが目の前のドアを引っ掻く音。

 ドアに何かが叩き付けられる。

 三回目で拳大の穴が空いた。


 そこから爪の剥げた手に似ているけど、絶対にヒトの手じゃないものが出てくる。

 手のようなものは、親指から手のひらへ真横に裂け、そこが獣の口のようになった。

 獣は赤い舌をだらりと垂らし、まるで見回すような仕草をする。


 目にしたくもない、気持ちの悪いバケモノ。

 だけど、これが〈猟犬(ハウンド)〉っていう化物だと、()は知っている。


 たった数匹の〈猟犬〉に手も足も出ず、体中食いちぎられた。

 俺より遥かに強い騎士団総帥の、そんな体験談を思い出す。


 息を殺して隠れていると、そのうち〈猟犬〉は首を引っ込めた。


 行ったか?


 そう思った次の瞬間、穴から口を備えた手が五本突き出し、ドアに牙を立てた。

 分厚い木の板がビスケットのように、グシャグシャに食い破られていく。

 ドアノブが千切れて転がり、扉が開いた。


「畜生! 冗談じゃないぞ!」


 ドアを破った先頭の一体に、二発の弾丸を叩き込む。

 石化弾と、一拍遅らせた雪銀弾。

 化物は石化した後に粉砕され、塵になって消えていく。


 あまりにも慣れた、自然な動きだった。

 まるで、この程度の化物なら、飽きるほど狩ってきたかのような。


 疑問に思う間もなく、後続の四体の〈猟犬〉が部屋の中に躍り込んできた。

 俺は急いでゴーレムを起動し、援護させる。

 即席で組み込んだ単調な動きだが、囮にするなら充分だ。


「このバケモノ……ッ……ッッッッッッ!!!」


 恐怖を喉奥で噛み殺し、化物に銃口を向ける。


 一体はゴーレムに食らいついた隙に撃ち落とした。

 一体には爆弾を投げつけ、爆風を避ける方向を読んで着地を狩る。

 一体は射撃で追い込んでゴーレムに握り潰させた。


 最後の一体が俺に向かって大口を開け、飛び込んで来る。

 俺は正面からそいつの喉奥に弾丸を叩き込んだ。


 〈猟犬〉は声も出せずに石化していった。

 あれ……、俺ってば、むちゃくちゃ射撃うまくない?


 動けなくなったバケモノはゴーレムに一まとめに積ませて、爆弾を使い、粉砕しておく。

 バケモノは、すべて灰になった。


 俺は使い切った分の石化弾を再装填する。

 石化弾はあと6発、雪銀弾があと5発。

 下のバケモノは〈猟犬〉なんかよりも何倍も強そうだった。

 正直、これで足りるのかは分からない。


 深呼吸を一回。

 俺は覚悟を決めて、ゴーレムを連れて階下に向かう。

 目指すは、俺の工房だ。


 静かに階段を降り、俺の工房へ続く曲がり角へ移動して、確認。

 まだ、アレはいた。


 正直に言って、グロすぎて一瞬たりとも見たくないけど、そうはいかない。

 俺は諦めて、敵をきちんと目視する。


 形だけ見れば、ムカデみたいなバケモンだ。

 寄せ集めた人体を細長く、五メートルくらいに伸ばして、体側に無数の人間の手足をつけたような姿。

 甲殻はなく、ぶよぶよの肉塊だ。


 頭はどっちだ?

 片方はぶよぶよした触手の束が生えている。

 反対側は鋭い刃物で切断されたようになっていて、赤黒い液体を垂れ流している。

 動くまでは判断できなさそうだ。

 いや、人間の常識で考えるべきじゃないか?


 俺は水薬の壜を一本抜き、その場に静かに垂らしていく。

 この薬が気化すると、吸血鬼にだけ効果のある、即効性の毒になる。

 あの大きい化け物をこれだけで倒せるとは思わないが、動きは確実に鈍くなるだろう。


 人間も、これを吸うと視覚狭窄状態になり、平衡感覚を失う。

 俺は蓋を砕いて、中に入っている中和剤の欠片を口に放り込んだ。


 できるだけ工房は無傷で取り返したい。

 そのためには、ここまで釣る(・・)のが最適だ。


 俺は次に、四体すべてのゴーレムの核を入れ替えた。

 ごぅん、という音と共に、ゴーレムの形状が変わる。

 腕は四本に分かれて槍のように伸び、脚は四つの車輪に変わる。


 ──さあ、勝負だ!


 俺は深呼吸をし、ゴーレムを起動する。

 三体を少し退かせ、一体を超高速で突撃させた。

 ゴーレムの熱源から爆音が鳴り、車輪が高速回転する。


 一体目が通路の奥に消えた直後、激突音とともにグシャっと肉と骨のつぶれる音と壁の砕ける音が響く。

 幾重にも重なった、悲鳴のような声。

 何かが引き千切られる音。

 いくつもの金属部品が転がる音。

 ぺたぺたぺたぺたという、嫌な足音。


「行け! アレを串刺しにしろ!!!」


 俺は残りの三体にも突撃命令を出し、後退した。

 バケモノは怒り狂ったように一体目のゴーレムを振り回し、分解しながら、曲がり角の向こうから姿を現す。

 触手の方が顔っぽいな。


 そこは既に、毒を気化させた範囲内だ。

 目に見えて動きの鈍ったバケモノに、ゴーレムたちは槍を突き立てる。

 壁に縫い止められたバケモノは身をよじらせ、逃れようとする。


 ゴーレムに巻き付いた触手に石化弾を叩き込み、うねる巨体を雪銀弾で削っていく。

 目に見えて、化物の動きが鈍くなってきた。


「今だ! 最大出力!」


 ゴーレム三体に熱源を開放させ、意図的に炉を暴走させた。

 耐熱合金製の炉が赤熱し、膨れ上がるのが見えた。

 俺は急いで後退し、通路の陰に隠れる。


 耳がイカれそうなほどの轟音。

 爆風で窓が割れ、ゴーレムの破片がそこら中に突き刺さる。

 車輪が俺のところまで転がってきた。


 ──さすがに、古い血啜りでも滅びただろう。


 吸血鬼の始末に手慣れた()は安堵していた。


 ──イヤ、それって本当か?


 俺はゾワゾワする感覚に突き動かされ、例の毒の水薬をもう一本投げた。

 イヤな感じが消えてない。

 俺は直感で急いで飛び退く。


「うあっ!?」


 ほんの数秒前に俺がいた場所に、骨の触手が殺到する。


 化物は自切して爆発から逃げたらしく、だいぶ小さくなっていた。

 肉塊にはゴーレムの破片が突き刺さっていて、ボタボタと血を流している。

 それまでの手足の代わりに、骨でできた触腕が、乱雑に無数に生えている。


 ヤバイな。

 俺に、これを殺し切れるんだろうか。


「チッ……いい加減に、倒れろ!」


 後ろにステップしながら、銃弾を叩き込む。

 しかし、化物は腕を犠牲にしながら、距離を詰めてくる。

 毒が効いてるらしく、動きは鈍いが、それでも俺より速い。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい。

 

 ──どうする、これ?


 逃げ切れない。

 殺し切れない。

 戦うべきじゃなかったのか。


 後悔と恐怖が、喉元までせり上がってくる。


 銃弾が切れた。

 爆弾を投げつけるが、腕に弾かれてしまう。

 もう武器がない。


 目の前に、化物が。

 鋭い骨の刃が、血塗れの大口が。

 絶望と死が迫る。


 終わりを待つ刹那。

 俺の脳裏を、俺の仕事を待っている相棒のことが過ぎった。



「ごめん、エーリカ……」



 そう呟いた次の瞬間、化物はバラバラになった。


 ──え?


「大丈夫? 怪我はしてないみたいだね?」


 バケモノの背後から、人影が現れた。

 薄茶色の髪が揺れる。


「迷惑かけてごめん。私の担当だったんだけど逃しちゃって」


 俺が逆立ちしても勝てないような化物を、一瞬で細切れにした人間。

 クロエ・クロアキナは、申し訳なさそうに笑った。


 なんでこの人がここに?

 たしか地下で、氷銀鉱の剣を保護してるんじゃないの?


 よく見ると、手にしているのはふつーの鉄の剣なんだけど。

 そうか。

 あの剣は、屍都に繋がる霊脈上になきゃいけないから、地上には持ってこられないか。


「すごいね。氷銀鉱の剣で十分の一まで削った後とはいえ、冥府(アアル)の幽鬼をここまで追い詰めるなんて」

「お、お褒めに預かり光栄です」


 冥府(アアル)の幽鬼、って、たしか狂王の忠臣じゃ……そんな吸血鬼が逃げ出すってどういうわけだよ?

 八体くらい同時に相手してたんじゃなかったっけ?

 十分の一になった一体ですら、あんだけ強かったのに。


 その割には、怪我もしてるようには見えないし、疲れてもいないみたいなんだけど。

 こっわ。

 この人の方がバケモンより怖いわ。


「……っ!」


 クロエ嬢が振り返る。

 釣られてそちらを見ると、肉片がアメーバみたいに集合して、静かに離れていくところだった。


「なんで逃げるのかな。偽りの永遠の終わりに、誉ある死を得られたのに」

「そっ……」


 そりゃ怖かったから逃げたんだろ。

 何百年も生きてきたのに、こんなに簡単にやっつけられるなんて思わないだろ。


 クロエ嬢は剣閃を疾らせた。

 世にも奇怪な悲鳴をあげて、何百年も積み重ねたはずの永遠はチリとなって消えていく。


「はい、これでもう大丈夫だよ」

「どっ、どうもありがとうございました……。それじゃ俺、これから仕事があるんで、これで……」


 俺はクロエ嬢の横を通り過ぎて、自分の工房へ向かう。

 扉を開けようとした瞬間、向こうから扉が開いた。


「ああ〜〜、すみません。お邪魔しておりました!」

「へ……っ!?」


 中から現れたのは、ベアトリス・グラウだった。

 ベアトリス嬢は、俺と目が合うとペコリと頭を下げる。


「……って、なんであんたがここにいんの? えっと、その、なんとかの模様(パターン)とかで働いているんじゃないの?」

「あなたの仕事を受け取る役目も請け負っていて、だから、ちょっとだけ未来から来てます」

「へ? あ、ああ、そうなの?」

「ご安心ください。あなたの一世一代のお仕事、きちんと受け取りましたから!」


 ベアトリス嬢は恭しく一つの箱を掲げた。

 確かにそれは、俺がいつも完成した短杖を仕舞うのに使っている箱と同じデザインだ。


「ごめん。よくわかんない。ええっと、どういうこと?」

「あなたがこの工房に無事到着できた時点で、絶対仕事を仕上げられる未来が確定しているんです! 完成した頃になったら、少しだけ過去の私が伺いますので、よろしくお願いします!」

「へ、へえ。そうなんだ」

「そ、それでは、私はこれをエーリカ様にお届けしてきます!」


 そう言って、ベアトリス嬢は俺の横を通り抜ける。

 そしてクロエ嬢に気付いて、ぱっと花が咲くような笑顔になった。

 クロエ嬢も柔らかい笑みを返す。


「ベアトリスは、これからエーリカさんのとこ?」

「そう! クロエちゃんは?」

「ちょうど冥府(アアル)の幽鬼を全部倒したとこだよ!」

「クロエちゃん、すっごく頑張ってるね!」


 二人はハイタッチを決めた。


「クロエちゃんは、この後の予定は?」

「学園内に逃げた残党の駆除は終わったけど、念のためまた氷銀鉱の剣を守護してくる」

「私はこれをお届けしてから、最後の探しモノ。それが終わったら迎えに行くね! 最後まで頑張ろうね、クロエちゃん!」

「うん! じゃ、途中まで護衛するね!」


 クロエ嬢とベアトリス嬢は仲良く手を繋いで走っていった。

 めっちゃ慌ただしいな……と、仲良いね……みたいな感想が頭の中に浮かぶ。


「さて、と」


 くるりと踵を返して、工房の扉を開けた。

 あとは自分の腕を信じて、短杖を作るだけだ。


「……じゃあ、始めるか。待ってろよ、エーリカ!」


 これからは俺の領分だ。

 誰にも負けない自信はある。

 相棒(あいつ)のために、人生で最上の仕事をしよう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最強魔法使いはクラウスくんだけどクロエちゃんは最恐剣士だね。(字面) ハロルドくんお疲れ様。
[良い点] ベアトリスの登場に「成る程ショートカット!」てなりました。 クライマックスに向かって全てが繋がっていく感じがとてもワクワクします [気になる点] コミカライズ3巻発売おめでとうございます。…
[良い点] ハロルドの視点で前話から綺麗に引き継ぎつつ、仲間たちの現在の状況も自然な流れで加わり、お話の流れがとても楽しいです! ベアトリスが未来から来て、無事到着の時点で杖が仕上がる未来が確定してい…
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