因果の混乱5
私たちが次の車両のドアを開けると、ドロレスは深いため息をつきながら座席に腰を下ろした。
彼女は物憂げにクラウスに視線を合わせる。
「はじめまして。クラウス・ハーファン」
「お前が全てを仕込んだドロレス・ウィントか。ここにいるお前は人工精霊のようだな。本物はいまだに異世界か?」
「そうよ。ご明察」
「ここは魔法階層に構築した仮想空間だな。異世界において近似する構造物で霊脈を走破し、その世界の希薄な魔力を根こそぎ吸い取り、原初の模様を起動して、こちらに干渉しているな?」
さすがクラウス。
一眼でドロレスが何をしているか理解できるんだ。
「八割ほど正解。想定外なことに、こちらの世界でも霊脈から魔力を得ることができるのよ。何故かわかる?」
「体系化された超自然的な力を行使するための仕組みを作った何者かがいる。あるいは、いた」
「正解よ。既存のインフラストラクチャーをいろいろ使うと楽なわけ」
それって、もしかしてあの地球でも魔法があったってこと?
なかなか信じられないけど、実際にドロレスが干渉できている事実を考えれば、あり得るのか。
クラウスとドロレスは言葉を交わした後、無言で睨み合う。
「……ええっと、その、今回は本当に悪かったわ」
沈黙を破ったのはドロレスの方だった。
「俺からは恨み言など何一つない。見事な手際だ。あのやり方でもないと、あの俺は正気に返らなかっただろう」
「感謝するわ」
「……それで、俺の役割は何だ? どうやって狂王の策略を打ち破るつもりだ?」
「そうね、では本題に入らせてもらうわ。まずは状況の把握からにしましょうか」
ドロレスが立ち上がってタブレットをスワイプすると、車両の様相が変わった。
夕景を映していたはずのガラスの車窓が、まるで敷き詰められたディスプレイのように別の映像を映し始める。
「二人とも、これが何かわかる?」
窓が映しているのは、いろいろな都市・街・村を空から眺める映像だ。
リーンデースやノットリード、〈伝令の島〉も見える。
「……っ!」
私は言葉を失った。
どこもかしこも、ゾンビのような死体の群れが大河の如く蠢いて、人を襲っている。
いや、それどころか、人の形をしていない異形の巨大な化物までもが往来を闊歩し、破壊の限りを尽くしている。
もうこんな酷いことになってしまったの?
「これがあと二十時間四十五分後の世界の未来」
「未来……。まだ、こんなことにはなっていないのね?」
私はやっとのことで言葉を絞り出した。
「ええ。今は屍都復活直後なので、死者はあまり漏れ出ていないわ。それどころか、姪のおかげで、今から一時間程度の介入余地がある。今あの子は私の助手として現地で原初の模様に対して介入しているのよ」
「良かった……」
いや、良いのか?
もう屍都は復活してて、ゾンビが現れてるのに?
一日足らずでこんな壊滅的な未来がやってくるのに?
「つまり狂王は屍都跡地の時間に干渉して、その場所の時間だけを巻き戻したのか。この屍鬼や吸血鬼・異形の怪物群はそこから溢れ出てくる、と」
クラウスが忌々しげに呟く。
「屍都は北方大陸に九つ、南方大陸の半島部に二つ。そのうち第四屍都アンヌンを除く十の都市がすでに復活している」
ドロレスがタブレットを操作すると、画面は古い都市群の空撮に切り替わる。
現代のそれとは似ても似つかない、壮大ながらも陰鬱で奇怪な都市。
それを一瞥しながら、ドロレスが深くため息をついた。
「これから起こることは、人食いの謝肉祭。屍都から這い出てくる不死者たちに加えて、各地に身を潜めて飢えていた吸血鬼も暴れ始めるわ。彼ら、やっと目の前のご馳走全部にかぶりついて良いと、王の許しを貰ったらしいの」
「ちょっと待って、そんなことをしたら、ほんの数日で人間が滅んでしまうわ!」
「そう。滅ぶわ」
ドロレスは見てきたように言った。
「滅んでいいの? 吸血鬼なのに人間の血が必要じゃないの?」
そうして人が滅んだら、どうやって彼らは飢えを満たすのか。
まだ、潜伏して人間を貪っている方が理屈に合う。
「狂王は人間が滅んでいいと思っている。まあ一部の小賢しい吸血鬼は隠れて人間の家畜化を始めるでしょうけど」
ドロレスは肩を竦めた。
「……狂王の目的は何だ? 奴は何を望んでいる?」
クラウスが問う。
「私が想像するに、魂の安寧。虐殺の被害者だった故に、虐殺という蛮行を憎み、憎みすぎて人類丸ごと大虐殺したくなったのでしょうね」
アアル仮説では、狂王カインはセトカー族に皆殺しにされたウェシル族の一人という話だった。
これが、虐殺の被害者の願った魂の安寧の形だというなら、あんまりな話だ。
「人類を全部殺せば、確かにもう虐殺なんて起こらないんだけど、それって本末転倒じゃない? 気がついていないのかしら。仇であるセトカー族を皆殺しにした時から、大義名分なんてモノはなくなってしまったことを」
捲し立てるように喋ってから、ドロレスは心底軽蔑した目を映像へと向けた。
「気がついてしまったから、余計に気が狂ったのだろう? ……それに、大きな力を行使していると、何もかも分からなくなる瞬間はある」
クラウスが瞳を伏せて言った。
さらっと言ったけど、何気に実感のこもった重い雰囲気だ。
時を巻き戻して繰り返し続けていた頃のクラウスにも、そういう瞬間があったんだろうな。
「というわけで、現状把握の次はタスクの話よ」
ドロレスが私たちを見つめて言った。
「エーリカ・アウレリア、あなたには屍都を破壊する役目をお願いしたいの」
「引き受けたわ。でも、どうやって?」
私は窓に映る光景を再び眺めた。
これは、もう個人の手には負えないように見える。
軍隊とかそういうものでないと無理なんじゃないかな。
「すべての屍都へ同時に例の星を落として」
ドロレスはビシッと私を指差して言った。
「それって、錬金術師の星を──航海者の歌の杖を使えってこと?」
「得意でしょう? こういう全てを滅茶苦茶に、一切合切を台無しにするような行為」
これは、否定できないな。
さっきも、やたらおっきな魔法塔を壊してきたし。
「そ、それはそうなのだけど……」
二つの大陸に点在する屍都すべてにって、いくら私でも、そんな大規模魔法なんて使ったことない。
そんなの可能なのか、いや、それ以前に──
「というか、私はその短杖を持っていないわ!」
「ハロルド・ニーベルハイムが鋭意制作中。あなたの星水晶はもうすぐ杖になるのよ」
「あああ〜〜、さっきの? 兵器ってそういうことだったのね」
じゃあ、あれか。
ハロルドがお兄様にもらうのは、短杖の残りの材料や製造方法や実物なんだ。
「でも、間に合うの?」
「は? 間に合わなくても、間に合わせるのよ」
「えええ……」
ハロルドの身に降りかかったブラック労働に震える。
この人、めちゃめちゃ人使いが荒いぞ。
「あとは次善の策としてクラウス・ハーファン、各屍都に封印結界を同時に展開して、屍都ごと不死者を地下に転移させて封じて欲しいの」
「……短杖が間に合わなかった場合か。承知した」
私ができなかった場合は、クラウスが担当になるのか。
一応セーフティネットがあるからマシなのかもしれない。
「しかし、屍都を潰したとしても、今まで潜伏していた吸血鬼が人間を襲う。いや、すでに屍都から溢れ出ている不死者もだ……それについてはどう対策を?」
クラウスが問うと、ドロレスはクククッと引きつった笑い声を漏らした。
「まずオーギュスト・イグニシアに南北大陸全土に精神感応を展開させて、人々を的確な場所に避難させる」
「全土……っ……なんてことさせるんだ? 壊れるだろ! 人間として!!」
クラウスは声を上げ、指を差して詰め寄る。
その指先をそらしながら、ドロレスはニコニコと笑う。
「古い竜十体に手伝ってもらうから廃人にはならないわ。それに、準備が整い次第、私からも魔法的補助を提供する」
「……そうか……それならば、いいだろう」
ドロレスの答えに、不服そうながらもクラウスは引き下がった。
オーギュスト、大丈夫かな。
万霊節の時だって、負担が高すぎて具合が悪くなっていたのに。
ハロルドに続き、無茶振り案件すぎる。
「屍都から街道に流出していく屍鬼・吸血鬼などの不死者については、私が指図するまでもなく連合王国が対応するでしょう。各地に駐屯しているイグニシア王兵と、各地の騎士団は、すでに密な連携ができるようになっているはずよね?」
「しかし、大陸全土ともなると、展開には時間がかかるぞ。少なくない被害が出るはずだ」
クラウスが訊ねると、ドロレスは愉快そう微笑んで答えた。
「実に都合がいいことに、私が何かするまでもなく大陸全土に展開している勢力がいるでしょう? 初動の抑え込みはウトファル修道騎士団に頼るわ。本望なんじゃないかしら。誇りある戦いに歓喜するでしょうね」
人的リソースを使い潰すつもりだ、この人。
しかも自分の祖国と仲の悪い隣国の精鋭騎士を、無辜の民の肉盾にする気だ。
いいのか、これ?
でも確かに、最適解ではあるんだよなあ。
あの騎士たちは、とにかく頑丈で強かった。
「さすがに敵国内部は直接的に干渉できないから、あの国の呪術師や聖騎士が民のために正常に動くことを期待するしかないわね」
ドロレスの顔に諦めに似た色がちらりと見えた。
敵国とはいえ、アクトリアス先生の故郷だ。
吸血鬼のせいで滅びたり荒廃したりしないことを今は祈ろう。
「そして、ブラドとクロードの奪還には、エドアルトとエルリックが向かうわ。もちろん神狼ホレに援護してもらう」
奪還。
ドロレスは、狂王と金狼王子を倒すのではなくて、奪還という言葉を使った。
少しの言葉使いの差なのだけど、私はそれで少しだけ安心する。
「というわけで、クラウス・ハーファン、神狼ホレの呪符を渡してもらえるかしら? 私から彼らに渡すわ」
ドロレスが依頼すると、クラウスがローブから本を取りだし、ページを開く。
中程に挟まったホレくんの呪符を引っ張り出して、ドロレスに渡した。
ドロレスは呪符を無造作にパーカーのポケットに突っ込む。
「ねえ、ドロレス。お兄様とアクトリアス先生は本当に大丈夫なの……?」
「大丈夫よ。彼らは勝つわ」
ドロレスは当たり前のことのように、さらりと言った。
未来視の彼女が言うのなら、信じていいのだろうか。
「では、クローヒーズ先生とクロエのお兄さんは?」
「実のところ、奪還に成功するか否かは今のところ七割ほど。大事なピースがどうしても拾い出せてない。でも、今からあらゆる可能性を辿って精度を上げるつもり」
勝てる見込みはあるが、奪還は少々危ういということか。
「クロエ・ルーカンラントは、世界の錨を守護しているわ」
「世界の錨? そんなものは初耳だな」
クラウスが不可解そうに問う。
「氷銀鉱の剣のことよ。アレが地下にあるせいで、狂王は世界を完全にひっくり返して作り替えられなかったという訳」
「第四屍都周辺の霊脈の中でも、特に太い霊脈への干渉が阻害されている、ということだな?」
「そのとおり。魔力集積の障害になってる。もちろんカインもそれに気がついて、手駒を送っているのだけどね。確か──」
ドロレスがタブレットをチラリと確認しながら言った。
「古い吸血鬼……冥府の幽鬼と呼ばれる狂王の忠臣十三体。そのうち死を貪り喰らう者はあなたが倒して、他にもすでに四体滅ぼされているから、残りが八体。今回の騒動に先駆けて、リーンデース周辺に潜んでいたみたいね」
怖い話だ。
あの死を貪り喰らう者と呼ばれた吸血鬼以外にも、そんな者達が潜んでいたなんて。
「安心して。あの子も敗北することはないわ。それにあの子だったら二・三時間程度の戦闘は楽勝でしょう?」
「確かに、そうね……」
走り込みの時に痛感した北の戦士の体力。
それに加えて戦闘における鋭敏な感覚に、あの氷銀鉱の剣だ。
「でも、あの子も所詮、人間。心配だったら一刻も早く星を落としてあげて」
そう言ってドロレス・ウィントは私を見つめた。
「すこしのミスも許されない大変な仕事よ。星を落とす場所がズレたら大惨事になるわね。あなたの名前は大虐殺者リストのカインの横辺りに並んでしまうでしょうね。でも、あなたがやらなかったら、それを大幅に上回る人間が確実に死ぬの」
う、うわあ。
想像してたよりずっと責任重大だ。
でも、拒否する気もないし、ミスする気もない。
「ちなみに星を落とせた場合は、副作用で屍都に取り込まれつつある霊脈に大ダメージが入って、今起動してる狂王の仕組んだ原初の模様が数秒停止するはず。私はそのタイミングを狙って更なる介入をするつもり」
クラウスが結界で屍都を封じる作戦ではなく、私が錬金術師の星を落とす作戦が最適なのはそのせいか。
なるほどね。
「もちろん、完璧にやるわ」
「信じているわ、エーリカ・アウレリア。さてクラウス・ハーファン……いいかしら?」
ドロレスが微笑みながら、不意にクラウスの額に触れた。
触れた場所が青く光る。
「では、エーリカ・アウレリアと一緒に例の場所、〈月の御座〉へ向かってもらえるかしら? 短杖は仕上がり次第そこに届ける予定だから」
「御座か……皮肉な話だが、確かに今回の計画には最適だな」
「最終的にどうするかは、あなたの判断に委ねるつもり。好きに選びなさい」
「……ああ」
クラウスは少しだけ目を見開いた後に了承した。
──〈月の御座〉。
初めて聞く言葉だ。
「それは一体どういう場所なの?」
私はドロレスに訊ねた。
「ハーファン極秘の軍事施設の一つだ」
ドロレスではなく、クラウスが答える。
「封鎖都市の他にも秘密の施設がある、ということですか?」
「ああ、そうだ。賢者の許可を得たハーファン王家のみが立ち入ることが許された禁足地でもある」
すると、今さっきドロレスがクラウスの額を触ったのが許可だったのかな。
「お前たち〈来航者の民〉がこの大陸に訪れて、星を落とした。それを見た俺たちの祖先は秘密裏に対応策を作ったんだ。イグニシアはハーファンを弱体化するための制限を幾重にもかけていたのだが、アウレリアの出現でそれが緩和された」
あれは来航者の身内で起こった悲しい惨劇だ。
現地人に対する威嚇ではない。
しかし、この大陸の人たちは軍事的威嚇として受け止めて、本気の対策を練ったわけだ。
確かに、錬金術師の星は手軽な割に物騒すぎる。
「だから我々は南北の大陸を一望するような視座を魔法階層に作り、星から大地を守る魔法を行使できるようにした」
「〈来航者の民〉から国を守るための……そこに私が行くなんて不思議な話ですね、クラウス様」
「まったくだ。まさか、〈来航者の民〉を〈月の御座〉へ導くなんてな」
クラウスが私に手を伸ばした。
連合王国内部の関係性は、どこまで行っても不安定だ。
バランスが崩れたら、狂王の過ごした時代のように、私たちも憎しみと虐殺の時代を迎えるのだろう。
でも、今のところ、私たちはセトカー族とウェシル族のようにはなっていない。
これは私たちが彼らより賢かったとか善良だったわけでなくて、ただ単に偶然の賜物なのだろうと思う。
だからこそ、今はその僥倖を寿ぐとしよう。
私はクラウスの手を取る。
「よろしくお願いしますね」
「ああ、まずはリーンデースの魔法塔へ向かって、そこから転移を──」
「ちょっと待って!」
クラウスの言葉をドロレスが遮った。
ドロレスがまたタブレットをスワイプすると、車窓に写っていた映像が切り替わった。
世界中の魔法塔の映像が一気に映る。
「やっぱり来たわね。想定通りのタイミングで最悪の事態が発生してる」
「えっ……これって、何?」
牛と虫が混ざったような怪物が、何体も魔法塔に取りついている。
「飢餓天使、いや、魔蝗アバドンと飢餓天使の合成獣……堕天使か」
クラウスが言った。
天使らしいが、ぜんぜんパリューグには似ていない。
獣というよりは、金属製の昆虫のようだ。
「ふうん。狂王は全ての魔法塔を破壊するつもりね。他の魔法使いが原初の模様へ干渉するのを恐れているわ」
ドロレスは車窓を眺めながら呟く。
「なら俺が奴らを潰せばいいだけだ」
クラウスがローブから縮小した長杖を滑り出してくるりと回すと、銀色の長杖になった。
あの薔薇の意匠の杖だ。
「たしかに、貴方なら魔法塔の制御を奪いながらアレとまともに戦えるでしょうね。でも、時間的制限を考えると、現実的じゃないわ……それに、ほら、私たちにはもしもの時に頼る仲間がまだいるでしょう?」
ドロレスはくるりと向き直って、私を見て微笑んだ。
「こんなこともあろうかと、すでに彼らをアサインしているの。そう、またもや私は読み勝ったのよ!」
もしかして。
私は長年身近にいてくれて、ずっと私を支えてくれたふたりを思い出した。




