因果の混乱4
「ちょ、魔王って誰なのよ!」
私が叫ぶと、すかさず車内にドロレスのやけっぱち気味のアナウンスが響いた。
「はーい、ここで問題なのは、魔王の名もクラウス・ハーファンってことなのよね」
「は? クラウスが魔王ーーーーっ!?」
自分でもびっくりするくらいの大声を出していた。
いきなりクラウスが魔王堕ちとか、理解ができない。
「これが伝えられなかった物語の一つ。絶対に辿りついてはいけない未来よ」
「詳しく教えて! どういうことなの!」
存在してはいけない未来すぎる。
この世界、狂王だけでもキャパオーバーしてるのに、魔王までいたら、どんなことになっちゃうんだ。
「まさか、クラウスが人類の殲滅を?」
「いいえ、魔王となったクラウスが引き起こすのは、世界の完全なる停滞」
「停滞?」
ふっと脳裏に遺跡最深部の出来事が思い浮かんだ。
時間を遅延させる、高位な魔法使いでも使える者が稀な、希少な魔法だ。
まさかあれを全世界に対して?
そんな、無茶すぎる。
「巻き戻しというか……分岐世界を作って、試行錯誤しては、分岐世界ごと破棄しているの。ソースコードのバージョン管理システムの用語で説明していい? タグやブランチとかの用語わかる?」
申し訳ないが、全然わからない。
「ごめんなさい。もっと簡単な説明をお願い」
「単純に例えるなら、ゲームしてて上手くいかなかったらセーブポイントに戻す、みたいな感じ?」
ドロレスのアナウンスは続いた。
クラウスは六年前の春を起点として、リーンデース入学後三年目までを何度も繰り返していたのだという。
「世界を巻き戻す魔王の存在に気がついた人物──多くの場合はオーギュストが気がつくのだけど、オーギュストが説得したり戦いを挑んだりしても、決してクラウスは繰り返しをやめない。だから、誰もクラウスから未来を取り戻せなかった」
「そんなこと可能なの? とても人一人で出来るようには思えないのだけど……」
私は、ふとあることに気がついた。
クラウスは魔法使いとして天才であり、リーンデースにはドロレスの残した原初の模様がある。
「もしかして、原初の模様?」
「そう。無限回廊から、原初の模様を完全に理解し、再構築した」
「あの回廊に繋がっている霊脈は、たしかウィント、クローヒーズ、王領の権限でのみアクセス出来るはずでは?」
「オーギュストは人に優しいわよね?」
オーギュストは優しい。
それは、ついさっき痛感したことだ。
もし妹を失ったクラウスが側にいたら、協力を惜しまないだろう。
「でも、なぜ世界ごと改変を? 金狼のように単体で過去に戻るほうが簡単だと思うんだけど」
「年単位で時間を越えてしまうと、改変の影響が予測できないでしょう。この世界にはウィント家の介入という予測を難しくする要素があるわけだから」
なるほど。
ウィント家が妨害することを想定済みだったわけだ。
「そして、クラウスは愛しい妹を取り戻すために、最初の巻き戻しを行った」
アン・ハーファンのためにクラウス・ハーファンは世界を巻き戻した。
当然、クラウスが改変しようとしているのは、あの地下──〈来航者の遺跡〉での出来事だろう。
「クラウスの最初の動機はそれだけだった。そして、クラウスは七歳のアンを救うことに成功しているの」
なら、巻き戻しは一回だけのはずだ。
クラウスが巻き戻しを繰り返しているのはどうして?
「では、なぜクラウスはまだ繰り返しているの……?」
「アンを助けた後に、別の最悪な事柄が起こったの。クラウスの心を粉々に砕くようなことがね」
心を砕くようなって、何事だろう?
クラウスの身に何が起こってしまったんだ。
「二回目の世界の巻き戻しからが、彼の本当の妄執の始まり」
私は固唾を呑んで続きを待つ。
だけど、ドロレスがなかなか口を開かなかった。
「あの、続きは?」
「………………その妄執については、訳あって詳細は伝えられないのよ」
「は? どうして!?」
「彼のプライベートに関わる、その、こ、こ、恋とか、愛とか……そういう奴?」
「ああ〜〜……なんとなく分かったわ」
クラウスにとって大事な恋人や想い人みたいな存在がアンの代わりに死んでしまった、ってことだよね?
クラウス、可哀想。
妹の次はそんな大事な人を失うなんて。
誰なのか気になるけれど、訊くのはやめておこう。
世界の危機とは言え、長年の友人のプライバシーを侵害するのは避けたい。
「クラウスは魔法塔からイクテュエス全土の霊脈の魔力を吸い上げて原初の模様に注ぎ込み、世界を作り替え、巻き戻しを繰り返して試行錯誤している。でも、いつだって予想外の形で彼の計画は壊されてしまった」
「そんな……」
「私が異世界転移して彼の分岐世界の可能性を殺してしまうまで、彼はずっと繰り返していたのよ」
ドロレスは忌々しそうに言葉を続けた。
「この空前絶後の愚行の果てに魔王と化した彼は今、ハーファン最大の魔法塔に一人」
前方に止まった車両が見えた。
最後部には、私が初めて会った年頃の、まだ幼い姿のクラウスがこちらをずっと見ていた。
黒髪には薄紅色の薔薇が一輪。
クラウスと目が合った瞬間、彼は恥ずかしそうに後ろを向いて、車両の前の方に去っていった。
「場所は秘密封鎖都市・ハーファン最大の魔法塔。あと少しで世界が再びクラウスの支配下に置かれ、巻き戻しされるわ」
乗り換え先の停車した車両に合わせて、私の乗っている車両も止まった。
同時にドアが開く。
私は、覚悟を決めて、そのドアを踏み越えた。
☆
一瞬の浮遊感。
その直後、私は風にもみくちゃにされながら落下していた。
いきなり空中に放り出されるとは荒っぽいな。
軟着陸で落下速度を抑えて態勢を立て直し、周りを眺めた。
澄んだ青い空に白い月。
整然と区画された都市に、たくさんの魔法塔が建ち並ぶ。
それらは、なんとなく地球の高層ビル群に似ていた。
広大な庭園が広がる都市の中心部には、一際巨大な白い魔法塔が一つ。
ここが封鎖都市なの?
中央の白い塔がハーファン最大の魔法塔か。
霊脈の要に撃ち込まれた塔。
大陸全土から膨大な魔力を吸い上げることができる場所。
例えば、この魔法塔の魔力で超広域天候魔法を行使したら、どれだけ大きな災害が起きるだろう。
砲撃系の呪文だったら、星の裏側まで届いてもおかしくはない。
ルーカンラントもハーファンを警戒するわけだ。
革鞄を開き、これから使いそうな短杖を取り出してポケットに突っ込んだ。
今までの戦いのせいで、水晶塊が最後の一本だが、どうにかなるだろう。
次に、私は慎重に天界の眼のレンズを取り出して、嵌める。
天界の眼で確かめると、塔の中腹に一人だけ人間がいるように見えた。
クラウスで確定だろう。
クラウスが塔から魔力を吸い上げて原初の模様を構築し、使い始めたら、打つ手が無くなる。
一刻も速く魔法塔の機能を止めないと勝ち目はない。
私は深呼吸し、短杖を振った。
──この塔を汗水流して作った魔法使いと石工の皆さん、ごめんなさい!
分解の杖一本分をまとめ打ち。
最大出力だ。
魔法抵抗を貫通し、最大の魔法塔の最上階部分から中腹までを斜めに切るように分解した。
切断された上半分と下半分の衝突が起こり、壁面には大きな亀裂が走った。
行き場を失った魔力が大気中に解放され、波紋のように空気を震わせる。
その衝撃が追い討ちとなって、塔は真ん中からへし折れ、無残に崩壊していく。
もっと普通に会いに行くべきなんだろうけど、これしか思い浮かばなかったことを許して欲しい。
私は崩壊した塔の瓦礫に広域化した浮遊と軟着陸を時間差でかけた。
落下しかけていた瓦礫群が、残らず上空に浮かび上がる。
これらは三十分ほどの時間をかけてゆっくりと落下するように設定しておいた。
これで周辺にいる人たちの逃げる時間も確保できるはずだ。
私もこの瓦礫が頭に当たったら危ないしね。
さて、クラウスだ。
斜めに切り落とした塔の最上部に降り立って、必死に彼の姿を探す。
いない?
──いや、いた。
分解をかけた箇所よりやや下の階層、その階段の途中にクラウスがいた。
黒と銀のハーファンの礼服姿。
携えた銀の長杖は、薔薇の意匠だった。
姿以外はいつもと変わらないクラウスに見える。
彼は私に気がついて目を見開いた。
クラウスは呆然とした表情で何かを呟いたが、私の耳には届かなかった。
私は再び軟着陸の呪文をかけ、彼がいる階の一階層上に降り立って声をかけた。
「お初にお目にかかります、私の知らないクラウス様」
「……ウィント家の差し金か」
「ええ、ドロレス・ウィントの指示でこの分岐世界に来ました」
クラウスは私がここに来た仕組みを理解しているみたいだし、ここは単刀直入にお願いしよう。
「私と一緒に来てドロレスの計画にご助力ください。その代わりと言ってはなんですが、私もクラウス様に協力します。私、絶対あなたの大事な人を死なせたりなんかしません」
「よりによってお前が? お前が、それを俺に言うのか……!」
クラウスの目から、涙が溢れる。
瞳には絶望と悲しみの色が見えた……いや、これは激しい怒り?
まさか、私がクラウスの大事な人が死ぬ原因を作ってたりするのだろうか。
自らのタイミングの悪さを思い返すに、その可能性、ありえすぎて怖い。
でも、今回は何があっても引き下がれない。
「約束です。絶対にそんな悲劇は起こしません」
「なるほど……そういうことか、ウィント家め……人の心が無いのか! 人でなし共め!」
憤怒と悲哀の混ざった顔を隠すように、クラウスは顔を片手で覆った。
クラウスの体は小刻みに震えている。
やってしまった……。
物凄い地雷を踏んでしまったようだ。
「どうやら説得には応じてもらえなさそうなので、今から力づくでいきますよ、クラウス様」
ハロルドに続いて、またしても説得不成立。
もう少し平和に話したかった。
でも、この反応では手遅れだろう。
クラウスを制圧するなんて可能かわからないが、やるしかない。
「この俺に勝てるとでも?」
「やってみなければ、結果はわからないですよね?」
「はっ……お前は変わらないな……」
私は、クラウスに向かって短杖を構えた。
クラウスもそれに応じ、呪符の束を取り出す。
私を見上げるクラウスの瞳は、恐ろしいほど蒼く澄んで見えた。
「クラウス様。あなたは私の行動に驚かないのですね」
「俺は、お前が本当はどういう人間か、知っている。お前の本質は、いつどこにいても変わらなかった」
クラウスは絞り出すような声で答えた。
彼の繰り返した世界では、劣等生じゃない私もいたのだろう。
私と同じような、攻撃特化型の錬金術師として生きていたエーリカが。
何の合図もなかったが、まるで示し合わせたように私たちは同時に動いた。
クラウスは呪符を撒いて防御陣を展開。
私はクラウスとの距離を確保するため、跳躍して最上部へと移動した。
これ以上はもう会話する余裕はない。
まずは離脱の時間を稼がなければならない。
最後の水晶塊の杖を使い切り、高速化した水晶の弾丸を出来る限りたくさん作り出す。
しかし、次の瞬間、クラウスを中心としておよそ五メートル程度の範囲の水晶弾が同時に消え失せた。
残った弾は、展開された防護陣に防がれる。
おそらく遅延結界だ。
もう数メートル近かったら、なすすべもなく制圧されていた。
やはり、接近されると圧倒的に分が悪い。
跳躍は起動できたが、離脱にはほんのコンマ数秒足りない。
私の足場以外を対象に、高速化・広域化した掘削をかけた。
クラウスは即座に飛行を詠唱して対処する。
その隙に私は床を蹴り、切断された塔の壁を駆け上がった。
私は走りながら解呪を三本抜き、広域化・遅延化させて上空に設置する。
私の勝ち目は、正直言って薄い。
魔法塔を無力化したとは言え、クラウスの魔力は潤沢だ。
私の物資が尽きる前に、彼のミスを引き出すか、魔力切れを狙うしかない。
この解呪は、そのための仕込みだ。
クラウスが上昇して追ってくる。
私は金縛りを複雑な軌道で連射した。
クラウスは肉眼では不可視なはずの金縛りを、呪符を操って的確に防御する。
私の四肢を、魔法陣が取り巻く。
拘束の魔法陣だ。
発生が速い。
拘束の鎖が実体化するのとほぼ同時に、解呪の雨が降り注いだ。
私を拘束しかけていた呪文が砕け散る。
私も跳躍が解除されるが、クラウスは防護陣の大半や飛行を失ったようだ。
よし、仕込みが活きた。
わずかに残った足場に着地したクラウスが、信じられないといった様子で私を睨む。
自分が落ちたらどうするとか思ってそうだな。
軟着陸はあるけど、ゆっくり落下してしまったらいい的だものね。
でも、私が勝ちを拾うには多少のリスクは飲み込むしかない。
私は魔弾を使い切り、クラウスの背後を起点として無数の魔力弾を作り出す。
クラウスは即座に防護陣を再展開して防御した。
その隙に、私は更に上方へ跳躍し、ゆっくり落下してきた瓦礫に飛び移ってその陰に隠れた。
解呪の第二波が降り注ぐ。
設置した解呪より上にいた私には影響がないが、クラウスは大きく避けることになった。
彼はわずかに残った塔の天井を使って解呪の雨をしのぐ。
なぜか大量に解呪効果が発生している。
どうやら、クラウスは隠匿化された拘束の呪文を仕込んでいたようだ。
危なかった。
罠を張っていたのは、私だけではなかったということか。
念のため周囲に広域化した解呪を使いながら、残りの物資を確認する。
水晶塊、魔弾は使い切った。
金縛りが残り二本、解呪が五本。
長靴に仕込んである跳躍が八回分、天界の眼が一回分。
突風はまだ在庫があるが、クラウスなら簡単に中和ないし回避するだろう。
決定打にはなり得ない。
場所替えもあるが、ゴーレム核を設置する余裕がない。
ばらまいたとしてもクラウスなら霊視の魔眼で見えるはずだし、そもそも空中に投げたゴーレム核を軟着陸などで保護する隙が作れない。
片手が革鞄で塞がっているのが仇になっているが、同時に革鞄が命綱でもあるので、手放すという手はない。
戦闘用ではない短杖はまだあるが、状況を好転できそうなものはない。
明らかに物資が足りない。
流石に三連戦は辛かったようだ。
この分だと、即死耐性目的で持っていた慈悲の死すら苦し紛れの攻撃に使うはめになりそうだ。
ここまでの判断が約五秒。
杖を鞄から取り出すには足りないが、未使用の杖を右ポケットにまとめることはできた。
それは同時に、クラウスが復帰するにも充分すぎる時間だ。
拘束の魔法陣が、死角にいるはずの私を正確に取り囲む。
追い立てられた私は、跳躍で更に上へ。
相変わらず、クラウスは拘束しか使ってこない。
本来なら、千種類を超える多彩な呪文を的確に駆使して戦う天才魔法使いなのに。
敢えて限られた呪文しか使わない、その意図は明白だ。
──クラウスは私を傷つけるつもりは一切ないんだ。
ものすごく申しわけのない気持ちなった。
でも今は、クラウスの温情に付け込んででも、勝たなければ。
解呪の豪雨が、私を取り囲む拘束を破壊していく。
視界が呪文の崩壊する魔力の残光で満ちる。
視界がクリアになった瞬間、クラウスが消えていた。
やられた。
クラウスは解呪の雨を逆手に取って、目眩しに使ったようだ。
彼はどこかの瓦礫に潜んで、機会を伺っているはずだ。
クラウスに近接されたら勝てる見込みはない。
遅延結界を発動されたら、あっという間に詰んでしまう。
──どうすればいい?
最後の天界の眼で、クラウスの位置を確認。
私と同じ高さの瓦礫の陰に、生命反応があった。
近い。
しかし、私がクラウスの位置を把握したことに気づかれる前なら、まだ挽回できる。
天界の眼の効果が終わる前に、私とクラウスの間にある全ての瓦礫に、金縛りの呪文で作った罠を敷き詰めていく。
瓦礫に隠れて接近するつもりなら、引っかかってくれるはずだ。
金縛りの杖は使い切った。
これが有効打にならなければ、もう後がない。
しかし、一瞬の後に、罠を仕掛けた瓦礫の全てが視界から喪失した。
高速化した分解か、あるいは掘削か。
直後、金縛りの罠もまとめて広域化した解呪にかき消される。
クラウスの杖から、稲妻のような速さで拘束の鎖が伸びてくる。
私は短杖一本分の解呪で相殺を試みた。
しかし、拘束は解呪されず、私の左腕に絡みついた。
戦いの中で、最大出力でも解呪できないギリギリの強度を分析したのか。
普通の魔法使いなら、大量充填型の短杖一本分に匹敵する魔力なんて捻出できない。
仮に魔力が足りたとしても、膨大な魔力の制御に苦労するだろう。
それを、一発で成功させてくるとは。
「さすが、クラウス様ですね……」
クラウスは拘束の鎖を使って私を引き寄せる
もう逃げられない。
しかし、ここまで強力な呪文を使ったのだから、クラウスもギリギリのはずだ。
ここでけりをつけるつもりだろう。
私は残りの解呪と一緒に慈悲の死の杖を抜いた。
極力使いたくはなかったが、やむを得ない。
クラウスの呪符が銀色の光を放つ。
遅延結界。
呪文が完成したら、私の詰みだ。
敢えて、解呪を拘束ではなく呪符に。
魔法を剥がされた呪符が自由落下していく。
これで、すぐには遅延結界を発動できない。
私は引き寄せられる動きに抵抗せず、そのまま慈悲の死の杖を振る。
短杖が紫色の光を纏う。
クラウスが目を見開いた。
詠唱する口の動き。
クラウスは、どうする?
解呪? 防護陣? 更に拘束?
何にしても、一手稼げる。
本命は釦の刻印石に仕込んだ金縛り。
この距離なら、届く。
そう思った矢先に、クラウスは、慈悲の死にあっけなく被弾した。
「クラウス様……っ? なんで?」
クラウスは私の攻撃を防御せず、解呪もせず、ましてや反撃もしなかった。
彼は私の頭上に向かって、巨大な防御陣を展開する。
「クラ──」
私は問いかけて、言葉を失った。
見上げれば、いつの間にか巨大な瓦礫──魔法塔最上部の瓦礫群が目前に迫っていた。
何故、こんな短時間で?
まだ軟着陸の呪文は有効なはずなのに!?
クラウスは左手に持った杖をかざし、防御陣を何重にも補強した。
同時に、右手で結界を構築。
立方体の結界が瓦礫群を包み、隔離する。
結界内から目も眩むような光が迸り、次の瞬間には巨大な瓦礫は消失していた。
☆
魔法塔の瓦礫を防ぎ切ったその後、クラウスはずるずると降下し、塔に降り立った。
防護陣を構成していた呪符が、ひらひらと舞い落ちる。
どうやら、防護陣や飛行を維持する魔力も尽きてしまったようだ。
クラウスは膝を付き、荒い呼吸を繰り返す。
私は彼の目の前に降り立った。
「クラウス様、大丈夫ですか……?」
「……エーリカ、お前!! 浮遊の効果時間や軟着陸の速度が計算できてないぞ!!」
クラウスは半泣きになって私を罵ってきた。
「俺が守らなかったら、どうなってたと思うんだ」
「確実に死んでますね」
「ふざけるな! 言うに事欠いて、よくもそんなことを!」
疲れ果てたクラウスは、めちゃめちゃに怒っていた。
「仕方ないじゃないですか? クラウス様が強いから、こんな方法でしか攻められなかったのですし」
「ウィント家の者から説明は受けてないのか……? 魔法塔の特性については?」
「いえ、まったく」
「なんだと……?」
クラウスは掻い摘んでこの魔法塔の説明をしてくれた。
魔法塔最上部は、複雑な魔法物質で構成されていて、魔法に対して特殊な抵抗力を持つらしい。
さらに、この最大規模の魔法塔は最も大きく堅固な最上部を持つ。
「魔法国家の威信をかけた建造物だぞ? 普通の石材と同様に扱えるわけがあるか!」
「おっしゃる通りですね」
なるほど。
だからあのタイミングであんな速度で降ってきたのか。
本来なら、効果時間や速度を求めるために特殊な計算が必要だったようだ。
「クラウス様には心から感謝します。本当にありがとうございました」
「あ、ああ……」
「でも、私の言うことは聞いてください。勝負に負けたけど、試合に勝ったのは私ですよ?」
「はあ……?」
クラウスは頬を引きつらせた。
「このままクラウス様が慈悲の死で死んでしまえば、もう世界の巻き戻しなんて出来ません。こんなに時間をかけた努力も水の泡、徒労です。あなたの積み上げた努力が失われる……そんなことで良いんですか? 良いわけないですよね?」
まさか長年の友人をこんな汚く脅迫することになるとは思わなかった。
しかも必死に私を救ってくれた直後なのに。
本当にごめんね、クラウス。
「俺がこの程度の呪文を解呪出来ないとでも?」
クラウスが解呪を発動させた瞬間に合わせて、私はクラウスの解呪の魔法を短杖で解呪した。
「出来ると思いますが、物資のある限りは妨害しようかと」
「おっ……お前っ!」
クラウスの顔が怒りで真っ赤になったと思ったら、いきなり笑い始めた。
「くっ……ククク……ハハハハハ! ああ、思い出したぞ、そうだな、お前は、こんな奴だった! だいたい初手でこんな巨大な魔法塔を分解するなんて狂気の沙汰としか言いようがないぞ!」
「ですよね」
我ながら最悪だと思ったし。
「本当に返す言葉がありません、クラウス様」
「そこは返そうとする努力ぐらい見せるのが誠実さってものじゃないのか、エーリカ……」
「まったくその通りだとは思いますが、なかなか出来なくて」
普段の軽口が聞けるくらいなら、もう大丈夫なのだろうか。
私が覗き込むと、クラウスは私をじっと睨んだ。
「お前は嘘つきで、向こう見ずで、鈍感で、いつも他人の気持ちを考えている割に他人を全然理解できてなくて、そのくせ一人で何でも背負いがちで、その上人一倍お人好しと来ている……そんなだから、君は冗談みたいに儚く死ぬんだろうな」
私ってばクラウスの分岐世界でも死にまくってるのか。
まあ、仕方ないだろう。
きっとそういう性分なのだろう。
「でも、今はちゃんと生き残ってますよ。ほら、触って確かめてください」
私は手を伸ばす。
クラウスは少し戸惑った後に、手を握り返してきた。
「暖かいな」
「生きてますから」
「ああ、生きているな」
クラウスが目を伏せて笑った。
土埃に汚れた頬が薔薇色に染まり、涙が一筋流れる。
「お前のお陰で、やっと正気に返った。すまなかったな、強烈な記憶と感情に塗り替えられていた」
「魔王だったんですってね」
「それは言うな……少なくとも、俺はそんな名で自分を呼んだことは一度もないんだからな」
クラウスは悔しそうに唇を噛んだ。
「では、私と一緒に来てもらえますか?」
「ああ、当然だ。見物していないで、そろそろ出てきたらどうだ? 千里眼の賢者ドロレス・ウィント」
クラウスがそう言った瞬間に、私たちは、あの車両にいた。
「ここが、ドロレス・ウィントの仕組んだ原初の模様のための構築物か? 奇妙な見た目だな」
ドロレスは、先の車両にいた。
車両のドアに半分身を隠しながら、私たちを見ている。
その表情は、今まで見たことのない申し訳なさそうな表情だった。
なんでだろう?
まあ、いいか。今はお仕事の方が大事だ。
「さあ、ドロレスに会いに行きましょう、クラウス様。彼女は、少々難しい人ですが、とっても有能ですよ」
私はクラウスの手をとって、ドロレスの元へ向かった。




