因果の混乱2
ドロレスの言った通り、ここは確かにあの日の、万霊節の夜のクラトヌーヌの川辺だ。
しかも、木造建造物のすぐ側。
この三階建ほどの高さの建造物の最上部には飛行ゴーレムのための発射台があるはず。
「離しなさいよ、このケダモノ……っ!」
上から──ゴーレム発射台の方から女の子の叫び声が聞こえる。
見上げると、微かなランプの光に照らされて人影が動いていた。
上背の大きな赤毛の男と少女だ。
少女はどこかで見たことのあるドレスを着ていて、髪は金色っぽくみえる。
──ああ、これは。
おそらく分岐世界のハロルドと、もう一人の私、つまりエーリカ・アウレリアだ。
二人は飛行ゴーレムの上で揉み合っていた。
そのうち、エーリカはハロルドを押しのけ、飛行ゴーレムの上を後ずさる。
「ちっ、危ねえだろ、こっちにこいよ!」
「きゃ、きゃああああ!! 近寄らないで!!!」
ハロルドが手を差し伸べると、エーリカはそれを振り払った。
その拍子に、エーリカは足を滑らせる。
激しい水音が続いたかと思ったが、すぐに止まった。
エーリカの体は静かに水面に浮かび上がってきた。
「ふざけやがって! くそっ! こんな時に転落だと?」
ハロルドは木造建造物からすぐさま駆け降り、川に入る。
私は彼の視界から姿を隠すために、木造建物の裏に身を潜めた。
「畜生!」
ハロルドはエーリカを川辺まで引きずって運んでくると、心臓マッサージを始めた。
「こんなことってあるかよ! 畜生! 畜生!!」
何度も何度も、時折脈を確認しながら、ハロルドは心臓マッサージを繰り返す。
十分ほどそうしていたが、ハロルドは不意に脱力したかのように項垂れた後、顔を手で覆った。
「くそっ……! その上身勝手に死んじまっただと……?」
サードシナリオの展開としては、ハロルドがエーリカを攫って飛行ゴーレムで輸送しようと企んだが、不安定な高所でエーリカが暴れてクラトヌーヌ川に落下して死亡という流れだったのだろう。
打ち所が悪かったのか、冷たい川の水で心臓麻痺を起こしたか。
殺すつもりのない、不慮の事故だ。
私も可哀想だけど、ハロルドもむちゃくちゃしんどいな。
「畜生、畜生……こんなことなら! 俺が! この手で殺しておくんだった……!」
ハロルドの血を吐くような叫び。
ちょっと待って。
こんな酷い状況で、どう出ていって話しかければいいの?
無理じゃない?
だいたい、私だって目の前に自分の死体が転がってるなんて、無理すぎて心がついていってない。
いや、それでもハロルドを連れていかなければ。
憎まれててもド修羅場でも、何も出来ずに立ちすくんでいる暇はない。
可哀想なもう一人の私を哀れむのなら、今すぐこの手でこの状況に殴り込みをかけなきゃ。
「ハロルド!」
木造建造物の影から飛び出して、ハロルドに声をかけて歩み寄る。
その時、空高く打ち上げられた大輪の花火の光が、私たちを照らし出した。
ハロルドが、この世のものでない怪物を見たような顔で私を見つめる。
「な、なん、なんでお前、エーリカ・アウレリアが?」
「どうしても私はあなたの助けが必要なの、ハロルド。現状を話すと長くなるのだけど──」
「は……? お前、なんで……? いや、こっちの死体は……くそっ……本物だ……な、なんで???」
ハロルドは軽いパニックに陥ってしまった。
「……お前、幽霊か……!」
ハロルドは呻いた。
「違うわ! ちょ、ちょっと待って!」
ああ〜、そうだよね、今死体を確認した相手がいきなり出てきたら混乱するよね。
どうしよう、これ。
どう弁解すれば良いの?
──そうだ……もしかしてコレを見れば思い出してくれるかな?
私は革鞄をゴソゴソと漁って、ハロルドの作った浮遊の短杖を取り出す。
あの時〈炎の魔剣〉から交易都市ノットリードを守ったあの短杖を、私は今も愛用して持ち歩いているのである。
この短杖を見れば、何か記憶が蘇ったりはしないだろうか。
「ねえ、ハロルド。この短杖なんだけど、これに見覚えはないかしら?」
杖を持ってハロルドに一歩近づいたら、彼は一歩退いた。
「この幽霊め……幽霊のくせにそんなもので俺を殺す気か……??」
ハロルドが腰のベルトから拳銃を取り出して、手早く弾丸を詰め込んでいく。
「ああ、いいだろう。どうせ殺したかった相手だ。今度こそ俺の手で殺してやる!!」
もう弁解も穏便な説得も不可能なようだ。
私の挙動不審がいけないんだけど、どうしてこうなっちゃうんだろう。
「仕方ないけど、力づくでねじ伏せてから話を聞いてもらうしかないようね……」
「はっ! そんなことが出来るもんならな!」
ハロルドは吠えた。
もう手が残されていないなら、戦闘準備を始めなければ。
足元の水対策として浮遊を振っておく。
水面からほんの数センチほど浮遊する効果を一時間ほど。
靴に仕込んだ跳躍を起動するのと、ハロルドの拳銃が火を吹くのはほぼ同時だった。
一瞬でも遅ければ命中していた。
銃撃に追い立てられながら、川辺の方に移動する。
ハロルドが再装填している隙に、私は背の高い枯れ草に隠れて革鞄を開いた。
ハロルドと戦うために、何種類かの短杖を革鞄からローブのポケットに移す。
その次に、ハロルドのいる場所を目視確認する。
ハロルドはまだ薄明かりの灯ったゴーレム発射台付きの木造建築の下にいた。
再装填された拳銃の銃口が私を狙う。
私を守ってくれるティルナノグやパリューグはいない。
でもローブのポケットには霧のゴーレムの核がある。
今夜はこの子に助けてもらおう。
霧のゴーレムは、すぐさま無数の凝結の盾を私の周りに展開していく。
この凝結の盾だけが、私の命綱だ。
この魔法は、ウトファル騎士団の雪銀の弾丸を防いだ盾を、さらに改良したものだったはずだ。
ハイアルン先輩に感謝しなきゃね。
ハロルドの足もとで何かがきらりと光った。
ガラスの破片……なにかの薬壜か。
空気を汚染した可能性がある。
麻痺・睡眠、それとも何らかの毒?
私は空間を薙ぎ払うように突風の短杖で一掃し、ハロルドの風上の方向へ跳躍する。
とりあえず、これで無効化できたかな。
あと何本薬品を持っているかわからないから、ハロルド周辺には近寄らない方がいいだろう。
風に煽られて長い赤毛を靡かせながら、ハロルドが私を睨む。
苛立たしげだ。
──ごめんね、ハロルド。
ハロルドに弾丸等の武器をすべて使わせてから無力化を狙おう。
跳躍で移動しながら水晶塊の短杖を振る。
魔法の起点と距離・発射タイミングをズラし、ハロルドを苛立たせるように、傷つけないように丁寧に組み上げる。
「くっっそ! ふざけんな!」
一発の弾丸が、水晶塊をすり抜けるように私の心臓を狙った。
しかし、それは多重構造の凝結の盾が防ぐ。
「へえ、面白いもん使ってんな、お前」
ハロルドは正確な射撃で水晶塊の多段攻撃を破壊していく。
すぐに弾切れかと思いきや、一旦彼は闇に身を隠すと再び襲撃してきた。
ハロルドもまた武器の備蓄を用意していた。
予備の弾丸と、もう一つの銃だ。
持ち運んでいるのかも知れないし、この周辺にいくつかの補給ポイントを準備しているのかもしれない。
ハロルドは通常の銃による攻撃に加えて、時折薬壜を投げて、それを撃ち抜こうとしてきた。
私はすかさず壜を包むように水晶塊を展開させる。
闇の中で、花火の閃く中で、ひたすらお互いを狙い合う。
まだほんの少しの時間のはずなのに、長い時間撃ち合っている気がする。
ハロルドの指先には恐怖による迷いは一切なかった。
私の知らないハロルドだ。
どんなに悲しい思いをして、怯える心を殺して今まで生きてきたのか、私には想像が出来ない。
今のところ、私が優位と言える状況だ。
しかし少しでも気を抜いたら、本当に殺されてしまうかも知れない。
ハロルドの補充のタイミングと、最後の大仕掛け花火の打ち上げが重なった。
まるで光の滝のような花火が、夜空に煌めく。
低い灌木の影にいたハロルドが照らされる。
勝機は今しかない。
私は今まで温存していた短杖をポケットから引っ張り出す。
金縛りの杖だ。
拡張して、範囲の限定と時間を延長を組み込む。
私はハロルドが装填を終えて立ち上がった瞬間に、彼の肩から下だけを狙って杖を振った。
ハロルドは私に二つの銃口を向けた状態で、体の自由を失った。
すかさず私は突風の杖を揮って、ハロルドの手にあった銃を二つとも跳ね飛ばす。
無力化は完了した。
私は跳躍して距離を詰める。
「ちっ……金縛りか……!」
「ご名答。ほんの少しだけ時間をもらったわ」
一本使い切ったのだけど、他の拡張もしているのでどれだけ保つか。
その間に話を付けなければ。
「はは……俺の負けだ。どうする? 俺を取り殺すつもりか、エーリカ・アウレリア!」
憔悴しきったハロルドが、叫んだ。
瞳の奥には憎しみが燃える。
「そんなことしないわ。私の話を聞いて。お願いよ、ハロルド」
私はハロルドに歩み寄る。
「ねえ、忘れてしまったの? 私の相棒になりたいって自分を押し売りしてきたのは──」
私は逆さまにもったあの浮遊の短杖の持ち手を彼に見せつけた。
自分の作ったものなのだから、私の知っているハロルドならわかるはずだ。
「ハロルド、あなたよ。だから今更コンビ解消なんて許さないから!」
ハロルドが杖を凝視する。
金縛りが解けたのか、彼は杖に手を伸ばした。
「は……どういうことだよ……いや、それ、俺が作った短杖? なんでこんなものがあるんだ??」
「あなたはね、あなたが作った杖に負けたのよ」
ハロルドに短杖を渡す。
彼は、すこしだけ躊躇してから、大事そうに握り締めた。
そして、じっとその杖を見つめる。
「なんで俺のが? 俺が作った短杖? 俺はあの日、父さんが、くそっ、父さんは……お前のせいで……」
「お父様はちゃんと生きてるわ。そのために二人でノットリードを走り回ったわよね?」
「あ、二人で……?」
ハロルドが戸惑いながら、私を見た。
「銀器の代わりに磁器製造で経済状況も回復して、酸化コバルトを使ったガラス細工まで名産になりつつあって、トゥール家との関係も良好で、ウルス辺境伯ハーランも資金を引きあげずに、むしろ潤沢に回している。その上、あなたは夢だったリーンデース魔法学園に入学している上に、特に優秀な錬金術師なのよ! 忘れたなんて言わせないわ!」
私は一気に捲し立てた。
「あ、あ、あ〜〜〜〜〜〜〜〜……!」
ハロルドが目を見開いた。
「ギルベルトの兄貴、旦那、磁器、父さん、殿下、先生、それに〈炎の剣〉……! な、なんだよ、この夢みたいな怖くて幸せな記憶は……」
ハロルドは短杖と私の顔を何度も見比べ、目を瞬かせた。
「ああ〜〜〜!! あんたを忘れるなんてどういうコトだよ!!」
「びっくりするわよね? 私もすごく驚いちゃったもの」
「びっくりしてるのは俺だってば!」
ハロルドが恨みがましい目で私を睨む。
よかった、いつものハロルドだ。
「今さ、俺の記憶っていうか、人生が二つ分あるんだけど、どういうことなの?」
ええっと。
なんだっけ、分岐世界とか別の可能性とかって説明すれば良いの?
どうしよう、それで納得させる自信がゼロだ。
「ごめん。説明すると長いし誤解させそうだし、第一私も全てを把握してないわ」
「えええ〜〜〜〜、マジで???」
ハロルドが頭を抱えて天を仰いだ。
「でも今たぶん最高に正念場なの。だからお願い、助けて、ハロルド」
「あのねえ、俺ぜんっぜん状況掴めてないんですけど!」
「そこを何卒」
食い下がってお願いする。
私だってこの状況を正確にはつかめてない。
ていうか自分の死体が転がってる場所で、長年の友人と殺し合いに近い戦闘をしてたなんてどう掴めばいいのか。
ハロルドが頭をボリボリ掻き毟りながら形容詞しがたい声を上げた。
濁点のついた「あ」みたいな音だ。
「ああああ〜〜、もう! あんたがそう言うなら俺は絶対言うこと聞くって決めてんだ」
「ほ、本当? やった!」
頭を抱えて奇声をあげているハロルドの横で、わたしはガッツポーズをとった。
「はいはいはい、それで俺はな〜〜〜にをど〜〜〜すればいいわけぇ〜〜〜?」
「それは──」
ヤケ気味なハロルドに説明をしようとした瞬間、いきなり目の前の景色が変わる。
ハロルドと私の位置関係はそのままで、例の電車の中に転移していた。
「言質はとれたみたいね」
ドロレスは私の真横にいた。
「おわ!?」
ハロルドは後退りしようとしてバランスを崩し、床に膝をついた。
「よろしく、ハロルド・ニーベルハイム三世。期待してるわ」
ドロレスは仁王立ちして、ハロルドに向かって陰気な笑みを浮かべた。
「ってこの人、あの人工精霊のヒト? ってどうして? 何年も前に変死してるって言ってなかったっけ」
なぜか俄かに車内が暗くなり、ドロレスは足元からの光で照らされる。
そう、怪談の演出みたいな光の演出である。
「ひっ、こここ、今度こそ本当の幽霊なの〜〜〜〜!?!?」
ハロルドは恐怖のあまり床を這いずって逃げようとしていた。
「うふ、説明は私が懇切丁寧にしてあげるわ、ハロルド・ニーベルハイム三世」
「ひぃぃぃぃ〜〜〜!」
ドロレスは獲物を追いつめるようにハロルドを追いかける。
「まあ、幽霊だったら楽しかったんだけど私は人間よ。ただのニンゲン」
ドロレスがパチンと指を鳴らすとまた車内は明るくなった。
「へ……どういうコトだよ?」
「あなたには大事な役目があるのよ。あなたは私の計画の欠くべからざる部品ってわけね」
「へ?」
「あなたの相棒とは違って、わたしは懇切丁寧に説明できる知性を持っているから、安心なさい」
ハロルドをからかった後にドロレスはニヤッと笑った。
「さて、エーリカ。エドアルトから貰った星水晶、ある? あるなら、それを頂戴」
八歳の頃にお兄様からもらった星水晶のことなら、当然持ってきていた。
私はネックレスを取り出して、ドロレスに渡す。
「え、ええ。これが?」
「はい、ハロルド。受け取って」
ドロレスは星水晶の首飾りをハロルドに渡す。
「兵器製造の材料よ」
「あっ、はい」
「後でエドアルトに会ったら『星の光を受け取りに来た』とでも彼に伝えて。そうすれば残りの材料も揃うわ」
材料ということは何か作るんだろうけど、なんだろう?
「さあエーリカ、早く二人目も迎えに行きなさい。もたもたしてると間に合わなくなるわ」
問いかけようと口を開きかけた私に、ドロレスが声をかぶせてきた。
まあ、仕方ないか。
二人目を迎えに行こう。
☆
私は次の車両へ走り始める。
またドロレスの声で車内アナウンスが響く。
「行き先はリベルモンストロルム 第二の物語」
「犠牲者の名はオーギュスト・イグニシア」
「怪物の名は獣身天使」
「大事なものを忘れて空を飛んだ王子は、再び地に落ちることになった」
「誰も彼も嫌いだけど、一番嫌いなのは自分。あれほど飢え焦がれた空を飛んでも、己の虚無は埋められない」
「欲しいものを得たはずなのに空っぽ。大事だったものを失って、もう何をしても満たされない」
「そんな王子に身を尽くして身を尽くして、そして成れの果てに落ちた天使は」
「最後にただの獣になって人間を食らった」
「場所はリーンデース魔法学園内部。今度はあなたが死んだ直後になるわ」
先ほどとは別の列車が近づいてきて、並走する。
その列車はこちらの列車と速度を合わせ、完全に並んだ。
硝子越しに、焔が揺らめいて消えた。
車両を埋め尽くさんばかりに舞い散る、白い花びら。
花吹雪の中で立ち尽くす薄い金髪の少年は、自分の掌についた一筋の傷を茫然と見つめている。
振り向いた少年と一瞬目が合うが、彼の瞳は何も映してはいなかった。
車両は静かに止まった。
ドアが開く。
「今よ。乗り換えなさい、エーリカ・アウレリア」
「ええ、今行くわ」
乗り換えると、私は見知った空間に降り立った。
リーンデースの魔法学園内、礼拝堂。
学園で最も清浄なはずのその場所は、むせ返るような血の香りに包まれていた。




