原初の模様7
徹夜で三体のゴーレムをほぼ完成まで仕上げた私は、次の日の午後の授業が終わった時点でも元気だった。
作業興奮のおかげかな?
ぜんぜん眠く無いし今日も頑張ってしまおうかな?
実験の日の夜まで微調整を繰り返して完成度を少しでもあげよう。
試験用の道具作って、精度を調整すれば完璧なはず!
そんなことを考えながら、次の授業のある教室へ向かっていた時。
「エーリカ」
後ろからクラウスに呼び止められた。
「クラウス様」
「少しばかり話をしたいんだがいいか? 次の授業までには済む程度だ」
クラウスは、本校舎の回廊をさっと見回して結界を展開する。
これで他人には私たちの会話は聞こえなくなった。
おや、なにか大事な事柄なんだろうか?
クラウスはじっと私の顔見て口を開いた。
「お前、昨晩寝てないんだろ?」
「……そんなにバレバレですか?」
私はそっと自分の頬に手を添えた。
目の下に隈が出ていたりするんだろうか。
「見た目で分かったわけじゃない。エドアルトが例の研究の件で徹夜作業していたからお前もじゃないかと思ってな」
なるほどね。
お兄様も昨晩は徹夜で作業してたわけか。
このお話ぶりからするに、クラウスは今日すでにお兄様に会ったんだろうな。
「それで、本題だが……例の幽霊屋敷、俺も行くからな」
「ええっ!?」
「ハーファン公爵領にもカカオの栽培可能な地域があるから、視察も兼ねてどうかとエドアルトが誘ってきた」
「そうなんですか。それはいいアイディアですね」
カカオ栽培の業務提携や技術供与をするということか。
ハーファン産のチョコレートが数年以内に名産になっていたりする可能性もある。
素敵な話だね。
「その礼に、お前たち兄妹をハーファンのその地域に招く案を思いついた。ハーファン南東の島だ」
「おお、光栄です!」
「豪華客船でも用意して、アウレリア西南諸島からハーファン南東の島々へ。悪くないだろ?」
「わあ、それは素敵ですね」
来年の素敵な夏の約束が、さらに素敵になってしまった。
「食べ物が旨くて風光明美な上に、海底は地下に沈んだ大陸があるという伝説がある」
「海底に沈んだ大陸!?」
この世界にもアトランティスとかレムリア的な伝説あるの?
そういえば、昔どこかで聞いたことがあるような。
なかなか夢のある話だ。
「実は伝説じゃ無くて、本当に大陸があったんだが、暴走した大魔法で沈んだというのが真実だ」
「ハーファンの方々もけっこうやらかしてるんですね?」
「詳しく言うなら、例の原初の模様で発生した大災害だ」
これが、立ち話にも結界をかけた理由かな?
確かに、あまり他人には聞かれたくない内容だ。
「エドアルトには昔からその海底に行ってみたいと言われていたのだが、ずっと話を逸らしていた。しかし、もうこの程度の一族の恥部的な秘密なんて、大した事が無い気がしてきてな……」
「え、ええ…そうですね」
私は奇譚蒐集者の会での告白大会を思い出した。
狂王の新たなる器、因果を改竄し続ける魔法使いの一族、吸血鬼による堕天の陰謀……異世界からの転生者……。
まあ、過去の大魔法で大陸を沈めたくらい、そんなに驚くことじゃないかな?
「そう言うわけで、エドアルトが待望しているだろう海底探索に、俺も付き添うつもりだ」
「クラウス様、良いのですか? それに兄への負債でさんざん苦しんでいたのでは……」
「今は、この程度の観光費用を出すくらいの余裕はあるぞ」
でも、けっこう費用かかるよね?
クラウスだけに負担を強いるのはなんだか悪い気がする。
あとでこっそり客船の費用とか補助を申し出よう。
「それに、こんな気の滅入る状況だ。少しは楽しい予定を入れるのも悪くない。お前も少しは楽しい気分になったか?」
「はい、楽しいです!」
「実際この話をしていると、目がキラキラしてくるな、お前」
呆れ顔のクラウスが、口の端を上げて笑った。
「過去の伝説が実はこうだった……みたいなの割と好きですよ?」
長年吸血鬼の痕跡ばっかり追ってきた私としては、そりゃ楽しい遺跡探索のほうがいいわけですよ。
血の匂いのしない、すてきな古代遺跡。
改造済みの謎の人骨が大量に沈んだりはしていない海底。
「ちなみにだが、これは万が一のことが起こっても行くとエドアルトと約束した」
「……それは」
「万が一、来年の夏にブラド・クローヒーズがこの世界にいなくても、だ」
口にしにくいことを、すらっとクラウスは口に出した。
つまり、これはエドアルトお兄様のメンタルケアのための企画なのだ。
「クラウス様、感謝します。でも……」
「でも?」
「どうしてここまで気を遣ってくださるんですか?」
クラウスは深くため息を軽くついてから、言いにくそうに口を開いた。
「これは秘密だが、俺はエドアルトからブラドと間違って呼ばれたことが何回もある」
「……!」
「俺の推測だが、エドアルトはクロード・ルーカンラントの例の事件以降ブラド卿が身近にいなくなって寂しいが故に、俺を側に置いていたような気がしてならないんだ。しかも、無意識にそうしていたんじゃないか?」
けっこう正解な気がする。
借金の件もあるけど、きっと多分そういうことだ。
便利な魔法使いが側に欲しかっただけでなく、それは無意識に代替が欲しかったから……。
「エドアルトにとって、それくらいブラド卿は隣にいて当たり前の存在だった。そんな存在がこの世界から居なくなるとあっては、あの男も相当に堪えることだろう」
「そうですね」
クラウスの申し出は、正直有り難い。
表面には現れにくい兄の喪失感を見てきたからこそ、こう言ってくれているのだろうし。
「それでなんだが、ついでにオーギュストも誘おうかと思っている」
「ついで、なんですね」
「俺はあいつの心根はわからんが、辛そうな雰囲気くらいは分かる」
クラウスは少し気まずそうに目を逸らした。
不器用なクラウスなりの、思いやりのお裾分けなんだろうな。
「あとはアクトリアスも……。いや、ここまで来たら、奇譚蒐集者の書庫に集まった者達の中の希望者全員連れて行くか」
「ええっ、まさかハーラン卿が申し出てもですか?」
「ああ、俺は寛容を学習中だ」
クラウスはウィンクしようとして両眼を閉じた。
その表情に、私はうっかりむせてしまった。
「げほ、ごほ……クラウス様の表情筋って、その」
「言うな! くそっ、どいつもこいつも出来るのに、なぜ、俺はーーーーっ!」
「ウィンク出来ないのになぜ、このタイミングで……」
「バカにするな! 三回に一回失敗するだけだ!!」
クラウスは顔を真っ赤に染めて、踵を返して早足で去っていった。
☆
私がゴーレム作成で徹夜した二日後の夜。
これから三夜連続でゴーレム転移実験が始まる。
本日は小型、明日は中型、明後日に大型の転移。
そして、その二日後の夜に、兄の作ったゴーレムの転移実験をする。
今夜は、兄が不在だ。
ゴーレムの調整に時間がかかっているらしい。
今夜は兄の代わりに、アクトリアス先生が介添する。
私とブラドだけではどうにもならない問題が発生した場合のため、つまりクロード・ルーカンラントが出現した場合のためだ。
最悪の場合だけど、絶対無いとは限らない。
クロードはこの学園の結界を掻い潜って学園に出現する可能性があるのだから。
もちろん私にはティルナノグとパリューグという心強い仲間がいるのだけど、この二人に任せると私が呪詛に感染してしまう。
「いざという時は、回避をお願いしますね、ティルナノグさん」
『二人とも抱えて逃げ切ってみせるぞ』
アクトリアス先生はティルナノグといざという場合の相談中だ。
「はい。あなたはけっして彼とは戦わないでくださいね? 手加減の難しい相手です」
『実際に戦ったお前が言うのなら、その通りなのだろうな』
私の肩に乗っているパリューグもうんうんと頷いた。
パリューグは正体をバラしていないので、こう言う相談には参加できないのである。
ちなみにいざと言うときは、パリューグが各人に伝令する係をやる予定だ。
光の速さで、全員が金狼捕獲作戦にアサインできると言うわけである。
「では頼む。エーリカ・アウレリア」
私はブラドにゴーレムの仕様を伝える。
歩行速度、熱源の素材と温度などなど。
「……黄昏石か」
「問題がありますか?」
「予想外に好都合だと思ってね。私にとって観測しやすいかもしれない」
なるほど、精神感応の力を持った人には都合がいいのかな。
いつもの如く、ブラドは実験を開始した。
回廊に光の模様が浮かび上がった。
私はゴーレムに耐熱ガラスの小壜にいれた黄昏石を格納する。
「ここにゴーレムを配置したまえ」
「はい!」
ブラドの指示に従い、小型ゴーレムを模様の上に置く。
私が置いたゴーレムは、するすると光の模様の上を歩いていく。
突然、鳥の大群が飛び立つ音が広がるかと思うと、獣の声が混じり始めた。
前から時々聞こえてた獣の声。
でも前よりもずっと近い。
嫌な予感がする。
だってこの声は、仲間を欲している狼の遠吠えに聞こえる。
──クロード・ルーカンラントの前触れのように感じてしまう。
しかし、直ぐに床に落ちたビー玉が転がっていくような音が広がり始めて、獣の音はかき消されていく。
「……ねえ、ブラド、これはうまく行ったのかい?」
「ああ。完璧だ」
アクトリアス先生が尋ねると、ブラドがわずかに声を弾ませて答えた。
ブラドは私の方を向いて口を開いた。
「君の作ったゴーレムは寸分違わず踏破し転移してくれた。君はあの兄に劣らないゴーレム作成者のようだね。心から感謝する」
「恐れ入ります」
私は軽く頭を下げる。
日頃厳しい人にべた褒めされるって照れ臭いね。
「このまま順調に人と同じサイズのゴーレムの転移に成功したら、次は君自身を試すんだったっけ?」
アクトリアス先生がブラドに尋ねた。
「ああ、そうなる」
ブラドの答えに、アクトリアス先生はとても悲しそうな顔した。
「……やっぱり寂しいなあ。こんなことを口にするのは控えなければと思ってたんだけど、どうしてもね」
結局、一番素直な感情を漏らしたのはアクトリアス先生だった。
「転移寸前で中断する予定だ。なにも心配することはない」
「でも、嫌だな。とにかく嫌だ」
「感情的な意見だ。理性的ではないね」
「その通りだよ。どうしても嫌なんだ。胸のここのところがやっぱり苦しい」
そう言って、アクトリアス先生は胸の心臓の上を押さえた。
ブラドは長く息を吐く。
「予想外な事態が発生した場合や、急激な身体の吸血鬼化の兆候が現れた時に切り札として転移を使うだけだ。いきなり駄々っ子みたいになるな、エルリック。君は私を困らせたいのかね?」
「そうじゃないよ。散々理性的な説明を受けたし、理性ではわかってるつもり。でもね、そんな切り札を君が選ばなくてないけないことが嫌なんだ。だって、永遠のお別れだよ? ああ、……でも」
瞳を閉じたアクトリアス先生の目の端から涙が溢れた。
「君の魂がそれを望むなら私は止めようがない。君の命も意志も、君だけのものなのだから」
「……エルリック」
ブラドは虚を突かれたような表情を一瞬浮かべた。
「この言葉を私にくれたのは君だ。だから私もこの言葉を君に贈る。お別れは嫌だけど、友達だから止めないんだ」
アクトリアス先生は手の甲で涙を拭った。
「あはは、困ったなあ。歳を取ると涙もろくなるね」
「君は昔からそうだったがね」
「それは言わない約束じゃないかな。それにね、教え子がいる前で容赦ないんじゃない?」
アクトリアス先生とブラドが私に視線を向ける。
この二人が生徒の前で口論するのは前にもあったし、今更な気もするけど……。
私は瞳を閉じて、そっと耳を塞くフリをした。
「わああ、どうしよう、ブラド。慮ってもらってしまった……!」
「仰々しくバレバレな演技……いかにもエドの妹らしい空々しさだ」
「いえいえ、本当に何も見てないし、聴いてないですからね? おっと、私今から急ぎの用事があるんですよ!」
私の言葉を聞いて、アクトリアス先生とブラドは吹き出した。
「用事? こんな時間にかい?」
「白々しい嘘もほどほどにしたまえ」
「積もるお話はお二人で。出来れば兄も混ぜてやってくださいね。では、お先に失礼いたします!」
私は踵をくるりと返して、一目散に駆け出したのだった。




