原初の模様6
原初の模様による転移実験は順調だった。
何種類かの魔獣の転移が無事に行われた後、ついに次回はゴーレムの転移を試すことになった。
その日の午後。
私とエドアルトお兄様はブラドの私室に招かれた。
「それではいいかね? 君たち二人にはこの模様を踏破するゴーレムを作ってもらいたい」
ブラドは机一杯に紙を広げる。
目の前に広げられた資料をじっと見つめて、私はしばらく言葉を失った。
「これは……」
あの回廊に立ち会った時間と比べると驚くほど長い距離だ。
マラソンコースかな、と思うくらいには長い。
それにグルグルと渦巻いているナスカの地上絵の猿っぽい箇所などもあり複雑だ。
「かなりの長距離だね。この距離を半刻ほどの時間に移動していたのかい?」
兄がブラドに問う。
「原初の模様を踏破し始めたものはすでに、歪曲された時間の上にいるのでね」
「歪曲?」
「私たちが観測できる実験対象の踏破は圧縮されたり一部省略されている、ということだ」
なるほど。
私たちが見てるのは早送りとかカットされた映像みたいなものってことだよね。
しかし、この長距離……小さな魔獣は大変だったろうな。
それからブラドから細かい指示が続いた。
どのくらい精密に移動すればいいのか。
移動速度やゴーレム本体の重さについて。
使ってはいけない素材について。
きっちりとした仕様は作り手にはありがたいものだ。
私が小型ゴーレム・中型ゴーレム・大型ゴーレムの作成を担当することになった。
兄はブラドとまったく同じ体型をした、ブラドのように動くゴーレムの担当だ。
作成するゴーレムの数は私の方が多い。
でも、ブラドを採寸して、ブラドと比べながら動作調整する必要のある兄のほうが難易度が高く時間もかかる。
ブラドは私と兄を交互に見てから口を開いた。
「さて、なにか疑問点や不確かな部分はまだあるかね?」
「僕は大丈夫かな。きっと君に完璧なゴーレムを贈れるよ。エーリカはどうだい?」
「私も大丈夫です」
次にブラドは実験の日程を伝えた。
小型ゴーレムは三日後、中型ゴーレムは四日後、大型ゴーレムは五日後。
そして兄の担当は八日後。
作成期間としては十分だけど、急いで作った方が良さそうだ。
☆
ブラドから発注を受けた後、私はハロルドの工房に直行した。
何故作業場所をここにしたかというと、迷った時に他人に意見をもらえるからだ。
お兄様でも当然良かったのだけれど、現在兄もまたブラドの採寸作業中なのである。
「忙しいところお邪魔することになって悪いわね」
「いいよ、いいよ。俺、エーリカの作業見るのけっこう好きだし。作業机の半分と部屋の半分好きに散らかして」
ハロルドは親指を立ててウィンクした。
お言葉に甘えて私はハロルドが座ってる場所の斜め向かいの場所に椅子を移動して座った。
さあ、作業に取り掛かろう。
まずは鞄から材料と工具を取り出しす。
ゴーレム本体の素材は、星鉄鋼をメインにして、天然樹脂、木材、皮で細部を仕上げよう。
ゴーレムの核に何を使うかも迷うな。
まず最初に小型ゴーレム──人形のような二足歩行の小さなゴーレムから作成しよう。
イメージとしてはアクションフィギュアのような感じだ。
全体と可動部の設計図をざっと描く。
熱源の格納部は──そうだ、熱源も決めなきゃ。
原初の模様の踏破はかなりの長距離だ。
小型・中型・大型のゴーレムのそれぞれがフルマラソンの距離を走るための適切な、熱源。
大型は以前にトリシアさんに貰った熱源がいいだろう。
あれは飛行ゴーレムに使えるほどの、大馬力だった。
では、中型と小型は何がいいかかな?
人間の足で二・三時間はかかる距離を、それより小さいゴーレムが進むのだから、もっと時間がかかるよね?
火蜥蜴みたいな生き物も使えない。
他の生き物を一緒に送るのは今回の実験に不都合とブラドから説明を受けている。
「ねえ、ハロルド」
「は〜〜い、なんだい、お嬢さん」
「長時間稼働する、小さくても強力で、安全で、非生物の熱源なんてある?」
要件多すぎるけど大丈夫かな。
まあダメだったら明日お兄様にも相談しに行こう。
「長時間ってどの程度?」
「できれば二十時間、ダメなら十五時間でもいいわ」
「温度はどのくらい?」
「重量四キログラム程度のゴーレムを、人間の歩行速度で動かせるくらいの温度があったら十分よ」
「ふう〜〜む……」
ハロルドがゴーグルを頭に上げて、首を傾げたポーズで固まった。
「ああ〜〜、そういうの、ばっちりあるよ! 黄昏石は光と熱を保持し続ける特性があるじゃん?」
黄昏石は、人の精神に感応して震える希少な貴石だ。
そんな特性もあったなんて。
こういうアイデアがするっと出てくるあたり、さすがハロルドだ。
「ここに在庫ってある?」
「ちょっとまってね! 探すから」
ハロルドは材料を保存している鞄を開いて、探していく。
「黄昏石、黄昏石、黄昏石は〜〜……イクテュエス南部及びカルキノス北部の特産で〜〜……」
「めったに市場に出回らない希少鉱物でしょう? 私も小さな欠片ぐらいしか持っていなかったわ」
「そうそう、コネがあれば楽勝だけどコネがないと絶望的で〜〜……」
あるといいなあ。
ハロルドの人脈の力に期待。
「昔、短杖屋のお得意さんに譲ってもらったような、ないような……記憶がちょっと曖昧でさ……よっしゃ、あった!」
ハロルドが作業台の上に小さな小箱の山を作った後に、やっと取り出した小箱を掲げた。
「言い値で買うわ」
「そういう他人行儀なのはよしてってば。あんたと俺は相棒なんだからさ……それに、例の実験に必要な急ぎの仕事でしょ?」
「……ありがとう、ハロルド」
申し出をありがたく受ける。
ハロルドが箱から取り出して、私に見せてくれた。
黄昏石は、その名の通り黄昏時の空を固めたような結晶だ。
ハロルドはアルコールランプに火をつけ、その上に水の入ったフラスコを置いて、言った。
「直接加熱すると割れちゃうから、こうやってゆっくり温めてね?」
フラスコの中に黄昏石の結晶を二つ投げ込む。
加熱すると、その色合いが美しく揺らめいていく。
私は黄昏石を加熱している間に、ゴーレムの作成を開始した。
削り・切り取り・曲げ・七十二文字のゴーレム文字を刻み込み、丁寧に仕上げていく。
黙々と作業して、五時間ほど経った頃には二体仕上がっていた。
我ながら仕事が速い!
加熱した黄昏石をピンセットでつまみ出して、ゴーレムの熱源入れに格納する。
すると、すぐさまゴーレムは足を動かし始めた。
うんうん、動作もいい感じ。
我ながら仕事が丁寧!
さて、自画自賛はこれくらいにして、次の作業に取り掛かるとするか。
最後は二メートル程度の大型ゴーレムだから、繊細な作業はいらない分だけ楽だ。
「速いね……ほんと、あんたの指先は本当に器用だな」
ハロルドが私の仕上げたゴーレムの歩く姿を眺めて言った。
「それに、あんたの作業してるときの姿もいいよな。背筋がしゃんと伸びてて、動きが綺麗でさ。特に指先が綺麗」
「そうかしら?」
「俺はほら、ちょっと猫背になっちゃうし、集中すると時々むちゃくちゃ変なカッコしちゃうし」
確かにハロルドはよく変なポーズで作業している。
椅子に片膝立てて机の上で細かい作業していたり、恐ろしく傾いたまま素材を削っていたり。
でもまあ、長年一緒にいたせいで、あんまり気にならないのだけどね。
「あ〜、でも、なんかさ……」
ハロルドはなんだか腑に落ちないような顔で頭をガリガリと掻いた。
「今日のあんたの指先には迷いがあったように俺には見えたよ。心がかりでもあるの?」
なんだろう。
作業中は無心でいたつもりなのだけど。
いや、お兄様とかオーギュストの心配してたな。
付き合いは短いけれど、私もなんだかブラドのとの離別がだんだん寂しくなってきたし。
それに、クロードについての疑問もずっと頭の中にあるな。
彼がどうして学園にいたのか?
私は何か、見落としていないだろうか。
でも、こんなことをハロルドに言っても、怖がらせてしまうだけだ。
「特にないわ」
「嘘でしょ? あんたが手の内バラした後だと、あんたの嘘がよく分かるよ。俺を心配させたくないんでしょ?」
バレている。
正しくは、心配させたくないんじゃなくて、怖がらせたくないのだけど。
どう答えようかと迷っているうちに、ハロルドが畳みかけてきた。
「まだ子供の頃はあんたのこと全然分かんなくてさ、少しばかり歳とって少し分かったと思ったらやっぱり全然分かんないし。でもそういうの、なんか嫌なんだよね。俺たちほら、友達なんだからさ」
ハロルドが作業用の革手袋を外して、作業机越しに手を差し出してきた。
「ええ、せっかくだし少し聞いてもらおうかしら」
私も手袋を外して、ハロルドの手を握った。
ハロルドは嬉しそうに握手した手をぶんぶんと揺すった。
「俺はなんでも聞くし全部秘密にするからさ」
繋いだ手を離してから、ハロルドと私はそれぞれの椅子に腰を落とした。
確かにため込んでいるのは良くないな。
オーギュストにはあんな風に言っていたくせにね。
「……クローヒーズ先生の件で、お兄様や殿下のことが心配なのよ」
「そっか、そうだよねえ……エドアルト卿にとっては幼なじみだし、殿下の師なんだろうし」
ハロルドが悲しそうな顔をした。
「師匠かあ……、俺は俺の師匠には、今度生まれるギルベルト兄貴の子供が成人して師匠のひ孫ができるくらいまで生きてて欲しいなあ」
ノットリードで知る人ぞ知る短杖店を構えている、禿頭の老主人を思い出した。
まだまだ闊達そうだから、それくらいは大丈夫そうな気がする。
「あ、ヤバい、……なんか色々考えたら俺までなんか、こう」
「大丈夫よ。あなたの師匠なら素敵な息子や娘に囲まれて健康に暮らしているでしょうし」
唯一の心がかりだった末息子のギルベルトは、今や白磁製造業をノットリードにもたらした名高い錬金術師だ。
私は清潔なハンカチをハロルドに投げて渡す。
「ありがと」
ハロルドはそのハンカチで目周りを軽く拭った。
「大丈夫?」
「大丈夫。まだまだどんどん聞くよ。まだなんかあるの?」
「……クロード・ルーカンラントの侵入経路」
「ああ〜〜〜、確かに」
「まだ何か……見落としているんじゃないか、不安なのよ」
その日の夜は、ぽつりぽつりとハロルドに懸念事項を話しながら、大型ゴーレムを作って過ごしたのだった。




