原初の模様5
ブラドの異世界転移実験はそれから着々と続いていった。
棒切れの蛇の次は、生命体の転移。
被検体にブラドが精神感応によって乗り移った状態で模様の踏破を行った。
データの検証のために、実験は一晩に一種類。
まずは魔力を持たない生き物を試していった。
蛇。
ハツカネズミ。
大鼠。
全ての結果は、最初の棒切れの蛇と同様に成功した。
次からは、魔力をもつ生命体──魔獣の転移だ。
☆
その日の放課後もまた、走り込みの訓練の後に、いつもの如く保健室へ向かった。
室内にいるのは、私とティル、クロエとベアトリス。
もちろん校内医としてのハーランもいる。
「例の実験、次は魔獣転移になるそうよ」
私は、ブラドの実験が順調だと皆に伝える。
「よかった。あの日頑張った甲斐があったね、ベアトリス」
「うん、そうだね、クロエちゃん」
例の吸血鬼事件後の「首なし王子の霊安室」。
リエーブルの姿をした吸血鬼は「古い結界のせいで霊安室は固定されている」と私たちに話していた。
しかし学園の調査によって、例の汚染祭壇周辺に転移済みであることが発見されたのだそうだ。
そしてその深さを見込まれて、実験に邪魔な氷銀鉱の剣の格納場所に選ばれたわけだ。
運び手はクロエ。
地上で氷銀鉱の影響現象を測定していたのがベアトリスである。
二人の苦労の甲斐あって、氷銀鉱の影響を最小限に留めて実験できている。
「そういえばシトロイユさん、書庫の彼女とは最近どうですか?」
「はは……」
私が話を振ると、シトロイユは枯れた笑顔を浮かべた。
「──そうですね。すこぶる口が悪い事を除けば彼女は非常に便利ですよ」
シトロイユは、人工精霊ドロレスとコミュニケーションを再開していた。
万霊節から一ヶ月後、今から約二週間ほど前にやっと再起動した、書庫の人工精霊ドロレスである。
「現在、修道騎士からの情報の精査に付き合ってもらっています。なので、過去の金狼王子と思わしき事件に近似した事柄があったら、すぐにわかるはずです」
修道騎士たちからの情報を一手にまとめているのはハーランだ。
その彼が夜間に各地の情報を集積し、人工精霊ドロレスの助けを得て精査しているわけである。
「まあ罵倒は非常に厳しいですがね」
ハーランは柔らかく微笑みながら額を押さえた。
きっと過去の瘡蓋を引き剥がすような嫌味を言われてるんだろうな。
可哀想に。
「大変そうなら私とベアトリスで替わるよ?」
心配そうにクロエがハーランに問いかける。
「辛くないですよ、クロエ様。こんな頼り甲斐のある協力者を得られたのは僥倖です。罵られた程度では折れませんよ」
「そっか〜〜〜」
「ひとりっきりで悩むよりは余程マシです」
「ふむふむ……そうかもね」
「こういう独り言を呟いた矢先にあの人工精霊は『馬鹿の考え休みに似たりだものね、ああ〜〜、北方人って本当に可哀想』と煽ってくるわけですが、それでも、役に立ちます」
「そ、そっか〜〜」
微笑むハーランに対して、クロエが首を傾げつつも納得の姿勢を見せていた。
「あっ、そうだ、クロエちゃん、エーリカ様!」
ベアトリスがふっと声を上げた。
「例の店、えっと、借家調査の時に寄ったお店の季節のデザートが、二週間後切り替わるらしいんですよ。その、こんな時期に不謹慎かもしれないんですが、その」
「わあ〜、いいね! 行こう行こう!」
クロエは大喜びで即答した。
「素敵。私も賛成よ」
一応、この都市自体はまだ安全だ。
何かに怯えて、何も出来ないのはちょっともったいない。
「ははあ、いいですねえ。甘いもの」
「ハーランもおいでよ、そうだよ、ストレス解消には甘いものだよ〜〜!」
「いえいえ、クロエ様。こんな初老の男がそんな」
「あら、ハーラン卿は、見た目とてもお若いですわ。それに、せっかくの主君のお誘いを無碍になさるのですか? それも態々あなたを労ってのお誘いだというのに……?」
にっこり微笑んで、ハーランに圧をかけた。
「……うっ」
ハーランは胸を抑えた。
おや、どうしたんだろう。
この程度の圧で凹むような柔な人ではないはずなのに。
「ダメだよ、クロエちゃん! エーリカ様もですよ。」
ベアトリスが私たちを引き寄せて、耳元で小声で呟いた。
「おそらくこんな会話を過去にしてて、懐かしさと同時に辛い思い出が蘇ってきてるんですよ。残念なことにクロエちゃんとエーリカ様のシトロイユさんを労う気持ちが大ダメージを与えてます……」
あ〜〜、そういうことなのか。
クロエの母君と私の母で、こんな風にハーランを挟んでいたのか。
そういえば以前、私の顔を凝視した後にめちゃくちゃ鬱気味なこと呟いてたよね?
「そっか、それじゃ仕方ないかな。ごめんね、無理強いしちゃいそうになって」
「いえいえ、大丈夫です。是非俺を連れて行ってください。大丈夫ですから。ウキウキしすぎて今日から腹を減らしておこうかと思うくらいですよ、あはは!」
クロエが寂しそうに呟くと、ハーランがすごい勢いでOKを出してきた。
すごい忠誠心だ。
「いいの?」
「当然です」
「やった〜〜!」
一瞬にして喜色満面になったクロエが両手を上に上げて喜ぶ。
「あれ、いいのかしら」
「……シトロイユさんの中で折り合いがついていたらいいんじゃないでしょうか……ちょっと心配ですが」
私が呟くと、ベアトリスが困った顔で答えた。
☆
今夜の実験は、化け茸だ。
サイズは大きめで、人間の五、六歳の子供程度。
ブラドの踏破の後に、化け茸が道を辿ると、床に光の模様が浮き上がった。
豪雨の音。
重なり合う荘厳な虫の鳴き声。
そして遠くから獣の鳴き声が微かに混ざる。
化け茸の辿る道の先は光の果てに繋がり、その先に化け茸は消えていった。
今夜も、順調だ。
「ねえ、ブラド」
「なんだね、エド」
エドアルトお兄様が回廊の先を見つめながら、ブラドに問う。
「この転移実験中に、君はいつまで憑依していられる? 君はどこまで見えているんだい?」
「転移した後は、ほんの数秒程度だ」
「では、何かあちらのものが見えたりするのかい?」
「今回初めて、人工的な構造物の中から夕焼けのような光が見えたよ。魔力を持つ生物の方が私との精神の繋がりが強いらしい」
なんとなく異世界の草原に青空なんてものを想像していた私には少々意外な答え。
どんな建物の中だろうか。
教会とか、寺院とか?
「クローヒーズ先生、人工的な構造物とは、どのようなものなのですか?」
私もついでにブラドに尋ねる。
ブラドはチラリと私を見てから答えた。
「長方形の構造物で、側面の上半分がガラス状の物体でできている……」
「それは……こちらの世界では見られない建物ですね」
「おそらくはドロレス・ウィントの何らかの意図が、依然としてこの場所の模様に影響を与えていて、そのような場所を転移先にしているのだろうが……意図は不明だ」
なんだろう。
なんとなく私は前世で通っていた高校の廊下を想像してしまった。
「面白そうだね、ブラド!」
兄が声を弾ませた。
ブラドの決死の実験も兄にかかると楽しい世界の謎になってしまう。
思いっきり眉間にシワを寄せてブラドは拒否の表情を浮かべた。
「いやいや、流石に僕も見たい一緒に行く、なんて言わないさ。それくらいの分別はあるつもりだからね」
「この世界に飽きたら、試してみたまえ」
「この僕が、この世界に飽きるなんて、かなり老いた頃だろうね。お茶でも用意してくれるかい?」
兄はニヤニヤとした笑顔を浮かべる。
その笑顔を見て、ブラドはますます眉間にシワを寄せたが、口元は笑っていた。
「ふん、では君は当然茶菓子くらい持ってくるんだろうな?」
「当然さ。最高品質のチョコレートを持っていく。もちろん僕の島でとれた最高のだよ。この世界を去ったことを君が後悔しそうになるくらい素敵なのを君に贈呈しよう! そしてそのチョコレートの欠片を口に含んで君が流す郷愁の涙を見た僕は、この世界を捨てて行った君を心の底から哀れむんだ」
得意そうに嘯く兄を見て、ブラドが軽く吹き出した。
「そういえば……いつか君に連れてもらう約束をしていたな。あの人が戦争で王家からぶん獲った南西諸島、君が引き継いだ領地の島は、たしか良いカカオが取れるって」
「そんな昔の約束なんて、よく覚えているね。僕も片時も忘れた時はなかったけどさ」
「学生生活最後の夏に、遊びに行くはずだった」
「海で遊んでついでに近隣の島で噂になっていた幽霊屋敷に遊びにいく予定でね」
そんな予定があったなんて。
他愛ないけれど、幸せな過去の約束だ。
「幽霊屋敷か……南西諸島のとある百人程度が住む島にある無人の豪邸には、幽霊が出る」
「相続人はあれど、行方不明」
「誰も入れない上に、数体のゴーレムだけが管理しているはずの、その館の四階に窓際に映る人影は」
「絶世の美女……ほんとよく覚えてるね、ブラド」
「君こそ」
なんか似たようなシチュエーションをもう体験済みな気がする。
多分だけど、その美女も違法な技術で作られたゴーレムではないかな?
というか、これっておそらく母が生前に仕込んだゴーレム屋敷なんじゃないかな?
でも、まあ私もけっこう好きなタイプの話だ。
「怪奇譚としては、たしかに好みだが、少々俗っぽくないかね? オチもわかる気がする」
「やだな〜、そこがいいんだってば!」
「ふむ。で結局君一人で探検したのかい? 真相はなんだったんだ?」
「いいや、なんだかね……約束が反故にされてから、行く気がしなくなってしまったんだよ。だから謎のままさ」
「ふ……残念だな。私も、すこしは気になっていたのだがね」
「じゃあ、もう一度約束をしよう。この危機が乗り越えられたら、エルリックも誘ってさ、みんなで行くんだ」
「ああ、いいな、それは」
ブラドが顔を伏せて笑った。
「あら、素敵な約束ですね。羨ましいですわ、お兄様」
どうせ奇特な錬金術師の仕業……母の仕業なんだろうけど、仕事ぶりに興味がある。
絶世の美女と言われるようなゴーレム、ちょっと見てみたいよね?
さらに言えば、きっと母の顔なんじゃ無いかな?
「おや、君の妹君も幽霊屋敷に興味があるらしいが、いいのかね?」
「いいに決まってるさ! 当然連れて行ってあげるよ!」
私の申し出に渋面のブラドと喜色満面の兄。
すごいコントラストだ。
「だったら……お兄様がお母様から引き継いだ南西諸島の領地も、じっくり拝見してみたいです」
「うん、じゃあ約束だ。みんなで来年の夏にはバカンスに行こう!」
来年の夏に向けての楽しい約束。
すべてがうまくいきさえすれば手に入る、幸福な未来予想図だ。
(でも、なんだろうな。これは……)
胸になんだか重いものがどっしりと残った。
私はこの二人が、ゆっくりと永遠のお別れの準備をしているように感じてしまっているのだ。
☆
次の日は雨だった。
訓練のない放課後、私は生徒会室へと向かった。
「オーギュスト様は大丈夫ですか? というか大丈夫じゃないですよね?」
オーギュストだけなのを確認して、私は声をかけた。
山積みの書類に印を押していたオーギュストは手を止めて、眉間にシワを寄せた。
こういう表情をするときの彼は、少しだけブラドに似ている。
「エーリカ、開口一番でその問い掛けはどうかと思うぜ?」
「だってオーギュスト様はすでに一度天使様と離別しているわけですよ?」
ブラドの実験に立ち会っていて湧き上がってしまった疑問をオーギュストにぶつける。
「うわ〜〜、二言目でそれを言うか!」
「こんな短期間で、保護者的な存在を二度も喪失って大丈夫なんです? 校庭を走る程度で解消できてるんです?」
「ぐ……」
オーギュストは呻きながら机に伏せた。
「長い付き合いのヤツには、私のことなんてバレバレなんだな。クラウスとかまで私を労ってくるからな」
「えっ、あの? クラウス様が??」
「気を使われてる。辛いなってタイミングで無言で頭ポンポンしてきたりする」
相手の複雑な事情に踏み込まない誠実さと、年下の妹みたいな扱いしか出来ない不器用さ。
いかにもクラウスらしい。
「で、わざわざ私に踏み込んでくるのは、お前の係なわけだよ」
「ですよね! そうなんじゃないかなって思って、急いでやってきました!」
人を心配してる割に、自分の気持ちを優先させてしまう私は優しさが足りない。
でも、それでも、放っておくのは嫌だったんだよね。
「現在、転移は必須案件じゃありません。でもクローヒーズ先生を大事に思う人間にとっては、これは長い弔いみたいなものでしょう? 大事な人が死ぬ準備をしている横で、その人を尊重しながらも悲しみに耐えるようなことで。私は兄を見ていてそれに気がつきました」
「……そうか」
オーギュストは立ち上がって、後ろを向いた。
彼の目の前にある窓の外には、薄暗い空が広がる。
「そういうの、なかなか割り切れませんよね」
「ああ。特にこんな雨の日はダメだ。ふとした折に悲しい気持ちになる」
そう言ってオーギュストは振り返り、私を見つめた。
「でも、どんなに離れたって、変わらないものは変わらないって私は思うんだ。違うかな?」
「オーギュスト様の仰る通りだと思います」
オーギュストは目を閉じて、深く呼吸をした。
「ほら、大丈夫になれる。ちゃんと自分の気持ちをどうにかするくらい出来るんだぜ?」
オーギュストは笑って答えた。
「でも、こんな気持ちをこんな危機的状況の中でズルズル引きずってるのが私一人じゃないって知って助かった。それがあのエドアルト卿なのもな。正直、お前が私の側にいてくれるのって有り難いよ。だから……」
少しだけオーギュストは俯いた。
前髪で表情が見えにくい。
「だから、お前だけは、私の側からいなくなって欲しくないなって思う。これからもずっと、私の弱音を聞きにきて欲しい」
「ええ」
「お願いだぜ?」
私は、俯いたままの彼の顔の覗き込んで手を取り、恭しく答える。
「かしこまりました。この一命を賭しても、麗しきオーギュスト殿下の願いを叶えましょう」
目と目を合わせてしっかりと、仰々しく。
数拍の後に、オーギュストは吹き出した。
「ははは、賭しちゃダメだろ?」
「おっと、困りました。本末転倒になってしまいますね?」
「そういうとこだぜ、エーリカ〜〜! やっぱり私がお前をフォローしなきゃダメそうだな」
私の軽口に、オーギュストは笑いながらツッコミを入れてきた。
よかった、笑ってもらえた。
「だいたいお前は危なっかしすぎるし、頑張りすぎる」
「人のことは言えませんよね?」
「お互い様だからわかるんだぜ? よし、私はお前がうっかり一命を賭しそうになったら止める。決めたからな!」
「あはは、よろしくお願いしますね」
「だから、これからもずっと、お前は私の側にいる。私はお前の側にいる。約束だからな!」
オーギュストの目の端に少しだけ涙が見えたけど、私は見なかったことにした。
去り際に、私は秘蔵の焼き菓子とチョコレートをオーギュストに押し付ける。
元気のダメ押しだ。
オーギュストは元が細いから、これくらい良いだろう。




