原初の模様4
アン・ハーファンの来訪から、半月ほどが経過した日。
午前の授業が終わった私は、珍しく一人で大食堂に向かっていた。
今日はトリシアが風邪でお休み、マーキアは竜の卵が朝方に孵化したため大忙しだからである。
大食堂に到着して周りを見渡すとクロエもベアトリスも不在。
そういえば、今日は朝から一度も二人に合わなかったような気がする。
教室でも回廊でも、だ。
もしかして二人とも何か用事があって欠席しているのかな?
そんなわけで、一人で食事をとろうとしていたら、
「ほう、一人なのか。珍しいな、エーリカ」
「だったら一緒に食べようぜ? 一人じゃさみしいもんな」
クラウスとオーギュストに捕獲された。
ついでに、脇を通り抜けようとしていたハロルドもひきずり込まれて、食事を共にすることになった。
それぞれが持ち寄った話題は、現在の連合王国の状況だ。
連合王国は、これから起こりうる事態への対応を着々と進めていた。
徐々に各地の守護が固くなり、巡回や警備の兵士が増員されていた。
主要都市から辺境まで、空には竜騎士が常時巡回するようになっている。
軟禁状態にあったウトファル修道騎士たちも、反乱分子を除いた人員に再教育の後、表向きは別の組織に所属している医術師として各地の修道院・施療院に再配置された。
大陸中の魔法塔には高位魔法使いが常駐し、霊脈への介入を常時観察している。
さらには、各地の宗教施設に防御結界が展開され、食糧・寝具・衣料品・短杖などの各種物資が備蓄されつつある。
「ここまで色々してしまうと、東と北の間で軋轢が起こりそうに思えますが……」
「そこはハーファンが譲歩した部分があって、ルーカンラントも矛を収めたようだ」
私の質問にオーギュストが答えた。
クラウスもそれに頷く。
「ハーファンが長らく秘匿していた地域──封鎖都市周辺にも竜騎士を受け入れた。それがルーカンラントの態度が軟化した要因だろうな」
「封鎖都市とは一体どういう都市なのですか、クラウス様」
この流れから推測するに、秘密の軍事施設あたりだろうか。
「巨大な魔法塔を有する地図上には記載されていない都市だ。災害対応を名目に作られてはいるが、当然軍事施設としての側面が強い」
「なるほど……」
「あとはもちろん、金狼王子の被害の拡大による危機感の高まりもあるのだろう」
そう、今現在も金狼はリーンデースに向けて進行中である。
竜騎士の巡回のおかげか、村が丸ごと食い荒らされるなんて事件は起こらないようになった。
しかし、森林や山岳部で働く人間の行方不明者が増加中だという。
「うう……金狼王子……ま、まだリーンデース近隣では人も家畜も被害は出てないんですよね、クラウス様?」
ハロルドがすがるような目でクラウスに尋ねる。
「ああ、リーンデースの近隣では、まだ金狼による事件は発生していない。そう大袈裟に怖がるな」
「まあそう言うなよ、クラウス。私だってちょっと怖いんだぜ」
「オーギュスト、お前が?」
クラウスはオーギュストを怪訝そうに見る。
「うっかりして学友の兄を竜の息で焼き殺したくないだろ? しかも、感染呪詛のおまけ付きなんだぜ?」
「ああ、そういう意味か。それはたしかに危険だな」
金狼王子は、おそらく倒すだけなら簡単だ。
でも、そんなことをしたら、金狼を殺害した者が金狼になってしまう。
では、もし使役獣を使って金狼を倒した場合どうなるか?
私たちは、その獣の使役者が金狼の殺害者と判定されてしまうと予想している。
「オーギュストの竜もエーリカの幻獣も、どちらも強力な分、誤って倒してしまった時が危ういだろうな」
「ですよね……だから、不意に金狼に出会ってしまった場合は回避一択だと思ってますよ」
私は足元にいるティルナノグにちらりと視線を合わせる。
ローストチキンをかじっていた彼は親指を立てて返事をしてくれた。
「確かにな。だが学園は数日前に屍都封印結界を展開した。この状態で金狼が学内に忍び込むのは不可能に近いぞ」
現在、魔法学園は屍都封印結界が展開されている。
北大陸で最も守りの硬い場所の一つと言って過言ではないだろう。
「生命のない者、人間の魔力以上の魔力を保有する者を遮断する強固な結界、でしたよね、クラウス様?」
「ああ、第四屍都を封じるための結界であり、狂王の作った屍鬼どもや吸血鬼は行き来できない」
本来は、学園都市の地下から溢れ出てくる怪物を閉じ込めるための結界である。
それを今回は、学園外からの怪物の来襲から学園を守るために利用しているわけだ。
「欠点は、人間の肉を被った吸血鬼が対象外だということ」
「じゃあ、もしかして金狼化していない人の姿のクロードなら結界を超えることは可能だったりします?」
「ハーラン卿の話だと、クロードの魔力量は人の姿をとっていた時でも完全にヒトを凌駕していたらしい。結界は超えられないだろうな」
ハーランの話なら、信頼がおけるだろう。
「……だからこそ、エーリカの予言の中に、クロードの情報が含まれていたのが気になるよな」
オーギュストが意外な話題を口に出した。
ちゃんとあのリベル・モンストロルムの話を気に留めていてくれたんだ。
オーギュストの指摘に、クラウスにも珍しく不安な表情が混じる。
「仮にそのゲームのように、運命が別の流れを辿っていたとしても、金狼王子の出現の噂があれば、その時点でこの学園は結界を展開している筈だ」
「うん。だとすると、なぜ・どうやってクロードはこの学園に入り込んだんだ?」
確かに、クラウスとオーギュストの言う通りだ。
金狼の出現が噂されれば、この学園は厳重な結界で封印される。
それなのになぜ?
招き入れるような人間が内部にいるということだろうか?
……怖いな。
「単なる設定齟齬だったらいいのですけど、そうではなさそうですよね」
「ウィント家による警鐘と考えるのが自然だな。何かの思考の死角を示唆している可能性がある」
「それが何かは分からないが、念のため意識しておいた方がいいだろうなー」
せめてプレイしていたらヒントがもらえたのかもしれない。
「うう、こんなことなら地元の学校行けば良かったですよぉ。俺なんて、図体ばっかりデカイだけで、大したことないですからね……いざという時、怪物相手に頑張るなんて、絶対無理〜〜〜」
ハロルドがヨレヨレと弱音を吐く。
「あ〜あ〜、よしよし、私が守ってやるから泣くんじゃないぜ?」
「殿下ぁ……!」
「私だけじゃなくて、エーリカもクラウスもきっとそうだし。だろ、二人ともっ?」
半泣きになったハロルドにハグされかけたのをスルッと避けて、オーギュストは私とクラウスにウインクをした。
いろんな意味で回避性能が高い王子様である。
「ええ、もちろんよ、ハロルド。あなたは私の大事な相棒なんだし、いざという時は全力で守るわ」
「エーリカ!」
『オレもいるぞ!』
「旦那ぁ!!」
「お前がいなくなると、エーリカが困るだろうから、ついでにな」
「クラウス様まで……!」
ハロルドが感極まって、さらに涙ぐむ。
まあ、一緒にいるときなら守れるけど、それ以外が心配だ。
体質のせいで短杖で身を守れないのがやっぱり厳しいなあ……あ、でも例の訓練はどうなってるんだろ。
「ねえ、ハロルド。そういえばシトロイユさんからの銃の指導は?」
「……やってるけど、まだまだってところ。やっと的に当たるようになったくらいだよ……?」
「あら、進歩してるじゃない」
この短期間にそれだけ出来れば、素質がある方じゃないかな。
「まあね、でも実戦には危ういじゃん? 自分の足とか撃ちそうじゃん?」
「こういうときは特訓あるのみよ」
「特訓かあ……あんたの特訓のほうはどうなっているの?」
「近頃は一時間くらい走ってもそれほど疲れなくなってきたわ」
「へえ、そりゃすごいや。じゃあ、俺も頑張んなきゃだなあ……」
私だけでなくベアトリスも同様である。
そう、私たちは仕上がってきた。
でもこの調子で半年くらい鍛えたら、どんなことになっちゃうんだろう。
太腿がムキムキになってしまったり?
いやいやいや、クロエはそんな風にはなってないし、大丈夫だよね。
「そういえばクラウス、そろそろちゃんと休んだほうがいいんじゃないのか? なんか今日は一際クマが濃いぜ?」
「む、そうか?」
「ずっと教授に付き合って徹夜だろ? 何日寝てないんだ?」
オーギュストがクラウスの顔を覗き込む。
確かに目の下のクマが濃いし、目つきがいっそう悪くなっている。
私たちが顔を覗き込むと、クラウスは目を逸らした。
「……今日で七日目だ」
「七日!? いくらなんでも流石にそろそろ寝といたほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫だ。元々そのつもりだった。今朝、例のアレが仕上がったばかりだからな」
「あ〜……そういうことか。そう言えば、教授も今朝なんだかヨレヨレしてたな」
異世界転移の古代魔法がついに完成か。
見積り通りとは言え、さすがクラウスだ。
「そうだ、失念していた。エーリカ、ブラド卿からの依頼だ」
「私にですか?」
おや、意外なところから依頼が入った。
なんだろう、古代魔法なんて全然分からないのに。
「今晩から検証に入るので、お前とエドアルトに参加を願う、とのことだ」
「お兄様と私が、ですか?」
「実験の後半から二足歩行できるゴーレムの提供を依頼する予定だから、前提条件を理解してもらいたいんだろう」
「なるほど……承知いたしました」
異世界転移の実験段階でゴーレムかあ。
いきなり人間の転移は危険っぽいから、納得ではある。
「今は下準備に、クロエ・ルーカンラントが氷銀鉱の剣を首なし王子の霊安室に運んでいるところだろう」
「氷銀鉱の?」
「今の場所だと影響が大きくてな。あそこなら影響を最小限にできる」
あ〜〜、なるほどね。
氷銀鉱が近くにあると、魔法無効の影響が原初の模様にも出ちゃうんだ。
しかし、今現在、霊安室はかなり地下深くに固定された状態で存在している。
うう〜ん、あの場所に行くだけでも大変じゃないのかな。
まあ、クロエの体力なら不可能じゃないと思うけど。
あ、もしかして、これが今日一日、クロエとベアトリスに会っていない理由か。
クロエが地下に潜って、ベアトリスがいざという時のために待機しているのだろう。
☆
その日の夜。
私はティルナノグ、パリューグ、兄エドアルト・アウレリア、ブラド・クローヒーズと共に本校舎回廊にいた。
怪奇現象が始まる時間になったことを確認して、ブラドが回廊の調整を始める。
本校舎の回廊の魔法的権限が一時的に書き換えられてゆき、魔法塔から直接魔力供給されるように変更されていく。
回廊全体に渦巻くような淡い光の模様が浮かぶ。
「原初の模様は詠唱を用いない。模様の上を歩くことによって起動し、特定の経路を踏破することで完成する」
そう言いながら、ブラドは複数の感知・観測用の魔法を展開した。
彼は慎重に一歩目を踏み出す。
踏み出した足を中心に、光の波紋が広がる。
模様は波打つように蠢き、別の模様に変化した。
ブラドは感知魔法の結果を確認しながら、歩行を続ける。
前だけでなく、時には後ろや左右へ。
その度に光が弾け、模様は複雑に変化する。
ブラドは回廊の模様の上を、何度も行ったり来たりを繰り返した。
一瞬、景色が撓んで、すぐに元に戻ったように見えた。
中庭から聞こえる雨音が大きくなる。
いや、ややズレて二重に聞こえているのか。
ブラドは歩みを止め、安堵したように息をついた。
準備ができたようだ。
「まず最初は単純な転移の実験を行う。被験体としてごく平凡な物体……召喚した擬似生命体を用いる」
ブラドが数歩先に棒切れの蛇を召喚する。
再びブラドが一歩模様の上に足を踏み出すと共に、蛇が一歩分進んだ。
なんとなく、実際に進んだ距離以上に、蛇が遠くに離れたような感覚があった。
茶色い蛇が床を進むたびに、光の模様が激しく波打ち、変化した。
雨音に加えて、更に風の音・雷鳴・獣の遠吠え・金属音などが重なっていく。
あまりの轟音に、私は思わず耳を塞いだ。
ぐらぐらと体幹を揺さぶられるような感覚がして、まっすぐ立っているはずなのに倒れそうになる。
蛇の存在は、次第に希薄になっていた。
模様の輝きが視界を覆い尽くし、目がくらみそうになる。
ほんの数秒が引き延ばされて、永遠のように感じられた。
不意に、光も轟音も、平衡感覚の揺らぎも消えた。
完全な無音と、キーンという幻聴の後、静かな雨音が回廊を満たしていく。
さっきまで棒切れの蛇が這っていた場所には、何もなかった。
召喚に使った棒切れも落ちてない。
まるで初めからそこには何もなかったかのように、蛇は忽然と消え去っていた。
ブラドとクラウスの構築した原初の模様は、成功したのだ。
「ブラド、君はついに君の目指すところに辿りついたんだね」
エドアルトお兄様がブラドの後ろ姿に声をかけた。
振り返って私たちを見たブラドの頬は、わずかに紅潮していた。
そして彼の瞳は、いつもの厭世的な雰囲気はなく、まるで少年のようだった。
鈴木イゾ先生によるコミカライズ「死にやすい公爵令嬢と七人の貴公子」二巻
2021年11月15日、本日発売になります!
どうぞよろしくお願いいたします。




