原初の模様3
「オーギュスト殿下は訓練中なのですね」
校庭を周回しているオーギュストに気がついたアンは軽く会釈をする。
オーギュストは挨拶代わりにぶんぶんと手を振ってきた。
「オーギュスト! 俺は食堂に妹を連れて行くからな! 満足したらお前も来い!」
「わかったぜ〜〜〜!!」
大声でそう叫んで、オーギュストは気持ちよさそうに走り抜けて行った。
私とベアトリスも後ほど食堂で合流することを約束し、保健室へ向かう。
保健室に入ってきた私たちを見て、ハーランは怪訝そうな顔をした。
「おや、クロエ様はどうなさったんです?」
「今日は少し多めに走りたいらしくて」
塗り薬を塗布してもらったりしながら、ハーランにクロエの状態を話す。
「クロエ様は、言葉や表情にはあまり出さない方ですからね……俺も気を付けておきます」
ハーランは少しだけ顔を曇らせた。
クロエのことは心配だけど、他人があんまり踏み込んで良い問題じゃないから、難しいよね。
「あとは先ほど、アン・ハーファン様が学園にいらっしゃいましたよ」
話のついでに、私はアンの訪問についてもハーランに伝える。
「おや、魔法使いの姫君がですか」
「ええ、例の大魔法の件でらしいです。ハーラン卿もお会いになりますか?」
「今の俺が挨拶に行ってもお困りになるだけでしょう。遠慮しておきますよ」
偽りの身分のままアンに会いに行くのは、確かに難しいかもね。
とは言え、アンもいきなりウルス辺境伯ハーラン・ルーカンラントを紹介されても驚くだろうし。
「ふむ。その姫君は、やっぱりあのクラウス・ハーファンによく似ているんですか?」
「顔立ちはクラウス様に似ていますが、物腰が柔かくて、温和な雰囲気の方ですね」
「なるほど。俺が耳にしたのは、魔法におそろしく堪能な人物である、ということくらいでして」
「あら……そういう意味で似ているか、ですね?」
ハーランはにこりと微笑んだ。
魔法使いとしてのアンが、どれだけ危険か気になるわけですね。
「うーん、そうですね……」
たしか、アンの攻撃魔法の到達範囲は、二年前の時点でゆうに五キロメートルを越えていたっけ。
魔眼も用途に合わせて多種多様に使えるので、遠距離でも照準に困ることもない。
「クラウス様とは方向性が違いますが、引けを取らない大魔法使いですよ」
「はは、そりゃおっかない」
ハーランが困り笑顔を浮かべた。
仲間としては心強いけれど、魔法使いと仲の悪いルーカンラントとしては複雑だろうな。
そんなふうに私達がアンのことを話していると、クロエが保健室にやってきた。
珍しく頬が上気している。
「これをどうぞ、クロエさん。ハロルドからの差し入れよ」
「わあ、ありがとう」
せっかくなのでハロルド製の水薬を渡すと、クロエは勢いよく飲み干した。
「そうだ、そう言えばクロエちゃん! 今日は学園に魔法使いのお姫様がきたんだよ!」
「お姫様? もしかしてあのクラウスの妹? わ、会ってみたいかも!」
「きっと彼女も喜ぶと思うわ」
「だったら嬉しいな……ねえ、エーリカさん、その子ってやっぱり強いの?」
クロエの無邪気な問いに、うっかり頬を引きつらせてしまった。
もしや、今から手合わせをお願いする気なんだろうか?
「ええ……いずれはクラウス様に匹敵するほどになると思うわ」
「ふむふむ、じゃあ入学後にかまってもらうためにも、今日は友達にならなきゃね」
良かった。
今から「旧王家お姫様対決」みたいなイベントが発生しなくて。
私はクロエの友好対応に感謝しつつ、みんなで一緒に食堂に向かうことにした。
☆
大食堂を見回すと、生徒会のテーブルにハーファン兄妹とオーギュストがいた。
三人で歓談している。
私たちにいち早く気がついたアンが椅子から立ち上がって、クロエに真っ先に挨拶をした。
「貴方がクロエ様ですね。アン・ハーファンと申します。クロエ様のことは兄から伝え聞いておりました。どうか今後もよろしくお願いいたしますね」
「こちらこそ、よろしくね」
クロエはアンに柔らかく微笑んで手を差し出した。
アンはその手を取る。
「どうかアンとお呼びくださいね、クロエ様」
「うん、来年の入学を楽しみにしてるね」
「お手柔らかに願いますね」
クロエとアンは微笑みあった。
平和で良い光景だ……入学後はいい手合わせ相手になってもらえると良いね、クロエ。
視界の端に、西寮のテーブルの隅っこに座って思いっきり猫背になっているハロルドが見えた。
ハロルドはミートボールを挟み込んだパンに齧りつきながら、遠くから私たちを観察しているようだ。
──クラウス様の妹様?
みたいな感じの目線を送られたので、コクリと頷く。
──あなたもこちらに来たらどう?
という思いを込めて微笑んでみた。
ハロルドは眉間にシワを寄せて、首を横に振った。
今はそんな気分じゃないのかな?
だがしかし、彼もまた好奇心旺盛な西の人間だ。
どうせ気になって後でやってくるに違いない。
オーギュスト、クラウス、アンと並んでいる横に、私も着席する。
クロエはアンの向かい、ベアトリスは私の向かいの席に座った。
「アン様、学園はどうですか? お気に召しました?」
「はい、エーリカお姉様。早く入学して皆様と机を並べて勉学に励みたいです」
私の問いに、アンはにっこりと微笑んで答えた。
しっかり者の彼女のことだ。
もう受講したい分野とか決まってるんだろうなあ。
「私もアン様とご一緒できるのが楽しみです。何かもう興味のある分野があったりしますか?」
「ええ! 最近は古代魔法のとある分野に興味がありまして、今日は論文の写しをお借りして帰ろうかと思っております!」
「素敵ですね。どのような分野なのですか?」
「原初の模様……失われて久しい源流の魔法です」
ひっ、この子、いきなり世界改変可能な古代魔法に手を出す気だ。
……ううーん、末恐ろしい。
流石というか、相変わらずというか、アンは目の付け所が良すぎる。
「お兄様、構いませんよね?」
「ふん、まったく。そんなものを本気で調べようとはな。どうせ再現など不可能だぞ? 無駄の極みだ」
クラウスは、さらっとシラを切った。
妹を面倒ごとに巻き込まないように、このまま隠蔽するつもりなんだろうな。
「ねっ、ねえ、クロエちゃん。いきなりなんだけど、長距離走のためには、どこの筋肉から鍛えたらいいかな?」
「んん? 基本的には全身をバランスよく鍛えた方がいいけど、一番大きい大腿四頭筋からやるのがおすすめかな」
「大腿四頭筋って、どの筋肉?」
「太ももの、この辺り」
クラウスがシラを切ったのに合わせるように、ベアトリスはクロエに全く関係ない質問を始めた。
下手に動揺してクラウスの足を引っ張たり、アンから話を振られたりしないようにするためか。
ベアトリスらしい心配りだ。
私はアンとクラウスに視線を戻した。
「確かに無駄かもしれませんが、夢がありますよね?」
アンはクラウスに食い下がっていた。
「私、どうしても、この学園にある原初の模様についての論文を読んでみたいのです……お兄様、ダメでしょうか?」
「あまり気が進まないが、魔法図書館で問い合わせくらいしてやろう」
眉間にシワを寄せて、クラウスは苦々しそうに承諾した。
この学園にある論文といったら、ドロレス・ウィントのバリバリに実用的な論文じゃないかな。
なにせ、ご当人が自分の命をかけて実験済みだ。
机上の空論だったら無害だけど、あれは本当に危険な魔法だ。
万が一、ブラドの実験内容にアンが気がついたら、絶対見学したがるだろうしね。
よし。
そしらぬ風を装って、全然方向性の違う話題を投げてみるかな。
「それにしても、アン様とクラウス様、お二人が並んでいると雰囲気の違いが際立ちますね」
「ほう……、それはどういう意味だ?」
「クラウス様はおおよそ不機嫌そうですが、アン様は花の綻ぶように美しく微笑んでくださるなあ、と思いまして」
クラウスが片側の眉毛だけを引き上げた。
「ふん、まあアンは顔だけは良いからな。いや、御転婆な上に口煩くてしかたないが、心根もまあ悪くなく、人の三倍は思いやりがあり、しかも仕事が早い上に魔法が強力だがな」
下げを装った上げ、下げ、下げ、上げ、上げ、上げ、上げの順番で、クラウスはアンを評価した。
捻くれてはいるが、クラウスがアンを溺愛してるのが分かる。
クラウスの妹への愛情は、本物だ。
「もう、お兄様ったら……」
アンは困ったような顔をしていたが、満更ではないのが声色でわかる。
彼女、実は結構ブラコンだ。
「え、なになに? 妹の話か? 私の妹だって、私に似て可愛く育ってるぜ〜〜?」
「お前に似てるは余計だろうが」
オーギュストに寄りかかられたクラウスが、うざったそうに振り払う。
よし、いい感じに話題が切り替わったぞ。
ありがとう、オーギュスト!
「ちなみに弟も可愛いんだぜ! ほんとまるで天使! さらにいうと、守護竜も可愛いんだぜ〜〜!」
オーギュストの双子の妹弟君である第二王子ジュールと第一王女アニエスは、現在十才。
孵化した自分達の竜を育成中だとか。
特に三年前に大型竜が孵化したアニエス王女は、もう騎乗して空を飛んでいるのだそうだ。
つい先日小型竜が孵化したジュール王子は、育児を頑張っている、などなどだ。
「そうだ、ジュールに育児用品贈ろうかな……なあ、ハロルド。あとでノットリードからお取り寄せできるか?」
「ええ、もちろんですよ、殿下」
オーギュストの向かいの席にいたハロルドが、にっこり笑ってメモを取り始めた。
えっ!?
いつの間に?
「おっと、失礼をば。お初にお目にかかります、アン様。ハロルド・ニーベルハイムと申します。以後お見知り置きを」
「お姉様からお噂はかねがね聞いておりますよ。こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」
「ノットリードに御用がありましたら、なんなりとお申し付けください。大陸中の名品を揃えております」
ハロルドは商売人の笑顔でにっこりと笑う。
アンも変わらない優雅さで微笑み返した。
「じゃあハロルド、幼竜のためのベッド・抱っこ紐・おもちゃ。せっかくだからアニエスにも騎乗用の鞍・鎧! よろしく頼むぜ?」
「承知いたしました、オーギュスト殿下。他にもご用事のある方は俺にいつでも声をかけてくださいね?」
ハロルドはテーブルに揃っている皆に笑顔を振りまいた。
ノットリードの物品で、なにか必要なものあったかな?
あ、そうだ。
「ねえ、ハロルド。そう言えば、私たちもお祝いの品を考えておきましょう?」
「えっ、何かありましたっけ?」
「ベルさんの出産予定。年明け頃じゃなかったかしら?」
「ギルベルトの兄貴とベル姐さんの初めての子供……! 忙しすぎて、すっかり忘れてた……」
ハロルドが顔を青くした。
最近忙しかったから、仕方ないよね。
私もオーギュストの弟君の竜のことを聞いていて思い出したし。
「抱っこ紐はどうかしら?」
「乳母車も必要だよね。まあ兄貴のことだから、もうとっくに揃えてるかも?」
私とハロルドが悩んでいると、アンやクラウス、オーギュストやクロエやベアトリスがあれやこれやとアドバイスをしてくれた。
「成長を祝うための呪符はどうですか、お姉様?」
「現金が一番だろう」
「それだったら、おっきく育つ犬の子犬とかどうだ? 情操教育にいいぜ?」
「育児に慣れた使用人を増やすのが一番助かると思うけど、難しいかなあ? 座り心地のいい椅子とかは?」
「オムツはいくつあっても迷惑じゃないと思います。あとは離乳食を作る道具や、おくるみ、雌のヤギでしょうか」
どれも一理ある気がして、なかなか決まらない。
でも、新しく生まれてくる子供のためのプレゼントのお話は、なんだか楽しいなあ。
単なる話題転換だったけど、ここしばらく縁遠かった普通の日常っぽくて、けっこう心が潤った感じがする。
こういう日常が、ずっと続けば良いのにね。
結局、プレゼントの件は話しが全然まとまらず、候補リストを作るのみにとどまった。
「そろそろ俺はアンと一緒に学園を案内に行ってくるが……」
「ええ、私もご一緒いたしますよ」
クラウスとアンが席を立ったタイミングで、私も立ち上がる。
約束通り、アンのために学園の案内だ。
見学に乗じて度々際どい質問をするアンと、シラを切るクラウスを見ては、私は笑った。
東寮・植物園と回り、最後に訪れたのは図書館だ。
アンは原初の模様関連の論文を探したが、どれも貸出し中だった。
おそらくブラドの仕業だろうし、当然クラウスはそれを知っていたから折れたフリをしたのだろう。
アンは仕方なく他の魔法関連の書物を借りていった。
そうして用事を終えて、三人で学園地下にある転移門に向かう。
「お兄様、お姉様。今日はとっても楽しかったです! 来年の入学式を心から楽しみにしておりますね」
「ああ、それまで十分に鍛錬を積み重ねるようにな」
「私もアン様の入学が待ち遠しいですよ。来年の秋が楽しみですね」
「はい!」
アンは満面の笑みを浮かべ、ハーファン公爵領へと転移していった。