原初の模様2
えええ〜〜〜〜!?
異世界への転移??
私は声に出しそうになったのを、必死に押し留める。
いや、異世界転生してきた身の上の癖に、それを棚に上げて驚いていいのか?
ブラドは言葉を続けた。
「私が吸血鬼の手に落ちれば彼の悪名高きカイン・グレンディルが復活する。オスヴァルト・ボルツに滅ぼされかけた状態ですら、飢餓天使や魔蝗を復活させるほどに悪辣・狡猾な呪術の天才が、全盛期の力を取り戻すことなど、決してあってはならない」
「霊安室でクロード・ルーカンラントが私に言ったように、すぐさま解決する方法はある。しかし、私はこの命を捨てるという選択が出来なかった。どうしても生きることを選びたかった」
「このような火急の事態の折に、私は長年研究していた原初の模様──ハーファンの根幹に関わる魔法についての解析を終えた」
「私の生存と、狂王復活の阻止……本来ならば両立しない二つの要件を満たすことが、この魔法で初めて可能になる」
「この世界と近似しながらも魔力の希薄な世界へ転移する。そうすれば、私の体内に仕掛けられた呪術に、私自身の意思の力で打ち勝つことが可能になる。そして、新たなる狂王がこの世界から喪失すれば、主人を失った吸血鬼たちはいずれ瓦解するだろう」
「原初の模様について、これほど早く研究が進んだのは、クラウス・ハーファンに負うところが大きかった。出来ることなら、これ以降も彼に助力を願いたい」
「クローヒーズ卿が望むなら、俺は助力は惜しまないつもりだ」
クラウスが頷く。
ていうかクラウス、本当に魔法関連チートな人だよね。
「転移呪文の構築には最速で半月ほどかかると想定している。その前準備として、学園の施設等の使用許可・魔法塔の使用権限の認可・高次魔法の実行許可を既に申請してある」
私たちの知らないうちに、ブラドはかなり転移計画を進めていたようだ。
単なる思いつきの策ではなくて、ずっと前から狂王に対する最後の切り札として準備していたのだろう。
「──ブラド、君は本当にそれでいいのかい?」
「エド」
兄がすがるような視線で、ブラドを見つめる。
長年の友人が、いきなり異世界に去ってしまおうとしているのだ。
寂しいよね、お兄様も。
「君が人との関係を最小限に済まそうと生きてきたのは、僕がよく知っている。それでも、君の側にいた人間との絆を切り捨ててまで、未知の魔法でこの世界から消失するなんて──」
「あくまでもこれは最終手段だ。他に有効な手段があれば、そちらを選びたい。第一、私とて魔力の希薄な世界に閉じ込められるなどという、退屈極まりない余生はご免だからね」
ブラドがいつも通りの苦々しい表情で言い放った。
兄は不承不承に頷く。
気づけば砂時計はとうの昔に落ちきり、解散の時間になっていた。
そうして、その日の夜会は何とも言えない微妙な雰囲気のままお開きとなった。
☆
飢餓天使・魔蝗復活の兆し。
ブラドの異世界転移計画。
いまだに消化しきれない重い内容の夜会があった次の日の放課後。
私とベアトリスには、クロエの特訓が待っていた。
火急の場にも、火急の場だからこその特訓。
最後に頼りになるのは、体力と気力だ。
そう思って、いつも通りに走りこむ。
ところが今日のクロエはいつもと調子が違っていた。
私とベアトリスから何度も遅れたり、逆にとんでもないスピードを出して後ろから急に現れたり。
まあ、彼女も色々考えることがあるのだろう。
「びっくりしたよね。異世界転移が可能なんて思いもしなかった」
しばらく黙々と走り続けていたクロエが、昨晩のことをポツポツと話し始めた。
「でも、今の状況を振り返ると、最適解にも思えるわ」
私もかなり驚いたけど、妥当ではあるんだよね。
迫りくる金狼王子クロード。
復活した飢餓天使と魔蝗。
味方が無力なわけでも無策なわけでもない。
でも、一歩間違えただけで破滅しかねない危ういバランスが見えている。
だからこそ、最後の打開策として「敵の王様を盤上から除外する」のは有効なのだ。
「あ〜〜〜……、そうだよねえ……」
クロエが、どこかしら間延びした声を上げた。
「クローヒーズ先生が心配?」
「うん。あと、その……兄さんのことも。いつ会えるのか分からない状態でずっと待ってるって結構辛いなあって……」
私とベアトリスを抜き去りながら、クロエがそんなことを言った。
クロード・ルーカンラントは、彼女の兄だ。
天涯孤独になってしまった彼女の、たった一人の肉親。
たとえ金狼になっていようとも、その兄に会えるのだ。
それも、上手くことが運べば、取り戻すことすら可能な状態だ。
クロエとしては待ち遠しくもあるよね。
「油断は禁物だよ、クロエちゃん。もしかしたら今夜にでも来るかも知れないんだから」
「うん、そうだねえ……もうすぐ会えるんだから、我慢しなくちゃだね」
クロエはそう言うと、加速して私達からぐんぐん離れていった。
「私、今日は多めに走ってくるから、二人は先に休んでて〜〜〜!」
「いってらっしゃい、クロエさん!」
「がんばってね〜〜、クロエちゃ〜〜ん!」
私とベアトリスは、クロエの背中に声を投げかけた。
クロエの背中はどんどん小さくなり、学園の外壁の方向へ消えた。
「彼女も複雑よね」
「来ないまま焦れるのも辛いと思うし、来たら来たでお兄さんを捕獲しなきゃですしね。どんな顔して合ったらいいかもわからないと思いますし」
「そうね」
生き別れの兄を殺さないように捕獲しなければならない妹の気持ちなんて、誰も推し量れないよね。
こういう時に、クロエの心が軽くなるような気の利いた言葉の一つも言えないのがもどかしい。
そうして私とベアトリスは訓練と一通りのストレッチを終えて、ハーランのいる保健室に向かおうとした丁度その時、遠くで呼びかける声が聞こえてきた。
本校舎のある方向からだ。
「お〜〜〜! お疲れ様だな〜!」
西日に煌めくゴールドベリを肩に乗せ、オーギュストが駆けてくる。
少し遅れて、クラウスが歩いてくるのも見えた。
「はい、ハロルドからの差し入れだぜ!」
駆け寄ってきたオーギュストは水薬の壜を私とベアトリスに渡してくれた。
「あれ? もう一人は?」
「今日は多めに走りたいとのことでした。金狼の件で、複雑な思いを抱えているんですよ」
「ああ、なるほどな……」
オーギュストが少し顔を曇らせた後に、にっこりと笑った。
「……よし、私も今日は少し走ってくるぜ! いいだろ、クラウス?」
そう言ってオーギュストがローブをクラウスに放り投げた。
「ほどほどにしろよ、オーギュスト。いきなり走り出すなよ。屈伸してから走れ。それと、あまり遠くまで行くなよ」
クラウスはローブを受け取ると、あっという間に圧縮魔法で掌に収める。
「ええ〜〜、お前も走らないのか? 一緒に走ろうぜ〜〜〜!!」
「残念だが、俺は今呪文の構築で忙しくて、走ったら呪文が頭から零れそうな感じだ」
「ふむ、それじゃ仕方ないな。じゃあ、私は行ってくるな!」
二、三度屈伸してから、オーギュストが軽やかに走っていく。
肩に止まっていたゴールドベリは飛び上がり、オーギュストの真上を警護するように旋回する。
「珍しく寛容ですね、クラウス様」
「兄のように慕っていた従兄弟があんな爆弾発言した後だ。アレも複雑な心境なんだ」
そういえば、そうだった。
オーギュストにとってブラドは、小さい頃かまってくれた優しい従兄弟だ。
そんな人間が、この世界からいなくなってしまう可能性があるのだ。
「アレがあまり自分の悩みを表情に出さない人間なのは、お前もよく知ってるだろう?」
校庭を走るオーギュストの横顔を眺める。
そういえば、確か狂王を倒すための知識を授けられているなんてことも言っていたよね。
「異世界転移の話、クラウス様だけがご存知だったんです? オーギュスト様にお伝えしてあげなかったんですか?」
「クローヒーズ卿から口止めされていた」
「……色々な方の秘密を抱えるのは大変ですね、クラウス様」
「まあな。でも俺の方がオーギュストよりは楽だろう?」
私とクラウスの視線に気がついたのか、オーギュストがぱたぱと手を振ってきた。
私は手を振り返す。
クラウスは舌を出す。
それを見たオーギュストが私とクラウスに向かってばちーんとウィンクをキメた。
「まったくあいつは……。そうだ、エーリカ。せっかくのハロルドからの差し入れ。飲んでやったらどうだ?」
おっと、忘れてた。
水薬の壜の栓を抜いて、一口飲む。
それは微かに柑橘類の香りがする飲みやすい水薬だった。
「ハロルド特製の疲労回復薬だそうだ」
疲れがすっと取れた気がする上に、なんだか目がよく見えるようになってきた。
これ、視力回復も含まれてるやつじゃないかな?
「あれ?」
うっかり声が漏れた。
ここにはいないはずの人が、クラウスの肩ごしに歩いてくるのが見える。
艶やかな長い黒髪と涼やかな青い瞳の美少女は、私の視線に気がついて微笑んだ。
「あれ? なんでアン様が……?!?!?」
私の言葉にクラウスが振り向く。
「ああ、アンか。もう着いたんだな」
「入学は来年の九月じゃないんですか?」
「諸々の権限の許可に必要な書類を運ぶ役割を買ってでたらしい」
なるほど、例の異世界転移の実験に必要な書類か。
そんなことを話していると、アンがもう目前まで近づいていた。
「お久しぶりです、お兄様、お姉様」
優雅に成長したアンは、とても穏やかに微笑んだ。
「一年ぶりになりますね、アン様」
「ティルナノグ様もこちらにいらっしゃるのでしょうか? お久しぶりです」
『うむ! 久しいな、娘よ。よくオレがこの場にいることに気が付いたな』
透明化して警護していたティルナノグに、アンは挨拶をした。
えっ、最新鋭の魔法道具で隠蔽してたのに、どうして気が付いたの?
「お姉様がいらっしゃる場所に、あなたがいないはずはないと思いまして」
決め打ちで当ててきたのか。
……相変わらず恐ろしい娘……!
「それに……お初にお目にかかります、ベアトリス・グラウ様。これからもよろしくお願いしますね」
私の後ろでひっそりと水薬を飲んでいたベアトリスにも、アンは声をかけた。
「ひうぁあ」
ベアトリスは奇声を上げた後に、アンに深々とお辞儀した。
「も、もも、もったいないお言葉です、アン様」
堂々した雰囲気のアンと、挙動不審なベアトリスを交互に眺める。
黒髪や青い目・象牙色の肌の色といった身体特徴は同じなのに、雰囲気は正反対だ。
世が世ならこの二人が女王様かあ……どんな関係になっていたのか、全然想像できない。
「挨拶がすんだなら書類を渡してくれ、アン」
「ええ、お兄様。ではこちらを」
アンは抱えていた封書をクラウスに渡した。
クラウスはそれを受け取って開封し、内容物を確認していく。
「ふむ、全部揃っているな。なら、お前は早く帰れ」
むむむ。
せっかく書類を揃えてきてくれたアン様に、その言い方はないのでは?
「クラウス様、もっと言い方があるのではないですか?」
「別に問題ないだろう」
「問題ありますよ。アン様への感謝、労い、思いやり。そういうものがクラウス様には足りていません」
「は?? 何を言ってるんだ、お前は? この学園はいつ何時幻獣が襲ってくるかも知れない危険な場所なんだぞ?」
「だったら、このような場所へ来ないように諭すべきでは?」
「──くっ!」
険悪に罵り合い始めた私たちを見て、アンは声を漏らして笑った。
「もう、お兄様とお姉様ったら、相変わらずですのね。なんだか懐かしくなってしまいましたよ」
〈来航者の遺跡〉でも言い争いが絶えなかったことを思い出す。
うう〜ん、成長してなくて、ちょっと恥ずかしいな。
一旦落ち着かなければ。
「実は兄にも窘められたのですが、どうしてもお姉さまに一目お会いしたくて、私が無理を言って来てしまったのです」
「あ〜〜……そうだったんですね……。クラウス様、申し訳ありませんでした」
クラウスは口が悪いが、心配症だし保護者気質だ。
それらが絡み合うと、ぱっと見、妹に当たりがきつい感じに見えちゃうんだよね。
「いや、お前の言うことにも一理ある。さすがに二・三時間で破られるような結界は学園に展開していないし、少しくらい滞在しても危険は無いか……」
「まあ! それは素敵な時間ですね、お兄様!」
アンが心底嬉しそうな顔で微笑む。
「そうだな、ではここの大食堂あたりで休憩していくのはどうだ?」
「はい! それと東寮や魔法図書館、植物園も見て回りたいです!」
「仕方ないな。今日はお前に付き合ってやる」
むすっとした表情でクラウスは了承した。
わかる、わかるぞ、これは満更でもないって表情だ。
「あの……お姉様もご一緒できますでしょうか?」
「ええ、もちろん」
アンの願い出に、にっこりと微笑んで了承する。
今は火急の場だ。
でも、だからこそ、大事な人と過ごす時間くらいあっていいよね?




