原初の模様1
私たちが学園に戻った日の翌日の夜。
人形島で私たちが得た情報を皆に共有するための夜会が開かれた。
夜会のメンバーは、兄、私、ハロルド、クロエ、ベアトリス、ブラド、ハーラン、オーギュスト、クラウス。
アクトリアス先生は欠席していた。
早急に調査したい事柄があり、昨日転移門で他の場所に向かったのだそうだ。
向かった場所は、ハーファン南部とイグニシア北部とのことだった。
「では、僕らが例の島で知った真実について──」
エドアルトお兄様が伯父の残した恐るべき遺産について説明していく。
巨大魚を象ったゴーレムにより、人間から隔離された小島。
住人どころか生物のほとんどがゴーレムでできた錬金術師の楽園。
隠されていたニグレド。
ウィント家からの関与の形跡。
そして、島周辺の海底に広がる、人骨の山。
「船主に聞いた話では、あの海域では時々浜におかしな人骨が流れ着くということでした。それらの人骨は好事家の蒐集品として人気なようです」
兄が夜会に集まったメンバーを見回しながら言う。
「初めてそれらの死体が漂着したのは、第五次巨人戦争の終わりの年だったそうです」
その年、人形島付近の海岸には大量の死体が流れてきたのだそうだ。
当時、近隣の人々はそれらの人骨を敵兵のものだと思っていたらしい。
巨人を詰め込んだ船がアウレリアの戦艦にでも撃沈されたのだろう、と彼らは推測した。
確かに、巨人ならば、少々人の形から外れていても、この土地の人々は気にしないだろう。
「第五次巨人戦争の終わりの年。それはオスヴァルト・ボルツが十八歳で死んだ年です」
その言葉で、兄は人形島の説明を終えた。
集まっていた一同のうち探索メンバーの除く皆が、複雑な表情を浮かべていた。
「……」
長い沈黙が漂う。
いきなり信じろと言っても難しいし、そもそも話の消化自体が難しいだろう。
私は一人一人見つめていく。
この話を聞いて、特に深く眉間にシワを寄せているのは、ブラドだ。
彼が苦難に塗れた人生を送ることとなった原因がこれでは、正直耐えられないのではないだろうか。
オーギュストは何か思い当たることがあるのか、深く頷いて何かを考えていた。
ハーランは、焦燥した表情で中空を見ていた。
彼を追い詰めるような内容が、伯父の話の中にあったのだろうか?
私がクラウスに視線を移したタイミングで、彼が沈黙を破った。
「ウィント家の関与があるなら、ハーファンも無関係ではないな。オスヴァルト・ボルツ氏はウィント家から選定された狂王殺しだったのだろう」
ウィント家が認めたということはハーファン王家が認めたということだ、とクラウスが続けた。
その言葉に、オスヴァルト・ボルツに最も人生を狂わされた人であろうブラドが頷く。
業深くさえある伯父の行動。
それを正当な行為として、ハーファン王家が、さらには被害者であるブラドすらも、認定するということか。
「しかし、なぜウィント家はあのタイミングで狂王殺しを教唆したのか。現在への影響を考えると、デメリットが目立つような気がするが」
「いや、そうとばかりは言えないぜ。第五次巨人戦争の休戦、確かかなり不自然で唐突なものじゃなかったか?」
クラウスの問いかけに、オーギュストが応える。
先ほどまで彼が考えていたのは、それか。
「戦争を狂王が裏で手引きしていて、それを止めるためにオスヴァルト氏は尊い犠牲になった。そんな可能性もあるんじゃないか?」
オーギュストもクロエと同様に、伯父の行動を美談として解釈したようだ。
いや、先の大戦を終わらせたのなら(動機が尊いかは兎も角)尊い犠牲だったのかもしれない。
少なくとも、ウィント家はそう意図していた可能性がある。
「なるほど、伯父のせいで大戦が終わった可能性ですね。確かにタイミングは合ってはいますね……因果関係を調査してみようと思います」
兄は微笑んでいたが、困っているのが分かる。
まあ、今さら伯父が尊い犠牲だったと分かっても、アレが好奇心からの趣味以外の動機だったとは到底思えない。
「しかし、しかしですよ」
ハーランは抑揚のない声を上げた。
「もしその生命の水を手に入れられるのなら、俺は……。エドアルト卿、その、ニグレドは今ここにあるんですよね……?」
何かを決意したかのような声音で、ハーランは問う。
そうか、彼はもう一度ニグレドから生命の水錬成を考えていたんだ。
「ええ。ただし今のニグレドは本質たる魂──ティルに取り込まれています。伯父がどのように錬成したかを突き止め、同じ工程を加えたとしても、同じ結果が得られるとは限りません」
「いやいや、冗談ですよ。さすがに俺だって自分を材料になんて考えたくないですからね」
ハーランは冗談めかして言うが、さっきの問いかけは明らかに本気だった。
伯父の生命の水錬成法が日記にも論文にも見当たらなくて、本当によかった。
そうして一通りの説明を終えてから、兄がまとめに入った。
「……ここから分かることの一つは、ボルツ家の血統は狂王に強烈に憎まれて狙われているということ……エーリカが前世で見た予言の数々は、狂王の練った計画の可能性があること」
兄は私を見つめてからブラドに視線を移した。
「そして、もう一つ分かることは、狂王はさらに熾烈かつ難解な猛攻を仕掛けてくるだろうということ……人間を再び支配するためではなく、純粋な復讐のために」
人間の営みに隠れてゆっくりとヒトの領域を侵食するのではなく。
屈辱を雪ぐために、彼は私たちを狙っている。
肉体と魂を奪うために、ブラドを。
恨みを晴らすために、お兄様と私を。
出来るだけ惨たらしく陰鬱な復讐劇をと、彼は考えているのだろう。
「僕たちは狂王の近年の行動の動機を知ることが出来たわけです」
兄はその言葉で、人形島の報告を締めた。
そうして伯父の件についての情報共有が終わると、次はハーランが金狼の現状を皆に伝える。
「金狼は、ここ一週間で北上と南下を繰り返しながら、ゆっくりと中央に近づいています」
被害状況は──
ハーファンとルーカンラントの辺境の村を丸ごと。
ルーカンラント南部の木こりの一家を全員。
ハーファン北部の採石場の坑夫たちを数人。
ハーランが地図に打った点の一つ一つで、恐ろしい惨劇が巻き起こっていた。
でたらめに蛇行しているかに見えた点線は、リーンデースへと続いている。
「正直に言ってしまうと、もうこの学園都市に潜んでいてもおかしくないでしょう」
「今、最優先で考えるべきことは、彼を如何に捕獲するかですね。では学園周辺の結界の設定について、ブラドとクラウス君に──」
兄が金狼捕獲のための結界についての話題を振ったタイミングで、勢いよくドアが開いた。
「エドアルト! 大変なことが分かったよ!! 最悪な知らせが二つもあるんだ」
「エルリック……?」
焦燥した表情のアクトリアス先生は、開口一番に兄に呼び掛けた。
一同の視線が先生に集まる。
「今、もしかして、タイミング悪かったかな?」
「いや、大丈夫だよ、エルリック。出来るだけ順を追ってその最悪な知らせを僕らに伝えてくれるかい?」
アクトリアス先生はこほんと咳をしてから、説明を始めた。
いったい何が最悪だというのだろう。
「ま、まずですね……例の銀色の破片は南方の幻獣・魔蝗の脚部でした。これは昨日ハーファン南部の港町で手に入れた魔蝗標本ですが、こちらの組織の構成要素が例の破片のものとまったく一緒でした」
皆が息を飲む。
「皆さんも知っての通り、魔蝗は大地から豊穣を根こそぎ食い尽くし、霊脈から魔力まで吸い上げて大地を喰らう獣です」
そんな危険な幻獣を、この北方大陸に?
「南方大陸では、天変地異後の魔蝗異常発生から、飢餓天使による救世までが一繋がりの伝説です。その両方を手駒として北方大陸に持ち込むということは、吸血鬼はこの大陸で終わらない大飢饉を起こそうと企んでいるのでしょう」
「大飢饉を起こすだと!? やつら人間を滅ぼす気か!?」
クラウスが怒りを顕にした。
イクテュエスの穀倉地帯のほとんどはハーファンにある。
それは数百年もの時間をかけた、ハーファンの人々の努力の賜物だ。
ハーファンの継嗣としては、さぞかし腹立たしいだろう。
「ええ、そうです。私たち人間を滅ぼしてしまっては、新たに血肉を得られなくなるというのに」
アクトリアス先生は心底不可解そうにそう言った。
でも、人形島の事実から浮かび上がった敵の目的は、支配ではなく復讐だ。
このあたりの情報については、後で兄が先生に伝えるだろうから、今訂正しなくても大丈夫だろう。
「そして、二つ目の悪い知らせです。汚染祭壇による霊脈侵食の痕跡を見つけました。場所はイグニシア北部の地方都市にあった廃教会です」
アクトリアス先生の手がわずかに震えている。
「その地域では、大雨による災害が一ヶ月ほど前に起こっていました。魔法塔による天候管理ミスと思われていましたが、現地で確認したところ、私とブラドが解析していた天使悪性変異のための汚染祭壇の呪術と一致しました。霊脈から大量の魔力を吸い取って使った痕跡もあります。つまり飢餓天使と魔蝗の悪性変異体は、既に吸血鬼の手中にある可能性が高いということです」
アクトリアス先生は皆を見回し、用心深く言葉を選びながら言った。
パリューグと等しい力を持った天使が、飢餓を引き起こす幻獣が。
もう、吸血鬼の手に落ちている。
これは今までで最大級の危機だ。
「もう一ヶ月も前に……? しかし、それだけの優位を持っていながら、なぜ未だに潜伏しているんだ? いや、それより、この件は早急に連合王国で共有する必要があります……!」
兄がそう言って皆を見回した。
異論はなく、全員が頷いた。
大急ぎで私たちは各国への伝達について話し合う。
イグニシア竜騎士の巡回空域拡大。
ウトファル修道騎士の軟禁を解いて人員を確保し、再配置。
イクテュエス東部以外の全魔法塔にも高位の魔法使いを派遣し、霊脈干渉を常時監査すること。
各主要都市では災害時避難用転移門の設定が必須だし、避難場所になる教会施設への物資備蓄も必須だ。
「どれも迅速な遂行が必要な事柄ですが、飢餓天使や魔蝗については公表することはできない……となると、どの国からも反発が出るでしょうね」
そう言ってハーランが深いため息を吐いた。
「特に問題が起こって後手後手になりそうなのは二つ。ハーファンへのウトファル修道騎士再配置とルーカンラントへの高位魔法使い派遣ですね」
「前提条件であるイグニシア建国後に狂王が現存していた事実を公にすることも難しい現状、多少の摩擦は避けられないでしょうね」
摩擦だけならいいが、こんなタイミングで刃傷沙汰になると最悪だろうな。
だけれども、今はやるしかないだろう。
そうして、ある程度話が纏まってきたところで、ブラドがそっと手を上げた。
「エド、少しだけ時間をいいだろうか?」
「ああ、もちろんだよ、ブラド」
ブラドが部屋の中央に進み出る。
彼は、珍しく険のない表情をしていた。
いや、険がないというより、いつもの思い詰めた陰鬱な雰囲気が消えた感じだろうか。
静かに穏やかに、ブラドは口を開いた。
「これは狂王カインへの最後の打開策としての提案だ。異世界への転移について、どうか協力してもらいたい」




