人形島の怪奇3
というわけで伯父オスヴァルト・ボルツの部屋漁りが始まった。
まず最初に、部屋に詰め込まれた物品の種類別に担当を分ける。
「伯父の所有物リストを作成しつつ、何か怪しい物が見つかったらすぐさま詳細調査する路線でよろしくね」
最初に兄はハロルドを素材担当に指名した。
妥当だ。
これはどう考えても彼が適役だろう。
次は奥の棚にあった封筒の中身だ。
封を開いてみれば、大量の論文・草稿・メモだった。
この文書を解析するには、ある程度伯父の研究が分かる錬金術師が必要だ。
なので兄と私が担当することになった。
その次は、本棚の青地に金文字の本。
こちらは全て日付以外の本文が暗号という癖のある代物だ。
しかも暗号は独自の暗号で、それも一年ごとに別の暗号を作ってそれで記述してある。
おそらくは伯父の日記なのだろう。
暇な人だったのかな?
それとも吸血鬼対策?
いや、どう考えても趣味のせいだろうし、単にどうしようもない凝り性だったのだろう。
「これは……誰がどうやっても数ヶ月はかかりそうだね。いっそ持って帰った方がいいかもしれない」
兄が目を押さえながら呟くと、ベアトリスがすっと手を上げた。
「あの、私、伯母の教本で暗号解析の魔法を習得してます。 過去からの干渉のためのメッセージが暗号のときもよくあるので慣れてますし……人工精霊に手伝ってもらえば四、五時間時間があればどうにかなると思います」
いつの間にかベアトリスは四体も人工精霊を起動していた。
なるほど、それなら速いね。
ドロレス・ウィントの教育チート、ありがたいなあ。
というわけで、暗号化日記はベアトリス担当だ。
最後に残った衣装箱は、クロエ担当になった。
「いろんな服があるね〜! 魔法使いのローブに修道騎士の服、リーンデースのローブもあるし……あれれ、微妙にサイズの違う服も混じってる?」
クロエが大きな服を持ち上げながら首を傾げる。
「もしかすると伯父の友人の分、かな。僕もエルリックの衣類とか予備のメガネを鞄に突っ込んでたりするし。でも伯父にそんな近しい友人がいたなんて意外だよ」
兄もまた首を傾げた。
生活感が滲み出るジャンルなので、伯父の隠された交友関係がわかるかもしれない。
「じゃあ、サイズもちゃんと測ってメモしておいた方が良さそうだね。よーし、頑張るよ〜!」
「まさか白骨死体が出てくることはないと思うけど、気をつけてね、クロエさん」
本人自体の白骨が鞄から見つかった伯父のことである。
そういう事態もないとは言い切れない。
「あはは、そしたら遺体の身元探しもやらなきゃだから、大変だね!」
クロエは朗らかに笑いながら答えた。
☆
さて作業開始だ。
ハロルドは恐ろしい集中力を発揮して、ずーーーっと没頭している。
「ヤバいヤバいスゴいスゴい、これ欲しい、うわ、初めて見た〜〜〜〜!」
こんな感じで盛り上がりまくってて、幼少期からの長年の付き合いながらちょっと怖い。
でもまあ、北方大陸では希少な素材が沢山あるので、仕方ないかな。
錬金術師にとってはご馳走の山みたいなものだろう。
私は兄と紙束を山分けしてしてから、読み進めていく。
「いやあ、ハロルド君は楽しそうでいいなあ……」
兄が羨ましそうにハロルドを眺めて呟く。
「お兄様、私たちにはこれが待ってますから」
「う、うん、そうだね。それにしてもこの書き散らかしぶり……骨が折れそうだよねえ」
「まったくですね」
一応まとめてはあるものの、筆致は奔放そのもので、思いつきを書き記したメモのようなものが多い。
メモは断片的なものや飛躍に飛躍を重ねた妄想がほとんどだった。
せめて、もうちょっと参考文献の記述とか、エビデンスがあれば理解しやすいのに。
そうして長らく漁っていたところ、私は気になる記述を見つけた。
ニグレド。
それは賢者の石が完成する一歩手前の状態のことだ。
そこまでの錬成すら、誰も実現したことがなかったはずなのだけど。
「お兄様、これは伯父様のニグレドについてのエッセイなのですが、ご存知ですか?」
「いいや、初耳だな。賢者の石の生成論なんだろうけど、なんでニグレドを主題にしたんだろうね?」
私はしばらくニグレドについてのレポートを探しては読み漁ることにした。
ニグレドについての推論は、その途中でアウレリアの悲願の黄金錬成のために生み出された人工生命体に繋がっていた。
祖先とその人工生命体の間に何があったのかも、伯父はほぼ正確に把握している。
ニグレド推論に混じって、気になる記述もちらほらあった。
アウレリア移民船で生まれた魂のない子供について。
その対応策として、魂の循環システムとして例の人工生命体を組み替えたのではないかという仮説。
そしてまた彼のための対話インターフェースとして作られたもう一つの人工生命体は人の姿をしていて、人間との交雑可能な個体として作られ──
この辺りの仮説については、妄想なのかどうかの判定がしにくい。
そして伯父は黄金錬成のために生み出された人工生命体の生存については絶望的だと判定しつつも、彼の魂の永遠性に気がついていた。
『どうしたのだ?』
「ううん、なんでもないわ」
私はふとティルナノグを見つめていた。
伯父がニグレドとしているのは、多分彼のことだ。
私はさらに読み込む。
──ニグレドに人間の魂を一人分でも溶かし込むことが可能ならば、賢者の石が生成される。
私はリベル・モンストロルムのファーストシナリオを思い出していた。
アンの魂を取り込んだザラタンは万物を黄金に錬成することができた。
正解だ。
正解ですよ、オスヴァルト伯父様。
──本質たる魂を含まないニグレドの場合も、人間一人分の魂との結合をもって生命の水が錬成されるだろう。
生命の水。
それは老いを超越し、あらゆる病と怪我を癒すという奇跡の水だ。
オスヴァルト・ボルツ。
彼の最初の印象は、金に糸目をつけない好事家な錬金術師だった。
次は、妄想じみた草稿を書き連ねていく夢想家。
そして彼の論文を読み込むうちに、唐突な飛躍を重ねて真実にたどり着く冒険者へと変わった。
伯父はさぞかし問題児だったのだろうけど、それで放っておくには惜しい奇形的な天才でもあったのだと分かる。
ニグレドに関する草稿は、狂王の件とはぜんぜん関係ない、アウレリア一族のルーツに迫るものだった。
賢者の石に関しては完全に正解に辿りついているけれど、ルーツに関しては妄想スレスレだろう。
「すっごく面白かった……けど」
むちゃくちゃ読みこんでしまったけど、今回の件とは無関係だった。
うっかり時間を浪費してしまったぞ。
「どうだったんだい、エーリカ?」
「アアル仮説や狂王とは関係ない部分でした、お兄様」
私はざっと自分の読んだ記述をまとめて兄に伝えた。
「ふむ、生命の水ね」
「空想の存在だと思っていたのですが、実在するようですね」
「というか、その説におけるニグレドって、つまりは──」
彼だよね、と言いたげに、兄はティルナノグをチラリと見た。
私は頷く。
「いやあ、僕が読んでいたところにも出てきたんだよ、生命の水が」
「えっ……アアル仮説の方を探していたんですよね?」
「脱線に脱線をしまくった草稿に、こんな走り書きがあってね」
兄が渡してくれた草稿に目を落とす。
──果たして冥府たる吸血鬼に生命の水を与えた場合、何が起こるのだろうか?
──生命の水は死体を復活させることはできないが、魂と肉の現存する相手ならば。
──内在する魂全てが復活するのではないか!?
それは、興奮した筆致で書き殴られていた。
あ、これは──。
伯父が何をしてしまったのかが大体分かってしまった。
「想定できる最悪のシナリオはこうだよね……オスヴァルト・ボルツは盗掘、あるいはなんらかの経路で祝祭派と内通してニグレドを入手、人間一人分の魂とニグレドを使って、生命の水を錬成。吸血鬼と内通して狂王カインと会って、魂の復活を試すために生命の水を使った」
「お兄様……」
兄は困り顔で笑った。
さすがの兄も、これには困ったのだろう。
盗掘も、祝祭派との内通も、人間の魂を使っての錬成も、吸血鬼との内通も全部倫理的にアウトすぎる。
「エーリカ、エドアルト卿!」
その時、ハロルドが困惑した顔で私と兄の名を呼んだ。
「隠し引き出しがあってさ、すっごく楽しいパズルみたいな仕組みだったから速攻で分解してみたら、こんなのがあってさ。で、あの、これってなんだか見覚えあるんだけど、その」
ハロルドが小さな瓶をこちらに向けて見せた。
ほんのすこしだけ、黒い液体が入っている。
ああ……ハロルドだからこんな短い時間に分解できたんだろうな。
こんな物、相当厳重にしまっているはずだから。
「色と質感が旦那と同じモンですよね……? なんでこんなとこにあるんです?」
『む、俺と同じだと? ……うむ、確かに俺の一部だな』
ティルナノグが指をくいっと引き倒すと、瓶の中の液体が蠢いた。
ビンゴだ。
私が見つめると、兄は言うしかないよね、と笑った。
「それは、アウレリア来航時に殺害された彼の、ザラタンだった時代の肉体の断片だろうね」
「うわ……なんでそんな怖いものがこんな場所に……?」
ハロルドがビクついて壜を落としそうなった。
「ニグレド、と僕らが呼んでいるものなんだけど、おそらくは──」
その時ベアトリスが声を上げた。
「あっ、あっ、あっ、あの、すみません!」
皆の視線が彼女に集まる。
「に、日記で、こんな記述があったんです。祝祭派の錬金術師を倒して持ち物を漁ったら、ニグレドを入手し──」
盗掘でも祝祭派との癒着でもないのか。
ちょっと安心してしまった。
しかし、祝祭派錬金術師との戦いなんて穏やかじゃないな。
「そして、錬成のために自分の命を使うことに決めた、と」
錬成に他の無辜の人間を使ってなくて良かっ──いやいやいや、ダメでしょ!
なんで自分の命を使ってまで錬成してるの……?
錬成自殺なんて初めて聞いたよ!
「ううー…ん、おそらく本当に楽しかったんだろうね」
私の表情からいろいろ察した兄が、私の背をさする。
「あと、その、大変言いにくいのですが、ウィント家からの干渉がうかがえる記述が三度もありました。その干渉により、オスヴァルト氏は狂王がどこにいるかに気がついたと推測できます」
ベアトリスの顔色も悪くなっていた。
「誰が狂王だったか書いてあるの?」
「いいえ。個人の特定は記述されていませんが、見つけた、とだけあります」
私が尋ねると、ベアトリスが答えた。
「つまり、想定される事態としては、オスヴァルトは祝祭派の錬金術師からニグレドを強奪して、自分の魂を使って錬成して、ウィント家の関与により狂王カインを特定し、生命の水を試した、になるねえ」
兄が困り果てた表情で淡々と説明をした。
「なるほどね〜、そういう理屈なら俺も納得……あっ、いや、でも自分の魂で錬成って何!?」
ことの重大さにハロルドが慌てた。
私は先ほどまで読んでいたニグレドについてハロルド・クロエ・ベアトリスにできるだけ簡単に説明した。
「狂王に対して必殺の武器を使ったんだね。自らの命をかけて敵を倒すために」
クロエは、比較的美談として理解したようだった。
でも人類の敵を倒すなんて尊い目的のためではなく、単に好奇心なんだろうな……。
ルーカンラントは誇りのために死ぬ。
イグニシアは愛と信仰のために死ぬ。
アウレリアは、止められない好奇心で死ぬ。
そして、ハーファンは汚辱に塗れようとも生を模索する。
そういえば、連合王国の各国の性格がこんな風に冗談ぽく言われてるんだけど、伯父の死因は完全に好奇心だ。
「でも、自分の魂を錬成した後、どうやって狂王にその水薬を使ったんでしょうか?」
ベアトリスが不思議そうに呟いた。
私もそれを知りたいところだ。
「友達に頼んだんじゃないかな? このちょっと大きめサイズの服、沢山あるもん」
クロエがオスヴァルト伯父様の通常の衣装より少し大きめの服を持ち上げる。
伯父より背の高い、伯父の友人。
彼に伯父はこの試行を託したのか。
「勇気のある方なんですね……友人の魂で錬成した水薬で、狂王を殺しに行くなんて」
ベアトリスが感心してそう言った。
迷惑なお願いを引き受けざるを得なくなった伯父のご友人に、大変申し訳ない気持ちになった。
友人の魂を使って錬成した水を狂王に使う役割なんて、なかなか出来ることじゃないよね。
「ああ〜、俺、その時そのオスヴァルト・ボルツ卿がなんて言って友達にそれを頼んだか、想像できるかも……」
ハロルドがじとっとした目で私を見つめた。
うう〜〜ん、私、そんなに酷いお願いをハロルドにしたことあったっけ?




